Neetel Inside 文芸新都
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.奴と俺
 うだうだと思考を逡巡させていたらもう午後になっていた。
 この授業が終わったら、本来ならトイレへ行く予定なのだが……。どうすべきか。
 まず、行かないという選択肢。これは無い。急に午後行かなくなったら、奴に異変を察知される。あくまで、奴が午前と午後一回ずつ行くというルーティンを知っており、かつ、奴が俺に気付かれないように完璧にふるまってるという意識でいるという前提があれば、だが。
 まぁ、とりあえず今日の午後はいつも通り振る舞いつつ、奴を待ち受けよう。色々と確かめたいこともある。
 
 「はい、ここまでねー」
 5時限目が終わった。出陣だ。
 俺は自然に教室を出た。出来れば教室にいる俺に視線を送ってくる不審な奴が誰かいるか、ということを確かめたかったが、やはりうかつな行為は避けたい。
 あくまで、自然に、だ。
 到着すると中には誰もいなかった。
 俺はくつろぐ間もなく息を潜め、ドアの隙間が無いか、確かめてみた。覗けるところがあれば、そこから覗いてしまおうという魂胆だ。
 だが、押し戸は鍵を閉めるとガッチリとロックされ、一分の隙間がでないようになってしまっている。
 ちっ。やはり覗けるのは下の隙間だけか。
 俺はまた下の隙間から覗いてみるが、その隙間はやはり微々たるもので、この前見たようにギリギリ上履きが見えるくらいのものだった。
 しかし、足だけ見えれば、奴が入ってきてから『どういう行動をするのか』ということがわかる。ただ用を足しているのならば俺の被害妄想ということで奴は物音のしないただのイレギュラーということになる。だが、明らかに俺を意識しているような動きをすれば、これは確信犯というわけだ。俺はもう後者だと思っているが。
 俺はかなりしんどい態勢を取りながらも、下の隙間から奴が来ないかを確認し続けた。

 まもなく、奴は来た。
 俺が個室に入ってから奴は確実にやって来るな。いっそのこと個室に入らないで待ち構えてればいいんじゃないか?俺はなぜ馬鹿正直に個室に入っているのか。小便をしているフリをして奴が来るのを待っていればいい。
 考え、自分の馬鹿さ加減に呆れながら、動向を観察していると、やはり、奴は奇妙な行動を取りはじめた。
 まず、足音を出さないよう、そーっと歩いている。つま先から着地するその足取りはまさしくそれだ。
 この動きは、明らかに個室の中にいる人間を、つまり俺を意識していることはもう疑いの余地がなかった。
 奴はその足取りのまま、俺がいる個室の一個手前らへんまで来ると足を止めた。足の向きは進行方向のままだ。
 トイレの室内の構造は単純で、入口から見て右手に個室が四つ立ち並び、左手に立小便用の便器が、並んでいるという間取りだ。
 奴はそのまま、動かないで止まった。
 何をしているんだ?足だけしか見えないので、本当に奇妙としか形容できない。俺が中にいるのをほくそえんでるとか?そういうスリルを味わってるとか?全く見当がつかない。
 一向に動きはなかった。ここで、俺が見ておくべきなのは、『奴が物音を出すタイミング』だ。もし、こういう風に、下から監視していなかったら、今まで物音を立てない奴の存在に気付かないで、不意にでる物音によってやっと気づいただろう。
 そもそも、その物音は意図的なのか、あるいは偶然なのか、どちらかということも見極めたい。
 俺はじりじりと変な汗をかいていた。なぜ、こんなことをやっているのか、訳がわからなくなってきた。出るか?いっそ。いや、駄目だ、なぜか出たら負けな気がする。奴はまだ俺が感づいてると気づいてないはずだ。奴の知らない間に俺は奴の正体と何をしているかを知る。そう決めたんだ。
 もう少しで、10分休みが終わる3分前だ。
 奴に動きがあった。出口へと方向転換をした。物音は立てていない。この前の二回とも大体この時間帯に物音がしただろうか。詳しくは覚えていない。
 奴はまた、行き来たような忍び足で出口へと戻って行き、そのまま姿が見えなくなった。
 10分休みが終わる2分30秒前。
 俺は奴の正体に気付いていなかったら、この30秒後に個室を出るだろう。
 どうやら、奴は常に物音が出ないように気を配っているらしい。つまり、俺が今日の午前と昨日聞いた物音は奴にとっては不覚、ミスだったことになる。意図していないのだ、奴は物音を立てることに関して。
 そうであるならば、奴の目的は音をチラつかせて俺をおちょくるとかそういうことではないようだ。
 一体奴は何をしているのか、増々わからなくなってきた。
 
 俺は教室へと戻るとまた授業そっちのけで考えていた。
 まず、気になるのは奴があの時、動かなくなった時、何をしているかということだ。正体も気になるがそれを知るのが最優先事項になってきた。
 そうすると、小便をするフリをして奴を待ち構えるということは出来なくなってきた。奴と顔を鉢合わせた後、俺が取れる行動はトイレから出ることしかできないからだ。正体は知れるが、行動は知れない。
 一番簡単なのはは唐突に個室から出る……ということだが……。それは最終手段に取っておこう。
 そういえば、奴は俺が個室を出るタイミングを十分に知っていたように思えた。俺はいつも決まったタイミングで個室を出る。それを知っていた?だとするとあいつはかなり前から、俺が気付かなかっただけで、あの行為をやっていた可能性がある。俺が定期的に個室にいるということに気づいて。かつ、時間にも規則性があるということに気づいて。
 そう考えると、なんだかむかっ腹が立ってきた。俺が安息を計っていた時に、奴はひっそりとそこにいた……。気味が悪すぎる。
 しかし、どうやって奴の鼻を明かすか……。
 「はい、ここまでー」
 気付いたら6限目の授業が終わっていた。
 今日は家に帰るか……。疲れた。

 翌日、結局俺は何も考えられず、学校に来てしまった。何のアイデアも出てこない自分に少し苛立ち、あまり眠れなかった。
 今日の一限目の10分休みは『寝たフリ』じゃなく、寝よう。
 
 「おっと、もう時間か。おしまい」
 一限目が終わると俺は机に突っ伏した。
 「きゃー、これウケるー」
 安眠を図ろうとして、うつろうつろしていると、東原の声が聞こえてきた。こいつは本当に煩い野郎だ。今日は本当に眠かったので、殴りたくなった。こいつの声はかん高くて、人一倍耳障りなんだ。
 「えぇ~!まじぃぃ?」
 またも鳴き声を発声する東原。
 俺は寝るのを諦めた。こういう時は無理に睡眠を実行しない方がよい。そうしようとすればするほどイライラが募るのを俺は知っている。
 殺意を込めながら、東原の後ろ姿を見据えた。
 何やら、化粧道具で盛り上がってるらしかった。お前に塗る化粧なんかないだろ。
 やたら沢山机の上に、化粧道具が散乱していた。用途の分からんものがかなりある。なんだあのでかいピンセットは。
 東原は、手にパズルみたいなものを手に持っていた。それは可変する手鏡らしく、四角になったり、星形になったりしていて、それをいじりながら東原はデカい声を出していた。

 この時、俺に電流が走った。
 手鏡。
 なんで今まで思いつかなかった。単純すぎるが、全然使える。
 あの隙間。確かに狭いが、薄い小さな手鏡、いや、反射するものならばなんでもいいが、を差し込んでやれば、視野が俄然広がる。
 イケる。奴が何をしているかを把握できる。
 ありがとう、東原。俺は東原への殺意を取っ払い、素直に感謝していた。
 
 俺は午前中いつも通り一回トイレに行った。
 奴の行動をもう一回確かめようとしたのだが。
 奴は来なかった。何故だ?来ないときもあるということだろうか。折角光明を見出したので、奴には来てもらわないと困るのだ。午後には来るだろうか。わからない。

 昼休みになると、俺はコンビニへ行き、使えそうな鏡を購入してきた。少しあの隙間に挟むのはでかかったので、割って、さらに薄くした。
 イケる。
 
 まだかまだか、と待って、ようやく5限目が終わった。俺はもう待ち遠しくてたまらなかった。やっと奴の鼻を明かすことができる。
 俺はその高揚が顔に出ないように、トイレへと向かった。
 まず、個室へ入って確認したことは、用意した鏡がちゃんと目的を果たせるかということだ。
 俺は、手を切らないように、不恰好に加工した裸の鏡を取り出した。
 隙間に差し込む。
 ん……、ちょっと小さくしすぎたか?あまりデカすぎると奴に見つかる恐れがある。奴はどこを向いているかわからない。鏡越しに目があったら、と考えるとなんだか怖い。そう考えて、俺はかなり小さめに鏡を加工した。視野は上へと広げられたが、少し見辛い……。おまけに表面も少し曲がっていて、見辛さに拍車をかけている。
 ……いや、いける。十分に見れる。クイ、クイと動かしていると、段々とこの鏡の扱い方にも慣れてきた。
 
 あとは奴が来るかどうか、ということだが……。
 午前中は来なかった。そして午後も来ない可能性もある。まぁ来るまで待てばいいのだが、もう俺は早く知りたくて待てなかった。
 
 来い。
 終止符を打つ。お前と俺のこの関係に。
 待つ。俺は待つ。
 今はこの体勢も苦ではなかった。
 早く来い。

 俺は高鳴る鼓動を抑えながら、入口を注視し続けた。
 視界に入った、上履き。
 
 来た。
 奴は昨日と同様、忍び足だ。
 半ばまで来て、やはり、止まった。
 どうしよう、どのタイミングで鏡を差し出そう。
 もう、頃合いだろうか、と俺は何回も心の中で反芻した。それが10回目になったくらいの時に、やっと鏡を差し出した。急激に飛び出ると見つかると思ったので、ゆっくりと差し出した。
 鏡は明後日の方向へ向いてしまっていた。
 調整せねば。
 ちっ、やはり見辛い。こんなことをしてこの鏡を見られたらお終いなのだ。
 俺は必死に奴へと焦点が合うように調整した。
 俺は段々と出てきた手汗を拭いながら調整していった。
 ここ……ッ。くぐるべき難関は……ッ。
 合え。
 合え。
 合え。

 ……合った!
 安堵と同時に俺は鏡に映ったものを見た。 
 

       

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