Neetel Inside 文芸新都
表紙

ぼっち戦線異状無し
トイレ戦線異状有り

見開き   最大化      

.10分休みと俺
 「今日はここまで」
 数学の教師が三限目の終礼を告げると、俺は一目散に教室を出た。いつも通りのルーティンワーク。
 不自然にならないよう、かつスムーズに教室を出る所作を俺は熟知していた。
 ここで俺が向かうのは、クラスの側近にあるトイレではなく、音楽室や理科室が立ち並ぶ西棟のトイレだ。速足で片道2分。往復4分。
 俺がなぜ、わざわざ西棟のトイレまで行くというと、単純に落ち着くからだ。やはり、10分休みは他クラス含めて、多くの人間が便意を満たしにやって来る。連れションとかいう訳の分からないコミュニケーションも横行し、トイレ内は喧騒に包まれる。
 そこで、西棟のトイレという訳である。
 最初の頃やらかしてしまったのが、他クラスで音楽室、理科室の授業がある場合、行きの道で人に見られて厄介なことになり、西棟のトイレも人が多くなってしまうということだ。自分のクラスで音楽室や理科室へ移動する場合も同様だ。
 俺は、全学年、全クラスの時間割を調べ上げ、これらの事象が起こらないコマを調べていった。やはり、その数は多くなかった。だが、よく考えたら、理科室は実験の時しか使用しないのでその頻度は少ない。それを鑑みたら、行けるコマ数は増大した。他学年の実験は把握できないが、同学年が実験する頃合いは把握できる。他学年が理科室を使用する場合も、階が違うので、クラスへ戻る集団とも出くわしにくい。色々と考え、現在行ける安全な時間帯を選択し、トイレで安息を図りに行っている。
 それでも、可能な限り、行けるとき全て、行くわけではない。午前に一回、午後に一回と決めている。いわばリスク回避。
 もし、仮に毎時間席を立ったとして、俺の席の近くの連中が「あいつ、すぐにトイレ行くなぁ」と噂し、それが流布して、ひいては『ウンコマン』等といった稚拙なあだ名いじめが蔓延ってしまう可能性は摘み取らなければならない。いじめ芽は出てしまったらそこで負けなのだ。一度貼られたレッテルを剥がすのは容易ではないことを俺は知っている。
 幸いなことに、高校に入っていじめを受けたことはない。本当に幸いなことに、うちのクラスには目立つような不良はいないし、いじめをやるように見える人間はほとんどいない。だが、人間何を考えているかはわかったものではない。注意しすぎるに越したことはないのだ。
 到着した。さっと入ると、中には誰もいなかった。
 これで誰かがいると少し厄介なのだ。一人ならどうとでもできるが、二人だとキツい。一人の場合だと、対象が個室で大をしてるか、小便をしているかだが、前者なら匂いを我慢して個室へ、(顔を見られることがない)、後者なら自分も小便をするフリをして相手が退出するのを待てばいい。さも、尿の切れが悪い風をして。そう、あまり個室に入るのは見られたくないのだ。これもリスク回避で、「そういえば、あそこの個室はなんか使用中が多いな……もしや、あいつがいつも……」等と感付かれたら色々とマズい。本来なら同じ個室を使い続けるのはそういった意味で避けたほうがよいのだが、そこは譲れなかった。奥の窓側の個室こそ至高なのだ。
 二人の場合は『小便してるフリ』が出来ないから厄介なのだ。俺の経験から、二人以上の場合は駄弁って長く滞在している場合が多い。二人以上いるときは即座に小便をするかフリかをして即座に帰ることにしている。
 やはり、ここは落ち着く。静かな室内に、隔たれた個室。偶に、イレギュラー、つまり西棟トイレに用を足しに来る迷い子がいたが、隣の個室で大をされなければ問題はない。むしろ、誰かが来る、そのスリルはいささか楽しめた。
 許された時間は5分近くだけだったが、安息だ。十分の。
 時計を見る。ちょうど30秒前に着席に入るようにトイレを出て調整するのが俺の正義《ジャスティス》だ。移動中は時計を見ない。いわばこれはゲーム。本当にちょうどに着席できるとなんとも言えない達成感を得ることができる。
 ちっ、今日は4秒オーバーか。

 俺がわざわざ遠いトイレまで行って、時間を潰し始めたのは、他でもない10分休みが苦痛だからというただそれだけのことだった。
 大抵の人間は、「あー、やっと終わったー」と息を吐いて、次の授業まで友達と喋くったりして、安穏を図るのだが、俺にはそんな相手はいなかった。
 そう、一人も、である。もう、二年生になるが、一年生の時も同様であった。理由は恐らく二つある。
中学の経験からか、他人との接触が怖くなり、或いは面倒になってしまい、他人へと関心を示さなくなり、自分の殻へ閉じこもった。二つ目は俺の持つ雰囲気だろう。恐らく憮然としたその顔は誰も話しかけるな、というそういった表情が常ににじみ出ているに違いない。いや、もうこれ以上は言及すべきではないか。
 とりあえず、そんなこんなで、10分休みは、話し相手がいないので、手持無沙汰なわけだ。俺自身、少しは寂しかったが、別に無理にそういった奴を探す必要はないと思っていた。
 ウチの高校は校則がやたらと厳しく、あらゆる機械、ゲームとか、携帯とか、もちろんMP3プレイヤーとかも全て没収の対象になって、厳しく処罰される。
 そういった類の暇つぶしが出来ればまだマシなのだが、いかんせんできないとなると、本を読むとかそれくらいしか出来なくなる。
 しかし、周りはかなりうるさい。いや、実際そこまで、我慢できないくらいうるさいという訳ではないのだが、どうしても会話が耳に入ってしまうのだ。
 その大抵が下らない恋愛の与太話だったり、昨日テレビがどうだ、とか微塵も面白くないどうでもいい話だったりするのだが、どうしても耳に入ってしまうのである。偶に、笑いのツボに入ってしまうことがあり、仏頂面を維持しながら笑いをこらえたりしている。
 最初は本を読んでいたのだが、すぐに全く集中できないことに気付く。いや、でも『読んでるフリ』をすればそこそこの時間は流れるのだが、『本当に俺は読んだフリをできてるのか』と考えると焦燥感が出るのだ。わかるだろうか。つまり、『俺は誰かに本を読んでるフリをしているとバレるかもしれない』という不安がありながら『本を読んでいるフリ』をするのがとても嫌になったということだ。
 例えば、隣の田山。
 こいつは、俺と同様一人で10分休みを過ごしていることが多いが、普段からぼーっとしている奴というキャラ判定がなされた結果、あまり一人でいても不自然ではないし、偶に会話に入れられたり、ネタにされたりして、おいしいポジションをもっており、その気になれば女子とも絡んでいる奴だ。
 こいつが実は、どこを見ているかわからない目で、俺のことを観察していたりしたら……?
 考えすぎなのはわかっているが、俺はそういう性質なのである。そういう人間。色々考えすぎてしまうのだ。
 同様に『勉強してるフリ』も駄目。そもそも、10分休みにまで勉強してる奴ってどんだけがり勉なんだという話になってくる。誰かにノート貸してとか、宿題移させろとか言われるのはそれだけで勘弁だったし、俺自身勉強に意欲がない。
 行きついたのは、『寝たフリ』だった。これは究極奥義。寝るポーズにもいろいろあったが、俺は顔を腕ごと突っ伏せる寝方を取っていた。顔を覆って、外界から自身を隔離しようという寸法だ。
 理には適っている。田山らその他大勢に表情を読み取られることはないし、そのまま10分待てばよいのだ。
 しかし、そうは上手くいかない。
 まず、眠くない。
 眠い時もあるがそうでない時の方が多い。俺は睡眠は家で十分にとるタイプの人間だ。
 そして、さらに聞こえる会話声。益々研ぎ澄まされる聴力のせいで、下らない会話がどんどんと耳の中に垂れ流される。
 最も厄介なのが、起きるタイミングだ。
 例えば、教師が来たと同時に顔を上げるとなると、『あ、こいつ寝たフリだ』と誰かに嘲笑気味に思われる危険性があるので、そう正直にやるわけにはいかないのだ。
 かといって、目をこすりながらさも、今まで眠ってましたとか、そういった演技をするのは体力がいるし、時間を見計らうのも難しい。
 こういった暇つぶしをいくら考えたところで意味がないだろうと考えたので、俺はクラスの外に答えを導き出したというわけだ。
 ただ、やはり午前に一回、午後に一回にしかトイレに立たないことにしているので、教室で過ごすときは様々な暇つぶしをローテーションして上手く使っている。
 トイレ以外に行くところがあればいいのだが、10分の範囲で、誰にも見られないところなると全くないのだ。どこに行っても誰かがいる。俺は人の目が気になるのだ。西棟のトイレが行動範囲の限界だろう。
 
 午後、俺はまたも西棟へと足を向けた。
 あと、一限で家に帰れる。今日は何をオカズに抜こうか、と妄想を膨らませていたら、あっという間に5分経過していた。危ない危ない。
 さっさと授業を受けて帰ろう。そう思った矢先だった。俺は個室の押し戸にかけた手をさっと引っ込めた。
 いる《・・》……。誰だ。気付かなかった。いや、気づかないなんてことあるだろうか?いくら、妄想トリップをしていたとはいえ、ここにいる俺は常に物音には敏感になっているはずだ。そこに疑いの余地はない。『誰かが来た』のならまだわかる。
 いつからそこにいるんだ……?
 

     

.不自然なイレギュラーと俺
 俺は息を潜めた。
 外に誰かいる。それは確か。今用を足しているのか?どういう状況でトイレにいるのかがわからない。こいつが退出するのを待って出るのはマズい時間かもしれない。こいつが、もし……いや、ないとは思うが、意図的にここに来ている。例えば、俺がここで10分休みを潰しているのを知って、静かに尾けて来たとか、或いは毎回この個室が閉まってるから正体を確かめに来たとか……。前者なら、俺が顔を見られても問題はない。既に俺という人間がここに居るのを知っているのだから。後者だとマズい。俺が今ここで外に出ることで、俺という人間がここを毎回使っているのを知られる。そして、『トイレの番人』とか、そういうあだ名がついたりして学校全体に広がったらマズい。特に、同じクラスの人間だったら……。いや、また考えすぎだ。そんなことをする暇人など、世界中探してもいるだろうか。いやいない。ならば、これは偶然だと考えろ。外のこいつはただの物静かな、イレギュラー。そう割り切ればいい。
 俺はもう一度、耳を澄ました。
 いない……のか?
 時計を見ると、もう授業まで1分を切っていた。考えている暇はない。何よりも、教室に遅れて到着する。それだけは一番あってはならないこと。授業が始まっている段階で、教室に戻ると全員から奇異の眼差しを受け、俺の穏便な学校生活に幾らかの支障を来す。最優先事項。俺は思い切って押し戸に力を入れた。

 誰もいなかった。
 やはり、杞憂だったのか。
 俺は安堵する間もなく、教室へと速足で駆けた。
 
 教室へ戻ると同時に英語の教師が入ってきた。間に合ったか。同時にざわめいていた教室内の連中も各自自分の席へと散らばっていった。
 俺は英語教師の発音の悪いカタコト英語を聞きながら、ゆっくりとトイレで起きた出来事を反芻した。
結局、ただの考えすぎという結論に至る。そう自分に言い聞かせ俺は授業に身を入れることにした。

 翌日、一限目、二限目の10分休みを『寝たフリ』でやりぬけた。前の席の東原という不細工な女子が大声でアイドルについて興奮しながら語っていたのが非常に不愉快だった。
 俺は早くあそこで安息を図りたかった。もはや、生活の一部になっており、うるさい日常から俺を救い出す唯一の存在になっていた。生存の糧。
 俺は颯爽と3限目が終わると西棟へと向かった。
 よし、今日も誰もいない。ここはもう俺だけの聖域になってきているな。
 ふぅ……。俺は溜息と共に東原への若干の殺意を吐き出すと、心から落ち着いた。ここに来ると、なぜか吸ったこともないのに煙草を吸いたくなる。俺は近い将来喫煙者になっている気がする。高校生の内には吸わないだろうが。


 コツッ……。
 微弱な足音。だが、この静まりきった室内では目立つのに十分すぎる音だった。
 また……なのか……?
 昨日のことはもう、俺の考えすぎということで水に流し、終止符を打ったはずだった。
 だが二回目……。流石にこれは。
 昨日と同様気づいたら侵入している。本来ならばもっと早い段階で感知できるはずなんだ。そう、奴がこのトイレ内部に入る前に。そしてもっと継続的に足音や用を足す音が聞こえなくてはならない。なのにこいつは昨日と同様一時的、断片的な足音を残す。それ以降なにか音沙汰があればいいのだが、あくまで一瞬だけ。
 考えなくてはならない。こいつについて。そして正体も。
 だが、まだ安々と顔を見せるわけにはいかない。まだ、俺という人間がこの中にいると相手に知れてない可能性があるからだ。
 しかし、このままジリ貧になるのもキツい。とにかくこいつが今どこにいるのかを知る必要がある。
 俺は這いつくばって、ドアの隙間から覗いてみた。
 足だけだったが、見えた。やはりいた。
 奴はもう出口近くまで行き退散といった具合だった。追うべきか。奴も生徒なら教室へと戻るはず、その後ろ姿さえ追えば、どの教室へと行くのか特定できる。
 というより、後ろ姿さえ視認できれば、大体誰かはわかる。うちの学年は4クラスしかないのだ。俺でさえ大体の同学年の人間を把握している。
 俺は音を立てないよう、奴の後を追うことにした。奴が待ち伏せしている可能性もある。俺は細心の注意を払いながら、外の様子をうかがった。奴の姿は見えない。どっちに行った?左か右か。
 うちの学校の校舎は4つの校舎が、つまり、東西南北の棟が長方形に近い四角を作って中庭を囲うように建てられている。南北の棟は、東西の棟の長さに比べると、少し短い。隣立する棟は通路でつながっている。4クラスのうち、2-1から2-3クラスまでは東棟にクラスがあるのだが、それにはみ出た2-4のクラスは南棟にある。このトイレは、西棟にあり、かつ北棟よりにある。ここから左に、つまり南棟方向に誰も歩いている人間が見えないとなるとは奴は北棟を経由して東棟に行ったのだろう。俺がいつも往復している道。
 俺も教室へと早く戻らなくてはならない。
 北棟の通路にはそれらしき人間はいなかった。教師と女生徒が複数名。
 曲がって東棟の通路を確認。今度は人が大勢いた。あれは二組の連中だろうか。どうやら下の階へ移動している。それにまぎれて多くの人間が階段へと移動していった。これじゃ、奴が誰だかわからない。
 仕方ないか。俺は足早に教室へと戻った。
 
 その後の授業中、俺は色々と考えを巡らせていた。
 奴の目的は一体なんだろうか。またしても俺の考えすぎなのだろうか。俺を観測するだとか、正体を確かめるとか、そういったことは全部思い込みだろうか。偶々、足音のない、気配がない奴という可能性も十分にある。だが、だとしても、その存在そのものが気に入らない。俺は奴の正体を確かめたい。
 まず、奴が俺に意図をもって接近するという前提で考えを進めよう。
 わかることはまず、4組ではない。あの時、南棟に向かう人間がいないことは確かだった。猛ダッシュしてもあのタイミングで南棟まで行ける奴は少ないだろう。東棟を経由して4組まで行った可能性もあるが、それは今は捨ておこう。
 続いて2組の人間の可能性も少ないと思う。なぜなら、あの時、2組は移動教室だった。既にほとんどの人間が移動していた可能性が高く、仮に2組の中に奴がいるのであれば、あの時、俺が教室に入る時刻とおなじく2組の教室にいたであろうまだ教室へ移動していない少数の人間が、奴ということになる。そんなリスク、(もし、奴が自分の顔を見られるということを警戒しているなら、という前提だが)を犯すとは考えにくい。
 と、ここまで考えて俺は思った。
 なぜ奴は俺がトイレの個室に『その時いる』と知っているのか。奴も毎時間あそこに行っているわけではないだろう。
 俺は、曜日ごとにあのトイレへ行く時限を変えている。それは曜日単位で見れば規則的であるが、週単位でみれば、つまり全体的に見ればかなり不規則なはずである。
 にもかかわらず、奴が、俺が個室にいる時間帯を特定しているということは……。
 これは自分のクラスの人間であるという可能性が高いだろうか?
 奴が普段からあのトイレを利用していて、個室が埋まっていることに気付いて、そこから個室が埋まっている時間を特定していった……。いやそれは可能性が低すぎる。
 可能性が高い方を取っていけば、やはり、自分のクラスで俺の動向を目視しているから特定できる、という考えに至る。ということは奴は既に俺が個室にいる人間だということを知っているのか……?
 だとするならば、奴の目的は一体なんなのだろうか。特定の時間埋まっている個室の中の正体。それを確かめるために、という動機ならばわからなくもない。だが、さっき挙げた前提だと、ただ俺にプレッシャーを与えるだけになっている。それが目的なのだろうか。
 それ以上はもう憶測の域を出ない。というかそもそも全てが憶測で、俺の被害妄想の可能性もあるわけだが。

 とりあえず、次の接触でどうするかだ。気配は感知できるのだから、もういっそのことその瞬間に個室から出て、正体を確かめればいい。奴が個室の中にいる人間を俺だと知っているのだから。こちらとしても、もうリスクは無い。
 ……だが、俺はそれはあまりしたくない。奴の鼻は奴が知らないうちに明かしたい。なんか負けた気がするからだ。
 と思ったが、具体的な方法手段は何があるだろうか……。

     

.奴と俺
 うだうだと思考を逡巡させていたらもう午後になっていた。
 この授業が終わったら、本来ならトイレへ行く予定なのだが……。どうすべきか。
 まず、行かないという選択肢。これは無い。急に午後行かなくなったら、奴に異変を察知される。あくまで、奴が午前と午後一回ずつ行くというルーティンを知っており、かつ、奴が俺に気付かれないように完璧にふるまってるという意識でいるという前提があれば、だが。
 まぁ、とりあえず今日の午後はいつも通り振る舞いつつ、奴を待ち受けよう。色々と確かめたいこともある。
 
 「はい、ここまでねー」
 5時限目が終わった。出陣だ。
 俺は自然に教室を出た。出来れば教室にいる俺に視線を送ってくる不審な奴が誰かいるか、ということを確かめたかったが、やはりうかつな行為は避けたい。
 あくまで、自然に、だ。
 到着すると中には誰もいなかった。
 俺はくつろぐ間もなく息を潜め、ドアの隙間が無いか、確かめてみた。覗けるところがあれば、そこから覗いてしまおうという魂胆だ。
 だが、押し戸は鍵を閉めるとガッチリとロックされ、一分の隙間がでないようになってしまっている。
 ちっ。やはり覗けるのは下の隙間だけか。
 俺はまた下の隙間から覗いてみるが、その隙間はやはり微々たるもので、この前見たようにギリギリ上履きが見えるくらいのものだった。
 しかし、足だけ見えれば、奴が入ってきてから『どういう行動をするのか』ということがわかる。ただ用を足しているのならば俺の被害妄想ということで奴は物音のしないただのイレギュラーということになる。だが、明らかに俺を意識しているような動きをすれば、これは確信犯というわけだ。俺はもう後者だと思っているが。
 俺はかなりしんどい態勢を取りながらも、下の隙間から奴が来ないかを確認し続けた。

 まもなく、奴は来た。
 俺が個室に入ってから奴は確実にやって来るな。いっそのこと個室に入らないで待ち構えてればいいんじゃないか?俺はなぜ馬鹿正直に個室に入っているのか。小便をしているフリをして奴が来るのを待っていればいい。
 考え、自分の馬鹿さ加減に呆れながら、動向を観察していると、やはり、奴は奇妙な行動を取りはじめた。
 まず、足音を出さないよう、そーっと歩いている。つま先から着地するその足取りはまさしくそれだ。
 この動きは、明らかに個室の中にいる人間を、つまり俺を意識していることはもう疑いの余地がなかった。
 奴はその足取りのまま、俺がいる個室の一個手前らへんまで来ると足を止めた。足の向きは進行方向のままだ。
 トイレの室内の構造は単純で、入口から見て右手に個室が四つ立ち並び、左手に立小便用の便器が、並んでいるという間取りだ。
 奴はそのまま、動かないで止まった。
 何をしているんだ?足だけしか見えないので、本当に奇妙としか形容できない。俺が中にいるのをほくそえんでるとか?そういうスリルを味わってるとか?全く見当がつかない。
 一向に動きはなかった。ここで、俺が見ておくべきなのは、『奴が物音を出すタイミング』だ。もし、こういう風に、下から監視していなかったら、今まで物音を立てない奴の存在に気付かないで、不意にでる物音によってやっと気づいただろう。
 そもそも、その物音は意図的なのか、あるいは偶然なのか、どちらかということも見極めたい。
 俺はじりじりと変な汗をかいていた。なぜ、こんなことをやっているのか、訳がわからなくなってきた。出るか?いっそ。いや、駄目だ、なぜか出たら負けな気がする。奴はまだ俺が感づいてると気づいてないはずだ。奴の知らない間に俺は奴の正体と何をしているかを知る。そう決めたんだ。
 もう少しで、10分休みが終わる3分前だ。
 奴に動きがあった。出口へと方向転換をした。物音は立てていない。この前の二回とも大体この時間帯に物音がしただろうか。詳しくは覚えていない。
 奴はまた、行き来たような忍び足で出口へと戻って行き、そのまま姿が見えなくなった。
 10分休みが終わる2分30秒前。
 俺は奴の正体に気付いていなかったら、この30秒後に個室を出るだろう。
 どうやら、奴は常に物音が出ないように気を配っているらしい。つまり、俺が今日の午前と昨日聞いた物音は奴にとっては不覚、ミスだったことになる。意図していないのだ、奴は物音を立てることに関して。
 そうであるならば、奴の目的は音をチラつかせて俺をおちょくるとかそういうことではないようだ。
 一体奴は何をしているのか、増々わからなくなってきた。
 
 俺は教室へと戻るとまた授業そっちのけで考えていた。
 まず、気になるのは奴があの時、動かなくなった時、何をしているかということだ。正体も気になるがそれを知るのが最優先事項になってきた。
 そうすると、小便をするフリをして奴を待ち構えるということは出来なくなってきた。奴と顔を鉢合わせた後、俺が取れる行動はトイレから出ることしかできないからだ。正体は知れるが、行動は知れない。
 一番簡単なのはは唐突に個室から出る……ということだが……。それは最終手段に取っておこう。
 そういえば、奴は俺が個室を出るタイミングを十分に知っていたように思えた。俺はいつも決まったタイミングで個室を出る。それを知っていた?だとするとあいつはかなり前から、俺が気付かなかっただけで、あの行為をやっていた可能性がある。俺が定期的に個室にいるということに気づいて。かつ、時間にも規則性があるということに気づいて。
 そう考えると、なんだかむかっ腹が立ってきた。俺が安息を計っていた時に、奴はひっそりとそこにいた……。気味が悪すぎる。
 しかし、どうやって奴の鼻を明かすか……。
 「はい、ここまでー」
 気付いたら6限目の授業が終わっていた。
 今日は家に帰るか……。疲れた。

 翌日、結局俺は何も考えられず、学校に来てしまった。何のアイデアも出てこない自分に少し苛立ち、あまり眠れなかった。
 今日の一限目の10分休みは『寝たフリ』じゃなく、寝よう。
 
 「おっと、もう時間か。おしまい」
 一限目が終わると俺は机に突っ伏した。
 「きゃー、これウケるー」
 安眠を図ろうとして、うつろうつろしていると、東原の声が聞こえてきた。こいつは本当に煩い野郎だ。今日は本当に眠かったので、殴りたくなった。こいつの声はかん高くて、人一倍耳障りなんだ。
 「えぇ~!まじぃぃ?」
 またも鳴き声を発声する東原。
 俺は寝るのを諦めた。こういう時は無理に睡眠を実行しない方がよい。そうしようとすればするほどイライラが募るのを俺は知っている。
 殺意を込めながら、東原の後ろ姿を見据えた。
 何やら、化粧道具で盛り上がってるらしかった。お前に塗る化粧なんかないだろ。
 やたら沢山机の上に、化粧道具が散乱していた。用途の分からんものがかなりある。なんだあのでかいピンセットは。
 東原は、手にパズルみたいなものを手に持っていた。それは可変する手鏡らしく、四角になったり、星形になったりしていて、それをいじりながら東原はデカい声を出していた。

 この時、俺に電流が走った。
 手鏡。
 なんで今まで思いつかなかった。単純すぎるが、全然使える。
 あの隙間。確かに狭いが、薄い小さな手鏡、いや、反射するものならばなんでもいいが、を差し込んでやれば、視野が俄然広がる。
 イケる。奴が何をしているかを把握できる。
 ありがとう、東原。俺は東原への殺意を取っ払い、素直に感謝していた。
 
 俺は午前中いつも通り一回トイレに行った。
 奴の行動をもう一回確かめようとしたのだが。
 奴は来なかった。何故だ?来ないときもあるということだろうか。折角光明を見出したので、奴には来てもらわないと困るのだ。午後には来るだろうか。わからない。

 昼休みになると、俺はコンビニへ行き、使えそうな鏡を購入してきた。少しあの隙間に挟むのはでかかったので、割って、さらに薄くした。
 イケる。
 
 まだかまだか、と待って、ようやく5限目が終わった。俺はもう待ち遠しくてたまらなかった。やっと奴の鼻を明かすことができる。
 俺はその高揚が顔に出ないように、トイレへと向かった。
 まず、個室へ入って確認したことは、用意した鏡がちゃんと目的を果たせるかということだ。
 俺は、手を切らないように、不恰好に加工した裸の鏡を取り出した。
 隙間に差し込む。
 ん……、ちょっと小さくしすぎたか?あまりデカすぎると奴に見つかる恐れがある。奴はどこを向いているかわからない。鏡越しに目があったら、と考えるとなんだか怖い。そう考えて、俺はかなり小さめに鏡を加工した。視野は上へと広げられたが、少し見辛い……。おまけに表面も少し曲がっていて、見辛さに拍車をかけている。
 ……いや、いける。十分に見れる。クイ、クイと動かしていると、段々とこの鏡の扱い方にも慣れてきた。
 
 あとは奴が来るかどうか、ということだが……。
 午前中は来なかった。そして午後も来ない可能性もある。まぁ来るまで待てばいいのだが、もう俺は早く知りたくて待てなかった。
 
 来い。
 終止符を打つ。お前と俺のこの関係に。
 待つ。俺は待つ。
 今はこの体勢も苦ではなかった。
 早く来い。

 俺は高鳴る鼓動を抑えながら、入口を注視し続けた。
 視界に入った、上履き。
 
 来た。
 奴は昨日と同様、忍び足だ。
 半ばまで来て、やはり、止まった。
 どうしよう、どのタイミングで鏡を差し出そう。
 もう、頃合いだろうか、と俺は何回も心の中で反芻した。それが10回目になったくらいの時に、やっと鏡を差し出した。急激に飛び出ると見つかると思ったので、ゆっくりと差し出した。
 鏡は明後日の方向へ向いてしまっていた。
 調整せねば。
 ちっ、やはり見辛い。こんなことをしてこの鏡を見られたらお終いなのだ。
 俺は必死に奴へと焦点が合うように調整した。
 俺は段々と出てきた手汗を拭いながら調整していった。
 ここ……ッ。くぐるべき難関は……ッ。
 合え。
 合え。
 合え。

 ……合った!
 安堵と同時に俺は鏡に映ったものを見た。 
 

       

表紙

ベン・ジョメシ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha