一章

 もし記憶を失う前の俺が拳法の達人だったなら――とゴードンは考えた。身体には厳しい修行によって会得した殺人拳が染みついており、何者が相手であっても徒手空拳で打ち倒すことが可能だろう。
 だがこれはいわゆるifの話であり、もっとはっきり言ってしまえば妄想である。ゴードンもそのことは重々承知していた。本当に拳法の達人だったとしたら記憶を喪失してから今までの十年間でとっくに気付いているはずだ。
「おい、聞いてんのか?」
「荷物をよこせって言ってんだよ」
 自分の正面から発せられたドスの利いた声でゴードンは現実に戻された。
 目の前には二人の男。それぞれ手にナイフと鉄パイプを持っている。ナイフの刃はゴードンの首に向けられていた。
 ゴードンは二人の若い男に追い剥ぎされている真っ最中だった。ここは何もない荒野。助けを求めようとも周りには誰もいない。
 もしゴードンが妄想の通りに拳法の達人だったのなら、簡単にこの場を切り抜けることができただろう。だが、実際の彼は拳法のけの字も知らない中年男性だ。徒手空拳で若者二人に立ち向かえば簡単に返り討ちにあうこと間違いなしである。
「命は助けてくれるんだろうな?」
 ゴードンは相手を逆なでしないよう静かに問う。
「俺たち優しいからよ。荷物さえくれるのなら命は助けるし怪我だってさせねえよ」
「ま、こんなところで荷物を失ったらそのうち野垂れ死ぬだろうけどな」
 追い剥ぎは下品な笑い声をあげる。
「分かったよ」
 観念したように、ゴードンは目を伏せながら言う。
「荷物はお前らにやる。だから痛いのはやめてくれよ」
 ゴードンは背負っていた荷物を地面に置く。
「よしよし、賢いおっさんだ」
 ナイフを持っていた追い剥ぎが荷物に手を伸ばす。
「ちょーっと待った!」
 突如、甲高い少女の声が右方から響いた。驚いて三人とも一斉に声の方向へと振り向く。
 そこに立っていたのはマントを纏った少女だった。三人ともやり取りに夢中になって彼女の接近にまったく気付けなかった。
こんな荒野に少女が一人きりで現れるのはあまりにも不自然で、追い剥ぎはおろかゴードンまでもが目を丸くして彼女に注目する。
「これ、追い剥ぎってやつだよね?」
 少女は若者二人に問う。
「……だったらどうした?」
「お嬢ちゃんも何かくれるのか?」
 面喰っていた追い剥ぎも、なんとか冷静になってそれに答える。
「じゃあおじさんは困ってるんだよね?」
 少女は若者の返答を無視すると今度はゴードンに問う。
「確かに困ってるけど、お嬢ちゃんがここにいるともっと困る」
 現状、ゴードンは自分のことで手いっぱいだった。もしこの少女まで狙われたら……と考えただけで面倒だ。
「じゃあ助けてあげる」
 ゴードンの心配をよそに、少女はあっけらかんと言ってのけた。
「え? 今なんて?」
「私がおじさんを助けてあげる」
 そう言って少女は纏っていたマントを地面に脱ぎ棄てる。ゴードンと追い剥ぎは少女の格好を見て再び目を丸くした。
 マントの下は小奇麗なピンク色のワンピースだった。荒野を歩く人間の着るようなものではないし、そもそもこの世界でこんなにも綺麗な服を目にすることはほとんどない。汚れはほとんどついておらず、見ただけで生地が上質であると分かる。
 目を見張るのは衣服だけではなかった。少女の容姿もまた、この世界には不釣り合いなものだった。
 先ほどまでフードに隠れてよく見えなかったが、顔立ちは非常に整っており、腰まで伸びた金髪は輝いているように見えるほど綺麗だった。それらが服装と相まって人形のような雰囲気を醸し出している。
 荒みきったこの世界、この大地において彼女は明らかに場違いな容姿をしていたのだ。
 しかし自分の容姿を気にしていないのか、少女は先ほどの調子で追い剥ぎ二人に向かって拳を構えた。
「かかってこい、追い剥ぎ共!」
 驚いていた追い剥ぎだったが、次第に冷静さを取り戻すと拳を構える少女を値踏みするように見て、下品に笑った。
「このガキを売ったらきっとすげえ金になるだろうな」
「街まで連れていくのは大変だが、その価値はあるな」
 追い剥ぎの内の一人、鉄パイプを持った男が少女に近づいた。
「そういうことだ、お嬢ちゃん。大人しくすれば痛くしないぜ?」
 追い剥ぎは少女に手を伸ばす。しかし、それが少女の身体に届くよりも先に、彼は地面に倒れた。
「まずは一人!」
 少女は伸ばした足を地に戻すと、得意げに叫んだ。
彼女の蹴りが不用意に近づいた追い剥ぎの股間に直撃したのだ。
「ガキてめえ……ッ」
 ナイフを持った追い剥ぎはその様子を見て逆上。ナイフの刃を少女に向ける。
 ゴードンから離れると刃をちらつかせながら少女に近づく。だが、少女は臆することなく拳を構え続ける。
「ちょっとオイタがすぎるんじゃねえか?」
 追い剥ぎはナイフを振り上げた。
「確かにオイタがすぎるな。追い剥ぎや人身売買は立派な犯罪だぞ」
「ぐぇっ」
 ゴードンの言葉と同時に、追い剥ぎはうめき声をあげて動きを止めた。彼の首にはロープが巻きつけられ、ゴードンによって強く締められていた。
 追い剥ぎが少女の方へ向かったと同時に、ゴードンは荷物の中からロープを取り出していたのだ。
 じたばたとしていた追い剥ぎだったが、しばらくして意識を失い、地面に崩れ落ちた。
「……死んでないよな?」
 ゴードンは慌てて追い剥ぎの脈を取り、しっかり動いていることを確認して胸をなでおろした。
 地面には追い剥ぎ二人が倒れている。どちらも当分起き上がることはないだろう。ゴードンは窮地を脱したことになる。
「ね、助かったでしょ?」
 少女は嬉しそうにいいながらゴードンに近づいてきた。
「途中から君が心配で気が気じゃなかったよ」
「なんで?」
「君はまだ子供だろう。それに女の子だ」
「でも追い剥ぎを一人倒したよ。凄いと思わない?」
 少女は股間を押さえて倒れこむ追い剥ぎを指さす。それを見たゴードンの股間に寒気のようなものが駆け抜け、思わず「可哀想に……」と敵だった男に呟いた。


「さて」
 ゴードンは倒れている二人に近づくと、彼らの荷物を物色し始める。
「え、追い剥ぎっておじさんの方だったの?」
 その様子を見て少女が驚く。
「いいや、違うよ。こっちも生きるのに必死なのさ。なんせ、こんな世界だからね」
 いくつかの食糧とあるだけの通貨を奪い取ると、自分の懐にしまいこむ。食糧を全て奪わないのはゴードンの情けだろう。
「確かにそうだね」
 少女は特に異を唱えることなくゴードンの行為を肯定した。
「これは意外だ」とゴードンは呟いた。まるで正義の味方とでも言わんばかりの登場の仕方だった。自分の行為も咎められるだろうとゴードンは思っていたのだ。
「ねえ、おじさん旅人?」
「そんなところだ」
「じゃあ私が用心棒になってあげようか?」
「は?」
 ゴードンは思わず心底呆れた声を上げてしまう。
 年端もいかぬ少女が中年男性の用心棒を買って出たのだ。こんな馬鹿な話はこの世界のどこを探してもそうそうあることではない。
「一人だと危ないじゃない」
「そっくりそのまま君に返すよ」
「それに、私けっこう強いんだよ? さっきも見たでしょ、私の鮮やかなキック」
「男なら誰だって金的は効くさ」
「さっきだって私のおかげで助かったでしょ」
「まあ、否定はしないが」
「この先もさっきみたいに襲われることがあると思うの。そこで私がいればおじさんの身の安全を絶対守ってあげられるってわけ」
「少女に守られるおっさんっていうのはいささか情けないな」
「そんなこと気にする余裕がある世の中じゃないでしょ?」
「おっさんにはおっさんのプライドがあるんだよ」
 気がつけば進展のない言い合いをしながら二人は並んで歩いていた。正確には目的地へと歩くゴードンに少女がついてきているだけなのだが。
 理由は分からないが、どうしても少女は用心棒として雇ってもらいたいようだった。あまりのしつこさにゴードンはどうしたものかと頭を捻る。
「そういえば、君の家族は?」
「家族はいない」
「それは君がアンドロイドだからか?」
 ゴードンの問いに少女は一瞬言葉を詰まらせる。
「……なんで分かったの?」
「いや、適当に言ってみただけだよ」
「何それ!?」
 まさか本当にアンドロイドだったとは、とゴードンは驚く。
 アンドロイド。いわゆる人造人間、人型ロボット。かつてとある国で生み出されたそれは今でも世界各地に存在している。ただし今では――
「もし相手にアンドロイドと言われても、すぐに肯定するのは利口じゃないな」
「う……」
「分かっているだろう、今の世界でアンドロイドがどう扱われるのか」
 今の世界を統べる新世界政府はアンドロイドを忌むべき存在として扱っていた。軍にアンドロイドだと正体が割れた個体はその場で連行され、施設に送られて廃棄される。
「もし俺が旅人のフリをした政府の人間だったらどうする?」
「それは……」
 先ほどまで強気だった少女は急にしどろもどろになった。あまり深く物事を考えていなかったのかもしれない。
「また、俺が金に目がくらんだ人間だったらどうする? 報奨金目当てに君を政府に引き渡すかもしれないんだぞ?」
「そんな……」
 少女はとうとう怯えた表情を顔に出し始める。流石に脅しすぎた思い、ゴードンは語調を和らげた。
「まあ、安心してくれていいよ。俺は政府となんら関係のない一般人だし、君を政府に売るつもりもない。これは本当だ」
 その言葉を聞いて、少女はほっとしたようだった。
「君が自分のことを強いというのもうなずけるよ。確かにアンドロイドだったら身体能力も高いだろう。見たところ君は愛玩用みたいだけど、それでも俺よりは身体能力は高いはずだ」
「そうそう。だからさ、私を用心棒として雇ってよ。ねっ!」
 先ほどまでの調子を取り戻し、再び少女はゴードンに詰め寄った。
「相場よりもうんと安くするから。半額……いや、もっと安くしてもいいよ」
「具体的な値段を言ってもらえないか」
「……用心棒の相場っていくらなんでしょう?」
「俺だって知らんよ。自分で相場うんぬん言っておいて」
「と、とにかく! 安くするからっ」
 さて、どうしたものか。ゴードンは考える。彼女は一人じゃ不安だから自分と一緒に旅をしたいのだろうか。照れか何かで用心棒という形をとって同行しようとするのだろうか。
「まあ、そんなのはどうでもいいか」
「え?」
「金はいくらでもいいから、とにかく俺についてきなさい」
「雇ってくれるの?」
 少女の表情に嬉しそうな笑顔が広がる。
「保護者になってやる」
「なにそれ」
 笑顔はとたんにふてくされた表情に変わった。
「アンドロイドとはいえ女の子をここに放置するわけにはいかんだろう」
 それがゴードンの正直な考えだった。色々と言い合いはしたものの、彼の中で少女を放置するという選択肢はなかったのだ。つまり、最初から同行するつもりだったわけである。
「まあ、一応用心棒ってことにしておこうか」
「本当?」
「そうでもしないと君がふてくされるだろう」
「だったらそれは黙っておこうよ」
「確かにな」
 そう言ってふてくされたままの少女を尻目にゴードンは声を上げて笑った。
 少女のころころ変わる表情を見ているのはなかなか楽しいものだ、と思いながら。