Neetel Inside ニートノベル
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 結局、ベルは宿を出て街の中を一人で散策することにした。
 彼女はアンドロイドとして起動してからまだ間もない。製造されたのは戦前で、自身に内蔵された記憶媒体の中にある知識も全て戦前のもの。つまり戦後――今の世界のことはほとんど知らないのだ。
 少しでもこの世界のことを知っておこう。そうすればゴードンの足を引っ張ることも少なくなる。ベルはそう考えた。
 歩きながら周りの建物を改めて見回す。記憶媒体の中にある一般的な建築物との違いに思わず小さな声をあげる。この世界はあまりにも汚れていて、今にも壊れそうなものばかりなのだ。戦後新しく作られたものが少ない。
 街を歩く人々もまた、戦前とは大きく変わっていた。ベルにとっての人間とは、綺麗な衣服を着て清潔な身体をしているものだったが、すれ違う人々が来ているものはおせじにも綺麗とは言えず、身体からは少し鼻につく臭いを発していた。中には香水でごまかしている人もいたが、それはごく少数。香水もこの世界ではかなりの貴重品なのだ。
 ベルはこっそりとマントの中を覗きこんで自分が来ているワンピースを見てみた。これまでの旅で多少汚れてはいたが、アンドロイドである彼女は老廃物を出さないため、かなり綺麗な状態を維持していた。
 ゴードンがこの服を見られないようにと忠告した意味を、ようやく彼女は理解する。あまりにもこの世界に不釣り合いなのだ。
 改めてマントの下が見えないように気を付けて、ベルは街の中を彷徨う。
 人々の声が大きい方へと進んでいくと、市場に出た。他の場所に比べて旅人のような格好をした人が多い。ここで一時滞在して食糧などを調達しているのだろう。
 人ごみの中を縫うように進む。店頭には堂々と商品が置かれており、ベルは盗られたりしないのだろうかと一瞬心配するが、すぐに考えを改めた。あたりにはたくさんの兵士もいる。盗みを働いたりすればすぐに捕まってしまう。
 外壁の中は秩序が保たれている。外の世界、無法地帯とはわけが違うのだ。
 それに気付いて、短い旅の中でも自分は外のシビアな世界に慣れ始めていたのだなとベルは感じた。少しずつだが世界を知り始めている、と。
 市場をゆっくりと見回しながら歩いていると、前方からひと際大きい声が聞こえる。市場の喧騒とは違う、真剣さを帯びた声。よく聞くとそれは兵士の声だった。
 興味を引かれて声の方へと近づく。狭い路地を兵士が数人駆けていく。
「不法侵入者は南西に向かって走っていった!」
「ちくしょう、足が速い」
「絶対に見失うなよ」
 駆けていく兵士の会話から、不法侵入者を追っていることが分かった。一瞬自分のことかと思ってベルは固まるが、彼らの会話を冷静に脳内で反復して兵士が追っているのは自分ではないと理解する。
 不法侵入なんてできるのだろうか、とベルは考える。入り口の警備はしっかりしているし、偽造パスのようなものがない限り難しいのではないのだろうか。
 なんとなく気になり、ベルはすぐそばに座っていた老婆に話しかける。
「ねえ、おばあさん。この街に不法侵入なんてできちゃうものなのかな」
 老婆はゆっくりと顔を上げてベルを顔を見やった。老婆の前には綺麗な布地がいくつか置かれていた。商品なのだろう。
「どうなんだろうねえ。この街はまだ出来たばかりだし警備や設備に穴はあるだろうよ」
 この十五号は政府が管理する街の中でもかなり新しい街だ。軍が駐屯するようになってからそれほどの期間は経っていない。
「頭が良かったり身体能力が高かったりする人なら、不法侵入できちゃうんじゃないかねえ。私みたいなばあさんじゃ無理だろうけど」
 そう言って老婆はほっほっほ、とのんきに笑う。
 ありがとう、と礼を言ってベルは再び歩き出した。



 迷子になったら人に道を聞けばいい。ゴードンはそう言った。
「じゃあ周りに人がいない場合はどうすればいいのよ」
 人気のない道で立ち尽くしながら、ベルはどうしたものかと考える。
 何も考えずにぶらぶらと歩き続けたのがよくなかったのかもしれない。目的を持って散策をするべきだった……と後悔する。
 この街は出来たばかりとは言えかなり広大だ。先ほどのように人がたくさん集まる場所もあればこういった人気のない場所だって何か所もある。
 周囲の建物を見回す。使われているのかどうかすら定かではない。活気のあった市場の喧騒もここにはまったく届かない。
 しかし、ベルの高い聴覚が足音を感じ取った。素早く地面を蹴り続ける音、誰かが走っているようだ。そして足音の主はこちらに向かってくる。
 突如、建物と建物の隙間から赤髪の青年が現れて、ベルの方へと近づいてきた。さきほどから無我夢中で走り続けてきたのだろう。ベルの存在に気付かず、そのまま二人はぶつかってしまう。
「いたたた……」
「わっ、誰だ!?」
 赤髪の青年は驚いたようにぶつかった相手――ベルを見た。
「なんだ。一般人か……」
 こわばっていた表情を緩めると青年はすぐに立ち上がった。
「お嬢さん、本当にすまない」
 短い言葉で謝ると、青年は再び駆けだした。だがすぐに足を止めて立ち止まり、周りを見回し始めた。
 それと同時にベルはまた別の足音が大量に増えたことを感じ取っていた。そして足音のほかに複数の男の声も。
「くそっ……」
 青年の表情はみるみるうちに青ざめていく。
 彼は例の不法侵入者なのではないか。そして今増えている足音はそれを追いかける兵士たちのものだ。ベルはそう考えた。
 そして、さらにもう一つ。彼は不法侵入者でありさらに――
「初めて会った君に一生のお願いだ」
 青年はある建物を見上げながら言う。二階建てのトタンが壁中に貼りつけられた倉庫のような建物だ。
「俺のことは見なかったことにしてくれ」
 青年は膝を曲げると建物の上に向かって跳躍。精いっぱい手を伸ばして屋根に手をかけ、そのまま上り切った。
 少しだけあたりを見回した後、身体を低くして駆け出す。そしてあっという間に見えなくなった。
 この異常な跳躍力は明らかに人間のものではなかった。
「アンドロイド……」
 先ほどの跳躍を見て、ベルはそう確信した。
 赤髪の青年はアンドロイドでありながら、この街に不法侵入したのだ。兵士たちがやっきになって捕まえようとしているのも頷けることだった。
 青年が駆けて行った方向を見上げていると、兵士が数人ベルの周りに集まってきた。
「君、こっちに赤い髪をした男が来なかったか?」
「不法侵入したアンドロイドなんだが」
 兵士たちはその場でぽつんと立っているベルの元に詰め寄る。
「えっと……」
 ベルは少し考えた後、首を横に振った。
「見てないです。私、迷子になってずっと一人でいたので……」
「本当か? 脅されて庇うようにとか言われてないか?」
「本当です。何も見てません」
 ベルは少し怯えたそぶりを見せながら言い張った。
 僅かな沈黙。兵士たちは疑うようにベルの顔を見るが、それ以上何も追求することはなかった。
「迷子なんだっけ。あそこの道を真っ直ぐ行った突き当りを右に曲がればそれなりに人がいる場所に出る」
 兵士の一人がその方向を指さした。
「もし赤髪のアンドロイドを見かけたら近くにいる兵士に言ってくれ」
「……分かりました」
 ベルが頷くと、兵士たちはまた散り散りになってアンドロイドの追跡に戻った。
 誰もいなくなってから、ベルは兵士に教えられた道をゆっくりと歩き始める。
「私も、ゴードンがいなかったら……あのカードが無かったら……」
 街に入ることはできなかっただろう。また、もし入ることができたとしても、さきほどのアンドロイドのように追われる身になっていたのは間違いない。
 ベルは安心する。が、すぐにそれでいいのだろうか。と思い始める。同じアンドロイドなのに、自分ばかりはあたかも普通の人間のようにこの街で散策している。
 全てのものが平等に生きていくことは不可能だ、というのはアンドロイドのベルでも理解していた。それでも心の中にはもやもやしたものが残る。
 しばらく歩くと、また市場ほどではないが人が集まっている場所に出た。広場のような場所で、旅人や街の住居者が交流をしている。
 その中で、ベルは自分の数少ない知り合いを見つけ、立ち止まった。
 錆びたベンチに座っている二人の男女と一人の子供。ベルを見つけて起動させた旅人たちだった。彼らは二つの家族の集まりだった。ベルが見つけたのはその内の一家族だった。
 少しの間だったが、一緒に旅をした人間だ。さらには言えばベルが初めて目にした人間でもある。
 話しかけようか、とベルは考える。自分を起動してくれたことに対するお礼を言わずに別れてしまった。だけど自分から彼らの元を去ったわけだし……。
ベルは立ち止まって悩み続ける。
「声、かけてみよう」
 やらずに後悔するよりはやって後悔した方がいい。きっとそう決まっている。そう信じてベルは彼らのいるベンチへと向かっていく。
 彼らの元まで後数メートルという所で子供がベルの存在に気付いた。すぐに子供は両親にベルがいることを伝える。彼らは全員ベルの方を見た。
 完全に視線が合う。少し浮かれてベルは手を振ろうとする。だが、彼らはすぐに視線をそらすと、ベンチから立ち上がって足早にその場から去っていく。
 まるでベルと関わり合いを持ちたくない、そんな風に。
 再び立ち止まると、ベルは振ろうとしていた右手をおろした。
「そうだよね」
 小さく呟く。
「街の中でアンドロイドと関わったら、大変だもんね。せっかく長い旅でここまで来たんだから、問題を起こしたくないよね」
 呟きは周囲の人々の声にかき消される。
「分かりきってたことでしょ。あの夜、みんなの元を去った時から」
 ベルは自分に言い聞かせるように呟き続ける。
 自分の存在が仲間の迷惑になるから、だからベルは彼らの元を去ったのだ。自分の存在が、巡回車に怯えなければいけない状況を作り、街に入る時のことまで彼らの頭を悩ませた。だから……。
 日が傾き始める。次第に広場から人が減っていく。ベルはとりあえず空いているベンチに腰をおろした。
「あの人も……私も……アンドロイドだから……」
 赤髪の青年の姿を思い浮かべる。この街にきて、アンドロイドであることの不遇さを再認識する。
 どうして、私たちアンドロイドはこんなにも忌み嫌われなければいけないのだろう。ベルは思う。私はまだ、その理由を知らない、と。

       

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