Neetel Inside ニートノベル
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 どれだけ走っていたのだろうか。疲れを知らぬ機械の身体で駆けまわり続け、気付くと再び市場の中にいた。
 むやみやたらに走り回るだけで簡単に見つかったら苦労はしない。もっと頭を使って探すべきじゃないのか。ベルはそう思い始める。
 空を見上げる。雲ひとつない晴天。太陽が真上から世界を照らしている。
「空を飛ぶことができたら簡単に見つかるかもしれないのに……」
 そう呟いた直後に、自分が妄想をしていることに気付く。昨夜はつまらないと放棄したが、困っている時は妄想にすがってしまう。ベルはそんな自分を笑う。
 空を見上げるのをやめようと首を下に動かした時、視界の隅に何かが映る。反射的にベルはそれの方へと視線を動かす。
 とある露店の後ろにある家屋の屋根。そこに人影が見えたのだ。目を凝らす。ズーム機能が自然に発動する。その人影は赤髪の青年。まさに今ベルが探している相手だった。
 赤髪のアンドロイドは市場の人ごみの中をきょろきょろと見回しているようだった。だが、何かまずいものを見たのか、首を引っ込めて身を翻す。
 ベルはとっさに先ほどまで彼が見ていた場所を見やる。ちょうど兵士が一人、歩いているところだった。
 再び視線を赤髪のアンドロイドへ。彼は今にも走り出そうとしていた。
「見失っちゃう」
 ベルはすぐさま駆け出した。露店と露店の間を通り抜け、彼がいた家屋へと向かう。扉に鍵はかかってないようだったが、人が多いため不法侵入するわけにはいかない。それに彼はもうここの屋根からいなくなっているだろう。
 その家屋と隣の家屋の間を通り抜けていく。上を見やると十メートルほど先の建物の上に赤髪のアンドロイドがいた。
 声をかけて引きとめようと一瞬考えるがすぐに止める。まだ近くに兵士がいるのだ。捕まってしまう可能性が高い。ベルは自身の機械仕掛けの思考回路の冷静さに感謝する。
 静かに赤髪のアンドロイドを追いかける。兵士にはまだ気付かれていない。だんだんと人気が少なくなっていく。
 大量のスクラップが置いてある薄汚い倉庫のそばに、赤髪のアンドロイドは降り立つ。チャンスだと思い、ベルは小さく声をかけた。
「あのっ」
 その声に過敏に反応し、赤髪のアンドロイドはベルに接近、そのまま地面に組伏せる。だが、相手が少女だということに気付き、慌てて解放する。
「す、すまない……。その、追手と勘違いして」
「大丈夫、気にしないで」
 ベルはすぐに起き上がって彼と向き合う。
「君は昨日の……」
 赤髪のアンドロイドはベルを見て言う。顔はしっかりと覚えていたようだ。
「あの、あなたはアンドロイドなんですよね。それで街の兵士に追われている」
 早く話を進めるため、ベルはすぐに本題を切りだす。
「あなたを助けたいの。この街から逃がすお手伝いを」
「君がかい?」
 驚いたように彼は言った。年端もいかぬ少女が兵士を出し抜く手助けをすると言っているのだ。当然の反応だった。
「確かに俺はアンドロイドで、この街に不法侵入して兵士たちに追われている。だが、君が俺を助けるだって? 君のような子供にできるのか?」
 彼の言うことは正論だった。一介の少女が力になれることなんて無いに等しいだろう。
「それに、信用できるかどうかも分からない」
 厳しい顔つきで、彼は続ける。
「アンドロイドを引き渡した人間は報奨金が与えられる。それを目当てに俺を騙している可能性だってあるだろう」
 疑心暗鬼。彼の状態を表す言葉はまさにそれだった。追われる身、自分を守るためには何者も疑ってかからなければならない。
「それは……」
 どうするべきか。ベルは逡巡する。ここで自分がアンドロイドだということを明かすべきか否か。明かせば彼からの信用を得られるだろう。だが、それによってゴードンに迷惑がかかる可能性もある。彼を助けたいのは本心だが、ゴードンに迷惑をかけたくないというのも本心である。
「どうした。黙ったってことは図星なのか?」
 そう言いながら、赤髪のアンドロイドは警戒するように周囲を見回している。
「私も……」
 言おう。後からゴードンに迷惑をかけないように努力すればいい。そうベルは決断する。
「私もアンドロイドだから」
「君が?」
 ベルは静かに頷く。
「ワイルズ社製F-8型アンドロイド」
 そう言ってベルはワンピースのスカートをたくし上げる。下着と白い肌が露出するがそんなこと気にせず、腹部に手を当てた。そして肉を指でつまむと、引きちぎれそうな勢いでひっぱり始める。
「いや、もういい」
 赤髪のアンドロイドは慌ててそれを制止する。
「もう分かった。信用する。だからもういい」
 その言葉を聞いて、ベルは自分の腹部から手を離した。
 ベルが引きちぎろうとした人口皮膚の下には、外部コネクタの接続口と型番が掘り込まれているのだ。それを察した赤髪のアンドロイドは、肉がめくられる前にそれを止めたのだ。
「しかし、どうしてアンドロイドの君が普通に街を歩いていられるんだ?」
 当然の疑問だろう。ベルは少し考えた後、正直に答えた。
「人間の協力者がいるの。その人のおかげでチェックを受けずに人間としてここに入ることができた」
「そんなことができる人間がいるのか」
「だけど、その……ごめんなさい。あなたを助けるときにその人の力を借りることはできない。なんと言うか、個人的な理由なんだけど……私はその人に迷惑をかけられない」
「いや、いい。この街から脱出するだけなら、他人の手を借りなくても可能なんだ」
「え?」
「下水道に隠し通路があるんだ。誰がつくったのかは分からない。だけどやつらも存在を知らない隠し通路だ。そこを使えば脱出も簡単に行える。だけど……」
「だけど?」
「俺にはこの街でやらなきゃいけないことがある。それをやり遂げるまで、ここを去るつもりはない」
 一点の曇りもない目で、彼は言った。
「もしも、君がその手助けをしてくれるというのなら、俺は喜んで力を借りたい」
「あなたは何をするつもりなの?」
「ある人を探している。その人に会って、お礼を言いたい。ただそれだけだ」
 重なる――。ベルの中で昨日の自分と彼が重なり合う。
「その人は俺の元所有者で、俺を孫のように扱ってくれた。自分がアンドロイドであることを忘れてしまうくらいに。とても優しい人だった。戦時のごたごたで離れ離れになってしまったが、ここにいることをやっとつきとめたんだ。
また一緒に暮らそうとは思っていない。その人迷惑になるのは分かっている。だから、言い損ねていたお礼をどうしても言いたいんだ。一緒に暮らしている時に伝えられなかった感謝の気持ちを」
 赤髪のアンドロイドの表情は真剣そのものだった。心から思っていることなのだろう。だから身の危険を冒してまでこの街に侵入した。
「私は何をすればいいの?」
「俺の代わりにその人を探してほしい。俺は現在進行形で追われる身だ。そんな状態で人探しをするのは難しい」
 そう言ってポケットから一枚の写真を取り出すと、ベルに差し出す。ぼろぼろに擦り切れているが、なんとか写っているのが老婆だと認識できた。
「この人が……」
 写真を受け取り、近づけて凝視する。優しそうな人相の老婆だ。綺麗な細工の施された椅子に座って微笑んでいる。
 どこかで見たことがあるような気がして、ベルは写真を見つめ続ける。
「あっ」
 自身の記憶の中にいる一人の老婆と写真の老婆が一致する。つい昨日会話を交わした、市場で布地を売っている老婆だった。この偶然、この幸運にベルは小さく震える。
「この人、知ってる。知ってるよ」
「本当か? 会えるか?」
 ベルは何度も頷く。
「頼む。ここに連れてきてくれないか」
 赤髪のアンドロイドは頭を下げて頼みこむ。
「待ってて」
 ベルは力強く答えた。
「絶対連れてくる。だから、待ってて」

       

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