市場までの道を足早に引き返していく。
 絶対に二人を逢わせるのだ。昨日の自分は叶わなかったことだけど、彼には叶えてもらいたい。そう心から思って。
 人々の喧騒が大きくなる。市場に近づいていく。家屋と家屋の間を出て、露店の裏側に。さらにそこを駆け抜けて市場の中へ。
 昨日老婆が布地を売っていた場所へと一目散に走る。今日も同じ場所で老婆は布地を売っていた。ベルは「よかった……」と呟きながら、近づいていく。
「おばあさん」
「おや、昨日のお嬢さん」
 老婆は写真と同じ笑みを浮かべながら言った。顔つきは写真よりもさらに老けこんでしまっているが、完全に同一人物だった。
「お願いがあるの。私についてきて」
 そう言ってベルは老婆の手を掴んだ。
「いきなり何なんだい? 私はまだ仕事中なんだよ」
 突然手を引っ張られてびっくりしたのか、老婆は抵抗する。
 ベルは彼女に顔を近づけると、そっと耳元で訪ねた。
「赤い髪のアンドロイド、心当たりない?」
 それを聞いて老婆は一瞬息を止める。
「その人がおばあさんに会いたいって言ってるの。お願い、静かに着いてきて」
 老婆は少し考えた後「ああ、分かったよ」と頷いた。
 ゆっくり立ち上がると、隣で装飾品を売っていた女性に店番を頼んで、二人は赤髪のアンドロイドが待つ場所へと向かった。
 老婆の身体のことを考えて、ゆっくりと進んでいく。ベルはすぐにでも駆け出したいくらいだったが、なんとかそのはやる気持ちを抑え込む。
 しばらくして見覚えのあるスクラップが目に入る。だがそこに赤髪のアンドロイドはいなかった。
「そんな……」
 ベルは老婆の手を握ったまま立ち尽くす。
「ここで待ってて」というベルの言葉に対して彼は力強く頷いた。それなのに、ここには誰もいない。
「見つかっちゃったんだ」
 兵士に見つかり、逃げるためにやむなくこの場を離れたのだろう。それしか考えられなかった。
 さらに、そうなった場合の合流地点を話しあっていなかった。ここで待ち続けるのは危険だ。ベルは頭を抱える。
 考えろ。もしここで落ちあえなかったら、彼はどうする。ベルの回路の中でシミュレーションが始まる。赤髪のアンドロイドがこの状況でどこに行くか。合流地点はこの場所のように二人の知っている場所に限られるだろう。他にそのような場所は……。
 昨日の記憶がフラッシュバックする。初めてベルと彼が出会った瞬間の記憶。二人がぶつかったあの道、彼はそこに向かうに違いない。ベルはそう判断する。
「行こう、おばあさん」
 ベルは再び老婆の手を引っ張って歩き出す。
 市場を経由して昨日の広場へ。ここから記憶を頼りに二人が出会った道へと進んでいく。少し迷ったものの、なんとか目的の場所へと近づいていく。
 だが、同時に不安がベルの回路を駆け巡る。彼女の聴覚が何かをとらえた。
 この角を曲がればあの場所だ……。ベルは少し歩調を早めて曲がる。
 彼女の目に飛び込んできたのは赤髪のアンドロイドの姿だった。――だが、その顔には直径三センチほどの小さな穴が穿たれていた。
 彼は地面に倒れていた。顔の穴からは煙がうっすらと上がっている。何かに焼き切られたような穴。レーザー兵器での銃撃痕。
 ベルたちが角を曲がった時とほぼ同時に数人の兵士が赤髪のアンドロイドの周りに駆け寄った。その中の一人は手に銀色の変わった形の銃器――レーザーライフルを抱えていた。軍で使用される対アンドロイド用の兵器。
「そんな……」
 ベルは間に合わなかった。いや、運が悪かった。そう言うしかない。
 この場所に彼が来る。その考えは正しかった。だが、彼は兵士たちを完全に撒くことができなかったのだろう。結果、頭をレーザーで撃ち抜かれた。
「銃器が使えればあっという間なのにな」
「昨日の時点で発砲許可が出ていればよかったんだ」
「しょうがない、上の命令なんだから」
 兵士たちは倒れているアンドロイドを乱暴に持ち上げる。まるで人形のようにぐったりとしたそれを薄汚れたリヤカーに放り投げた。一人がそれを引っ張っていく。
「ちくしょう、重てえな。誰か代わってくれ」
「全身機械だからな、頑張って引いていけよ」
 文句を言いながら、兵士の一人はリヤカーを引っ張ってベルがいる方向とは反対の道を進んでいく。他の兵士は呆然と立ち尽くしているベルたちに気が付き、近づいてきた。
「何をしている」
「あ……」
 ベルの回路内で様々な感情が走り回り、混乱する。
「君は昨日もここにいたな。やはり先ほどのアンドロイドと関係があったのか?」
 疑いの目で、兵士はベルの顔を覗きこむ。
 最終的にベルの中に残った感情は怒りと悔しさだった。それを目の前の兵士に暴力という形でぶつけてやろうか、とも考える。手に力がこもる。
 だが、そんなベルの手を老婆が引っ張った。そして振り返ったベルに優しい顔で首を振る。ベルの心情を感じ取ったのだろう。老婆の制止でベルは冷静になる。ここ兵士に食ってかかっても何も良いことはない。
「どうなんだ?」
 兵士は語調を強めてベルに問い詰める。
 ベルはポケットから一枚のカードを取り出すと、兵士に突き出した。ゴードンから借りている偽造カードだ。
 それを見た兵士は表情を変える。
「えっと、父のものです。このおばあさんは私の友達」
 ベルは一言添える。
「失礼しました」
 カードを確認すると、兵士は態度を変え、慌てて頭を下げた。
「じゃあ私たちは行きますね」
 カードをポケットに戻すと、相手の反応を待たずにベルは老婆を引っ張って先ほど通ってきた道を戻っていった。
「ごめんね、おばあさん……」
 ベルは俯きながら老婆に謝る。
「どうしてお嬢ちゃんが謝るんだい」
「だって……」
 二人は広場に出る。昨日ほど人は多くなく、いくつかベンチも空いている。
「ね、お嬢ちゃん。ちょっとお話をしないかい?」
 老婆は空いているベンチの一つを指さして言う。ベルは黙って頷いた。
 ベンチに並んで座ると、老婆は口を開いた。
「私が一人で喋り続けることになるけど、いいかねえ」
「うん、いいよ」
「そうかい。ありがとねえ」
 老婆は優しく微笑むと、話を始める。
「あの子はね、ニコラスって名前だった。戦前、まだ平和な頃に買ったんだよ。私は早い時期に旦那と子供を亡くしてね。話し相手が欲しかった。ニコラスは私によくしてくれた。いつしかアンドロイドではなく自分の孫のように感じるようになったよ。
 だけどね、戦争が始まって、敵国がアンドロイドに乗っ取られたことが判明してから、アンドロイドとそれを所有する人間への風当たりが強くなったの。いつしか国内ではアンドロイドは全て処分するべきだ、と主張する集団が生まれたわ。彼らの規模は日に日に大きくなり、アンドロイドを所有する人間そのものも敵だと主張し始めてね。私の住んでいた街はアンドロイドの所有者がひと際多い場所だったから、彼らに襲われてしまった。その時、ニコラスは私を街から逃がしてくれたの。だけど、その時に私たちは離れ離れになってしまったわ。その後も例の集団がきっかけとなった内乱で国内はめちゃくちゃ。私たちは再会することなく戦争が終わった。
 その後は私もなんとか生き延びてこの街で暮らすことになったの。まさかニコラスが私を探しに来てくれるとは思わなかったわ。正直言うとね、もう破壊されてしまったんじゃないかって頭の隅っこで考えてたの。だけど、彼は生きていた。ついさっきまで」
 そこで老婆は一度言葉を止める。身体が小さく震えていた。
「もう会えないと思ってた。だけどニコラスから会いに来てくれた。それだけで、私は嬉しい、嬉しいよ」
 老婆は笑顔を作る。だが、震えはまだ止まらない。
「だけど、少しでいいから話をしたかったよ」
 細く開かれた瞳から一筋の涙が老婆の頬を伝っていく。
 ベルは老婆の背中に手を伸ばし、優しく抱きかかえる。
「彼、おばあさんにお礼を言いたいって。一緒に暮らしていたときには言えなかったから。そう言ってた」
 ベルの声も震えだす。もしアンドロイドに涙を流す機能があったなら、きっと老婆のように頬を濡らしていただろう。
 それから少しの間、二人は静かに泣いた。一体の……一人のアンドロイドのために。


「ねえ、ゴードン」
 その夜、宿の部屋の中でベルはベッドに寝転がるゴードンに尋ねた。
「今日ね、目の前でアンドロイドが壊されるところを見たの」
「不法侵入しているアンドロイドに発砲許可が出たんだったな。そのアンドロイドが撃たれるところを見たんだな」
「うん。私の目の前で、顔に穴を開けて崩れたよ」
 ゴードンはベルの表情をうかがう。予想とは裏腹に、ベルの表情に暗さはない。無表情、何も感じられない。
「やっぱり、この世界のアンドロイドはこういう運命なんだよね。決して誰かに必要とされない存在。私みたいに誰かに助けてもらったり、こそこそと暮らさなければいけない」
「……そうだな」
「私はこうしてのうのうと生きている。だけど一方で壊されるアンドロイドもいる」
「それは人間だって同じだ。理不尽に殺される奴もいれば、そうじゃないやつもいる」
「それは分かってる。けど……」
「妄想の中だったら、俺はこんな世界だって変えることができる。そんな力のある人間になれる。だが、現実では無理だ。なんせ俺はただの冴えないおっさんでしかないからな」
 ゴードンは起き上がると、ベルの言葉を遮って話を続ける。
「お前はどうだ。現実のお前にはこの世界を変える力はあるか?」
 ゴードンはベルの目を真っ直ぐに見据えて、問う。
 少し考えた後、ベルはゆっくりと首を横に振った。
「そうだろう。お前はちっぽけだ」
 淡々と、だが力強くゴードンは言いきる。
「それだけを理解していればいい。お前が色々と考えすぎる必要はないんだ」
「……うん。分かった」
 そう頷くベルの表情は、何かが抜けたように軽くなっていた。それを見て、ゴードンも満足げに頷き返した。
「ところで、話は変わるんだが」
 再びベッドに寝転がりながら、ゴードンは軽い口調で言う。
「明日の朝、俺は三号へ向かう旅に出るわけだが、一人旅はどうも寂しい。契約の延長はできるのか?」
「え? 契約って何の……」
「お前、なんで俺と一緒にここまで旅をしたんだ」
「……あ。用心棒」
 すっかり忘れていた、と言わんばかりの反応だった。
「で、延長はできるのか? 金ならあるぞ」
「ギリギリセーフかな。もう少し頼むのが遅かったら他の人の依頼が入ってたかも。私売れっ子だからね」
 先ほどのやりとりで肩の荷が下りたのか、普段の明るさが戻ってきていた。
「よく言うよ。調子のいいやつめ」
 そんなベルを見て、ゴードンも笑った。