Neetel Inside ニートノベル
表紙

用心棒は機械少女
三章

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「おい用心棒!」
 目を覚ましたゴードンはベルに向かって叫んだ。しかし返事はない。なぜなら部屋の中にはゴードン一人しかいないからだ。
 そこは病室だった。長らく掃除されていないのか、壁や天井は汚れきっており、ほのかに腐臭のようなものも漂っている。
 室内にはいくつかのベッドがあるだけ。他には何もない。
「はあ……」
 ゴードンはベッドの上から首を必死に動かして周りを確認した後、大きなため息をついた。
「ここはどこなんだ。あいつはどこなんだ」
 ロープで縛られた両手足を動かしながら呟く。身動きが取れず、言葉を発することしかできない。目を覚ましたらこのような状態になっていたのだ。
「ちくしょう、俺はこうやって緊縛される趣味はないっての」
 再び大きなため息。
「だけど、記憶を失う前の俺にこういう趣味があったとしたら……いや、あってほしくはないな。あったとしてもこの状況とは何ら関係はないだろうしなあ」
 改めて手足に力を込めて動かす。固く縛られており、どうやってもほどけそうにない。
 縛られた手首を口元に持ってきて、歯でロープをかじる。先に歯が駄目になりそうだと感じてすぐに止める。
「どうすりゃいいんだ……」
 そう呟き、三度目のため息をついたときだった。
 女性の叫び声が部屋の外から響き渡ったのだ。激しい拷問を受けているような、そんな絶叫が。
 ゴードンの顔から血の気が引いていく。一体部屋の外で何が起きているのか。拷問だとしたらまずいのではないか。自分は身動きが取れないのだから。ゴードンの思考がどんどん悪い方向へと向かっていく。
「おい、ベル! どこだ!」
 今度は部屋の外にも聞こえるような大きな声で叫ぶ。やはり返事はない。ベルはこの近くにはいないようだ。
 先ほど聞こえた絶叫は成人女性の声のようだった。声の主は少女型のアンドロイドであるベルではないはずだ。それだけ判断して、ゴードンは少しだけ安心する。だが、事態そのものはまったく好転していない。
「糞ッ……どうしてこうなった」
 ゴードンは自分が目を覚ます前のことを急いで思い返す。


 三号へ向かう旅の途中のことだった。
 ゴードンとベルはとある集落跡を見つけた。そこは以前通った集落跡のように追い剥ぎの住処になっているわけではなく、旅人たちの休憩場所として使われていた。
 そこはちょうど十五号と三号の間にあったのだ。その時も何人かの旅人が疲れた身体を癒していた。
 集落跡には小さな宿もあり、ゴードンとベルはそこに一泊することにした。十五号の滞在していた際に止まった宿と違ってかなり貧相な宿だったが、温かい食事とベッドは旅の疲れを癒すのには十分だった。
 夕食後、宿の中の食堂で二人はくつろぎながら他の旅人との会話に興じていた。ジョーとイアンという男性二人とイザベラという女性一人の三人組だった。ゴードンたちと同じく三号を目指しているとのことだった。
 五人が旅の話で盛り上がっていると、一人の男が宿の扉を叩いた。帽子をかぶった若い男性だった。旅人とは思えないラフな格好をしていた。彼は宿に入るなり店主に「いつもの、お願い」とだけ言って食堂の席に腰をおろす。
「おや、みなさん旅人っすか?」
 帽子の男は軽い口調でゴードンたちに話しかけた。みんなが男の言葉に頷き返す。
「じゃあここでの休憩はたまらんでしょう。ここの飯はおいしいっすからね。僕も仕事の際には絶対ここで飯を食うことにしてるんすよ」
「さっき注文してたときの感じといい、あんたここの常連なのかい?」
 ゴードンは帽子の男に尋ねる。
「そうなんすよ。ここの主人とはね、仲良くさせていただいてて」
「仕事って言ってたけど何をしてるんですか? 見た感じ旅人っぽくはないけど」
 今度はベルが尋ねる。彼の外見はゴードンたち旅人とは違って軽い服装で、何より汚れが少ない。
「運び屋みたいなもんっすかね」
 帽子の男は得意げに言う。
「色々な街に行って依頼された物品を運んだり、なかなか街に行けない人のためにお使いみたいなことをしたりして生計を立ててるんすよ」
「そうなんですよ」
 さらに横から、男の注文した食事を持ってきた宿の主人が言葉を加える。
「うちがこんなしっかりした食事を出せるのも、彼が街で良い食材を買ってきてくれるからなんです」
 そう言って店主はテーブルの上にシチューとパン、水を置いた。贅沢にもシチューの中には肉や野菜がたくさん入っている。
「いやあ、照れるっすよ」
 帽子の男は頭を掻きながら笑う。
「運び屋ってことは何か足でもあるのか? そうでもなきゃそんな仕事は務まらないだろう」
ゴードンは彼の身なりを見ながら言う。
「聞いて驚かないでくださいよ? なんと俺、バスを一台所有してるんです。すごくないっすか? 珍しくないっすか?」
 得意げに胸を張りながら、彼は言った。
 この世界では交通機関がほとんど復興しておらず、乗り物自体も数が少ない。ガソリンも価値がかなり高騰しており、車を所有しているのは一部の富裕層か政府ぐらいのものだった。
「確かに珍しい。そりゃ運び屋なんて仕事ができるわけだ」
「偶然手に入れましてね。頑張って手入れをして、全財産つぎ込んでガソリンを買って、それで仕事を始めたんです。これがまた儲かるんですよ。まあ、儲けのほとんどはガソリン代でごっそり持って行かれますけどね」
 そう言って彼は大声で笑う。
「おっと、シチューが覚めちゃう。失礼」
 彼は視線を目の前の食事に移すとスプーンを手に取る。そしてシチューと肉をひとすくいして口に運んだ。ゆっくりと租借し、そして破顔した。
「おお! やっぱり主人のシチューは最高にうまい。これを食べるために仕事を頑張ってるようなもんっすよ」
 そう言って、勢いよくシチューをかき込み始める。あまりに美味しそうに食べる彼を見て、ゴードンは思わず「俺もシチューを頼めばよかった」とこぼした。他の面々もそれに同意するように頷く。
「だったら、明日の朝食はみなさんシチューになさいますか?」
「ぜひ」
 全員が同時に、そして笑顔で答えた。
「ところで」
 あっという間にシチューを平らげた帽子の男が全員に尋ねる。
「みなさんはどこに行くんすか? 三号あたり?」
「そうだけど、それが?」
 ゴードンが全員を代表して答える。
「よかったら、三号まで送っていきましょうか? 俺は人間だって格安で運びますよ」
「本当!?」
 その提案に真っ先に食い付いたのはベルだった。
「ねえ、ゴードン。私車に乗ったことない」
「ああ、知ってるよ」
「言わなくても分かるよね?」
「代金はお前持ちな」
「えー、なんでよ!」
「どうせお前は普段から金を使わないだろう」
「た、確かに……」
「はい決定。それであんた、本当にいいのかい?」
 ゴードンはベルから帽子の男に視線を移し、改めて問う。
「いいっすよ。ちょうど俺も仕事で三号に行く途中だったんでね。そちらさんはどうっすか? 乗ってきません?」
 彼はジョーとイアン、イザベラにも持ちかける。
「いいんじゃないか? 明日からまた何日も歩き続けるよりはずっと楽じゃないか」
「そうだな。車と徒歩じゃえらい違いだよ」
 ジョーとイアンは肯定的な意見を出す。
「それで、いくらで載せてくれるのかしら?」
 イザベラが肝心の値段を尋ねると、帽子の男は笑顔で指を見せた。
「これくらいで、どうっすかね?」
「本当にそれだけでいいの?」
「ええ、どうせ他の仕事のついでですからね。こんな世界だからこそ、こういった人間同士の助け合いって素敵だと思うんすよ」
 そう言って、帽子の男は鼻の頭を照れくさそうに掻いた。
「今の、ちょっと臭かったっすかね?」
「素晴らしい!」
 ゴードンは大げさな声を上げると、帽子の男に手を差し出した。
「俺も同じことを常々思っていたんだ。こんな荒んだ世界でこそ、人間は互いに協力して生きていくべきなのだと」
「そうっすよね!」
 彼も手を差し出し、二人は握手を交わす。
「じゃあ、出発は明日の朝でいいっすかね。おいしいシチューをみんなで食べた後で、ね」
 その言葉に、全員が頷き返す。
「じゃ、俺は一足先におやすみなさい。明日のために睡眠をとっておかなきゃいけないっすからね」
 帽子の男は立ち上がると、店主から部屋の鍵を受け取って階段を上って行った。

     

 翌朝、ゴードンたち五人は美味しいシチューにしたづつみを打つと、その味に名残惜しさを感じながら宿を後にした。
 それぞれがシチューの味を賛美しながら帽子の男についていく。宿から少し離れた場所にバスはあった。建物と瓦礫の間に隠すように駐車してあった。
 帽子の男は先にバスに乗り込むと、エンジンをかけてそこから車を動かした。薄汚れた黄色い車体が、ゴードンたちの目の前に扉を向けて停止する。
 プシュゥ、という音と共に扉が開く。「どうぞ乗ってください。お好きな席にどうぞ」中から帽子の男が言った。
「これがバス? すごい! 大きい!」
 ベルは初めて見るバスの大きさに無邪気にはしゃぎながらステップを駆け昇って中に入る。
「どこに座ろうかな! やっぱ窓際かな?」
「好きな所に座れって言われたろ。たくさん座席があるんだからどこでもいいじゃないか」
 続いて乗ったゴードンがやれやれと言った感じで答える。だが、彼自身もバスに少し興奮しているのか、中をきょろきょろと見回していた。そして後方の窓際の席に腰をおろした。
「記憶を失ってからバスに乗るのは初めてだ」
「失う前は乗ったことあるの?」
「記憶喪失なんだから覚えているわけないだろう」
「あ、それもそうか」
 初のバスで上機嫌だからか、けらけらと笑いながらベルはゴードンの真後ろの席に座った。「私も窓際!」と得意げに言う。
「でもそれなら、ゴードンは実質初めてってことだよね」
「まあ……そうなるなあ。確かに」
「じゃあ私とおんなじだね!」
 ベルは満面の笑みで言った。振り返ってそれを見て、ゴードンも照れくさそうに笑った。
 他の面々も次々と乗り込み、扉が閉じる。
「じゃあ行きますよ。トイレは一番後ろにあるんで、そこを使ってください」
 帽子の男はギアを動かすと、クラッチを浮かせアクセルを踏む。ゆっくりと巨体が動く。そしてみるみる内に加速し、集落跡を後にした。
 荒野をバスが駆けていく。徒歩とは比べ物にならない速度で景色が遠ざかっていく。初めての感覚に、ベルはずっと騒ぎっぱなしだった。
 席をあちらこちら移動して騒ぐベルの声を聞きながら、ゴードンは窓から外の景色を見続ける。ガタガタと揺られていると何かスイッチが入ったかのように急激に目蓋が重くなり、そしてあっという間に深い眠りに沈んでいった。
 そして――今に至る。
 ゴードンは記憶をさかのぼり終え、本日四度目のため息をつく。
「まんまとハメられたってわけか……」
 ゴードンは窓から外を見やる。あまりよく見えないが、ここが三号ではないことは明らかだった。帽子の男はゴードンたちを三号へ送る気などなかったのだ。
「そう言えば、他のやつらも俺より先に眠りこけてたっけなあ」
 何か睡眠薬でも盛られたか、とゴードンは考える。そうすると、宿の店主もグルだということになる。ゴードンとジョーたち三人もあそこで同じ食事をとっている。
「もし睡眠薬を盛られたとしたらベルはどうなったんだろうか。あいつはアンドロイドだからそういうものは効果がない。というか、そもそも眠らないしなあ」
 自分が眠りこけたあと、ベルがどうなったのか。ゴードンは知る由もない。ただ今は、彼女の身を案じながらも自身がこの状況を打破することを考えなければいけない。


 話は再び過去にさかのぼる。
 ゴードンたちが寝た後も、しばらくの間ベルは起きていた。だが長時間の移動で飽きがきたのか、結局元の席に戻って静かになった。
 ゴードンは話かけても起きない。他の人間も眠りこけている。ベルは暇だなと思いながら静かに外の景色を見ていた。代わり映えしなかった景色に変化が現れる。
 少しして、バスはとある建物の前で速度を落とした。五階建ての小さな廃病院だ。入り口は瓦礫の山で塞がれている。何かの仕事だろうか、とベルはのんきに考えた。
 バスは入り口から離れた所にある患者の搬送口に扉を向けた形で停車。バスと建物の間の距離は少し離れている。帽子の男は乗客用の扉を開けると、運転席を降りて搬送口へと向かっていた。手には袋を一つ持っている。
 彼は扉を開けて中に何かを呼び掛ける。すると、少ししてから一人の少年が中から現れた。赤い汚れがついた服を着た醜い顔の少年。背丈でなんとか子供だと分かる。奇形だとしか思えないほど顔の輪郭が歪んでいた。
 ベルはどんなことをしているのか気になって、窓を少し開けた。これなら彼女の聴力で向こうの会話が聞きとれる。盗み聞きみたいだな、と彼女は思ったが罪の意識は感じなかった。
「今日の分の肉と調味料を持ってきたぞ」
 帽子の男は奇形の男にそう言うと、袋を投げ渡した。
「肉ハ車ノ中?」
 奇形の少年はおぼつかないカタコトのような喋り方だった。
「ああ。いつも通り眠っているはずだ」
「分カッタ。チョット待テ」
 そう言って奇形の男は一度中に戻る。少しして仲間を引き連れて戻ってきた。同じような醜い顔の少年数人だ。
「俺は向こうで一服してるから、好きにやってくれ。そのまま外で俺らの取り分ができるのを待ってるから」
「中デ待テバ?」
「嫌だよ。あんな臭いところに長時間いられやしない。それと、獲物の荷物は全部俺のだからな。お前らが持っていくのは人間だけだ」
「分カッテル」
 そう言って、奇形の少年たちはバスの方へと向かってくる。
 これはまずいのではないか。ベルは必至に思考を巡らせる。帽子の男は私たちを三号に送るつもりはなかったのだ。事情を飲み込めないがここの廃病院の人間に私たちを引き渡すつもりらしい。まるで誘拐ではないか。どうすればいいのだろう。
 混乱する思考を振り払い、ベルはまずゴードンを起こすことにした。身体を揺さぶり、耳元で呼び掛ける。だが相当深い眠りについているらしく起きる気配をまったく見せない。
 奇形の少年たちはどんどんこちらに近づいてくる。彼らから見えないようにしゃがむと、ベルはゴードンの懐から拳銃を抜き取り、奥のトイレの中に隠れた。僅かに扉を開けて外の様子をうかがえるようにする。
 乗客用の扉から少年たちが乗り込んでくる。そしてまずジョーとイザベラを数人がかりで外に運び出して病院内に連れ去って行った。
 本当に誘拐のようだ、とベルは思う。次はゴードンも連れ去られてしまうだろう。自分が阻止するべきか、と考えてシミュレーションを行う。
 ベル一人で彼らとの戦闘に入ったらどうなるか。アンドロイドのパワーがあっても数の利で相手が勝つだろう。拳銃のハッタリをうまく交えたらどうなるか。こちらはどうなるか未知数だ。うまくできるかどうかは分からない。
 だがそれでも負けてしまったらベルはゴードンを助けられない。そうなったらお終いである。確実に二人とも生きて逃げる方法を考えなければいけない。できれば、他の旅人も。
 殺すつもりならバスの中で殺しているだろう。まだ猶予はあるはず。ゴードンたちが連れて行かれた後、病院に単独で侵入し、助け出す。その作戦でいこう、とベルは決断する。
 しばらくして、少年たちは再びバスに乗り込み、ゴードンとイアンを運び出す。彼らがバスから降りたのを見計らって、ベルはトイレから出た。そして窓からこっそりと外の様子をうかがう。
 搬送口に向かう途中、手を滑らしたのか少年たちがイアンを地面に落した。落下の強い衝撃で、イアンは目を覚ます。そして自分を囲む奇形の少年たちを見て驚き、声をあげようとするが、それよりも早く少年の一人がイアンの頭部を落ちていた石で殴打。頭から血を流しながら、イアンは再び意識を失った。
 その様子を見てベルは絶句する。死んでもおかしくないほどの勢いで殴打したのだ。こちらの生死はどうでもいいようだ。バスの中で彼らと戦ってゴードンを助けた方がよかったかもしれないとベルは少し後悔した。
 ゴードンとイアンが搬送口から中に運ばれていく。それを見届けた後、ベルはどうやって病院の中に入るかを考える。帽子の男が離れた場所で一服しているため、迂闊にバスから出たら彼の目に止まってしまう。静かに彼が移動するのを待たなければならない。
 運がいいことに、帽子の男は早めに一服を終えてバスの運転席に戻ってきた。ベルは彼から隠れながらも入れ違いになるようにバスから降りた。
 搬送口から入るのは見つかりやすく危険だ。そう考えてベルは別の入り口を探しに行く。
 帽子の男に見えないような方向から病院に近づき、周囲を回っていく。そして瓦礫に埋もれた入り口に辿り着く。
「どうにかして入れないかな」
 ベルはしげしげと瓦礫を見る。大きな瓦礫が積み重なっており、小柄の人間くらいなら入れそうな隙間が目立つ。
 少しためらった後、ベルはその隙間の中の一つに身体を潜り込ませる。途中でまた崩れないようにと願いながら、隙間から隙間へと移動を続ける。
 身体がこすれ、服やマントの一部が破れたりしたが、なんとか隙間を通り抜けてベルは病院内に侵入することに成功した。
 立ち上がって衣服の汚れを払うと、中を見回す。待合室なのか長椅子がいくつか置いてある。受付には人の気配はない。明かりが点いていないため全体的に薄暗く、そして埃っぽい。普段から使われていないのだろう。
「臭い……」
 ベルは病院内に立ちこめる血生臭さに顔をしかめる。その臭いが彼女の中の不安と危機感を加速させた。
 急がなければ。そう思いながらベルは忍び足で中を進んでいく。

     

「さて、そろそろ行動を起こさないとまずいかな」
 ゴードンは改めて室内を見回す。
 彼は窓側のベッドで両手足を縛られた状態で寝ており、左側には他のベッドが複数個、右側には窓がある。ガラスが割れており外から時折冷たい風が吹き込む。
 その割れた窓ガラスにゴードンは目を付けた。窓の縁には割れたガラスの一部がいびつな三角形状になって鋭利に光っていた。
 ベッドの上で体勢をむりやり変えると、ゴードンはそのまま足をおろして床に立ちあがろうとする。が、バランスを崩してベッドから転がり落ちてしまう。だが痛みをこらえてそこから腕を使わずになんとか立ち上がることに成功する。
 そして窓の縁に自分の両腕を縛っているロープを当てると、鋭利になった先端で無理やり傷を付ける。何度も擦りつけて、やっとロープがちぎれる。腕が解放される。
 今度は自由になった手を使って窓の縁のガラスをへし折り、カッターのように足のロープに当てて、何度も擦りつける。そしてこちらも切断。ゴードンは自由に身動きが取れるようになった。
「ちょろいもんだ。縛り方がなってなくて助かったぜ」
 両手足を動かして軽くストレッチをすると、自分の身体を確認した。衣服はバスの中にいた時のまま。そのとき持っていた荷物はどこにもない。そして……
「拳銃もない、か」
 懐にしまっておいた切り札の拳銃も手元から消えた。現在はベルが持っているのだがゴードンには知る由もない。
 弾が入っていないとはいえ、今まで頼ってきた切り札がないという現状はゴードンを心細くさせるのには十分だった。
「こいつはまずい……が、しょうがないか」
 拳銃のことは諦め、ゴードンは行動を開始する。
 病室の扉に近づき、耳を当てる。外から聞こえるのはやはり悲鳴。今度は男の絶叫だった。その他に人の気配がないかを探るが、叫び声しか聞こえないため、ゴードンは意を決して扉を引く。
 鍵はかかっておらず、扉はあっさりと開く。顔だけを外に出して様子を見る。薄暗い廊下には異様な臭いが立ち込めている。誰も歩いてはいない。
 足音を立てないよう、ゴードンはゆっくりと歩き出す。臭いがすさまじく、思わず口元を押さえる。血と何かの腐臭が混じり合ったような臭いだ。
 まず叫び声が聞こえる方へと進む。それは少し離れた部屋から聞こえていた。その部屋の扉に耳を当てる。やはり聞こえるのは叫び声だけ。
 意を決してゴードンは扉を少し開けて中を覗き込む。そして、絶句。
 ゴードンの視線の先には磔にされた全裸の男がいた。血で真っ赤に染まった顔が苦痛でぐちゃぐちゃに歪んでいる。良く見るとそれは見覚えのある顔だった。
 同じ宿に泊まり、同じバスに乗っていた旅人。――イアンだった。
 イアンは磔にされた状態で、腹を刃物で裂かれていた。床には血だまりができている。
すぐそばにはレインコートのようなフード着きの服を着た小柄な人間、おそらく少年だ。手には包丁を握っている。彼がイアンに拷問まがいのことをしているようだった。
 少年は包丁をそばにある台に置く。その台には他にも大きな木箱が置かれていた。あちらこちらに血が付着した跡がある。
「次ハモット痛イゾ」
 少年はイアンに言う。
「デモ、スグニ死ヌカラ安心シロ」
 イアンは裂かれた腹部の痛みでそれどころじゃないのか、少年の言葉が耳に入っていないようだった。
 少年は両手をゆっくりと上げると、前に突き出す。そしてずぶりとイアンの腹の中に沈みこませた。
 イアンがビクリと大きく震える。口から血の混じった吐瀉物が噴き出し、少年の頭に落ちてくる。だがフードを被っているからか、少年はそれを気にせずに両手を動かし続ける。
 何度もイアンの身体が跳ねる。少年は臓器を掴むと、思い切り身体から引きちぎる。掴んだのが腸だったからか、血と一緒に排泄物も床にこぼれおち、不快な臭いを漂わせる。少年は掴んだそれを木箱の中に投げ入れた。
 少年はそれを何度も繰り返す。イアンの身体の動きがだんだん小さくなっていく。
 イアンが顔を横に向ける。虚ろな目が扉の方へと向く。そしてそこから覗いているゴードンを視認した。
「た、すけ……」
 掠れた声でそう言って、イアンはがっくりと首を下に垂らした。
 その少し前に少年は臓器を一通りイアンの身体から取り除き終えていた。イアンが扉の方へ何か呟いていたのを見て、少年も同じ方向へ振り向く。
 しかし、その時にはすでにゴードンは扉の前から立ち去っていた。
「糞ッ……最悪だ……ッ」
 ゴードンは素早く――同時に音を立てないことにも気をつけながら――廊下を駆けた。もしかしたら追ってくるかもしれない。そんな不安に駆りたてられ廊下を突き進み、一番奥にあった病室に逃げ込んだ。扉を背にして、そのまま座りこむ。
 この病室はさきほどの病室よりも広く、ベッドが六つ置いてあった。どのベッドにもマットレスがあり、最近使われたような形跡がある。また、血生臭さもあまりない。
 荒い呼吸を繰り返しながら、扉に耳を当てる。追手がきているかどうか、耳に神経を集中させて探る。
 しかし、廊下を進む足音や人の気配はいっこうに感じられない。少ししてからゴードンは大きく息を吐きだして、身体の力を抜いた。
「ヤバイな……まるでB級映画みたい状況だ」
 ゴードンの脳裏に先ほどの拷問風景が焼きついて離れない。
「俺らは運転手と宿の主人に売られたってわけだ。糞野郎どもめ!」
 怒りにまかせて拳を床を叩きつける。
 あれはいったいどういうことなのだろうか。先ほどの凄惨な光景を嫌々思い出しながらゴードンは自分の置かれた状況を冷静に整理する。
「あれは単なる拷問だったのか? 拷問好きのイカレたサド野郎どもに玩具として売られたということなのか?」
 しかし拷問というにはやっていることが大雑把だった。イアンは腹部以外の部位はほとんど無傷と言ってもいい状態だった。苦痛を与えて楽しむのが目的なら、簡単に死なないように手足から危害を加えるのではないだろうか。ゴードンは冷静に考える。
「先ほどの行為が拷問ではないと考えると。奴らの目的はもしかして……」


 ベルは待合室以上に暗い階段を慎重に上っていく。搬送口から離れた場所にある階段だ。まず敵に見つからないことを重視して、探索を進める。
 二階は明かりが点いていないが全体的には明るかった。忍び足を維持して二階に入り、廊下を進む。
 大きな緑色の扉を発見。ベルは静かにそれを開く。むわっとした生臭い匂いベルの身体を包み込む。少し顔をしかめながら、部屋の中に足を踏み入れた。
「何これ……」
 部屋の中には大量の肉がまるで肉屋のように吊るされていた。
「何の肉だろう」
 ベルは目の前で吊らされている肉の形状を見て、自分の知っている様々な食用の肉と照らし合わせる。が、何の肉かは分からなかった。
 さらに奥へと進む。するとつま先が何かを蹴り飛ばした。ベルは前方に転がっていったそれを見やる。白い棒状の物体。
 ――骨だった。
 ベルはしゃがんでその骨を見つめる。大きさ、形状からして人間の骨にしか見えなかった。
「嘘……じゃあこの肉ってもしかして」
 立ち上がり、改めて吊り下げられている肉をもう一度見回す。
「人肉……?」
 このような世界だ。人肉を食糧とする人間はいくらでもいる。
 さらにベルは過去に一度遭遇した追い剥ぎの言葉を思い出した。
『人肉ってそれなりの値段で売れるんだぜ』
 ベルはなぜゴードンたちがここに連れ去られたのか、その理由を理解する。
「人肉として、バスの運転手がゴードンたちを売ったんだ……」
 まるで動物のように、食料として人間が扱われているのだ。人間の手によって。
 そして食糧として扱われると言うことは、精肉にするために殺されてしまうということ。生きた人間を、この部屋の肉のように変えるということ。ベルはそれに気付く。
 時間がない。早くしなければゴードンが殺されてしまう。
 ベルは慌ててその部屋から飛び出した。廊下に人がいるかどうかを確認することなく、勢いよく。
 それがいけなかった。
 部屋から出た直後に、ベルは二人の人間と鉢合わせてしまう。レインコートを着た醜い顔の子供が二人。少年と少女だ。バスに乗りこんでゴードンたちを連れ去った子供たちよりも少し幼い。
「きゃあっ」
 思わずベルは悲鳴を上げてしまう。
「ギャッ」
 子供二人も同様に悲鳴を上げた。
 ベルは予想外の展開に混乱し、冷静に思考することができなくなる。どうすればいいか必死に思考を巡らせるが、感情プログラムの混乱がそれを妨げる。
 一方子供二人はすぐに体勢を整える。
「捕マエロ!」
「ウン!」
 二人は大きな声を上げながらベルに詰め寄る。言葉とは思えない耳障りな声だ。
 子供二人だったら私でも勝てるはず。とベルは拳を構える。そして素人らしく好きの大きい動作で殴りかかるが簡単に避けられてしまった。
 子供二人は相変わらず意味不明な声を上げ続けている。
 なんとかしてこの状況を切り抜けなければ。ベルはもう一度、拳を振り上げる。だが、それは振り下ろされることなく、制止した。
 ベルの白く細い腕を、何者かが掴んでいた。ベルが振り返ると、そこには少し背丈が大きな少年がいた。この少年も少しいびつな顔をしている。
 さらに前方にも彼らの仲間が二人集まってきた。先ほどから喚き続けていたのは仲間を呼ぶためのものだったのだ。結果、計五人の人間にベルは囲まれてしまった。
「嘘でしょ……?」
 ベルは自分の置かれた状況に唖然とする。
 こうなったら拳銃を……と空いている手をポケットに入れようとするが、それも阻止されて両手が使えなくなった。
「ロープ持ッテコイ」
 ベルの腕を掴んでいる少年が指示を出す。少しして少女がロープを持って戻ってくる。そしてそれでベルの身体を縛ってしまった。
 身動きが取れなくなった状態で、ベルは二人の少年に担がれる。他の三人はいつしかいなくなっていた。
 少年二人はベルが昇ってきた階段とは別の階段を下りて彼女を運ぶ。階段を下りた先の廊下を進むと、手術室に突き当たった。
 その扉を開いて中に入っていく。
 手術室なだけあって、中には手術台があった。ライトも点いており、台の上には一人の人間が横たわっていた。その横にはノコギリを持った大柄の男。顔つきはそれほど歪んでおらず、肌は浅黒い。二十代後半から三十代前半だと思われる顔つきだった。
 大柄の男は作業を止めて扉の方へと振り返る。そして少年二人と彼らが抱えているベルを見て言った。
「おい、内蔵を抜いてない肉は持ってくるなと言っただろう」
 大柄の男の喋り方は少年たちと違って極めて普通なものだった。カタコトのような感じは一切ない。
「侵入者。今日連レテコラレタ肉トハ違ウ」
 少年の言葉を聞いて、大柄の男はベルに近づき、少しの間と値踏みするように見回した。
「ただのガキじゃないか。後で内蔵抜いて持ってこい。こいつも食糧にする」
 そう冷たく言い放つ。
 その時ベルは手術台の方を見ていた。台の上で寝ているのは人間だったが、その身体には腕が付いていなかった。肩から先が切断されている。
 切断された腕はというと違う台に皮を剥がした状態で置かれていた。完全に精肉にするための解体作業をしているのだ。
 自分も後にこのような状態になると考えて、ベルの感情プログラムが恐怖一色に染まり、思考回路を埋め尽くす。実際はアンドロイドであるわけだから、肉になるわけではないが、壊れることには変わりはない。
「私なんて食べてもおいしくないんだから! そもそも食べられないんだから!」
 ベルはバタバタと身体を動かして抵抗を始める。思ったことを次から次へと喚き続ける。
「私はアンドロイドなんだから! あんたら機械なんて食べられないんでしょ! だから離してよ! 離しなさいよぉ!」
 その言葉を聞いて、大柄の男の表情が変わる。
「今、アンドロイドと言ったか?」
「言った! 私アンドロイドなの! だから離して!」
「型番は?」
「ワイルズ社製F-8型!」
 大柄の男は「ふむ」と一言呟くと、少しの間沈黙する。何か考え事をしているようだった。
「俺はその型番がどんな意味を示しているかなんて知らんが、こんな状況でもすぐに言えるということは、この状況から脱するための咄嗟の嘘ではないということだろう」
「そう、本当! 本当だから……」
「このアンドロイドは三階あたりにでも閉じ込めておけ」
 少年二人は頷くと、指示に従って手術室を出る。
「え? 離してくれないの? 閉じ込めてどうするつもり?」
 ベルは色々と少年二人に尋ね続けるが「ウルサイ。黙ッテロ」と一蹴される。そしてそのまま三階まで運ばれると、小さな病室に投げ入れられ、閉じ込められた。


 錆びた扉を開き、大柄の男は屋上に出た。先ほど人間の解体を終えたばかりで、服や身体に返り血が付着したままだ。
 屋上には老人と金髪の少年が一人。いたるところに人肉を干してある網がある。
 老人はリクライニングチェアのようなものに腰をおろして表紙が破けた文庫本を読んでいる。大柄の男のように肌が浅黒く、顔つきもどことなく彼に似ている。
 少年は老人とは離れた場所で汚れたバーベキューグリルの上で人肉を焼いていた。階下で色々な作業をしている醜い少年少女たちと違い、白い肌と整った顔立ちをしている。丸くて青い目はひたすらグリルの上の肉を見据えている。
 少年はちらりと大柄の男を一瞥すると、再び視線を肉に戻す。目にかかりそうな前髪がさらりと揺れる。
 大柄の男は少年の視線に気付かないまま、老人の元へと近づいた。
「親父、ちょっと話が」
 大柄の男は老人のそばでしゃがみこむと、小声で話しかけた。
「どうした。肉が届いたのはもう知ってるぞ」
「声は控えめでいいか」
「あの子に聞かれたくない話か」
 言われた通り小声で答えると、老人は文庫本にしおりを挟んで閉じた。
「アンドロイドが一体かかった。今は三階に閉じ込めてある」
「ほう」
 老人は嬉しそうな表情を見せる。
「機械は食えないからな。どうすればいい?」
 大柄の男は老人に指示を仰ぐ。
「何も消費する必要のない労働力というのは素晴らしい。食事もそうだ」
 老人はカッカッカ、と愉快そうに笑った。
「今日の肉の処理が終わるまで閉じ込めておけ。その後は俺が直々に仕事を教えよう。そのアンドロイドも奴隷にする」
「了解した」
「なら、早く仕事に戻りな。まだ肉が残っているんだろう。運び屋の小僧を待たせちゃ悪い。早くあいつの取り分を用意してやらんと」
「分かってるさ」
 そう言って大柄の男は立ち上がり、屋上を後にした。
 それを見届けると、老人は離れた所で肉を焼いている少年に声をかけた。
「肉はまだか?」
「もう少しだから待ってて」
 少年は肉を見たまま、声変わりしきっていない幼さが残る声で答えた。
 老人は「そうか」と頷くと、腕を組んで空を見上げた。雲ひとつないとまではいかないが、綺麗な青空が広がっている。晴天だ。
「バーベキューだよ。晴れた日には焼いた肉を太陽の下で食うのが一番だ。この世界じゃ最高の贅沢だよ。想像しただけで身体が震える。焼けるのが待ち遠しい」
 満面の笑みで、老人は呟いた。
「身体が震えるのは人肉の食い過ぎだからだよ」
 少年は老人には聞こえないよう小声で馬鹿にするように呟いた。

     

「やつらは俺らを食糧にしようとしている。やつらは食人族で、この病院はやつらの住処か仕事場。あるいはその両方。そっちのほうが拷問好きって考えよりは納得できるな」
 ゴードンは自分の置かれている状況をそう理解した。
拷問好きだろうが食人族だろうが、命の危機ということには変わりないな、と思わず笑い飛ばしそうになる。
「さて、と」
 ゴードンは立ち上がると、室内を見渡した。六個のベッドがある広い病室。さきほど閉じ込められていた部屋とは違って窓ガラスは割れていない。
 窓に近づき、外を見やる。さきほどの部屋とは見える景色が違う。
 ゴードンは窓を開けると、首を出して外を覗いた。眼下には見覚えのある黄色いバスが見える。目を細めて見ると、運転席に帽子の男が座っているのが分かる。
「やっぱりあの野郎が俺らを売ったわけだ」
 ゴードンは忌々しげにバスを睨みつけた。
 少ししてバスから視線を離すと、他の場所にも目をやる。しかしこれと言ったものは見つからない。人影も何もない。
「当面はベルを見つけるのが最優先事項なわけだが」
 ベルはゴードンと違って眠らされていない。ここに連れてこられる前にバスの中から脱出している可能性が高い。さらに、自分を助けにこの病院内に侵入している可能性も、だ。ゴードンはそう推理する。
「結局ここを色々と歩きまわる必要があるな。となると武器になるものが欲しいな」
 もう一度ゴードンは室内を見回す。だが、武器になりそうなものは何一つない。やはり拳銃がないのは痛いな、と思う。
「イナイ!」
 突如、そんな声が響き渡った。
「イナイイナイ! 逃ゲラレタ!」
 さきほどイアンの内蔵を引きずりだしていた少年の声だった。
 バタバタというあわただしい足音がだんだんとこのフロアの奥に向かってくる。
「げっ……まじかよ」
 ゴードンは再来したピンチに顔をしかめた。が、少し考え事した後、表情を変える。
「いや、こいつは利用するべきだよな」
 ゴードンはニヤリと口元を吊り上げ、迎撃の準備を始めた。
 足音はどんどん近付いてくる。すぐ隣の部屋の扉が開く音。そして少年の「イナイ!」という喚き声。そして扉が閉じる音。
 とうとうゴードンの部屋の扉の前で足音が止まる。扉が開く。肉切り包丁を持った醜い少年が現れた。
 喚きながら部屋の中に踏み出す。その瞬間、何かを引きずるような音と共に少年が横に吹き飛んだ。少年は包丁を落として床に倒れる。そしてその上に何かが覆いかぶさった。
 それはベッドだった。ゴードンはあらかじめ入り口の横にベッドを動かしておいて、少年が室内に入った瞬間にそれを押し出してぶつけたのだ。そして少年を転倒させた後もベッドを押し続け、彼の上に覆いかぶさるような状態にした。
 少年は慌ててベッドの下から這い出して顔を出す。その瞬間、ベッドの上に移動していたゴードンはそこから手に持ったロープを少年の首に巻き付け、強く締め付けた。
 少年は必至にもがきながら離れた場所にある包丁に手を伸ばす。ゴードンは慌ててそれを遠くに蹴り飛ばして阻止した。
 ゴードンはロープを握る手に力を込め続ける。少年は苦しみに悶えながら、必死の抵抗を続ける。しかし、だんだんと少年の抵抗は弱まっていき、そしてぐったりと動かなくなった。ゴードンは慌ててロープを離して、少年の脈を取る。まだ彼は生きていた。
「ふぅ……ギリギリ生きてるな、よかった。流石に人殺しまではしたくないからな」
 そう言って、ゴードンは少年をその場に放置してベッドの位置を直す。
 その後、蹴り飛ばした包丁を拾い上げた。少し汚れているが、凶悪な武器になることは間違いない。
「武器ゲット。これだけでもかなり心強いな」
 包丁を軽く振り回すと、満足げな表情で言った。
「さて、行きますか」
 病室を出て廊下を進む。少し歩いたところで階段を見つけた。そこに書いてある表示を見てここが四階だということを知る。
「まあ、ベルがいるとしたらここより下だろうな」
 ゴードンは階下に向けて階段を下りはじめる。しかし、不運なことに踊り場で他の人間と遭遇してしまった。少年少女。どちらも醜い顔で食人族であることが分かった。
 すぐさまゴードンは包丁を二人に向けた。少年少女も怯むことなくそれぞれ包丁と棍棒を取り出して構えた。
「おいおい、ガキがそんな物騒な物を持つなよ。手に余るだろう」
 ゴードンは強気な態度で語りかける。食人族とはいえ相手は子供だ。できれば戦闘をせずに切り抜けたい。そう考えていた。
「肉! 逃ガサナイゾ!」
「観念シロ!」
 少年少女は武器を構えたままじりじりとゴードンに迫りよる。思わずゴードンも後ろに下がってしまう。
「おいおい、本当にやる気か? 俺は大人、お前らは子供。分かるだろう? それに俺はかなり強いぜ」
 ゴードンの言葉に二人は聞く耳を持ってはいないようだった。少しずつ後退していく内にゴードンは四階の廊下に戻ってきてしまう。
 少年少女も階段を上り終えて四階に足を踏み入れる。その瞬間、棍棒を持った少女がゴードンに殴りかかった。
 すかさずゴードンは包丁で防御する。棍棒が包丁の刃に食い込む。次の少年が包丁を握って突進してくる。
 ゴードンはすぐに回避しようとするが包丁が棍棒に食い込んだままで離れず、それを引きはがそうと悪戦苦闘する。少女は棍棒を離そうとしない。
 思い切り力をこめてなんとか包丁が棍棒から外れる。ゴードンはすぐにその場でバックステップ。少年の突進はゴードンと少女の間の何もない空間を突き進んだ。
 ゴードンは慌てて立ち止まろうとする少年の包丁を持つ右手を掴んだ。
「捕まえたぜ」
少年は逃れようとばたばたともがく。ゴードンは彼の右手を握る手に力を込める。少年は包丁を落とした。
それを見てゴードンは少女の方へと少年を突き飛ばし、彼の包丁を拾い上げた。
「まだ続ける気か?」
 ゴードンは包丁二本を構えて言う。二人は何も言わず、ただゴードンを睨み続ける。
 ざっ、と前に一歩踏み出して包丁を少し突き出す。二人は少し怯えたそぶりを見せると「分カッタ。コッチノ負ケダ」と言った。
「物分かりのいいガキは好きだぜ」
 ゴードンは包丁の切っ先を床に向ける。
「この建物の中で人を探している。金髪の女の子だ。何か知らないか?」
「エーット……知ッテル……イヤ知ラナイ……」
 曖昧で意味不明な返事で少年は言葉を濁らせる。「はっきりしろ」と言ってもその態度は変わらない。
「お前はどうなんだ」
「ソノ……アノ……下ニイタ……イヤ外に……」
 少女にも聞くが、こちらも同じだった。
「おい、はっきりしないな。どうなんだ」
 ゴードンは語調を強めて再び包丁の切っ先を二人に向けた。刺すつもりはない、いつものような脅しだ。
「みっつ数える。それまでにはっきりとした答えを言わなかったら……分かるな?」
「ウゥ……」
「それじゃ、数えるぞ。ひとーつ」
 少年と少女はあたふたしたままだ。
「ふたーつ」
 突如、二人の表情から怯えや迷いが消えた。答える気になったのか、とゴードンは思う
「みっ――」
 三回目のカウントの途中で、鈍い音と共にゴードンが前のめりに倒れ出す。床に倒れこむ前に、なんとか後ろを振り返る。
「早起きにもほどがあるぜ……」
 さきほど自分が首を絞めた少年のにやけ面を見ながら、ゴードンは床にうつぶせになり、そして意識を失った。


 目を覚ましたゴードンは頭部の鈍い痛みにしかめた。そして目の前の光景を見て、血の気が引いていく。
 見覚えのある台。その上にはやはり見覚えのある血濡れの木箱と包丁。部屋全体に異様な悪臭が充満している。痛みをこらえて下を向くと、床に排泄物の混じった血だまりが広がっていた。
 ゴードンは上半身が裸の状態で磔にされて頭部以外の身動きが取れない。彼の中でとある人物と自分が重なる。
 イアンだ。ゴードンは今、内臓を抜き取られて殺された彼と同じ状況にある。
「どうしてこうなった」
 ゴードンは先ほどの出来事を思い出す。
 あの時の少年少女のはっきりしない態度は時間稼ぎと意識をそっちに向けさせるための演技だったのだ。
 その隙に後ろから別の少年――ゴードンが首を絞めた彼だ――が忍び寄り、ゴードンの頭部を殴打した。そこで意識を失ってしまったのだ。
「うかつだった……」
 ゴードンは自分の間抜けさを呪う。完全に自分のペースに持ち込んだと思いこみ、注意力が落ちていたのだろう。
「記憶を失う前の俺がどこかの諜報機関の凄腕スパイだったりしたら、こんなことにならずスマートに脱出できてたのかね」
 ゴードンはこんな時にもくだらない妄想をしそうになる自分が馬鹿らしくなり、少し笑う。
 乱暴に部屋の扉が開かれた。先ほどの少女がレインコートを着て入ってきた。磔にされたゴードンを見てこれでもかというほど大きな笑い声を上げる。
「駄目元でお願いするが、見逃してはくれないか?」
 彼女の笑い声に苛つきを覚えながらゴードンは言う。
「馬鹿ジャナイノ? 見逃スワケナイジャナイ」
 そう言って再び少女はケタケタと笑った。
 台に近づくと、包丁を手に取る。切れ味があまりよさそうに見えない汚れた刃に部屋の明かりが反射して鈍く光っている。
「子供が人殺しなんてよくないとおっさんは思うんだけどな」
「食ベナイト私タチ生キテイケナイジャナイ。ヤッパリオ前ハ馬鹿ダナ」
「なるほど、ね」
 ゴードンは少し悲しい気持ちになる。この様子からして、この少女や他の子供たちは物心がつくころには人の殺し方、解体の仕方、食べ方を教わっていたはずだ。だから人を殺すのに抵抗がないし、そうして自分たちの食料にすることを当たり前だと思っている。
「オ前モ美味シク食ベテアゲルカラサ」
 少女は包丁を握ってゴードンの方へと向き直る。
「今までずっと温存していた一生のお願いをここで使いたい。止めてくれ」
「駄目ダッテ。意味ワカラナコト言ウナ」
 少しの沈黙の後、ゴードンは静かに言う。
「……分かった。俺も諦めるよ。観念した」
 その言葉を聞いて、少女は満足げな表情を浮かべる。
「まあ、人間いつかは死ぬもんだ。子供とはいえ女に殺される最期というのも、まあ悪くはないかもな。病気で死んだり野郎に殺されて死んだりするよりはずっといい」
「ソウイウモンナノカ? 私ニハ良ク分カラナイ」
「それで。どうせ女に殺されるなら、その顔をしっかり焼き付けておきたい。ちょっと頭に被ってるフードをどけてくれ」
 ゴードンに言われ、少女はフードを頭から取る。
「そしたら、こっちに顔を近づけて見せてくれ。俺は視力が悪くてね」
「意味ハ分カラナイケド、ソレクライナラ」
 少女は背伸びをしてゴードンに顔を近づける。お世辞にも可愛いとは言えないいびつな顔立ちだ。
「ありがとうな、お嬢ちゃん。そっくりそのままお返しするぜ」
 ゴードンは少女の顔を見ながらにやりと笑った。そして同時に少女の頭に木箱が直撃。そのまま勢いよく吹き飛んで倒れた。手から離れた包丁が床を滑っていく。
 少女が立っていた場所にはまた別の少女が木箱を持って立っていた。綺麗な金髪と肌が特徴的な見覚えのある顔。
「待ちわびたぜ、用心棒」
「どう? やるでしょ私」
「最高にクールだ。給料はずむぜ」
 得意げな笑みを浮かべているベルにゴードンは陽気に答えた。

     

 話はベルが三階の病室に閉じ込められたときへとさかのぼる。
 自分の身体を縛るロープをほどこうと、ベルは必至に身体を動かしていた。だが、アンドロイドのパワーでも無理やり引きちぎったりすることはできなかった。さらにゴードンが閉じ込められていた部屋と違って窓ガラスは割れておらず、刃物の代わりになるものもない。
 万事休すか、とベルの中で諦めの気持ちが顔を出し始めたとき、部屋の扉が静かに開いた。
 ベルは思わず縛られた状態で身構える。室内に忍ぶようにして入ってきたのは金髪の少年だった。他の少年たちと違って綺麗な肌と整った顔立ちをしている。
 一瞬、ベルは気を緩めたが彼の着ているスーツを見て再び警戒を強める。上質な白地はずっと洗っていないのかあちらこちらが汚れていた。一部には血の跡と思われる汚れもあった。時間が経って黒ずんでいる。
「誰? あいつらの仲間……?」
 ベルは怯えを隠しきれない声で少年に問う。彼はそれに対して首を小さく横に振った。
「仲間だった、って感じかな。今は違うよ。ついさっき裏切った」
 少年はそういって優しい笑みを浮かべた。
「安心してほしい。危害を加えるつもりはこれっぽっちもない。僕は君を助けに来たんだ」
 少年はそう言って、ベルに手を伸ばす。
「な、なんでよ? なんでわざわざ裏切って私を助けるの? それを信用しろっていうの?」
 疑心暗鬼なのか怯えを隠すためなのか、ベルは強気な態度を見せた。
「ノーランド社製F-11型」
「え?」
「僕の型番さ」
 そう言って、少年はベルの身体を縛るロープをほどいた。
「ほら、これで動けるはずだ」
「あ、うん。ありがとう……」
 ベルは自由になった身体を動かして、ゆっくりと立ち上がった。
「これで信用してもらえるかな。僕が君を助けに来たってこと」
「あなた、アンドロイドなの?」
「そうだよ。ノーランド社製F-11型。名前はロイだ」
 ロイいう少年は自分の型番、そして名前を言うとベルに向かって手を差し伸べた。
「えっと、ワイルズ社製F-8型。名前はベル」
 ベルもおずおずと手を出して少年と握手をする。
「あなたがアンドロイドなのは分かった。けど、どうして私を助けるの?」
「君が僕と同じアンドロイドだからさ」
 ロイの表情が先ほどの優しい笑顔から真剣な顔つきに変わる。
「ここのボスが言っていた。君はここで奴隷のように扱われることになる。今までの僕と同じように。ひたすら人を殺すんだ」
 そう言ってロイはスーツの裾を持ち上げた。黒ずんだ血の跡が付着している。
「こんな非道なことを手伝わされるんだ。君にまでそのようなことはさせられない。僕一人なら耐えられたけど、同じアンドロイドが奴隷になるのは耐えられない」
「どうしてそこまで私のことを思ってくれるの?」
「仲間意識……なのかな。僕もこの世界でアンドロイドがどういう扱いを受けているのかは知っている。それに、こうして同じアンドロイドと対面するのはこれが初めてなんだ」
 少し照れくさそうに、ロイは頭を掻いた。
「だから、君を助けたいと思った。そして僕自身も助かりたいと」
 ロイは部屋の窓へと近づくと、そこから外を覗いた。彼の視線の先には黄色いバスがある。
「なんとかこの建物を出ればあのバスを利用して脱出できるはずだ。さあ行こう」
 ロイはベルの手を引っ張る。
「ちょっと待って」
 しかし、ベルはその場から動かずに行った。
「私を助けてくれるのは嬉しい。だけど、私にも助けたい人がいるの。この病院の中にいて、今にも殺されそうだから」
「それは今日連れてこられた四人の旅人?」
「うん、その中の一人。ゴードンっていうの。私の雇い主」
「君はそのゴードンという人に雇われているのか」
「私、ゴードンの用心棒なの。だから助けないと」
 それを聞いて、ロイは少し考え事をするように俯いた。
「今日連れてこられた四人の内三人はもう解体されてしまったらしい。もうすぐ四人目の解体が始まるだろう。最後の一人がそのゴードンという人かどうかは分からないけど」
「じゃあ急がないと!」
 ベルはロイの手を振り払って扉へと向かう。
「待って」
 ロイの真剣さを帯びた声に呼び止められ、ベルは思わず足を止める。
「どうしてもその人を助けたいんだね?」
「うん。絶対に助ける」
「……分かった。予定外だけど、しょうがない。じゃあこれからは僕の指示に従ってくれ。ゴードンを助けて、ここから脱出する」
「ありがとうロイ」
 ベルは満面の笑みで、ロイに抱きついた。
「ほら、こんなことしている時間はないだろう。さあ行こう」
 ベルを無理やり引きはがすと、ロイは再び彼女の手を引いて部屋を出た。
 三階には誰もいない。二人はすぐに階段を上っていく。
 四階に出る直前、ロイは足を止めて口元に人差し指を当てて静かにするよう指示をした。前方の廊下にはレインコートを着た少女が歩いている。こちらには気付いていない。
 少女は少し歩いた先にある病室へと入っていく。
「レインコートを着てるってことは、あの部屋で内蔵を抜く作業を始めるつもりだ。最後の一人はまだ生きてる。急ごう」
 二人は少女が入って行った病室へと近づく。しかし、そこでレインコートを着た別の少年とも遭遇してしまった。
「君は先に部屋の中に」
 そう言ってロイはレインコートの少年へと接近。口を押さえると全力で腹部を殴った。それを横目で見ながら、ベルは病室の中へ。
 中には磔にされたゴードンとレインコートの少女がいた。
 ベルとゴードンの視線が合う。しかしゴードンは表情を変えずに少女に話しかけ続けていた。その隙にベルは気配を消して少女の背後に接近する。
 台の上の木箱を手に取る。最高の笑顔を浮かべて、ベルはそれを少女の頭に思い切り叩きこんだ。


 ゴードンは磔状態から解放されると、すぐそばに放置されていた服とマントを着る。
「さて、お前と合流できたことだし、あとは脱出するだけか」
「外にまだバスがあるから、それを使えば逃げられるって」
「ああ、俺も確認した。あの野郎、まんまと俺らを騙しやがって」
 ゴードンが窓の方を向いて忌々しげな表情をしていると、病室の扉が開いてロイが入ってきた。
「彼がゴードンかい?」
 ロイはゴードンをしげしげと眺めながら言った。
「お前は誰だ?」
 見知らぬ人間が現れ、ゴードンは警戒する。が、すぐにベルが間を取り持った。
「彼はアンドロイドのロイ。閉じ込められていた私を助けてくれたの」
 ベルの仲介の元、ロイはさきほどベルに話したように自分のことを使える。ゴードンはいまいち納得していないようだったが、ここから逃げ出せるのならば、と彼と同行することに同意した。
「さっき敵を倒した時に物音をたてすぎてしまった。早く行かないと敵がここに群がってしまう」
「道案内は任せるよ」
 ロイを先頭に、三人は病室を出ると階段へ向かった。
 しかし、そこにはすでに四人の敵が構えていた。三人は包丁、そして一番背丈の大きい一人はチェンソーを持っていた。
「もう群がってるじゃねえか」
 はあ、とゴードンはため息をつく。今日一日で何度も窮地に立たされたせいか、心にかなりの余裕ができているようだった。
「突破、できるかな……」
 ロイは拳を構えながら相手の挙動を見逃さないよう集中する。
 だがベルは得意げな表情を浮かべて「大丈夫だよ」と言いながらある物を取り出した。
「ゴードン、これ」
 取り出したそれをゴードンに手渡す。黒く光る凶器。拳銃だった。
「お前が持ってたか。後は任せな!」
 ゴードンは嬉しそうな表情を浮かべると、さっそく銃口を相手に向けた。
「おいガキども。死にたくなかったら通してくれないかな。身体に穴が空くとすっげえ痛いんだぜ。分かるよな?」
 しかし、相手の四人はまったく怯んだり恐怖したりする様子を見せない。それどころか、チェーンソーを持った一人は刃を回転させて一歩踏み出した。
「おいおい、嘘だろ」
「ゴードン、何してるの!? 早く撃たないと」
 ロイがせかす。彼は拳銃に弾が装填されていると思っているのだ。しかし、実際は弾など装填されていない。
 チェーンソーの刃がさらに近づく。
「ロイ、この拳銃には弾が入ってないの。ハッタリってやつ」
 ベルは相手に聞こえないように小声でロイに伝える。
「嘘だろ……。全然ハッタリがきいてないじゃないか」
 ロイが弱気な声を漏らす。
「おい! お前らこれが何なのか分かるだろう? チェーンソーなんておっかないものは捨てて、早くそこをどいてくれ。な?」
 ゴードンの拳銃を用いたハッタリは、今やただの説得に変わっていた。もちろん相手はそんな説得になど応じる様子はまったく見せない。
 さらに相手がゴードンたちとの距離を詰める。慌てて三人は四階の廊下へと戻ってきた。
「撃たないってことはその拳銃は偽物か?」
 突如、階段の上方向から別の声が聞こえた。そして五階からぞろぞろと別の人間が下りてきた。
 浅黒い肌の大柄の男とその父親の老人。そして少年少女が数人。
「ロイよ、どうして今更我々を裏切ろうとするんだね」
 老人は諭すような声で言った。
「もうここでこき使われるのはまっぴらごめんなのさ」
「そうかそうか。お前は貴重な労働力だったが、仕方がない」
 老人はチェーンソーを持った少年を見下ろすと、冷たく言い放った。
「殺れ」
 チェーンソーの刃が唸る。
 ゴードンたちは慌ててその場から走り出して、廊下の奥へと向かっていった。そしてゴードンが一時隠れていた奥の大きな病室に逃げ込むと、すぐに扉を閉じた。
「ベッドだ。それをつっかえ棒みたいにして扉を開けられなくしろ!」
 ゴードンの指示でロイがベッドを動かす。これで横開きの扉は開かなくなる。
「ちっくしょう、マジで絶体絶命だ。俺は普通に旅してただけだってのによ!」
「私もよ!」
「そもそもお前がバスに乗りたいって言うからだぞ!」
「ゴードンだって乗り気だったじゃん!」
 ゴードンとベルはパニックのあまり責任転嫁を繰り返しながら意味のない言い争いを続ける。しかし、扉を開こうとする物音で二人はすぐに黙り込んだ。
「何かをつっかえさせて開けなくしているといったところか」
 老人の声が扉越しに聞こえた。
「無意味極まりないぞ」
 その一言の直後、チェーンソーの刃が唸り始めた。
「どうするのさ!」
「今考えるからちょっと待ってろ」
 ゴードンは慌てて部屋を見回した。中にはベッドが六個置いてあるだけ。窓から冷たい風が吹き込んでいる。
「お前アンドロイドなんだから身体は丈夫だよな?」
 ゴードンはベルに尋ねた。
「ゴードンよりは丈夫だけど」
「まあ、それくらいしか取り柄がないもんな」
「なにそれ!?」
 ゴードンはベルの怒声を無視してロイにも同じことを尋ねた。
「丈夫だけどチェーンソーは無理だよ」
「それは分かってるよ」
「お前ら、ベッドからマットレスをとって窓から放り投げろ」
「え?」
 ベルがゴードンに聞き返すと同時にチェーンソーの刃が扉を切り裂き始めた。激しい破壊音が鳴り響き、猶予が少ないことを知らせる。
「いいからやるぞ!」
 ゴードンは自分の一番近くにあるベッドからマットレスを外すと、窓際まで引っ張る。そして窓の縁を蹴り飛ばして壊し、広くなった窓からマットレスを地面に落した。
「よし、いい位置に落ちた」
「嘘でしょ……ゴードン正気なの!?」
 ゴードンの作戦に気付き、ベルは悲鳴に近い声を上げる。
「他にいいアイデアがあるなら言え。三秒待ってやる。ないなら黙って俺の言うとおりにしろ」
 ゴードンはまくしたてるように言うと、他のベッドのマットレスを外しにかかった。ロイもそれに続く。
「ああん……もうっ!」
 他にいいアイデアが浮かばなかったのか、結局ベルもつっかえ棒代わりにしているベッドからマットレスを外し始めた。
「いいか、全部のマットレスが重なるように落とせ。じゃないと俺が死ぬ」
 ゴードンの指示通りに二人はマットレスを落としていく。ロイが最後の一個を落とすと同時に、扉が綺麗に切り取られた。大柄の男がそこから室内に入り、つっかえ棒代わりのベッドをどける。扉が開き他の面々も次々と室内へ。
「お前たちは絶対にこの場で殺す。逃げられて俺たち一族のことを広められたらこれからの生活に支障がでるからな」
 大柄の男が窓際にいる三人に言い放った。
「安心しろよ。俺らはお前らのことを誰かにバラすつもりはないし、ここで身体をバラされるつもりもねえ」
「そんなうまいこと言ったような顔してる場合じゃないでしょ!」
 得意げな表情をして言い返すゴードンにベルが一喝する。
「ふん」と不快そうな表情を浮かべながら大柄の男はチェーンソーを持つ少年に前に出るよう顎を動かして指示を出す。それに従いチェーンソーを唸らせながら少年はゴードンたちに近づいた。
「何か言い残すことはあるか?」
 いやらしい笑みを浮かべながら、老人が言う。
「そうだな……牛乳を毎日飲むべきだったかな」
ゴードンがそう言うと、三人で窓の方へと身体を向き直す。そしてゴードンは両脇にいるベルとロイの肩を抱き、窓の縁に足をかけた。そして三人同時に力強く踏み込み、そして窓から飛び出した。
冷たい風を全身に受けて落下。三人の口から情けのない悲鳴が漏れる。
白いマットレスがあっという間に近づいていく。地面まであと十メートル……五メートル……三メートル……そして――
三人はなんとかマットレスの上に着地。ベルとロイは激しい衝撃に耐えて着地後はすぐに立ち上がる。
ゴードンは着地に会わせて膝を曲げて少しでも衝撃を和らげる。そしてそのまま前方に転がりさらに衝撃を緩和。勢いよく転がっていき、着地点よりも十メートル近く離れた場所でようやく止まった。
 ベルとロイはあまり身体にダメージが残らなかったのか、すぐにゴードンの元に駆け寄ってくる。
「なあ、折れてない? 足折れてない? すっげえ痛いんだけど」
 ゴードンは涙目になりながら自分を見下ろす二人に向かっていった。
「それだけ元気なら大丈夫でしょ」
「ほら、追手が来る前に行こう」
 ベルとロイはゴードンに手を貸して立ち上がらせた。
「いたたたた……よし、折れてない。奇跡だ、神様ありがとう」
 ゴードンは軽く足をストレッチするように動かす。そして何回か小さくジャンプした後、二人と一緒に走り出した。


 バスのステップを駆けのぼる音で、帽子の男はうたた寝から目覚めた。
 自分の肉の取り分が用意できたのかな、と思って振り返ると眼前に銃口が向けられていて言葉を失う。
「おはよう、そしてただいまだ」
 ゴードンはにやりといやらしい笑みを浮かべながら帽子の男の額に銃口を押し付ける。
「こんな世界だからこそ、人間同士の助け合いって大事だよな」
「そ、そうっすね……」
 まさかゴードンたちが戻ってくるとは思わなかったのだろう。帽子の男は拳銃とそれによる報復を恐れてガタガタと震えている。
「俺らの荷物は?」
「座席に置きっぱなしです……」
 ゴードンは後ろを振り向く。ベルが荷物を持ち上げて親指を立てていた。
「よし、それじゃあ三号まで頼むぜ。そういう約束だったよな?」
「は、はいぃ」
 帽子の男は慌ててエンジンをかける。バックミラーに追手の姿が映り出す。
「それじゃあ、出発だ」
 ゴードンが拳銃で彼を小突くと、それを合図としたかのようにバスが動きだした。
 加速し行くうちに、ミラーに映っていた追手がどんどん小さくなる。
「あばよ」
 勝ち誇った笑顔で、ゴードンはそう呟いた。

       

表紙

山田一人 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha