Neetel Inside ニートノベル
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用心棒は機械少女
一章

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 もし記憶を失う前の俺が拳法の達人だったなら――とゴードンは考えた。身体には厳しい修行によって会得した殺人拳が染みついており、何者が相手であっても徒手空拳で打ち倒すことが可能だろう。
 だがこれはいわゆるifの話であり、もっとはっきり言ってしまえば妄想である。ゴードンもそのことは重々承知していた。本当に拳法の達人だったとしたら記憶を喪失してから今までの十年間でとっくに気付いているはずだ。
「おい、聞いてんのか?」
「荷物をよこせって言ってんだよ」
 自分の正面から発せられたドスの利いた声でゴードンは現実に戻された。
 目の前には二人の男。それぞれ手にナイフと鉄パイプを持っている。ナイフの刃はゴードンの首に向けられていた。
 ゴードンは二人の若い男に追い剥ぎされている真っ最中だった。ここは何もない荒野。助けを求めようとも周りには誰もいない。
 もしゴードンが妄想の通りに拳法の達人だったのなら、簡単にこの場を切り抜けることができただろう。だが、実際の彼は拳法のけの字も知らない中年男性だ。徒手空拳で若者二人に立ち向かえば簡単に返り討ちにあうこと間違いなしである。
「命は助けてくれるんだろうな?」
 ゴードンは相手を逆なでしないよう静かに問う。
「俺たち優しいからよ。荷物さえくれるのなら命は助けるし怪我だってさせねえよ」
「ま、こんなところで荷物を失ったらそのうち野垂れ死ぬだろうけどな」
 追い剥ぎは下品な笑い声をあげる。
「分かったよ」
 観念したように、ゴードンは目を伏せながら言う。
「荷物はお前らにやる。だから痛いのはやめてくれよ」
 ゴードンは背負っていた荷物を地面に置く。
「よしよし、賢いおっさんだ」
 ナイフを持っていた追い剥ぎが荷物に手を伸ばす。
「ちょーっと待った!」
 突如、甲高い少女の声が右方から響いた。驚いて三人とも一斉に声の方向へと振り向く。
 そこに立っていたのはマントを纏った少女だった。三人ともやり取りに夢中になって彼女の接近にまったく気付けなかった。
こんな荒野に少女が一人きりで現れるのはあまりにも不自然で、追い剥ぎはおろかゴードンまでもが目を丸くして彼女に注目する。
「これ、追い剥ぎってやつだよね?」
 少女は若者二人に問う。
「……だったらどうした?」
「お嬢ちゃんも何かくれるのか?」
 面喰っていた追い剥ぎも、なんとか冷静になってそれに答える。
「じゃあおじさんは困ってるんだよね?」
 少女は若者の返答を無視すると今度はゴードンに問う。
「確かに困ってるけど、お嬢ちゃんがここにいるともっと困る」
 現状、ゴードンは自分のことで手いっぱいだった。もしこの少女まで狙われたら……と考えただけで面倒だ。
「じゃあ助けてあげる」
 ゴードンの心配をよそに、少女はあっけらかんと言ってのけた。
「え? 今なんて?」
「私がおじさんを助けてあげる」
 そう言って少女は纏っていたマントを地面に脱ぎ棄てる。ゴードンと追い剥ぎは少女の格好を見て再び目を丸くした。
 マントの下は小奇麗なピンク色のワンピースだった。荒野を歩く人間の着るようなものではないし、そもそもこの世界でこんなにも綺麗な服を目にすることはほとんどない。汚れはほとんどついておらず、見ただけで生地が上質であると分かる。
 目を見張るのは衣服だけではなかった。少女の容姿もまた、この世界には不釣り合いなものだった。
 先ほどまでフードに隠れてよく見えなかったが、顔立ちは非常に整っており、腰まで伸びた金髪は輝いているように見えるほど綺麗だった。それらが服装と相まって人形のような雰囲気を醸し出している。
 荒みきったこの世界、この大地において彼女は明らかに場違いな容姿をしていたのだ。
 しかし自分の容姿を気にしていないのか、少女は先ほどの調子で追い剥ぎ二人に向かって拳を構えた。
「かかってこい、追い剥ぎ共!」
 驚いていた追い剥ぎだったが、次第に冷静さを取り戻すと拳を構える少女を値踏みするように見て、下品に笑った。
「このガキを売ったらきっとすげえ金になるだろうな」
「街まで連れていくのは大変だが、その価値はあるな」
 追い剥ぎの内の一人、鉄パイプを持った男が少女に近づいた。
「そういうことだ、お嬢ちゃん。大人しくすれば痛くしないぜ?」
 追い剥ぎは少女に手を伸ばす。しかし、それが少女の身体に届くよりも先に、彼は地面に倒れた。
「まずは一人!」
 少女は伸ばした足を地に戻すと、得意げに叫んだ。
彼女の蹴りが不用意に近づいた追い剥ぎの股間に直撃したのだ。
「ガキてめえ……ッ」
 ナイフを持った追い剥ぎはその様子を見て逆上。ナイフの刃を少女に向ける。
 ゴードンから離れると刃をちらつかせながら少女に近づく。だが、少女は臆することなく拳を構え続ける。
「ちょっとオイタがすぎるんじゃねえか?」
 追い剥ぎはナイフを振り上げた。
「確かにオイタがすぎるな。追い剥ぎや人身売買は立派な犯罪だぞ」
「ぐぇっ」
 ゴードンの言葉と同時に、追い剥ぎはうめき声をあげて動きを止めた。彼の首にはロープが巻きつけられ、ゴードンによって強く締められていた。
 追い剥ぎが少女の方へ向かったと同時に、ゴードンは荷物の中からロープを取り出していたのだ。
 じたばたとしていた追い剥ぎだったが、しばらくして意識を失い、地面に崩れ落ちた。
「……死んでないよな?」
 ゴードンは慌てて追い剥ぎの脈を取り、しっかり動いていることを確認して胸をなでおろした。
 地面には追い剥ぎ二人が倒れている。どちらも当分起き上がることはないだろう。ゴードンは窮地を脱したことになる。
「ね、助かったでしょ?」
 少女は嬉しそうにいいながらゴードンに近づいてきた。
「途中から君が心配で気が気じゃなかったよ」
「なんで?」
「君はまだ子供だろう。それに女の子だ」
「でも追い剥ぎを一人倒したよ。凄いと思わない?」
 少女は股間を押さえて倒れこむ追い剥ぎを指さす。それを見たゴードンの股間に寒気のようなものが駆け抜け、思わず「可哀想に……」と敵だった男に呟いた。


「さて」
 ゴードンは倒れている二人に近づくと、彼らの荷物を物色し始める。
「え、追い剥ぎっておじさんの方だったの?」
 その様子を見て少女が驚く。
「いいや、違うよ。こっちも生きるのに必死なのさ。なんせ、こんな世界だからね」
 いくつかの食糧とあるだけの通貨を奪い取ると、自分の懐にしまいこむ。食糧を全て奪わないのはゴードンの情けだろう。
「確かにそうだね」
 少女は特に異を唱えることなくゴードンの行為を肯定した。
「これは意外だ」とゴードンは呟いた。まるで正義の味方とでも言わんばかりの登場の仕方だった。自分の行為も咎められるだろうとゴードンは思っていたのだ。
「ねえ、おじさん旅人?」
「そんなところだ」
「じゃあ私が用心棒になってあげようか?」
「は?」
 ゴードンは思わず心底呆れた声を上げてしまう。
 年端もいかぬ少女が中年男性の用心棒を買って出たのだ。こんな馬鹿な話はこの世界のどこを探してもそうそうあることではない。
「一人だと危ないじゃない」
「そっくりそのまま君に返すよ」
「それに、私けっこう強いんだよ? さっきも見たでしょ、私の鮮やかなキック」
「男なら誰だって金的は効くさ」
「さっきだって私のおかげで助かったでしょ」
「まあ、否定はしないが」
「この先もさっきみたいに襲われることがあると思うの。そこで私がいればおじさんの身の安全を絶対守ってあげられるってわけ」
「少女に守られるおっさんっていうのはいささか情けないな」
「そんなこと気にする余裕がある世の中じゃないでしょ?」
「おっさんにはおっさんのプライドがあるんだよ」
 気がつけば進展のない言い合いをしながら二人は並んで歩いていた。正確には目的地へと歩くゴードンに少女がついてきているだけなのだが。
 理由は分からないが、どうしても少女は用心棒として雇ってもらいたいようだった。あまりのしつこさにゴードンはどうしたものかと頭を捻る。
「そういえば、君の家族は?」
「家族はいない」
「それは君がアンドロイドだからか?」
 ゴードンの問いに少女は一瞬言葉を詰まらせる。
「……なんで分かったの?」
「いや、適当に言ってみただけだよ」
「何それ!?」
 まさか本当にアンドロイドだったとは、とゴードンは驚く。
 アンドロイド。いわゆる人造人間、人型ロボット。かつてとある国で生み出されたそれは今でも世界各地に存在している。ただし今では――
「もし相手にアンドロイドと言われても、すぐに肯定するのは利口じゃないな」
「う……」
「分かっているだろう、今の世界でアンドロイドがどう扱われるのか」
 今の世界を統べる新世界政府はアンドロイドを忌むべき存在として扱っていた。軍にアンドロイドだと正体が割れた個体はその場で連行され、施設に送られて廃棄される。
「もし俺が旅人のフリをした政府の人間だったらどうする?」
「それは……」
 先ほどまで強気だった少女は急にしどろもどろになった。あまり深く物事を考えていなかったのかもしれない。
「また、俺が金に目がくらんだ人間だったらどうする? 報奨金目当てに君を政府に引き渡すかもしれないんだぞ?」
「そんな……」
 少女はとうとう怯えた表情を顔に出し始める。流石に脅しすぎた思い、ゴードンは語調を和らげた。
「まあ、安心してくれていいよ。俺は政府となんら関係のない一般人だし、君を政府に売るつもりもない。これは本当だ」
 その言葉を聞いて、少女はほっとしたようだった。
「君が自分のことを強いというのもうなずけるよ。確かにアンドロイドだったら身体能力も高いだろう。見たところ君は愛玩用みたいだけど、それでも俺よりは身体能力は高いはずだ」
「そうそう。だからさ、私を用心棒として雇ってよ。ねっ!」
 先ほどまでの調子を取り戻し、再び少女はゴードンに詰め寄った。
「相場よりもうんと安くするから。半額……いや、もっと安くしてもいいよ」
「具体的な値段を言ってもらえないか」
「……用心棒の相場っていくらなんでしょう?」
「俺だって知らんよ。自分で相場うんぬん言っておいて」
「と、とにかく! 安くするからっ」
 さて、どうしたものか。ゴードンは考える。彼女は一人じゃ不安だから自分と一緒に旅をしたいのだろうか。照れか何かで用心棒という形をとって同行しようとするのだろうか。
「まあ、そんなのはどうでもいいか」
「え?」
「金はいくらでもいいから、とにかく俺についてきなさい」
「雇ってくれるの?」
 少女の表情に嬉しそうな笑顔が広がる。
「保護者になってやる」
「なにそれ」
 笑顔はとたんにふてくされた表情に変わった。
「アンドロイドとはいえ女の子をここに放置するわけにはいかんだろう」
 それがゴードンの正直な考えだった。色々と言い合いはしたものの、彼の中で少女を放置するという選択肢はなかったのだ。つまり、最初から同行するつもりだったわけである。
「まあ、一応用心棒ってことにしておこうか」
「本当?」
「そうでもしないと君がふてくされるだろう」
「だったらそれは黙っておこうよ」
「確かにな」
 そう言ってふてくされたままの少女を尻目にゴードンは声を上げて笑った。
 少女のころころ変わる表情を見ているのはなかなか楽しいものだ、と思いながら。

     

「私はベル。一応ボディと人格プログラムの設定は十四歳。おじさんは?」
 そう言えば自己紹介がまだだったね、とアンドロイドの少女――ベルはゴードンに自分の情報を開示した。歩いている内に機嫌は直ったようだ。
「ゴードンだ。いくつに見える?」
「えーっと……」
 ベルはしげしげとゴードンの顔を見つめた。顎にびっしりと生えた無精ひげ。砂埃と垢で汚れ、皺が広がっている皮膚。ぼさぼさの黒い短髪。くたびれた表情。レンズの汚れたサングラス。
「四十五歳?」
「じゃあ俺はきっと四十五歳だ」
「なにそれ」
「なんせ俺は自分の年齢を知らないもんでね。精巧な機械の目を通して見た結果が四十五歳なら、きっとそれが正しいんだろう」
「自分の年齢を知らないって、今まで日付を一切数えてこなかったの?」
「いや、俺は十年前に記憶喪失になったんだ。未だ記憶は戻らないもんだから自分の年齢も分からずじまいなんだよ。ゴードンという名前だって本当の名前かどうか分からない」
 特に悲観するそぶりも見せず、ゴードンは淡々と言った。
「そうなんだ。過去が分からないってなんだか映画や小説の主人公みたいだね」
「そうだろう、かっこいいだろう」
 ゴードンは嬉しそうに笑う。
「ほとんどの人は俺が記憶喪失だって分かると過剰な心配をしたり心のこもってない慰めの言葉を投げかけたりでな、うんざりする。そんなものよりもかっこいいの一言の方がよっぽどいい」
「でも、ゴードンはちょっと老け過ぎかな。かっこいいと言うには、ちょっと見た目がみっともない」
「渋いと言ってくれ。ダンディでもいい」
「えー……。汚いからやだ」
 ゴードンは再び声を上げて笑う。
 今まで一人でいたからだろう。ゴードンは自分でも気付かないうちにベルとの何気ない会話が楽しくなっていた。
「そういや、どうして一人でこんなところをぶらついていたんだ?」
「仕事帰りだよ」
「ほう、君にも帰る場所があるのか?」
「な、ないけど」
「仕事っていうのは用心棒か?」
「うーん……用心棒プラス荷物持ち、かな」
「雑用係みたいなもんじゃないか」
「立派な仕事でしょ!」
「まあそうだな。ずっとその仕事を続けるつもりはなかったのか?」
 ゴードンのその問いで、ベルは一瞬表情を曇らせた。
 地雷を踏んじまったかな、とゴードンが話題を変えようとしたところで、ベルが前方を指さした。
「ああいうこと」
 ゴードンはサングラスを外して前方を見やる。まだ遥か遠くで小さなシルエットしか見えなかったが、それは巡回車だった。
「なるほどね」とゴードンは納得する。
 アンドロイドと一緒に行動しているところを目撃されたら、どんな仕打ちを受けるか分からない。以前ベルと同行していた人間は巡回車に怯えていたはずだ。その様子を見て、彼女は同行者の元を離れたのだろう。
 そしてベル自身も見つかったら廃棄されるという恐怖を巡回車が通るたびに感じていたに違いない。
「どうしよう、隠れないと」
 ベルは慌て周囲を見回すが隠れるような場所は見当たらない。
「慌てるな。わざわざ隠れる必要はない」
 ゴードンは落ちつかせるようにベルの頭を撫でた。
「しっかりフードは被ってろ。髪の毛が見えないようにな。マントの下のワンピースも隠せよ」
 巡回車は大きな音を立てて近づいてくる。
「あとは堂々としていればいい。今の俺たちは街に向かって歩いている親子だ。いいな?」
 不安そうな表情を見せながらもベルは頷いた。
 巡回車が眼前にまで迫る。窓から兵士が顔をのぞかせる。ゴードンたちとの距離は僅か数メートル。
 ゴードンは自然な態度で会釈をする。兵士もそれを返す。たったそれだけ。巡回車はあっという間に後方へ去っていく。
「な、問題ないだろ?」
 ゴードンはベルの顔を覗き込んだ。
「確かにやつらの仕事にアンドロイドを見つけることも含まれているんだろうがね。アンドロイドは精巧だ。ぱっと見ただけでは誰も気づけない」
 そう言ってベルの頭を再度撫でる。安堵を見せた彼女の表情はどこからどうみても人間の少女そのものだ。
「それにやつらみたいな下っ端兵士はそんなに仕事熱心じゃないからな。兵士どもは一般人と違ってアンドロイドを見つけても特に特別な報酬は与えられない。まあ軍自体の待遇が一般人よりも良いっていうのもあるんだが……とにかく、だ」
 ゴードンは得意げに笑いながら言った。
「巡回車なんかにいちいちビビる必要はないってこった」
「……よかったぁ」
「これで君も気が楽になっただろう。道中はビクビクする必要はないぞ」
 見つかれば廃棄される、人間で言えば殺されると同義だ。その恐怖からいくらか解放されたと言ってもいい。
「そういうことじゃないの」
 ベルは強気な態度を取り戻していた。
「どういうことだ?」
「なんだっていいでしょ」
 ベルはスキップするように歩き始める。
「おいおい、おっさんはそんな早いペースで歩けないぞ」
 苦笑いをしながらも、ゴードンはベルの背中を追いかける。


 同じような景色が延々と続いたが、しばらく歩き続けると前方に瓦礫と木材の山が見えてきた。人が住んでいた集落の跡だ。十年前の戦争で破壊されてから、ずっとこのまま放置されていたのだろう。
「あそこは村か何かだったのかな」
 ベルが前方の集落跡を見て言う。
「おそらくな。今となっては見る影もないが」
 近づくにつれて瓦礫と木材の山に続いて、壊れずに残っている建物が見えてきた。
「ね、あそこで休めるんじゃない?」
 ベルはそれを指さしてゴードンに提案する。
「地面で寝るよりは家の中で寝た方がいいでしょ」
「いや……」
 しかしゴードンはその提案に難色を示した。
「俺個人としてはあまりこういった集落跡は通りたくないんだが」
「なんで? 何かお宝とかあるかもよ」
 荒野の景色にうんざりしていたのだろう。舞い上がったベルは思い切り駆けだして眼前にまで近づいた集落跡へと駆けていく。
「おいちょっと……」
 ゴードンはベルを止めようとするが、空を見上げて止める。日が落ちつつある。もう後少しで世界は暗闇に包まれるはずだ。結局この付近で野宿をしなければならない。
 ベルを追いかけてゴードンも集落跡に入っていく。
「ねえ、ここなんていいんじゃない?」
 比較的綺麗に残っている三階建ての建物を指さす。今夜はここを寝床にしようということだろう。
「入り口に何か怪しいものがないか気をつけろよ」
「何それ? 罠でもあるって――」
 建物の入り口に近づいたベルの姿が地面に吸い込まれるように消失する。
「言わんこっちゃない」
 ゴードンは駆け足でベルが消えた場所に近づいた。
「いたた……」
 地中からベルの声が聞こえる。
「よかった。ただの落とし穴か」
 ゴードンは自分が想定していたよりも単純な罠で安心する。が、穴の中を除いて口をあんぐりと開けて黙り込んでしまった。
 穴の底には鋭利な棒――木の棒や折れたパイプなど様々な種類の物――が落ちた人間を突き刺すように何本もセットされていた。普通の人間だったら落ちた時点で死は免れないだろう。だが――
「……刺さってるのか?」
「多分刺さってない。だけど痛いよ」
 ベルはアンドロイド。人間そっくりの外見だが、その身体を形成するのは人間のようなやわな肉や骨ではない。科学の粋を集めて作られているのだ。生物に対する罠でそう簡単に死ぬことはなかった。
「アンドロイドにも痛覚はあるんだな」
「正直なくてもいいと思う。あー……いたたた」
 ベルはなんとかその中から這いずり出そうと身体を捻らせる。が、どう動いても痛みが伴うようで苦戦していた。
 ゴードンはベルを助けるためにロープを取り出そうとする。が、背後に気配を感じその場から横っ跳びで離れる。一瞬の間をおいて、ゴードンのいた場所に鉈が振り下ろされた。
 地面を転がりながらゴードンは自分が先ほどまでいた場所を見る。そこには鉈を持った男が立っていた。
「おいおい、なんで罠にはまったのに生きてるんだよ。このガキは」
 鉈を持った男は穴の中を見下ろしながら言う。
「だからこういうところには来たくなかったんだ」
 ゴードンは大きくため息をついた。
 こういった建物が現存している場所は人が集まりやすいため、早い段階から何者かの拠点になる。悪意のある人間が拠点にした場合、ここを見つけて立ち寄る旅人を狙った罠をしかけるのだ。
ゴードンが危惧していたのはこのことだった。そして話を聞かずに駆けだしたベルは見事に悪意のある人間の罠にかかってしまったのだ。
 さらに足音が増える。ベルが入ろうとしていた建物の中から二人の人間が出てきた。どちらも手には鉈を持っている。敵は合計三人。
「おい、用心棒じゃなかったのか!」
 ゴードンは思わず穴に向かって叫ぶ。
「そんなこと言ったって! あっ痛い。いたたた」
 ベルは未だに穴の底の鋭利な棒に苦戦しているようだった。
「もういい。そこで待ってろ。俺がいいって言うまで出てくるなよ」
「なんでよ! すぐ助けにいくからちょっと待ってて!」
 ベルは不服そうに叫ぶ。だが、ゴードンは彼女の助けには期待していなかった。アンドロイドとはいえ少女に助けられると言うのは癪だし、何より今から必死に這い出たところで絶対に間に合わないだろうと悟っていた。
 眼前には再び鉈を振り上げる男。ゴードンは重たい身体を必死に動かして攻撃を再び回避する。
「おっさんのくせにすばしっこいな」
 今攻撃をした男が余裕のある態度で言った。
「追い剥ぎはもう勘弁してくれよ」
 げんなりした表情でゴードンは頼み込む。
「見ての通り俺はひ弱なおっさんで、穴にいるのもいたいけな少女だ。ここは見逃してくれないか?」
「馬鹿言ってんじゃねえ。むしろ狙い目じゃねーかよ」
 男は笑う。
「こんな世界だからこそ人間は良心をもって生きていくべきだと思うんだがね」
「こんな世界だから俺たちは良心を捨てたのさ」
 男はゴードンの説得にまったく応じる気がないようだった。
「……やれやれ。せめて荷物だけにしてくれないかね」
 そう言ってゴードンは自分の荷物が入った麻袋を地面に置いた。そしてちらりと建物の方を見る。男の斜め後ろ、落とし穴を挟んだ先には仲間が二人。実質一対三である。
「命だけは助けてくれってか?」
 男はゴードンを馬鹿にするように笑った。
「人肉ってそれなりの値段で売れるんだぜ。俺らは気持ち悪くて食えねえが、お前の死体は金になるんだ」
「なるほどな。確かに人肉も貴重な食料になりうる」
「そういうことだ。じゃあなおっさん」
 男は鉈を思い切り振りかざした。

     

 痛みをこらえてベルはなんとか這い上がると、穴の縁に手をかけた。
「そういうことだ。じゃあなおっさん」
 男の声。今にもゴードンに止めを刺そうとしている。間に合わない――
 ベルは手に思い切り力を込めて穴から顔を出す。その先にあった光景は彼女にとって予想外のものだった。
 男は鉈を振りかざしたまま動きを止めている。その表情は引きつっており余裕がまったく感じられない。
 その一方、追い詰められた側だと思っていたゴードンは逆に平然とした態度で男と対峙していた。手に拳銃を握って。
「分かってるじゃないか。動かないのが賢明な判断だ。少しでも鉈が下に動いたら俺の人差し指がすべっちまうぜ」
 銃口は男の頭に向けられている。この至近距離なら外すことはないだろう。一発で頭を吹き飛ばすことが可能なはずだ。
「お前ら二人もだ」
 ゴードンは穴の向こうにいる男の仲間にも言い放つ。
「余計なことは考えるなよ。こいつの頭に風穴あけてからお前らに銃口を向けるのに二秒もかからない。その二秒で俺を殺せる自信があるなら別だがな」
 仲間の男たちは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、ゴードンに言われた通り動きを止めている。
「なんで拳銃なんて持ってやがるんだ」
 表情は引きつったままだが強気な語調を維持して男は問う。
「こんな世界だ。銃の一つでもないと一人旅なんてできんよ。いや、今は二人旅か」
 そう言ってゴードンは穴から顔をのぞかせているベルを見てにやりと笑った。
「さて、良心は簡単に捨てられても命を捨てるのは嫌だろう? 命あっての人生だ。武器を捨てて今すぐうせろ」
 銃口を男の頬に押しつける。少しの沈黙の後、男は鉈を地面に落した。仲間二人もそれに習って武器を捨てる。
「よし、消えな」
 男はゆっくりと後ずさってゴードンと距離を取ると、振り返ってそのまま走り出す。仲間たちもそれに続く。
 三人が見えなくなるまで、ゴードンはずっと銃口を相手に向け続けていた。
「あいつらもう行っちゃったの?」
 ベルは穴から完全に這い上がるとマントとワンピースを払った。罠のせいで背中の何か所かに穴が開いていた。
「よう、遅かったじゃないか用心棒。もうカタはついたぞ」
「ゴードンが穴の中にいろって言ったんじゃない!」
「まあ、こういうことだ。今更だが用心棒の仕事は必要なさそうだぞ」
 ゴードンは拳銃を持った手をひらひらと動かした。
「う、うるさい! うっかり穴に落ちなかったら拳銃を出すまでもなく私があいつらを追っ払ってたもん」
「簡単に罠に引っ掛かる時点で用心棒としてどうなんだか」
 ゴードンは何もない空間にパンチやキックを繰り出しているベルを見て笑う。
「ゴードン、拳銃持ってたんだね」
 ベルはゴードンの手の中にある黒い凶器を指さす。
「なんで私と会った時の追い剥ぎ相手に使わなかったの?」
「使おうとは思っていたけど、君が出てきたせいでそれどころじゃなくなっただろう」
 あの時、ベルが現れなかったらゴードンは隠していた拳銃を取り出して今のようにあの場を切り抜けるつもりだったのだ。ベルが間に入ったのはそれを実行する直前だった。
「それにさ」
 ゴードンは突如銃口を自分の頭に向けた。そして躊躇せず引き金を引く。
「ひゃっ」
 あまりにもスムーズに行われた一連の動作に驚いてベルは声を上げる。だが周囲に響いた音はそれだけ。銃声は一切鳴り響かなかった。
「これ、弾が入ってないんだ」
 ゴードンは子供のように無邪気な笑みを浮かべた。
「じゃあさっきのはハッタリってこと……?」
「そういうことだ」
 ゴードンは拳銃を懐にしまう。
 ベルはあっけにとられて口をぽかんとあけながらその様子を見ていた。
「どうした?」
「やっぱり私必要じゃん! 用心棒必要じゃん!」
「今までもこれだけでなんとかなってきたんだけどな」
「じゃあもし銃を持った相手に襲われたらどうするの? ハッタリだけじゃどうしようもないでしょ」
 少しむきになってベルは言う。これには反論できないだろうとでも言わんばかりの得意げな表情を見せた。
「いや、それはないと思う」
 だがゴードンはあっさりと否定した。
「銃器はかなり厳しく取り締まられているからな。まったくと言っていいほど流通していないんだよ」
 新世界政府はアンドロイドと同じほど銃器にも厳しい。基本この世界で銃器を持っているのは軍の人間くらいなのだ。
「それでも裏ではごく少数の銃器が取引されているわけだが、現状では俺が持っているような護身用の拳銃ですら莫大な金額で取引されている。そこらへんをぶらついてるようなチンピラには手を出せない高級品だよ。だから道中で銃を持った人間に襲われることはほとんどないだろう」
「じゃあなんでゴードンは拳銃を持ってるの?」
「実は俺、お金持ちなんだよ」
「なんでお金持ちが危ない旅をしてるのよ」
「趣味」
「嘘ばっかり!」
「まあまあ、そんなに怒るなって。たまたま知り合いにそういうものを取り扱える人間がいるってだけだよ」
「ふぅん」
 ベルは金持ちだという嘘よりは納得した様子を見せる。が、まだ何か言いたりないのか再び口を開いた。
「でもゴードンみたいな理由で銃を持ってる危ない人がいるかもしれないでしょ。だったら私必要じゃない」
「なんでだ。君は銃器相手に何かできるのか?」
「見てよこれ。安心の鉄壁ボディ」
 そう言ってベルは背中を向けた。先ほどの罠によって服に穴があいてしまったが、そこからのぞいている人工皮膚はほぼ無傷と言っても問題のない状態だった。
「銃弾の雨は私という鉄壁の壁によって防ぐことができるからゴードンは私の陰に隠れて……」
「馬鹿言うんじゃない」
 呆れたようにゴードンは言った。
「少女を盾にして銃弾をかいくぐるおっさん、というのはよくない。非常によくない。俺の良心がとがめるなんてもんじゃないぞ」
「でも私用心棒だもん」
「じゃあ銃を持った人間に襲われないことを祈ろうか」
「だからそれじゃ私の仕事がなくなっちゃう」
「女の子に戦わせられるかよ」
 ゴードンは地面に置いていた荷物を背負う。
「さて、無駄話の続きは中でしようか。もう真っ暗だ」
 落とし穴の先にある建物を指さす。
「さっきのやつらはあそこから出てきたからな。多分中に罠はないだろう。今夜はあそこで寝よう」
 落とし穴を迂回して建物の入り口に進む。そして小型の懐中電灯を取り出して中を見回した。
「大丈夫そうだな。中に入ろう」
「私はあんまり疲れてないけどね」
「そりゃあ君はアンドロイドだからな。だが俺は人間だし、おっさんだ。くたくただよ」
 ゴードンは僅かに月明かりが差し込む窓側に座る。
「明後日には目的地に着くだろう。明日一日歩き続けるためにしっかり休まないとな」
「そう言えば、私まだ目的地を聞いてない」
「そうだったな。当面の目的地は、十五号だ」
「十五号……」
 ベルは何かを考えるように少し俯く。暗くてその様子に気付かないのか、ゴードンは同じ調子で話を続ける。
「十五号に数日滞在して物資をある程度調達したら、次は三号に向かう。これが俺の旅の当分の予定だ」
「ゴードンの旅には何か目的があるの?」
「俺の旅の目的か……。最初は色々な場所を回って記憶を取り戻せたら、って思っていたんだが、十年経っても過去の記憶はかけらほども思い出せない。今じゃ知り合いの仕事の手伝いの方がメインだな」
「ふぅん。そうなんだ」
「というわけで明日からもずっと俺の旅は続くわけだ。そろそろ寝ようか。今日も疲れたよ。くったくただ」
 ゴードンは麻袋から寝袋を取り出すと、ベルに放り投げた。
「ほら、使え。俺はマントでなんとかするから」
「私は大丈夫、必要ないから。寝袋はゴードンが使って」
「おっさんが寝袋で少女は床。そんな絵面はよくないだろう」
 そう言ってゴードンは自分の荷物を枕にして床に横になった。
「おやすみ、ベル」
「で、でも私アンドロイドだから眠る必要はないし……」
 ベルが寝袋を持ってゴードンに近づく。ゴードンはそんなベルの言葉をまるっきり無視している。
「ねえ、聞いてるの?」
 その問いに返ってきたのは地響きのようないびきだった。
「寝てる……?」
 ゴードンはベルの言葉を無視していたのではなく、おやすみと言った直後に眠りについいたのだ。旅の疲れなのか歳なのか、あまりにも早い寝付きだった。
「もう、いびきがうるさいよ」
 ベルは寝袋の中に入って丸くなる。
「おやすみ、ゴードン」
 アンドロイドは眠らない。だが、ベルは与えられた寝袋の暖かさをその身に感じながらゆっくりと目蓋を閉じた。


「……臭い。オヤジ臭い」
 寝袋に染みついた臭いに、ベルは思わず鼻をつまんだ。
 アンドロイドは眠らない。それはいいがなぜ嗅覚はきっちりあるのだろう。ベルは三大欲求がないのに五感をきっちり備えている自身の身体の性能の高さを呪った。

       

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