Neetel Inside 文芸新都
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MTGについて少し話そうと思う
voL.7「東洋のトレイリアンアカデミー」

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 前回ジャムーラ大陸にわかれを告げ、われわれはつぎなるサイクルにむかうのだが、その前にこれから筆者の拠点となるあるショップについて話しておこう。
 ミラージュ・ブロック退場より話はすこしもどるのだが、エクソダスが発売される前後にわれわれは駅前に立地する古本屋をみつけた。もちろんメインは漫画や小説などの古本販売なのだが、ほかにもゲームソフトやCDなどのデジタルコンテンツにフィギュアやビックリマンシールなどもあつかう当時としてはめずらしいかたちの店で、いまでは主流となった大型リサイクルショップのはしりのような感じであった。いつもの個人経営の本屋でパックを購入したわれわれはその帰りがけにこの店に立ち寄るのだが、なんと驚くことにそこにはデュエルスペースがあったのだ。といっても都内のカードショップにあるような立派なものではなく、壁際に簡素なつくえと二脚のイスがぽつんと置いてあるだけで、そこで先客がMTGをプレイしていなければただの休憩所にみえたことだろう。じっさい孫をつれて来店したらしきおばあちゃんやジュースを片手に子供がすわっていることもあり、もしかすると本来はデュエルスペースではなかったのかもしれない。
 ともあれ自分たち以外の人間がMTGをプレイしている光景はじつに衝撃的で、すぐにわれわれもそこを利用するようになった。そのときあつまっていたメンツは大学生が多く、とくにおなじ大学にかよっているらしき三人組が常連だった。彼らはよく店におとずれるようになったわれわれにとても親切にしてくれ、対戦中にこまかなルールを教えてくれたりデッキ構築についてアドバイスをくれたりジュースをおごってくれたりした。むろん彼らが使用するデッキは大学生らしくしっかりと構築されたもので、かよいはじめたころのわれわれではとても勝つことはできなかった。三人組のうちふたりは白単と赤単を使っていて(もうひとりは失念してしまった)、白単のほうは《ダスクライダー(WL)》《フリーウィンド・ファルコン(WL)》のはいったウィニーデッキで(いまでこそ《賛美されし天使(ON)》や《悪斬の天使(M11)》といったボインちゃんが聖なる空を支配しているが、かつては彼らが騎士の率いる十字軍の目となっていたのだ)、赤単のほうは《ゴブリン徴募兵(VI)》《モグの偏執狂(ST)》《ゴブリンの王(5th)》などを使用したゴブリンデッキだった。そんなわけでそれぞれ「ダスクライダーにいちゃん」「ゴブリンにいちゃん(通称ゴブにい)」とわれわれはひそかに呼んでいた。ほかにも《停滞(5th)》《時エイトグ(VI)》をキーカードとする「クロノステイシス」や《底なしの奈落(ST)》《罠の橋(ST)》《無のブローチ(EX)》を搭載した「エンプティ・ハンドロック」などの性悪なロックデッキをこのむ「ジャクロ先輩」、いつもモルツのスタジャンを着ている「モルツ」、われわれよりさらに年下で緑デッキをこのむ「少年」など個性あふれるプレイヤーがそろっていた。なかでも筆者の地元では有数の進学校にかよい、その理屈っぽいしゃべりかたがクセになるジャクロ先輩はこまかなルールにうるさい神経質さやカジュアルプレイではぜったいに勝負したくないようなデッキを平気な顔で使ってくる容赦のなさから、われわれのあいだでカルト的な人気をほこった。彼の繰りだすロックは〝ジャクロック〟と呼ばれ畏怖され、「序盤にクリーチャーで押し切るか、さもなくばライブラリーアウトや《持たざる者の檻(MI)》によるゆるやかな死か」という殺伐としたデュエルを展開した。ロックが決まると手札を置いて《マハモティ・ジン(4th)》のようにしたり顔で腕を組んだり、デッキがまわらないと《偏頭痛(ST)》をわずらったように顔をしかめる独特のプレイスタイルを真似るジャクラーが続出するほどの熱狂ぶりで、MTGを知らない一般客までがつぎのターンをとばしたりクリーチャー呪文でない呪文を打ち消しはじめたりするほどだった(このたまごっちにつづく一大ブームを巻きおこしたジャクロ先輩についてはヒース・レジャー主演でスピンオフ映画が一本とれるほどの逸話がほかにもたくさんあるのだが、それはまたの機会にすることにしよう)。
 そしてこれを好機とみた店長がMTGをとりあつかいはじめ、スタンダードのパックやガラスケースのフィギュアの棚のすみでささやかながらシングルカードも販売されるようになった。こうなると売れるエキスパンションの見極めやシングルカードの買い取りなどにある程度の知識が必要になってくるのだが、MTGをよく知らない店長にかわってMTG関連で采配をふるったのがふたりの大学生くらいのアルバイト店員である。どちらも黒髪にメガネと地味な風貌であったが、学生らしからぬ物腰のやわらかさと深いMTG知識を持つことからお兄さん的な存在として親しまれた。とくにルールにかんする知悉っぷりは大学で専攻しているのではないかと思えるほどで、プロテクションやコー関係でもめたら〝陰〟のジャクロ先輩か〝陽〟の店員にきくというのが慣例であった。また彼らは店員という立場上デュエルスペースにやってくることはなかったが、店がヒマなときはガリア戦記のように分厚いトレード用のアルバムを買取カウンターに広げてわれわれにみせてくれた。そこには最新のエキスパンションからリバイズド以前のふるいものまで多種多様なカードがおさめらており、まさにMTGの変遷を語り継ぐ歴史書であった。カードプールの貧弱なわれわれはトレード目的ではなく知的好奇心を満たすためにそのアルバムの閲覧をよく申しでていたのだが、そのたびに店員はこころよく応じてくれた(記憶しているかぎり筆者が店員とトレードしたのは二回程度で、一回目は気まぐれで買ったアライアンスのパックから《Lake of the Dead(AL)》と《Thawing Glaciers(AL)》を引いたとき、二回目はMTGをまったく知らない友人から折り目のついたポータル版の《火山のドラゴン(PO)》を譲りうけたときだったと思う。それらの見返りとして店員は《モックス・ダイヤモンド(ST)》や《繰り返す悪夢(EX)》などを筆者にあたえてくれた)。そのうち筆者は店員のひとりとよく話すようになり、「いいもん手にいれたんだ」とウルザズ・サーガが発売されたときにプロモーションカードとして配布された《稲妻のドラゴン(US)》のフォイルをみせてくれたり、筆者がコモンボックスで《繁茂(5th)》をさがしているとまだ整理していないカードの山からみつけてきてくれたりと非常にお世話になった。また店長ともなかよくなり、店員が休憩などではずしているときに「このカードってどんな効果なの?」とか「これっていつまで使えるの?」などとよくきかれることがあった。一枚10円のコモンカードやたまにパックを買うくらいしか店に貢献していなかった筆者は自分のMTG知識が少なからず役立つことでささやかな充足感を得ることができた。
 さて、水原くんをうしなったわれわれはこうしてあらたな鍛錬の場を手にいれたわけだが、ウルザ・ブロックはさらなる試練をあたえることとなる。次回はこんどこそそれについて話していこうと思う。このMTG史上でも非常に悪名高いサイクルについてはもの申したいことが山ほどあるのだ。
 最後に追記しておくが筆者がその青春の大半をすごしたこの店はもう存在しない。現在は筆者とは無縁のこじゃれた美容室になって多くの若者が出入りしている。MTGという共通の趣味のもとにつどった彼らがどこへ消えてしまったのか筆者には知る由もない(あるいは筆者が彼らの前から消えてしまったのかもしれない)。願わくは彼らのだれかが「これもしかしてあのときの中学生じゃね?」とこの文章を読みながらほくそ笑んでいることと淡い希望でむすびつつ今回は筆を置こうと思う。

       

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