Neetel Inside 文芸新都
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文芸秋の三題噺企画
お題①/月夜の埋葬/のぎく

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 その夜の僕たちは完全に酔っ払っていた。
 彼女は缶ビールと酎ハイを三本空けただけでまともに座っていられなくなり、テーブルに寄りかかるようにして、真っ赤な顔に頬杖をついている。僕は焼酎の瓶を隣にちびちびと水割りを飲んでいた。お互いそれ程酒に強くないくせに、時々どうしても酔っ払いたくなるのだ。
「飲もうよ」
 唐突にメールが来て、その夜には彼女がビールとつまみを調達して玄関先に現れる。僕は床に散らばった洋服だの教科書だのを足で端に寄せ、粘着テープを転がして望ましくないゴミや体毛をカーペットから取り除いておく。汚れた食器は台所に積み上げたままだし、数少ない成人向け雑誌はベッドの下に放置してある。
 部屋の惨憺たる有様は、僕らの関係にふさわしいような気もした。飲み方すら僕らはいい加減だ。氷の用意が面倒くさい。水割りは水道水を使う。彼女はビールと酎ハイとお酒を薄めるための炭酸を代わる代わる飲んでは、「おいしくない」と笑う。哲学も根性もない。僕は酔うと黙り込み、彼女はひたすら喋り捲る。
「ねぇ、トランプしよう」
 やがて喋ることが尽きてきた頃、どこから引っ張り出してきたのか彼女が赤の蔦模様に青いスペードの描かれたトランプの箱を差し出す。「昔マジックの練習用に買ったやつだ」と言うと爆笑された。
 カードを半分に分けての大貧民(あるいは大富豪)が始まった。相手の手札が全部わかるという勝負。僕はAが三枚とQが四枚というのがめぼしい役で、彼女は2とKが三枚ずつ、それからジョーカー。ローカルルールも革命もナシね、覚えられなくなっちゃうから。そう言いながら彼女はどんどん無造作にカードを出す。勝つ気がない。序盤で二人ともAと2のスリーカードを使う。手札が少なくなってきた頃、勝たせてあげようと僕は最後の2を場に出した。ジョーカーが来ると思っていた。
「パス」
 彼女が言って場が流れる。それからあっさりと僕が勝った。ジョーカーは最後まで出されなかった。元々手札に入っていなかったのだ。
「ジョーカー持ってると思ったのに」そう言ってお互いを見て、二人で爆笑する。もう何がおかしいのかもわからなかった。笑いすぎて彼女はカーペットに倒れこんだ。
「ジョーカーがあると思ったのにー……」
 寝転がったまま彼女が小さくうめく。
「なんで入ってなかったんだろ。どっか失くしたんだろうな」
 覗いてみてもトランプの箱は空だった。そのうち彼女の呼吸がすうすうと心地よいリズムをとり始めたので、僕は煙草に火をつける。それから書きかけの短編小説のことを考え始めた。けれど気がつくと、ぴったりと身体に添った七部袖のニットとタイトジーンズを身につけた彼女のすんなりした身体つきを眺めていた。染めた長い髪が自分の部屋の床に広がっているのを見るのは結構気分がいい。
 どうしようかな、と一瞬考えた。でも結局考えるフリに終わる。実際にやるよりも文章に書いてしまえばいい。それが僕のいつもの癖だ。
 
 僕が小説を書いていることを知っているのはこの世に彼女だけだ。
 というか、僕に興味らしいものを抱いているのもほとんど彼女だけだった。常に一人で行動し、講義の合間には本に読み耽る僕に彼女が話しかけてきたとき、僕は相手の名前さえうろ覚えだった。ただ同級生だということと、男にだらしないという噂だけ知っていた。
 少しずつ仲良くなり、最初に一緒に飲んだのは夜の大学の中庭で、そのうちに僕の部屋に場所を移した。僕たちは最初から不思議なくらい馬が合った。周りからは色々噂もされたが彼女にはいつも彼氏がいた。僕はわざわざ彼氏のいる女の子に手を出す趣味はなかったし、彼女はそれが気に入ったらしかった。恋愛感情にさえ気をつければ、気の合う異性どうしはお互いのちょうどいい「隙間」になれるのだ。
 小説を書いている、という話になったのはたぶん酔っ払っていたせいだ。鼻で笑うだろうと思っていたが彼女は意外にも食いついてきた。
「そういうのって、どうやって書くの。いつ思いつくの。どのくらいかかるの。どこかで公開したりするの」
 酒の勢いで新都社を教えた。忘れるだろうと思っていたのに、翌日彼女は僕の作品を見つけようと小説作品を読み漁ったがわからなかったと報告してきた。「それでいいよ」僕の答えに彼女は不満げに口を尖らせる。
「知りたいのに。どうして隠すの」
「恥ずかしいことだからだよ」
「小説を書くのは恥ずかしいことなの?」
「俺にとってはね」
「そういうのって余計に見たくなる」
 見つけてみなよ、とだけ僕は答えた。彼女はそれからもこまめに新都社にアクセスしているようだったから、もしいくつかの小説にコメントが増えていたらそれは僕の功績かもしれない。
 僕のいかにもメロウな趣味を彼女が笑わなかったのは、僕が彼女の男性関係についてまるで責めなかったからだと思う。誰にでもその人特有の弱みがある。でもそれをうまく距離をとって注意深く扱える相手はそれほど簡単には見つからない。
 
「ジョーカー」
 彼女が突然呟いた。寝ていなかったらしい。
「ジョーカーっていいよね。そんな感じでありたいよね」
 完璧に酔っている。「そうだね」と僕は相槌をうってピスタチオの殻を剥いて食べる。
「誰とでもペアになれるし、単独でも強いし」
 そう言って彼女は唐突に黙る。僕は黙って煙草を吸い続ける。「煙草吸うのやめてよ」彼女が言う。「嫌だよ」「臭いから嫌いなの」「ここ、俺の部屋だよ」「でも今は私がいるでしょ」「彼女でもないのに」
 彼女がむくりと起き上がる。心なしか少しまぶたが腫れぼったい。
「彼女って何。彼女って、煙草やめさせる権利のある人なの」
「いや、まぁ、そうじゃないけど」
「わかってるわよ。吸ってていいわよ。単なる八つ当たりだから」
 そう言ってから、少し黙ったのち彼女ははっと目を光らせる。
「よしわかった」
 何が? 訊かない。酔うといつも以上に脈絡がなくなるから。でも構わず彼女は続ける。
「お葬式をしよう、お葬式」

 真夜中、秋の半月の曖昧な光とぼんやりとした街灯の照らす道を二人で並んで歩いた。彼女はトランプとビールの缶と数冊の成人向け雑誌と古いトレーナー(勿論僕のだ)とゴミ箱に入っていた得体の知れないゴミたちを袋に詰めて手から下げていた。僕は煙草を吸いながら、缶ビールを二本持ってついていく。
 近所の公園はそれほど大きくない。滑り台、二つ並んだブランコ、砂場。それでも夜の公園は不思議な奥行きを持っている。別の世界が重なっているみたいに空気の層が分厚くて、音や光が妙に懐かしい。
 彼女は広場の真ん中にバランスよくゴミを積み上げ、「ライター貸してよ」と手を伸ばした。
「缶は燃えないと思うけど」
「知ってるわよ。なんとなく持ってきちゃったの」彼女は山から缶を取り除く。
 雑誌を破りとったものをねじり、その先にライターで火をつける。グラビアページにあっという間に火が点き彼女は慌ててそれをゴミの山の下に差し込んだ。どうせロクに燃えないだろうと思っていたのに、予想に反してゴミは結構大きく燃えた。彼女はその辺に落ちていた枯れ枝を持ってきて火に投げ込む。パチパチと爆ぜる音がして、火は僕の膝くらいの高さまで燃え上がり、ゆらゆらと踊った。
 持ってきたビールを二人で飲みながら炎を眺める。炎は日常のくせに非日常だ。見ていると不思議なくらい落ち着いて、同時に高揚する。何かが浄化されるような錯覚。
「これが葬式?」
 僕が尋ねる。彼女は頷く。
「踊ろうかなぁ」彼女が言って、何歩か跳ねるように歩いた。「火が燃えてると、無条件で踊りたくなるよね」
「あんまり訊きたくないけど」
「うん」
「別れたの?」
 彼女は缶ビールを地面に置く。それから一度空を見て、右腕をすっと上に伸ばして、上半身をゆっくり傾けていく。ジーンズに包まれた左足が地面を離れる。「あ、無理」彼女は笑う。「酔いすぎててバランス取れない」
 彼女は起き上がると、唐突に助走をつけて火の傍の空のビール缶を思い切り蹴った。それは気持ちよく宙を飛んだ。彼女が叫ぶ。
「ファッキンビッチが豚とやってろ!!」
 ひどい餞の言葉だ。
 呆れた僕の視線を感じて、彼女はこちらを見て笑う。中身の残った缶ビールを拾い上げ、勢いをつけて座り込みながら僕の腕を引っ張る。仕方なく僕は一緒に腰を下ろす。
 少し先で、ゴミが燃え尽きようとしている。葬式のために供された僕の部屋にはびこっていた哀れで惨めな不要物が、全て灰に変わっていく。妙な臭いがたちこめ始める。もし警察が来たらどう説明すればいいんだろう。
「言い訳はさ、あなたが考えてよ。小説書いてるんだから」僕の思考を読み取ったらしい彼女が言う。
「アマチュアだよ」
「それでも」
 彼女は僕の肩に寄りかかる。たぶん初めてのことだと思う。ゴミはもう灰の塊になり、あちこちが僅かに朱色に発光しているだけだった。
「お葬式くらいしたっていいじゃない」拗ねたような声だ。
「あなたの小説みたいなものよ。誰だって、自分のやり方でこういうことする権利くらいあるの。好き勝手に、でもなるべく周りに迷惑をかけない方法で」
「うん」
「私は今日死んでやるの。生まれ変わるの。このくらいはつきあってよ」
 僕は何も言わずにビールを飲み続ける。そして考えていた。僕が小説を書いているのは何かを埋葬するためなのだろうか。
 そうなのかもしれない。結局のところ、僕が彼女に自分の書いたものを読ませられないのは、全部が言い訳に過ぎないという自覚があるからだ。現実に対して素直に欲望を抱けなくなった人間の歪んだ逃げ道。どこにもいけない自己充足の行為。
 やがて彼女が寝息を立て始める。炎はとうに燃え尽きている。公園はひどく静かだ。なぜか、たった今、葬式が始まっているのだという予感がした。僕は煙草を消す。月の光が空間を満たす。それから少しだけ息を止め彼女と一緒に眠っているフリをして、月夜の埋葬に参列した。

       

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