Neetel Inside 文芸新都
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文芸秋の三題噺企画
お題③/フライングアイラブユー/近松九九

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お題
ボルトフライング

彼女の心のえんがわは、誰もむしゃぶりつけはしない


 2011年8月28日。世界陸上競技選手権大会にて、かの有名なウサイン・ボルト選手がフライングをして失格になった。
 同日。某県某市のとある公立高校にて、親友であるジミー・吉沢こと吉沢時実(よしざわときざね)がフライングをして失恋に至った。
 前者はフライングスタート。後者は言うなればフライングアイラブユー。全然上手くないか。まぁいいさ。
「大事なのはオマエが恋愛対象としてレイの眼中にないってことだ。ハハハ、ザマァ」
「うるせぇ、リック! 言っておくが、てめぇだって、レイの眼中にはないんだからな!」
 僕――唐須賀陸(からすがりく)をリックと呼ぶこいつは、僕にとって幼馴染の親友だけど、同時に恋敵でもあった。小学生の時から、ずぅっと、同じく幼馴染である雲井玲(くもいれい)を取り合う、ライバルだったんだ。
「まぁた負け惜しみを」
 僕はリック得意の言い訳が始まったと思ってにんまりと笑って見せた。「言っとくけど、最近レイは良く僕んちに来るんだ」
「知ってるよ!」
「レイから聞いたのかい?」
「そうだ。聞きたくなかったよ!」
 ジミーには悪いが、僕は内心、勝利の喜びに震えていた。長年募らせてきた純な想い。それがようやっと叶うのだ。もう敵はいない。抜け駆けの負い目もない。最高さ!
「まぁまぁ、ジミー。たかが女ひとり掴み損ねたぐらいでそんなに落ち込むなよな!」
「――フンッ」
 ジミーが僕を一瞥し鼻で笑う。なんだ? 何か引っかかるぞ。
 僕はもう完璧にレイという女を掴んだはずなのに……。
 彼女と僕は幼馴染。家は隣同士。うちは父子家庭で、親父も僕も料理が苦手だから、昔からよくレイが夕飯を作りに来てくれていた。レイは魚料理が得意だった。僕が「旨い」と言うと優しく微笑んでくれた。中学の時は一緒に天文部に入った。うちの二階にあった親父の望遠鏡を使って、二人して星を眺めた。僕が「楽しいね」と言うと、レイも楽しげに微笑んでくれた。高校になって最初のころは照れがあったのか、あまりうちにやってこなかったけど、時折クッキーやケーキなどの差し入れは持ってきてくれていた。僕はそれを毎回きれいに平らげた。「全部食べた。最高だった」と言うと、レイは照れくさいのか、パッと顔を伏せて帰っていった。僕はそんな彼女を見送るのが好きだった。最近ではまた昔のようにうちに遊びに来るようになった。時々ではあるが、うちの客間に泊まっていくことすらあった。そこまで心を許してくれるのか、と感動した。忍び込んでやろうかと思ったこともあったが、彼女からの信頼を壊してしまうのは嫌だったので、僕はおとなしく部屋で寝ていた。いや、ビビりってわけではない。信頼は大事だ。
 もう僕の勝利だなと確信した。ジミーには悪いが圧勝である。フフフ。
「ジミー。悪いが僕に負ける要素なんてないよ」
 僕はジミーにレイとの思い出話を語り聞かせた。ジミーは時折悔しそうに呻いていた。
「――というわけさ、ジミー。僕の勝ちだ」
 僕は言って、さぁレイに告白しに行こう、と立ち上がった。 
 そんな僕の手をジミーがぎゅっと掴んだ。なんだよ、と腹が立った。
「おい、リック。落ち着いて聞けよ」
「うるさいなぁ。僕は君よりは落ち着いてるつもりだよ」
「――あのな、レイは……レイが好きなのはな……」
 ジミーがごくりとつばを飲み込む。奇妙な緊張感が胸を締め付けた。
「レイが好きなのは――オマエの親父だ」
「はぁ?」
 何を言ってらっしゃる、ジミーさん。とうとう、とち狂ったか。
「狂ってなんかねぇよ。レイが言ってたんだ。『リックのお父さんを――唐須賀空好(からすがそらよし)さんを愛しているの』って」
「いやいやいや……」
「嘘じゃねえって。オマエ、思い返してみろ。レイとオマエとの思い出には、全部親父さんが関わってる。夕食も、望遠鏡も、お菓子も。っていうかお菓子に関しては完全にお前の勘違いだろ! レイは親父さんに食ってもらいたかったんだ。それなのにオマエは全部一人で食いやがって……そりゃあレイも顔を伏せるさ! 涙くらい流すさ!」
「え!? ――え!?」
「くそぅ、くそぅ、くそぅ! こんなのありかよ! オマエとの友情なんて知るかって思いでフライングアイラブユーをしたってのに!」
 同じこと考えてやがる、と僕は混乱する思考の中でふと思う。
「オマエの親父。フライングしすぎだろう……いつからだよ……早すぎるよ……敵うわけねぇよ……」
 親父は今年で40。結構若いがいいオッサンである。対してレイは18歳。
 ウソだろ……犯罪じゃねぇかよ。
「近いうちに結婚するんだってさ、レイと、オマエの親父」
「は!?」
「結婚。マリッジ。れっつごーはねむーん!」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「二人にしてみりゃ、もう十分すぎるほど待ったんだろ」
「う、嘘だぁぁぁぁあああああ!!!!」
 僕は叫んだ。
 涙が流れた。
 思い当たる節があるから――。
 眼をそらしてきた事実があるから――。
 悔しさと、哀しさで、胸が張り裂けそうだった。
「レイが……僕のお袋に!?」
 考えられない。考えたくない。
 でも、ふと、思ってしまった。思いついてしまった。
 レイは雲みたいな女だ。確かにそこに在って、美しいのに、近くまで行くと、霞んで掴むことができない。遠くから眺め楽しむことしかできない、もどかしい存在。
 そんな雲を捕まえることができるのは、ただ一つ。広々とした空だけ。年上の、頼もしく、大きい、慣れ親しんだ、男だけ。
 唐須賀空好。うちの親父。
 くそぅ……結婚か。
「――彼女の心のえんがわは、誰もむしゃぶりつけはしないってことか。うちの親父以外はな!」
 彼女が親父と結婚すれば、名字は変わる。
 雲井から、唐須賀に。
 そうなれば、彼女の名前はこうなる。
 唐須賀玲。
 そう、カラスガレイ。
「くそぅ……我ながら、上手いじゃないか……」
 カラスガレイとえんがわをかけた、上手い文句。
 笑えよ!
 笑ってくれ!
 出遅れすぎた僕を、誰か笑ってくれよ!

 こんなことなら、フライングでもしとけばよかった……。
 少なくともボルトは、試合に負けても、勝負には勝ってたんだから……。










       

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