2011/9/10

「ジー……ツクツクツク……ボーシ! ツクツクボーシ!」

 セミ人間の一日は朝鳴きから始まる。
 忠生がセミ人間と化してから一週間。始めのうちはセミの真似をして鳴く事に抵抗を感じたが、徐々にセミ人間としてのセミの部分を受け入れ、今ではすっかりこなれた鳴き声を上げていた。

「ツクツクボーシ! ツクツクボーシ! ツクツクボーシ!」
 腹部に力を込め、流暢なリズムを刻む。今の忠生の鳴き声は、子供の頃の夏休みに聴いたツクツクボウシの声と全く同じ、いや、それ以上の美しさを孕んでいるかもしれない。忠生はそんな自分を誇らしく思った。

「うるせえぞ! ツクツクボウシは午後から鳴け!」
 不意に隣家の窓が開き、そこから隣のおっさんがハゲた頭を覗かせて声を荒げた。
 忠生は最後に「ジー……」と鳴き、渋々朝鳴きを終えた。

 ハゲたおっさんが怒る理由も分かる。自分も他人の鳴き声を延々と聴かされれば、次第に腹が立ち、最後にはノイローゼになってしまうだろう。セミ人間の鳴き声はそれだけの威力を持っている。だからこそ、鳴き声を上げることが気持ちいいのだ。人間だった頃の忠生には、溜まったものを発散する手段がなかった。都会は人間にとってあまりに狭く、急に大声を上げれば、途端に変人扱いを受ける。だが、セミ人間なら自宅の庭で堂々と鳴く事ができる。忠生は出来ることなら朝から晩まで鳴いていたかった。
 この場でくすぶっていても仕方がない。忠生は朝食を調達しに行くことにした。

 忠生はセミ人間であるから、それはすなわち人型のセミであり、食事もセミ式にとる。忠生は手頃な樹木を捜し求め、ストリートを彷徨った。いくつか樹木を見つけ、口をあててみたが、既に樹液は涸れており、なかなか朝食にありつけなかった。

「やはりメインストリートは駄目だ」忠生はそう呟いて横道に逸れた。しばらく進むと、一本の立派な樹木があった。試しに吸ってみると、まだ樹液が残っていた。空腹だった忠生は一気に吸い取ってしまいそうになったが、セミ人間にとって食事は、鳴く事に次ぐ楽しみなので、よく味わって吸った。
 忠生が舐め回すように吸っていると、樹液の匂いを嗅ぎつけてきたのか、スーツを着た男性が現れた。

「相席、いいですか?」
 スーツの男性が言った。

「あ、どうぞ」
 忠生はそう答えながら、礼儀正しい人だな、と思った。大抵の人はこんな立派な樹木を前にすれば、一心不乱に無言で吸うか、先客を脅して独占してしまう。ここまで謙虚な人は珍しかった。この人もメインストリートからあぶれてきたのだな、とも思った。

「この樹液、美味いですねえ」スーツの男性が笑顔を向けて言った。忠生もぎこちない笑顔を作り、「なでしこジャパンのプレスより上手いですね」と言った。スーツの男性はずっと同じ笑顔で忠生を見つめていた。忠雄は顔を赤らめながら、外したな、と思った。

 そのまま沈黙が続き、スーツの男性は最後に「ありがとう」と言って、股間から液体を噴射した。スーツの男性は樹液を外に排泄しただけだと言ったが、どう見ても小便だった。
 忠生は緊張してあまり樹液を吸えておらず、スーツの男性が去った後も引き続き樹木にむしゃぶりついていた。

 そこへ、老婆が現れた。老婆は「液、ええですか?」と遠慮がちに言った。

「あ、どうぞ」
 忠生は礼儀正しい老婆にそう言って、やはりあぶれ者は人の痛みを知っているのだな、と思った。
 老婆には歯が無いようで、必死に樹液を取り出そうとしていたが、この大木には歯も立たず、食事を諦めかけていた。

「よかったら、お手伝いしましょうか?」
 忠生が見かねて言った。常日頃から面倒見がいいわけではない。この寂れた場所の空気と、晴れ渡った空が、忠生をそうさせていた。

「ええんですかい、ほらも、ええ、お願いします。ええ、すみません」
 老婆が申し訳なさそうな様子で答えた。忠生は手伝いを持ちかけたことを、軽率だったかなと思い直した。この立派な樹木から樹液をとるには、頑丈な歯で穴を開けながら吸い取るしかない。しかし吸い取った樹液を入れる容器は見当たらないし、まさか老婆の手に吐き出すのも失礼に思えた。
 忠生が考えあぐねていると、老婆が口を開いた。「あの、無理でしたらええんです。わたい、もっと細い樹木を探しますさかい」
 このまま老婆を帰してはあまりに失礼だ。忠生に残る人間としての部分が、行動を起こさせた。忠生は樹液を口いっぱいに含み、老婆に――接吻をした。そのまま舌を入れて徐々に樹液を流し込んだ。老婆は一言も声を発しないが、肩を抱いた手の平から、老婆の熱が伝わった。火照っている――生まれて初めての接吻に酔いしれた忠生は、一回りどころか、四回り、下手をすれば五回りほど歳の離れた老婆との接吻で、不覚にも勃起していた。
 全ての樹液を流し込み、接吻を終えると、老婆は俯いたままゆっくりと駆け出して行った。忠生はその後姿をとろんとした目で見送りながら、悪いことをしたかな、と思った。こういう時、忠生に残る人間としての感情を邪魔に感じる。もし完全にセミであったなら、今のような行為に対し、背徳感を感じることもなかっただろう。セミ人間であるということは、常に断崖絶壁の頂点に立たされているようなものだ。少しでもバランスを崩せば闇に落ちる。セミ人間はそんな中で生きている。

 忠生はしばらく呆然としていた。どれぐらい経っただろうか、忠生が樹木の方を振り返ると、若い女性が立っていた。
 艶のある黒髪をなびかせ、髪と同じく真っ黒なサスペンダー付きミニスカートを穿き、夏には不釣合いな真っ白な肌を覗かせていた。以前の忠生であれば気おじしてしまうほどの美少女だった。しかしつい先ほどファーストキスを済ませた忠生は、自信に満ち溢れていた。

「あの、この木」振り返った忠生と目を合わせた美少女が、口を開いた。更に続ける。「涸れてますね。美味しそうな木なのに、残念」
 どうやら老婆に与える為に吸い出した樹液が、最後の樹液となったらしい。

「本当に美味い木でした。この辺りなら、まだ他にも同じような木があるかもしれません」
「飲まれたんですね、いいなあ……あの、私、この辺の道に疎くて……よかったら、一緒に探しませんか?」
 意識してかせずか、美少女は上目遣いで言った。

「ええ、いいですよ。僕もまだ飲み足りなかったところです」
 表面上は紳士的に振舞っていたが、老婆との接吻によってもたらされた勃起は未だ収まらず、美少女の真っ白なふとももにちらちらと目を遣りながら、更に股間が充血するのを感じていた。

 忠生もこの辺りを訪れるのは今日が初めてで、どこに樹木が生えているのか検討もつかない。しかし、忠生は少し歩いただけであんな立派な樹木を見つけたのだから、勘を頼りに進めばいくらでも発見できる気がした。忠生は、「僕についてきてください」と大見得を切り、歩き出した。美少女もそれに続く。

「セミになって何日目なんですか?」
 忠生が気まずさを解消する為に訊いた。

「二週間です。あ、あの……」

「忠生です」
 忠生は美少女の言わんとしていることを察し、したり顔で答えた。忠生はこのような、物語で行うような自己紹介に憧れていた。だから予行演習はばっちりだった。

 美少女が困惑した表情で言う。
「あ、私は有希です。それで、あの……そっちの道には、木はありませんでしたよ」
 忠生は完熟トマトのように真っ赤になった。
「どうやら暑さで記憶が曖昧になっているようです。有希さんは他にどちらの方角を探されましたか?」

 有希は、耳まで真っ赤な忠生の顔を見て、くすりと笑った。
「そっちの道だけです。向こうへ行ってみませんか?」
 忠生は、「はい」とだけ答えて、有希の横に並んで歩き出した。
「シャンシャンシャンシャンシャン……」遠くの方でクマゼミ人間が鳴いていた。

 今度は有希の方から話を振った。
「私、メインストリートの方から来たんですけど、あの辺にはもう殆ど樹液が残ってませんね」
 セミ人間の増加に伴い、樹木の不足が深刻化していた。セミ人間は樹液しか飲まず、他の食料で生きていくことはできない。徐々に高まる樹液需要。現在では樹液をめぐって殺蝉事件に発展することも珍しくなかった。

「僕達セミ人間にとっては、それが生命線ですからね。その点人間は気楽なもんだ」
 人類の中には、まだセミ人間と化していない人間もおり、あらゆる場所で人間とセミ人間が共存していた。セミ人間になったからといって、生活が大して変わるわけでもない。見た目も人間と全く同じだし、会話もできる。今までと同じ社会を保つために、毎日同じ仕事をするし、仕事終わりに人間との付き合いもある。表面上は何も変わっていなかった。

「人間っていいですよねー。好きなものを食べれますし。飲み会なんかに出席しても、セミ人間は空腹で皆の話に相槌を打ってるだけなんですよ」
 忠生は有希を一目見た時、まだ少女の幼さを感じたが、もう酒が飲める年齢なのだろうか、と思った。

「忠生さんは仕事の付き合いで飲みに行ったりします?」
「いえ、無職ですから」
「あ、そうなんですか。いいですね、無職」
 忠生がまだ人間であったなら、有希の言葉を嫌味と受け取っていただろう。忠生自身、以前は無職であることに負い目を感じていたし、そんな自分に憤りすら感じていた。しかし、セミ人間となった今なら、有希の言葉を素直に受け取ることができる。今の忠生は人間が定めた無職というカテゴリからはみ出し、ただ、樹液を捜し求めている。もしセミ人間にならなかったら、有希のような有職とは、会話すらままならなかったかもしれない。

 一時間ほど歩き続けただろうか、二人の前に、大きな樹木が現れた。
「これは期待できますよ」そう言った忠生に対し、有希は頬の汗を拭いながら「やりましたね」と笑った。
 二人は早速樹木に吸い付いた。しかし、樹液は一滴も出ない。何度か箇所を変えて試みたが、一向に樹液は出ない。
「この辺りの木も吸われちゃってるんですかねー、あはは」
 有希は少しがっかりした様子で空笑いした。その時、忠生は舌で甘さを感じた。
「ひょっとだけありまふぃあよ」そう言って口を開いた忠生の舌には、樹液が付着していた。忠生は有希の肩をそっと抱き、少し間を置いて有希の反応を確かめた。嫌がる素振りを見せないので、キスをした。ねっとりと舌を入れ、有希の舌に絡めた。有希が舌伝いに樹液を飲んでいく。ついでに口内を舐め回した。
 樹液の甘みが消えた。このままキスを続けたかったが、キス目当てで樹液を与えた卑しい男と思われては適わないので、忠生は名残惜しそうに顔を離した。
「あ、ありがとうございます」
「いや、いいんですよ。僕は先ほどの木で割りと飲みましたからね」
「その、美味しかったです……」有希が頬に手を当て、照れた様子で言った。

 もし二人が人間であれば、今頃自分はぶん殴られていたかもしれないな、と忠生は思った。忠生にもそれぐらいの分別はある。ただセミ人間としての本能が、忠生を大胆にした。
 それから、忠生が微かな樹液を吸いだした樹木を更にかじり回したが、樹液は二度と出なかった。

 二人は歩き続けた。道すがら何本かの樹木を発見したが、全て涸れていた。最初に見つけた立派な樹木から樹液を吸いだすことが出来た忠生は相当幸運だった。あてもなく歩き続けるうち、辺りはすっかり黄昏れた。
「日が暮れてきましたな。これ以上暗くなると蝉狩りに合う」
 人間の若者達が、樹木を守る為だと言い張り、セミ人間に暴行を加える、蝉狩りなるものが横行していた。セミ人間の見た目は人間と変わらないし、内面的な違いもそうないのだが、人間は名目があればいくらでも残酷になれる。一時期流行った親父狩りと似たようなもので、彼らはただ憂さを晴らす為だけにセミ人間を迫害していた。
「そうですね。でも、私はもうちょっと探してみます。忠生さんは帰り道、分かります?」
 忠生は子ども扱いを受けたことに少しムッとしたが、有希がここまで樹液に執着する理由の方が気になった。
「有希さんはいつから飲んでないんですか?」

 有希は見透かされたようで、そんな自分が惨めになり、はにかんで答えた。
「一週間ぐらいまともに……でも、大丈夫です。元々小食ですし、あはは」
 空笑いが虚しく響いた。忠生には無職で過ごすうちに身についた図太さがあり、この一週間、樹液に困ることはなかったが、有希は恐らく他のセミ人間と樹木が被る度に、相手に譲っていたのだろう。
 忠生は少し考え、決心した。
「あの、僕が今から言うことを黙って聞いてください」
 有希は忠生の改まった口ぶりに疑問を覚えたが、黙って従うことにした。忠生からすれば、今からおかしなことを言うぞ、という合図であった。
「僕は今、我慢しています。小便をです」
 有希は黙って聞いていた。
「セミ人間の小便は殆どが樹液です。その、不純物も混じりますが、それを差し引いても充分食料になり得るはずです。そして、僕は有希さんに死んで欲しくない。だから――僕が出すものを飲んでください」
 今が夕暮れ時なのは幸いだった。真っ赤に染まった忠生の顔は、夕日が隠してくれた。
 表情一つ変えず、忠生の言葉に耳を傾けていた有希が、にこりと微笑んだ。
「ありがとう。今日出会ったばかりの私にそこまでしてくれるなんて、凄く嬉しいです」
 有希は心の底から感謝していた。それを提案した忠生も、不純な気持ちは、ほんの少ししかなく、有希を救いたいという気持ちが大部分を占めていた。
 忠生は黙ってカチャカチャとベルトを外し始めた。キスをした時とは違い、性的な興奮よりも、気恥ずかしさの方が勝っていた。あのキスはただの自慰行為だった、忠生はそう感じ、より一層恥ずかしくなった。
 有希の前に、忠生の一物があらわになった。
「あの、生憎容器がないので、シャツか何かに染み込ませましょうか」
 有希は忠生の言葉に答えず、目の前の一物を優しく咥えた。
「あっ」忠生の声が漏れた。初めての経験と快感に、視界がぼやけた。少し前から小便を我慢していたので、後は絞り出すだけだ。だが緊張している忠生は、思うように出すことができなかった。
「すみません、すぐに出します故」
「焦らないれ、ゆっくいでいいれふよ」
 そう言って、一物を撫でるように舌を這わせてきた。いらぬ刺激を与えれば別のものまで出てしまうことを、有希は知らないのだろうか。かまととぶっているだけなのだろうか。そんなことを考えているうちに、緊張がほぐれてきた。口から溢れないように、少しずつ小出しにした。その度に有希が吸い付いて、喉を鳴らした。
 忠生は次第に昂ぶる官能を感じた。これでは企画もののAVではないか、忠生は邪念を振り払った。有希は目を閉じて美味しそうに喉を鳴らしている。よっぽど腹が減っていたのだろう、一滴も残すまいと、必要以上に吸い付いてくる。忠生の一物が膨れ上がった。有希は驚いたように短く声を上げ、上目遣いにちらと忠生を見た。忠生の顔に広がる赤さは、有希に伝染し、ほんのりと頬を染めた。涎を垂らしながら顔を赤らめる有希を目の当たりにし、忠生の顔は更に熱くなった。
 次第に尿意がおさまる。忠生がいくら力んでも水分は出なくなったが、それでも有希は哺乳瓶を吸う赤子のようにちゅーちゅーと音を立てて味わっていた。忠生も気持ちが良かったので、有希が離れるまでこのままにしておこうと思った。
 その時、遠くの方からバイクのエンジン音が聴こえた。この音には聴き覚えがある。事態を察した忠生はすぐさま有希を引き離し、ズボンも上げずに、有希を草むらへ引き込んだ。

 (続く)