Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 取材を終えた俺は、近場の公園に腰掛けながら気だるい気分でタバコを吸う。すぐ近くの街路樹では初夏のセミが鳴き、眩しく熱い陽気がむしろ苛立たしかった。
 やっぱり、“旅人”の肉親に取材なんて望んでするものじゃないと思う。しかもこれがまだ二件も残っているのだ。なんていうかもう、いい加減にして欲しい気分だ。
「っとにさあ、嫌々で取材する側の気持ちにもなってみろよ……」
 俺の鬱屈とした呟きは、誰の耳にも届くことなく虚空へと消えた。

 難渋さに難渋さを重ねていたゲテモノをさらに不吉さでサンドイッチしたような予感は的中し、大月夫妻への取材は非常に重苦しい雰囲気の下で執り行われることになった。
 まず、俺が名乗った辺りからもう夫婦の表情が曇ったのである。母親の方は瞬く間に気まずそうな表情になり、父親の方はこちらを睨むように見据えてきた。
 ――おいおい、なんで俺が睨まれなきゃいけないんだよ?
 先ほどまでの苛立ちをぶつけるような思いで、しばらく黙って立っていた。
「あの……やっぱり、今回の話はなかったことにしてもらえないでしょうか?」
 やがて、母親の方がおずおずとした様子でそう言った。死にかけた蚊の立てる羽音のように、消え入りそうな声色。
「あれから色々と考えたんですが……やっぱり雪輝のことを思い出すと……辛くて……」
 やっとといった風にそれだけを口にすると、母親は今にも泣き出しそうな表情で顔を俯かせた。父親の方は相変わらず口を硬く結んで俺のことを睨みつけている。まるで俺が二人の息子を連れ去った張本人だと言わんばかりの態度である。
 なんだよ。これじゃあまるで俺が悪者みたいじゃねえか、ふざけんな。
 俺は思わず顔をしかめて舌打ちしたくなったのをグッと堪えた。
 そもそも俺だって、こんな胸糞悪い取材なんてやりたくねえんだよ。だけどしょうがないだろうが、これが仕事なんだ。俺だってナオに“旅”立たれる前は仕事を選べる余裕はあったんだ。だけどナオがいなくなって自暴自棄になってた間に落ちぶれて、今や飯を食ってくだけで精一杯なんだ。分かるか、辛いのはお互い様なんだよ。
 だからさあ、頼むからさっさと終わらせようぜ、こんな糞くだらねえ茶番はさあ。
 ――トウヤくんは、やさしい人ね。
「私のことを非難されたいお気持ちは本当に良く分かります」
 俺は胸に渦巻く黒い感情を丹念に奥へと追いやると、一介の記者としてあるべき態度で慰めの言葉をかける。
「大事な息子さんが失踪されてから長い間帰っていないというだけでお辛いでしょうに、馬の骨とも知れない赤の他人にその当時のことを思い出しながら話さなければならないというのは、想像を絶する辛さだと思います」
 俺だったら、こんな上っ面な言葉をしたり顔で吐き出す奴の鼻っ面を今すぐにでもぶん殴ってるくらいには。
「しかし、私としても今回の取材を通して、大月雪輝くんを始め、“旅人の雲隠れ”によって姿を消した人々の消息の手がかりを少しでも掴めればと……」
「ただのゴシップ雑誌じゃないかっ!」
 黙って立っていた父親が、むき出しの剣のような敵意を込めて口火を切った。
「あんたらの雑誌見たぞ。あることないことを面白おかしく書いて、それで低俗な連中のウケをとって売り上げを伸ばすことしか考えてないような最低の雑誌じゃないか。そんな雑誌に文章を書くような奴が、雪輝のことを本気で調査しようとしてくれてるなんて、一体誰が考えると思ってるんだ? 我々を舐めるのも大概にしろっ!」
 グウの音も出ないほどの正論だった。
 むしろ、この父親は紳士的だと言ってもいいくらいだろう。例えば俺のように、目の前の憎たらしいゴシップ記者の鼻っ面を殴り飛ばしたりはしない。
 しかし、俺としてもこのまますごすごと引き下がる訳にはいかないのだ。何故ならこれは仕事で、これをやらないことには満足な飯にありつけないからだ。
「我々の雑誌がそのように思われるようなものであることは否定出来ないと思っています……しかし、少なくとも私個人としては、そのような雑誌の中でも、ほんのわずかでも今回の失踪事件の真相を見つけ出すきっかけになればと思い……」
「それで雪輝のことを面白おかしく書くというのか? 冗談じゃない。そもそもあんたらみたいなろくでなしに、真相なんて大それたものが見つけられると思ってるのかっ!」
「ですから、未熟ながらも少しでも真相に近づこうという努力は……」
「努力? はっ、あんたらみたいなろくでなしがどんな努力をするって言うんだ? あることないことでっちあげて雪輝のことを面白おかしく書いて、それで少しでも部数を伸ばそうっていう努力か?」
「っ! 違うっ! オレ……私は……!」
「俺はな、あんたみたいなろくでなしが何よりも嫌いなんだ! あんたみたいに、面白半分でいい加減なことを言いふらして書きなぐって、人の気持ちを踏みにじるようなクズがな! あんたみたいなクズだって、家族か誰かがいなくなってみれば少しは……!」
「俺だって恋人に“旅”立たれてんだよ!」
 ついに我慢が利かなくなった俺は、気がついたら二人に向かって怒鳴り散らしていた。顔を真っ赤にして興奮していた父親も、ひるんだように沈黙する。
「俺みたいなろくでなしなんかに懸命に寄り添ってくれて、俺も本気で一生愛していこうと決めてた、そんな恋人に“旅”立たれてんだ! そんな俺が、どんな思いでこの取材をしてるか分かるか? 少なくとも、あんたらは俺よりは上等な人間なんだろう? だったら分からないなんて言わせねえぞ! それとも、俺みたいなろくでなしの気持ちだったら踏みにじっても構わないっていうのか、ああっ? 黙ってねえでなんか言いやがれっ!」
 もはや仕事とか取材とかそういう公的な意識は全部吹き飛び、身も世もなく自分の感情を思い切りぶつけた。
 しばらくして正気に戻った俺は、二人の表情を見て自分のやらかしたことを認識し、精一杯の誠意を込めて「お見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした」と深く頭を下げた。二人は、何も言わなかった。
「……上がってください」
 気まずい沈黙がしばらく続き、取材の続行は不可能だと悟った俺がこの場を辞しようと口を開こうとしたその時、母親がそう言った。
「緑!」
 父親が咎めるような声をあげたが、母親は「良いのよ」と首を振る。
「だって、他にどうしたらいいのよ? 警察もなにも当てに出来ないっていうんじゃ、縋れるものを選ぶわけにいかないでしょ」
 父親は言葉に詰まらせた風に顔をしかめる。
 俺の方に向き直った母親は、聞いていられないくらいの弱々しい声色で話を続けた。
「私としてももう、どうしたらいいか分からないんですよ。どうしたら、雪輝が帰ってきてくれて、許してくれるのか……今回のあなたの取材で、それがほんの少しでも分かる可能性があるというのなら、私はそれに縋るしかないんです」
 深々と頭を下げる母親。
 実に悔しそうにギュッと目を瞑る父親。
 それらを黙って見つめる俺――ろくでなし。
「だからお願いします。今更、雪輝がどんな雑誌にどう書かれても構いません。ですがどうか……どうか決してこの取材を無駄にはしないでください。雪輝を、他の行方不明になった人々を救い出すためのの肥やしにしてください――あなたの、恋人さんのためにも」
 ――トウヤくんは、やさしい人ね。
 違うよナオ。俺は心の中で強く首を振る。
 俺はなんて最低なんだ。矜持もなにもない、最低な人間なんだ。だからこうして人を傷つけるんだ。こうしないとおまんまにありつけないからという卑しすぎる理由で。
 俺は他にどうしたらいいかも分からずに、ただ一言「分かりました、善処します」と答えるしかないのだった。

「っとに胸糞わりぃ……!」
 俺は先ほどまでの取材のことを思い出して舌打ちをしながらメモ帳を開いた。
 大月夫妻への取材は、少なくとも玄関先での剣呑なやり取りよりは穏便に進んだ。父親はほぼ無言を貫いていたが、母親は俺の質問に対して淡々と、しかし俺の眼を見ながらはっきりとした声色で答えた。それをおよそ一時間。しかし、その時間に見合った内容を得られたかどうかは、はっきり言って疑わしい。
 とり合えずまずは失踪者――“旅人”の基本的なプロフィールを挙げる。
 大月雪輝(おおつき・ゆきてる)。失踪当時は十七歳で高校二年生。続柄は長男で、両親の他に六歳の弟がいる。当たり前といえば当たり前だが、取材時には適当な口実をつけて外に追い出していたために不在だった。
 失踪以前は都内トップクラスの進学校に通っており、学年でも十番内に入るくらいには優秀であったらしい。さらにサッカー部にも所属しており、順調に行けば間違いなくエースナンバーを背負うことになっていただろうとのことだ。まるでマンガの主人公のような話であるが、母親の口ぶりに嘘を言ってる様子は見受けられなかった。
 小学校の頃は気弱でイジメにあうような子どもであったが、小学校を卒業する頃には見違えるほどに逞しく成長し、人間的にも周囲から一目置かれるようになっていた。
 前向きかつ勇敢でありながら、ふと立ち止まって冷静に物事を考えられる思慮深さも持ち合わせている。普通なら逃げ出してしまうくらいに困難なことでも真っ向から立ち向かい、それでいながら弱っている人間に手を差し伸べ、肩を担いで一緒に歩いてあげられる優しさと強さをもつ少年。
 さらに顔写真を見せてもらったのだが、快活で真っ直ぐそうな雰囲気の中にも深い知性を感じさせる、文句なしの眉目秀麗であった。まさにマンガの主人公をそのまま現実へと持ってきたような少年なのである。
「母親の私としても、真っ直ぐに誇らしく思えるような子どもでした」
 母親はどこか悲しそうに微笑みなながら言ったものだった。
 このように、雪輝は非常にできた少年だった。しかし、高校二年生になった辺りで、決定的に道を踏み外すことになる。
 不純異性交遊を始めとした様々な問題行動を起こしたことを理由にサッカー部から自主退部すると、ますます問題行動を繰り返すようになり、ついには学校にもほとんど通わなくなり、家にも帰らないようになってしまった。そして池袋の不良集団と絡むようになり、彼らと共に軽犯罪行為を繰り返す日々を送るようになる。にも関わらず最後まで退学処分にならなかったのは、曲がりなりにも高校屈指の成績を誇っていたことと(問題行動を頻発するようになってからも、学年トップの学力はキープしていたのだ)、決定的な犯罪行為を行わなかったことにある。いや、正確にはそのような行為を行っても、彼だけは決して尻尾を出すことがなかったのだ。彼のグループの構成員が大量に検挙されるような事態に陥っても、彼だけは絶対に捕まったりはしなかったのである。
 このように、家族としても学校としてもどうにも手のつけようがなくなっていた時、全く何の前触れもなくそれらの問題行為が息を潜めることになる。
 一切の不良行為を止め、普通に学校へと通い、家にも帰るようになったのである。
「ごく普通に夕食の食卓の席についた時は、本当に目の前に座る子が雪輝かどうかすら疑わしくなりました」
 母親がそう語ったのも無理がないくらいには、本当に大人しい態度だったそうだ。むしろ、下手な優等生よりもよっぽど優等生らしかったくらいだそうである。
 一度、サッカー部の部員たちに呼び出され、酷いリンチを受けた際にも一切手を出さなかったくらいである。
「ケンカしてる時のゆっきー、マジやばかったっすよ。普通にケンカしてもハンパなくつえーのに、武器なんて持ち出したらマジ手が出せなかったっすね。つえーっつーのもあるんすけど、それ以上に武器使うのにマジでチューチョとかしないんすよあいつ。気絶してる奴をバットで何度も思いっきりぶん殴ってた時なんか、そいつ死んじゃうんじゃないかってマジでビビったっすね。っていうかオレたちが止めてなかったらぜってーコロしてたっすよあれ。殺気ハンパなかったっすもん」
 この後、雪輝がつるんでいた不良グループの元メンバーに当時の話を聞くことになるのだが、雪輝のことを話す彼は本気で戦慄しているようであった。
 そんな彼がいきなり真っ当な優等生へと豹変したら、例え親であっても不気味に思うのが当然だと言えるだろう。
「今から思うとあれは、雪輝なりの罪滅ぼしだったのかも知れませんね」
 雪輝が久々に夕食の席についてから十日後。
 彼は何も言うことなく“旅人”となった。
 感謝と謝罪の意、そして“旅人”になることを書きつづった置き手紙だけを残して。
「母さん、今までごめんな」
 夕食の席を辞する時に言った謝罪の言葉。
 これが母親の聞いた最後の言葉だった。
 文字通り最後の晩餐となったその日の席、彼は大好物であるハンバーグを本当に美味しそうに食べ、そして照れくさそうに母親の分を半分ねだったのだそうだ。それを食べてる時の嬉しそうで――しかし何故かほんの少しだけ悲しそうに見えた表情と、ぼそりと呟いた「すげえ美味えや」という朗らかな言葉が今でも忘れられないのだという。
「雪輝が謝ることなんてなかったんですよ」
 母親は膝の上に置いていた拳を強く握りながら苦しそうに言った。
「私だって親ですから、なんで雪輝がああなってしまったかということは知っていたんです。でも、あの子の苦しみはそんなことじゃ手の施しようもなくて、私なんかじゃどうしようもなかったんです……!」
「一体なにがあったんですか?」
 ただならぬ様子の母親に、俺はここぞとばかりに身を乗り出して問いかける。
「それは……」
「教えてください。それは恐らく、とても重要な情報だと思います。そこからもしかしたら、雪輝くんの行方が……」
「それを知ったところで、あんたがどうこう出来るというのか?」
 ここまでずっと黙り込んでいた父親が咎めるように口を出してきた。
「それともなんだ、その重要な情報とやらで雪輝を面白おかしく書くつもりなのか?」
「そ、そんなつもりで聞いたんじゃ……!」
「あなた!」
 母親の一声で父親は口惜しそうに押し黙る。
「すいません……今でも、あの時のことを思い出すだけで動揺してしまうんです……ですがもう大丈夫です、お話しましょう」
「緑、お前……!」
「いいのよ……それにどうせ、ニュースにも大きく取り上げられたことのある“事件”なんです。私たちが話さなくても遅かれ早かれ知ることになるでしょう」
 父親は唸るように俺のことを睨みつけていたが、やがて舌打ちをしながら顔を背けた。
 母親は俺の方に向き直り、俺の眼をはっきりと見据える。はっきりとした覚悟を決めた人間の目。俺はその迫力に負けないようにグッと腹に力を込めた。
「ですから、あくまで私の見知った限りでよろしければ、その“事件”について全てお話します。それが、雪輝を見つけ出す重大な手がかりになるということを信じて」
「……ご協力感謝します」
 俺は目の前の強い母親に最大級の敬意を払うように、深々と頭を下げたのだった。

“修学旅行中3児童大量殺傷事件”
 それは確かに、一時期――今からおよそ五年前に世間の耳目を大いに集めた事件だった。
 東京都の某区立中学校の就学旅行先である京都の旅館内で、加害女児を含む女子児童五名がナイフによって死亡。加害女児と目される児童は被害者四名を殺害した後、自らの首をかききって大量出血死をとげたとされる。
 事件そのものの衝撃度が高かったこともあったが、それに加えて加害女児が被害者のグループからイジメを受けていたこと、そして就学旅行の日まで不登校だったこともあり、事件直後はイジメ・不登校問題の病理を反映した事件として連日報道される騒ぎとなった。
 しかしここで重要なのはその事実ではない。
 実を言うとその事件の第一発見者は、他でもない雪輝なのである。雪輝は、まさに最後の被害者が加害女児の手によって崩れ落ちていくところを目撃したのだそうだ。
 加害女児、大島晴香(おおしま・はるか)は雪輝とはいわゆる幼馴染の間柄であり――そして彼女は、まさに雪輝の目の前で自らの首をかき切ったのである。
「俺の心の傷なんて霞んじまうよなあ、“旅人”のことを取材するとさあ……」
 俺はうんざりしたようにため息をついた。
 そもそも、命がけで“はるか遠くの世界”へと旅立った人間の背負ってるものなんて、それ相応に重たいに決まっているのだ。そうじゃなかったら、何にも知らないか底抜けに想像力の足りないクソ馬鹿だ。
 しかし、これが“旅人の雲隠れ”解決の決定的な手がかりになったかというと、残念ながら非常に疑わしい。「“旅人”になる人間の大多数は重たすぎる何かしらを背負っている」という今更過ぎる事実への裏づけになったくらいだ。五人に一人くらいの割合で存在する“何にも知らないか底抜けに想像力の足りない”手合いを除けば、凄絶なトラブルとトラウマに満ち満ちた複雑人生の見本市みたいな有様なのである。
「期待、裏切っちまったなあ……」
 父親の怒鳴り声と母親の懇願の声が頭をよぎり、何とも情けない思いが去来する。しかし一方で、取材者のこういう態度に慣れ始めている自分がいる。そもそも、これ以上に気まずく、これ以上に困難な取材をした経験なら大分存在しているのである。要するに、自分自身の心の傷の問題なのだ。
 大体の傷は、時間が経つにつれて少しずつ癒えていく。例えそれがどれほど深くとも、例えどれほど忘れがたくとも。

       

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