Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 ……いい加減、物思いにふけるのはよそう。
 吸っていたタバコを靴のかかとでもみ消し、ベンチから立ち上がったその時、俺の目の前にサッカーボールがコロコロと転がってきた。
 反射的に足で受け止めて拾い上げた俺は、ボールの転がってきた方を見る。そこには、六歳くらいの少年が少し離れて立っていた。わざわざ言うまでもないことなのだろうが、このサッカーボールはこの少年の物だろう。
「ボールかえして」
 言われなくてもさっさと返すつもりだった。俺は少年にボールを差し出そうとするのだが、ふと少年の顔を眺めた時、思わず手が止まってしまった。
 何故なら、少年の容姿にただならぬ既視感を覚えたからだ。しかも、本当につい最近に見たようなそれ。
 幼さゆえでもあるのだろうが、元気に満ち溢れてるような快活で真っ直ぐそうな雰囲気が漂っていて、それでいながら賢そうなところもうかがわせる、幼さを差し引いても整ったように思える容姿……。
 ――もしかして、この子が……。
「ねえ、ボールかえしてよ」
 少年の苛立たしそうな声。それで我に返った俺は、苦笑いを浮かべながら「ああ、ごめんね」とボールを差し出した。
「ねえ、ちょっといいかなっ!」
 ボールを受け取り、そそくさと立ち去ろうとした少年の背中に向かって俺は呼びかける。振り返った少年は、苛立ち半分胡乱気半分といった表情でこちらを見つめ、「なに?」とそっけなく応えた。
「いや、一人でなにやってるのかなーって思ってさ。サッカーの特訓?」
「……わるい?」
「いや、悪くないけどさー。ただ、サッカーの特訓なら、一人でやるよりもお友達とやったほうがいいんじゃないかなって思ってね」
「きょうはゆうすけのやつ、かぞくででかけちゃったからいないんだよ。ゆうすけじゃないと、あそびになっちゃうし」
「へー、真面目にやってるんだねー」
「……ねえおじさん、もういっていい?」
 いい加減うんざりしたように少年が言ったので、俺は慌てて、
「いやいや悪かったね。ただ、サッカーの特訓をやってるんだったら、おじさんが相手になってあげられんじゃないかなって思ってさ。おじさんこう見えても、高校生の時にサッカーをやっててね、結構上手かったんだぜ?」
 これは出任せではなく、本当の話である。全国にいくような強豪校にいたわけではないが、あまり有名じゃない高校でキャプテンをやっていて、部内では段違いに上手かった。
 相変わらず胡乱気な表情を浮かべる少年に、俺はにっこりと微笑んで「ボール貸して」と言った。
 少年はしばらくこちらをじろじろ見ていたが、やがてライオンに餌を与えるような慎重さで俺にボールを差し出した。
 ボールを受け取ると、俺はその場でリフティングを始めた。なんだか自慢臭くなるので詳細な描写はしないが、それでも久々にやる割には結構何とかなるものだなとは思った。とはいえ、流石に座りながらやったり背中に乗せてコロコロ転がしたり、といった曲芸じみたことは出来ないので、普通に無難なリフティングをやっただけではあるのだが。少年は最初、普通に感心した様子で見ていたのだが、百回目に差しかかった辺りで飽きだしたので、俺はリフティングを止めてボールを地面に置くと、少年から距離を取った。
「よしじゃあ、俺と勝負するか」
 勝負という単語に、少年はピクッと反応して俺の顔を見た。やっぱりこの年頃の男の子は勝負という単語に弱い。
「俺はこの場から動かないし、時間はいくらでも使っていい。反則じゃなきゃ何をやってもいい。だから俺からボールを奪ってみろ」
 挑発するようにニヤリと頬を緩めてそう言うと、果たして少年は俺のことを睨むように見つめてきた。
「……いったね? うごかないって」
「ああ、少なくともドリブルはしない。この場でボールをキープしてるから、お前はただそれを奪いとるだけでいい。簡単だろ?」
「うん、かんたんだね。すげえかんたんだ」
 そう言うと少年はおもむろにこちらに駆け出し、一直線にボールに向かってスライディングをしてきた。ちゃんと俺の足ではなくボールに向かっていて、六歳にしては非常に鋭くて様になった良いスライディングだ。
 ――六歳児とはいえ、流石に“弟”なだけはあるな。
 しかし全くもって想定の範囲内の行動だったし、軌道もいささか直線的過ぎた。だから俺はほんの少しボールを身体ごと横にずらすだけで簡単に回避出来た。
「初っ端からスライディングとはあまり感心しないぞ、少年。今のが試合なら間違いなく抜かれてるぜ?」
 完全に面食らったような表情でこちらを見上げる少年に、俺はニヤニヤと笑顔を向ける。すると次第に、俺に対する敵意のような闘争心が少年の瞳に浮かんできた。
「どうした? ビビッたんならもう止めてやってもいいんだぜ?」
「うるせえ! いまのはこてしらべだ! ぜってーうばってやるっ!」
 そう叫ぶやいなや、少年は俺に向かって猛然と駆け出してきた。今度は無計画なスライディングなんて打ってこないだろう。この子がサッカーが好きというだけの幼児のレベルじゃないことは、さっきのスライディングの完成度で良く分かった。
「そんじゃ、俺もほんの少しだけ本気出してやるよっ!」
 気がついたら俺は自然と笑っていた。六歳児相手とはいえ、本当に久々にやるサッカーにだんだんと楽しくなってきたのである。
 俺はあくまでこれが仕事の一巻であることをすっかり忘れ、しばらく純粋に楽しくサッカーに興じたのだった。

「はあ……はあ……くっそー、ボールにカスりもしねーとかマジむかつくっ……!」
「いや……お前ガキにしちゃ相当上手いよ……はあ……はあ……結構ヤバかったところも結構あったし……ぶっちゃけると途中から本気出した……」
「ホントに?」
「少しだけな」
「“ほんの”がとれただけじゃん……! ……はあ……はあ……」
 気がついたら一時間は経っていた。
 俺と少年はお互いに体力を使いきり、俺はベンチに息を切らしながら腰掛け、少年は地面に横たわっていた。
 ここ数年まともな運動をしていない、タバコと酒に塗れた身体は結構あっという間に悲鳴をあげたのだが、それでもこの疲労と息切れの感覚は悪くない。爽やかにサッカーに身を投じていた頃のことを思い出す。
 結果だけ言えばこの勝負は俺が勝った。
 いや、少年よりもずっと年上で体格もよく、曲がりなりにもサッカー経験者だった俺が六歳児に負けるなんてことはあってはならないのだが。それでも、この少年が相当に上手かったことも事実だ。
 俺の身体の動きに惑わされることなく、きっちりとボールの動きを追おうとしていたし、身体の動かし方もとても六歳児とは思えないほどに本格的で洗礼されたそれだった。結構危なかったという場面も本当にあったのだ。
「でもおじさんホントにサッカーうまいね」
 しばらくして息の整った少年が、屈託のない笑顔を向けてきた。
「くやしいけどてもあしもでなかったよ……あー、おれだってこのへんじゃおれよりずっとでっけーしょうがくせいとかにもまけねーのに……すげーショックだっ……!」
「んなことねーよ。むしろお前の年の奴が俺を相手にここまで食い下がれるのは相当すげーことなんだぜ? マジ自信持っていいぞ」
「マジで?」
「マジで」
「……へへっ、そうかな……?」
 少年は鼻の下を指で擦りながら、とても照れくさそうに笑った。
 目の上の者とはいえ、さっきまで自分のことをコテンパンにしていた人間にも真っ直ぐな笑顔を向けられ、素直な賞賛も出来る。
 改めて、この子は上手くなるなと思った。
 ――そして出来ることなら、仕事抜きでこいつとサッカーがやりたかったな、とも。
「ねえ、ところでキミの名前を教えてもらっていいかな?」
「おれの……? ああ、おれはおおつきはるきっていうんだ」
「大月……?」
 いかにも自然を装った驚きの声。しかし見る者が見ればいかにもわざとらしく見えるのであろう、演技の驚愕。
「ひょっとしてキミ、大月雪輝くんの弟なんじゃないの?」
「うん、そうだよ」
 もちろんこれはそんなことは承知の上の、正確に言えば絶対的ともいえる確信があっての問いかけだった。
「ひょっとしておじさん、アニキのことを知ってるのか?」
「知ってるっていうか……むしろ雪輝くんのことを知りたいのはこっちなんだよね」
 怪訝そうな表情を浮かべた大月少年に、俺は事情を説明する。
 俺はフリーライターで、今回の雑誌に寄稿する記事が“旅人の雲隠れ”に関するものであること。そして少年の兄である雪輝くんがその“旅人の雲隠れ”に関わっている可能性が非常に高いので、さっきまでその両親への取材を行っていたこと。
 つまり大月少年に話しかけ、わざわざサッカーまでやったのはただの酔狂でもなんでもなく、こうして警戒心抜きに雪輝の弟である大月少年に話を聞くためだったのである。
「良かったら、知ってる限りで、雪輝くんの話を聞かせてもらっていいかな?」
 俺は「なるほどなー」と変に感心したように呟いていた大月少年に向かって聞いた。
「はるきくんが最後に雪輝くんを見た時のこととか、それよりも前のこととか……」
「うーん……っていっても、おれアニキのことぜんぜんしらないんだよなあ……おれのとうちゃんとかあちゃんからはなしをきいたりはするんだけど……」
「例えば、どんな話を聞いたの?」
「そうだなー……あっ、そういえばおれのなまえをつけたのはアニキだってはなしはきいたことあるなー」
「そうなの?」
「おれ、かんじかけるぜ」
 必要以上に自慢げな様子で胸を張ると、大月少年は指で地面にその名前を書き始めた。
 大月晴輝。
 率直に、良い名前だと思った。
「なんか、どうしてもこれがいいっていって、つけてもらったらしいんだよね」
「どうしても?」
「うん。なんか、とうちゃんとかあちゃんにないておねがいした、ってきいてる」
「泣いて……? 理由とか聞いてる?」
「うーん……なんか、よくわかんない。きいたこともないしさー」
 ――ふうむ……。
 印象的といえば印象的なエピソードではあるが、これ以上の情報を得ることは難しそうだった。知らないことは、話しようもない。
「他に、なにか聞いてる話とかない?」
「うーん……そうだなー……」
 後の話は、さっき彼の両親から取材で聞いたようなものばかりであった。
 雪輝が失踪したのが三年前、逆算すると晴輝少年は当時三歳だったはずだ。むしろ、何かを期待するほうが間違っていたのだろうと、自分の迂闊さに少しだけ呆れた。
「……晴輝くんが最後に雪輝くんにあったのはいつ? その時のことを覚えてる?」
 だから、この質問にも有力な情報をあまり期待していたわけではなかった。
 しかし、春輝少年から返ってきた言葉は、余りにも予想外なものであった。
「うん、はっきりおぼえてるよ」
「ふうん……え?」
 淡々とメモ帳にペンを走らせていた俺は、その言葉でハンマーで殴られたような衝撃に眼を見開いて晴輝少年の顔を覗き込んだ。
「ねえ、それ本当に言ってる?」
「な、なんだよきゅうに? ホントだよ」
「それ、いつの話?」
「うーんっと……たしかおれがさんさいのときで、アニキはげんかんにいて、どこかにでかけようとしてたんだよ」
 戸惑った様子で後ずさる晴輝少年を尻目に、俺は俺でますます狼狽していた。
 もしかしてこいつ……!
「その時、雪輝くんどこかに“旅”に出るとか、しばらくずっと帰れないとか、そんなことを言ってなかった?」
「うん、いってたよ。“たび”にでるから、しばらくかえってこれないって」
「一緒に雪輝くんについていったりはしていない?」
「してないよ。そのときよるおそくてねむかったしトイレにいきたかったし、そとにでたりしたらかあちゃんととうちゃんにおこられるっておもったから」
「本当にそれが最後なんだね? 本当にそれから雪輝くんを見てないんだね?」
「だ、だからホントだってば。なんだよ、さっきからおじさんこわいよ」
 間違いない。俺は一つの確信に至った。
 晴輝少年は、“旅”に出ようとしていたその瞬間の雪輝のことを目撃している。
「その時の話、出来る限り詳しく聞かせてもらえないかな?」
「うーん……でも、そんなにいろいろとはおぼえてないんだけど」
「いいからっ! すごく重要なことなんだよ、これはっ!」
 俺は思わず晴輝少年の肩を掴んで揺さぶった。しかし、流石に今にも泣き出そうになっていたのを見てとった俺は、慌てて「ああ、ごめんな」と少し気まずい思いで手を離した。
 これですっかり脅えてしまった晴輝少年は、それでもオズオズとながらもその時のことを語り始めた。三年前、しかも当時は三歳だっし、何よりも脅えていたこともあって、大分つっかえたり途中で唸って言葉が止まったりしてあまり要領を得なかったのだが、それでもまとめると大体こうなる。
 その時、小用を催した少年は眼を覚まし、両親を起こそうとしたのだが起きなかったので、一人でトイレに行こうとベットから抜け出した。この家では就寝後は家の明かりを全て消すのだが、この時は玄関の電気がついていて、しかも物音もしたのである。どうしたことだろうと、恐怖心よりも好奇心の方が上回った少年は、眠い意識を引きずりながら玄関に向かった。すると果たしてそこに、今にも“旅”に出るべく家をたとうとしてた雪輝がいたのである。その時、晴輝少年には夢心地に思えたのだそうだ。
「そのときすごくねむくって、なんかよくわかんないけどアニキがぼーっとたってるっていうふうにみえて、なにやってるのかなーっておもってはなしかけたんだよ」
 そして雪輝は驚いたように振り返り、晴輝少年のことをジイッと見つめたのだ。晴輝少年はその時のことを振り返って、まるでお化けを見つけたような表情だったと話した。
 晴輝少年の「おにいちゃん(その時はそう呼んでいたのだそうだ)どうしたの?」という問いかけにも答えることなく、黙って晴輝少年のことを見つめていた。どうやら震えていたようだったと、晴輝少年は言う。
 ――やっぱり、雪輝もそうだったのか。
 俺はその時の雪輝を思うと苦々しかった。
 彼もまた、ナオや数多くの“旅人”たちと同じように、気が狂いそうなほどの恐怖と、それでも宿願のために旅立たなければならない絶望の混沌の中にいたに違いないのだ。そしてそこに、彼の未練――涙を流してまで名づけることを欲した弟がやってきたのである。しかも、“この世界”と“旅人”との最後の境界線と言える、自宅の玄関で。
 そして旅立つ時のナオもそんな気持ちだったんだろうなと思う。手紙を読めば分かる。恐怖と絶望に身を震わせながら誰にも救いを求めることも出来ずに、“旅人”の世界へと歩いていったのである。
「もう少し、その時の様子を聞かせてくれないかな?」
 だからこの質問は、一つの不毛な裏づけに過ぎなかった。「“旅人”になる人間の大多数は重たすぎる何かしらを背負ってい」て、それ故に例え絶対的な死が待っていようとも、わずかに残された“宿願”に向かって旅立つのだという裏づけ。
「すごく怖がってたとか、そういう様子は見られなかった?」
「うーん、こわがってたっていうか……うん。

 なんか、すごくかっこよかった」

 だから、そんな風に晴輝少年がそう言ったのを聞いた時は、心の底から耳を疑ったのだ。
「かっこ、よかった……?」
「うん。なんだかアニキ、すごくどうどうとしてて、ホントにかっこよかったんだよ」
「いや……だってさっき、震えてるみたいだったって……!」
「うん。だけど、オレとはなしてるうちにふるえがとまってね、カチコチになってたかおがすげーかっこいいえがおになったんだよ」
 ――なんだよそれっ……!
 俺は思わず愕然とするやら、憤然とするやら、自分でも良く分かってない激しい感情に襲われざるをえなかった。
 俺の知ってる限り、今までそんな“旅人”なんていなかった。全てを知って“旅人”となったその誰しもが、“旅人”にならなければならないその運命に絶望し、その世界に恐怖せずにはいられない連中だったのである。どれほど強固な宿願があろうとも、自らの旅立つ世界に絶望せずにはいられない。それが、“旅人”になるということじゃなかったのか。
「その時、雪輝くんはなにか言ってたりはしてなかったか?」
「……うん。いって……うあっ!」
「なんてっ! なんて言ってたんだ! 答えろっ! 答えろおっ!」
 気がつけば俺は再び晴輝少年の肩を掴み、彼が六歳の子どもであることを忘れて、思い切り前後に揺さぶっていた。そして、食ってかかるように問い詰めずにはいられなかった。
「やめっ……! わかっ…はな、はなすから……こわ、いた……いたいかっ……!」
 晴輝少年の悲鳴でやっと正気に戻った俺は、真っ赤になっていた顔を青くしながら、「わ、ほ、ホントに悪かったっ!」と、すっかり縮こまった少年を必死になだめた。
「もう一回聞くぞ……その時、雪輝くんはなにか言ってたりはしなかったか?」
 そしてなんとか落ち着いた晴輝少年は、俺の質問に対して堂々とこう答えたのだ。
 先述しておくと、これは「もう帰ってこれないのか?」という主旨の質問に対する返答だそうである。

「この家に再び帰ることはとても難しい。しかし俺は再びここに帰るために、再びこの世界で俺自身として生きるために旅立つのだ」

 もちろん、晴輝少年がこれを一字一句まで正確に覚えていた訳ではない。しかし、少年の話を聞くと、大よそこういうことを言っていたには違いなかった。
「いみははんぶんくらいよくわかんなかったけど……それでもホントにかっこよかったんだ。なんか、せかいをすくいにいくゆうしゃみたいだった」
 勇者。
“旅人”を揶揄するネットスラングの一つ。
 しかし、晴輝少年の見た雪輝の佇まいは、そんな卑下たる意味ではなく、本当に言葉通りの、運命を変革し、宿願を果たすために旅立つ勇敢なる者のそれだったに違いない。
 ――まさにマンガの主人公をそのまま現実へと持ってきたような少年。
 彼は果たして、本当に主人公になれたのかもしれない。“旅人”の宿命に震えていた一少年から、“旅人”の運命に立ち向かい、変革を果たしうる主人公に。
 なあ、ナオ。
 俺は、手紙だけを残し、恐怖と絶望に震えながら旅立っていたナオのことを思わずにはいられなかった。
 なあ、ナオ……いるんだぜ。ナオが、ナオ以外の全てを知って旅立った“旅人”の全てが絶望せずにはいられなかったその過酷な運命を受け入れて、堂々と“旅人”になった勇者みたいな奴がさ……なあ、ナオ、いるんだよ……いるんだよ、ちくしょう……! 誰しもが生きることを諦めたその旅路から、生きて帰ることを固く誓えた奴がさあ……!
 どこか誇らしげに佇んでいる晴輝少年を尻目に、俺はその場に泣き崩れずにはいられなかった。いくら涙を止めようと思っても、胸の中に溢れる思いは止められなかった。
 会いたい、会いたいよ、ナオ……! なあ、絶望する必要なんかないんだ。例えどれほどの恐怖が背後で息を潜めてようとも、それに立ち向かえる人間がいるんだ、いたんだ……だから、お前も絶望する必要はないんだ。そうすれば、お前はきっと宿願を果たせる、人を愛することが出来るんだよっ……! だからお願いだ、お願いだから、前を向いてくれ。俺も前を向くから、だからっ……!
「ね、ねえ、だいじょうぶ……?」
 少年の声で顔を上げた俺はしかし、少年の顔を見ることなく空を見上げた。
 こうして青空を見上げる度に、俺はいつもその最果てまで見渡せないものかと思うのだ。この青空のはるか向こう側には、ひょっとしたらナオが旅する“世界”があるかもしれないからだ。
 そして――俺のこの思いが、かすかにでもナオに届くかもしれないからだ。
 しかし、そんなことはありえない。例え最果てを見渡すことが適っても、俺のこの思いが届くことは適わないのだ。
 絶望と恐怖に震えるナオの姿が浮かび、そしてナオは世界の最果てへと向かって消えていく――絶対的な死へと向かって消えていく。俺はいつも、どうすることも出来ないのだ。
 俺はそれがとても悲しくて空しくてどうしようもなくて、再び顔をうつむかせて泣き咽ぶしか出来ないのだった。

       

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