Neetel Inside ニートノベル
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そこは確かに僕の住み慣れた家だった。住み慣れた家のリビングルームの、ベージュの合皮のソファーの上に僕は寝そべっていた。しかし、何かがおかしい。僕はリビングの四方八方を見渡す。何も変わったところはない。壁紙の色も、天井からぶら下がる蛍光灯も、部屋の中にあるもの全てがいつもと変わらなかった。各自持ち場を離れず、普段通りに存在するという役割を果たしていた。時計の秒針も等間隔に細かく動き、時間の流れであることを証明している。二本の針は4時34分を告げている。―――あれ?
僕は目覚めたばかりの脳細胞を総動員し、感じた違和感の正体が何なのかを考えた。目覚めたばかり、いやそれもおかしい。つい先ほど目を覚ましたのは事実だ。なのに、なんだか「目を覚ました」という気分じゃない。寝て起きた時にありがちな、重力のような倦怠感がない。頭も体も、おかしいくらいにすっきりしている。十分に寝たのならまだしも、1時間、2時間の昼寝の後にこれはおかしい。しかし、確かに僕は眠りにつき、こうして再び瞼を開いているのだ。―――あれ?
違和感は、核心に近づいていた。僕は再び時計を見る。秒針の歩みにつられる様に、長針も牛歩していた。4時35分。脳内映像が、ついさっき、つまりは眠りに落ちる前に最後に見た時計の姿を僕に見せる。4時33分。これではっきりした。僕は一時間どころか、一分程度しか寝ていない。
眠りに落ちた人間が、外因もなしにわずか一分で果たして目覚めるようなことがあるのだろうか。この空間内には強制的に人々を叩き起こすアラームもなければ、それにとって代わる騒音もない。リビングルームには僕以外はいなく、時計の秒針がカチカチなる音が聴こえてくる以外は音という音はなかった。常識で考えれば、このシチュエーションで目が覚めるなんてありえないはずだ。しかしながら、その常識を破ってしまったのは他ならぬ僕自身だ。僕には、眠りにつき、そして目覚めたという確かな感覚が残ってる。まやかしでも思い込みでもなんでもなく、お湯に触れれば熱いと手を引っ込めるような明瞭な睡眠と覚醒の感覚がそこにはあった。

意識は肯定をし、状況はそれを否定する。とにかく異常だった。僕が眠り、そして目覚めたという過程は現実であるにもかかわらず、このうえなく非現実的ことだった。夢のようなことだった。夢。

僕はある仮説にたどり着いた。夢のような、本当に夢のような仮説だ。
僕は、『夢の世界』にいるのではないのだろうか。小町あの子が言っていた『夢の世界』に。
『夢の世界』は眠っている人の世界。現実で眠っている人だけが存在し、彼らは『夢の世界』でも同じように眠っている。しかし、『夢の世界』でも眠らずに、現実でそうしているかのように覚醒し、自由に動き回ることのできる存在がいる。『夢追い人』。
そう考えれば、合点がいく。僕は『夢の世界』に入り込み、この世界で目覚め、今ここに存在しているだ。小町あの子がそうであるように、『夢追い人』として。―――馬鹿馬鹿しい。
そんなはずはない。『夢の世界』なんてあるわけがない。『夢追い人』なんているわけがない。小町あの子の言っていたことはただ戯言で、彼女は不良であるばかりかちょっと頭がお花畑なんだ。眠っていたというのはただの僕の思い違いで、本当は僕はずっと起きていたのだ。ちょっとうとうとしていただけなんだ。そうに決まっている。
僕は芽生えた夢想を打ち払い、強引に自分を納得させようとした。まるで「これは夢なんだ」と言い聞かせるように、現に起きた不可思議な現象に対しての辻褄合わせをした。しかしながら、それでも何か腑に落ちないものがあった。夢想を夢想だと決めつけられる確信が得られかった。

僕はソファーから腰を上げ、ゆっくりと家の玄関に向かうと、期待と恐れを抱きながらその扉を開けた。
ここがもし、夢の世界でないのなら―――誰かがいるはずだ。下校途中の学生、帰宅途中のサラリーマン、買い物帰りのおばちゃん。誰でもいい。目を覚まし、呼吸をし、己の意識がままにその五体を使役している誰かが扉の外にいるはずだった誰かが僕の家の前の歩道を歩き、もしくはそれに沿した車道で車のアクセルを踏んでいるはずだった。

「嘘だろ……」

百聞は一見にしかず。そんな格言が、僕の頭の中をよぎった。

       

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