Neetel Inside ニートノベル
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「見てろ。こういうこともできる。」
小町あの子はこう言うと、部屋の窓をガラッと開けた。そしてフレームに足をかけると、その華奢な体躯でそのまま外へと飛び出した。

「おいっ……!」
ここは2階だ。そこまで高さはないものの、落ちたら重傷は免れない。僕は半ばパニック状態で窓から身を乗り出し、3~4メートル真下の庭先を見下ろした。血を流しうずくまる少女の姿はなかった。

「どこを見てるんだ。ここだよ、ここ。」
前方から、小町あの子の声がした。声の聞こえる方向に目を遣ると、そこには道路を挟んだ向かいの家の屋根で胡坐をかく不良少女がいた。

「どうして……」
「落ちてないかって?跳んだんだよ。ジャンプしたんだ。」
小町あの子は一瞬本気で心配した僕を嘲笑うような、生意気な笑顔を見せ名がら言った。
「どうやって跳んだんだ……助走もなしに……10メートルはあるぞ。」
「簡単に言えば、イメージの力かな。そこの窓から、ここの屋根まで跳んでやるって思えば跳べるのさ。」
滅茶苦茶だ。それだけで、イシンバエワはおろかボルトやカール・ルイスでさえできないような超人芸ができるなんて、狂っている。
「イメージだ。この世界ではイメージさえすれば、大抵のことができる。さっきのモザイクだってそう。『こうしたい』って思えば、現実ではできないことが可能になる。叶ってしまう。それが『夢の世界』。」
「そのまんますぎるだろ。」
「そうさ。でも、ほとんどの人は夢が叶うことに気付かない。寝てるからな。」
「でも、俺はさっき……モザイクかけられなかったんだけど。」
「言ったろ。コツがいるって。でも今のお前ならできるはずだ。やってみろ。」
小町あの子に促されると、僕は先ほど試みたように顔を手で覆ってみた。そして、自分の顔を覆い隠すモザイクを想像する。手をどけると、僕の目にはテレビの潜入スクープ取材のように、一面にモザイクがかかった世界が映し出された。

「ああ、ちゃんとかかってるな。」
「でも、何にも見えないぞ。俺の顔にモザイクがかかったんじゃなくて、景色全体にモザイクがかかったような。」
「黒いレンズのサングラスをかければ真っ暗になるだろ?お前の顔の前にモザイクがあったら、そりゃお前の見るもの全部にモザイクがかかるよ。」
「顔は隠せても、これじゃあ不都合じゃないか。」
「なら、見えるようにすりゃいいだけの話さ。」
「え?」
「モザイクをかけたまま、周りを見たいと思えば見えるんだよ。」
「どうやって?」
「何度も言ってるだろ。イメージだよ、イメージ。あとは気合でなんとかしろ。」
人にものを教える際に「気合でなんとかしろ」と言う以上に不親切な方法はない。腑に落ちないながらも、僕はモザイクごしから景色が見えるイメージをした。困惑する僕を裏切るように、この世界では、そんな精神論がどんな理屈よりも確かな方法論として機能した。
「えっ……見える!見えるぞ!」
「そうか。でもモザイクはかかったままだ。成功だな。」
「……ほんとにイメージすればなんでもできるんだな。」
「『なんでも』ではないけどな。あと、そのモザイク消せよ。今更お前の顔なんて隠す必要なんてないだろ。それになんか気持ち悪い。」
「自分がやれっていったくせに。」
そう言うと僕はモザイクを消し、小町あの子の前に不満顔を晒した。もう僕は息を吸うように自由に顔にモザイクをかけられるようだ。

「おい、部屋の壁を壊してみろ。」
小町あの子の次の命令は、あろうことか反社会的行為だった。
「そんなことしたら、親に怒られる。」
「あとで私が直してやるから、やれ。」
哀れな下僕に焼きそばパンを買いに行かせるような気軽な無慈悲さで、小町あの子は僕に壁を壊せと強要する。しかし生身の僕の身体では壁なんて壊せないだろう。
「これでいいのか?」
僕は勉強机の椅子を持ち上げると、壁に向かって振りかぶった。
「そうじゃない。グーでやれ。拳でだ。」
「そんな地上最強の生物みたいなことできるわけ……」
と一瞬僕は思ったが、すぐに訂正した。ここは世紀末以上の無法地帯なのだ。あらゆる法則が、イメージだけで狂ってしまう。それを先ほど僕は身を以て体感したのだ。
「じゃあ……いくぞ。」
僕は椅子を床に下ろすと、拳を固め気合を入れる。僕の背中では今異常に鍛えらえた打撃用筋肉によって形作られた鬼が啼いているはずだ。
「ッッ!!!」
握力×スピード×体重=破壊力ッッ!!ってそれは違うキャラか。そんなツッコミを入れながら、僕は勢いよく拳を壁に打ち付ける。壁は隕石が当たったかのように凹ま……なかった。

「痛ぇ!!」僕の右手に激痛が走る。全力で壁を殴ったのだから無理はない。ただ壁にはその勢いは全く通用せず、非常にも僕の拳にだけダメージを与えた形となった。
「だっせえ」と窓の向こうで小町あの子は腹を抱えて笑っていた。こうなることを彼女ははじめから知っていたようだった。見事に僕は騙されたのだ。屈辱が痛みに追い打ちをかける。
「なんなんだよっ……!俺ちゃんと壁壊すつもりで殴ったのに……」
「ハハ……イメージではどうしようもないもんがあるんだ。これは一例だ。」
「……どういうことだよ。」
「確かにこの世界ではイメージでメダリストもびっくりの距離を跳ぶことができるし、モザイクだってかけられる。イメージは万能の、無敵の力にも見える。でも制限がある。イメージの力では、物や人を壊したり、傷つけたりできない。」
「えっ!?」
「さっきお前がしようとしたみたいに、椅子とかハンマーとかを使えば壁を壊すことはできただろうな。でも、それは現実でも同じだ。仕組みは私には分からない。分からないが、どうやら『夢の世界』でのイメージの力は、何かに物理的に干渉するときには無効化されるみたいなんだ。」
「つまり……たとえば俺がここで亀はめ波を出したとする。でも、亀はめ波が相手に直撃するときには、亀はめ波は打ち消されるということか?」
「そういうことだ。でも普通に殴ったり、蹴ったりはできる。それが相手に与えるダメージは現実と変わらないけどな。でも普通に殴ることも蹴ることもできないものもある。それは、この世界で寝ている人間だ。寝ている限りは通常通りの物理的な干渉だって受け付けない。」
「アストロンみたいなもんか。」
「ドラクエのやつか?まぁそんなもんだ。一度気に食わない同級生の寝こみを襲ったことがあったんだが、今のお前みたいに殴っても蹴ってもこっちが痛いだけだった。」
つまりは、小町のような野蛮人が『夢の世界』で僕の知らない間に襲ってきたとしても、心配することはないということのようだ。「それは安心だ。」と僕は小声でつぶやいた。
「どういう意味だ?」
野獣のような鋭い殺視線を向けながら小町あの子は聞き返してきた。
「いや、こっちの話だ……ところで、じゃあそのアストロンがかかった寝ている人間の夢はどうやって覗くんだ。」
「それは……」

「それは僕が教えてあげるよ。」
僕の真後ろから、変声機がかかったような、不気味に歪んだ声がした。振り返るとそこには、顔にモザイクがかかった見知らぬ男が立っていた。

       

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