Neetel Inside ニートノベル
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窓際の最後列の席、そこに澤井君はいつものように座っていた。また、いつものように澤井君のそばで岡本が格闘ゲームの話をしている。

角刈りで猫背の、ちょっとがっしりした体系の澤井君。メガネをかけているひょろっとした岡本。
二人はオタク仲間で、いつも一緒に何か話をしている。前から仲良しだったというわけではなく、互いにクラスで浮いてしまった故に、はみ出し者同士つるまざるを得なかった。
おとなしめの澤井君とは対照的に、岡本は喋りだすと止まらない。今日も「メルトダウン」という同人の格闘ゲームについて澤井君に話しているようだった。
岡本は少々空気が読めないところがあるらしく、「メルトダウン」について何も知らない澤井君に対して、堰を切ったダムのように一方的に話しかけている。
それに「うん、うん」と澤井君はただ頷くばかり。何も知らないし、興味がないからそうせざるを相打ちを返す以外にないのだ。
しかし、澤井君はお構いなしに自分の知らない格闘ゲームについて話続ける岡本を鬱陶しがるどころか、どこかうれしそうに彼の話を聞いている。
純粋に人がいいのか、それとも浮いてしまった自分に岡本が話しかけてくれることがうれしいのか。どちらにせよ、澤井君は聞き役としては水準を遥かに超えるパフォーマンスを見せている。

澤井君の席は僕の3列後ろで、空き時間にはいつもこんな光景が繰り広げられている。
新学期になって3か月経ったが、オタクという共通項を持ちながら僕は未だに澤井君と話したことはない。なぜならそれは、僕がアニメオタクという趣味を周囲に隠しているからだ。
もっとも自分はアニメオタクと呼ぶには中途半端な存在である。いや、むしろアニメオタクではない。
イベントに行くこともなければ、関連グッズを買うこともない。ただ、毎週日曜の9時30分に「ゆるゆるエンジェル」を見ているだけである。
強いて、そこに付け加えるなら、自分は「ゆるゆるエンジェル」の主人公美咲たんをかわいい、と思っているだけである。
まるで「3秒たってないから大丈夫」と言って床に落ちたドーナツを口に詰め込むように、自分はオタクではなく、あくまでグレーゾーンにいるにすぎないんだと自分に言い聞かせていた。

結論から先に言うと、朝にパンツを替えずに過ごした一日は何事もなく過ぎて行った。
もちろん、あくまでも外見的には、である。パンツを穿き替えなかった―――この些細な事実が僕にもたらした精神的な作用は、周囲には気づかれない程度ではあったものの、まるで生理が来ないような不安を僕にもたらした。
パンツを替えなかった。ただこれだけで、僕は一日中澤井君と、アニメキャラ―――「ゆるゆるエンジェル」の美咲たんがSEXをしている夢のことを頭から離せずにいた。
これはある種の寝取りであり、寝取られ属性のない僕にとってはいささか不快な夢であった。
もちろん、クラスメイトのSEXを毎晩夢で見せられるというだけでも気分がいいことではない。
毎朝パンツを穿き替えるだけで、そんな不快感にとらわれることなく、僕は普段と変わらない日常を過ごせていた。学校に当の澤井君が居ようが居まいが、夢を見ていたときに穿いていたパンツさえ穿いていなければ、僕はいつもの僕でいられたのだ。
しかし、パンツを替えるという儀式を行わなかっただけで、一日中、監視されているような不快感に苛まれた。イスラム教徒がメッカへのお祈りを忘れてしまったら、ちょうどこんな気分になるだろうか。
不敬な信者を神が戒めるように、僕の頭の中では澤井君と美咲たんが交わるときの喘ぎ声や体液の音が鳴り響いていた。誰しもこういう経験があるだろう。何かを忘れようとしても、かえって強く意識してしまい、結局忘れられなくなる。
そんな悪循環に僕は陥っていった。循環し続けてくれるだけならまだよかったものの、ばつの悪いことにサーキュレーションは僕を更に暗い袋小路に追いやる。

「竜ちゃん、消しゴム落としたんだけど、取ってくれない?」
数学の授業の時だった。隣の席に座っている幼馴染の美幸が僕に小声で話しかけた。

「え?」
「消しゴム、落としたんだけど。竜ちゃんの足元に転がったから取ってくれない?私届かないから」

美幸は僕の幼稚園からの幼馴染で、超絶美少女とまではいかないが、小柄で整った顔立ちをしている可愛らしい女の子だ。
ベタな表現すぎて申し訳ないが、僕とは腐れ縁で小中ほぼクラスが一緒で、これまた妙な縁で隣同士の席に座っている。

「分かったから……」
僕は椅子を少し後ろに引きずると、神戸を軽く落として足元に落ちた美幸の消しゴムを探した。26.5センチのスリッパの横に、確かに角がちょっと減ったMONO消しゴムが落ちていた。
それと同時に、僕はとんでもない事実に気づいてしまう。エレクチオン―――勃起していたのだ。
何が?―――僕のペニスが。どこで?―――クラスで。いつ?―――授業中に。どうして―――……。
瞬時の自問自答。Whyだけには答える勇気がなかった。そんな刹那の自分の代わりに、今僕が答えを示すと……
勃起してしまったのだ。澤井君と美咲たんのSEXのことを、頭の中で考えてしまっているうちに。
自己弁護をさせてほしい。澤井君と美咲たんのSEXに僕は決して性的興奮を覚えていたわけではない。あくまでも不快感を強く覚えていた。
そのはずが、この有様である。じゃあ、どうして?……それは……不快感を覚えながらも、男性としての機能は反応してしまっ……
これ以上の自己言及は控えよう。自ら中から開かないオートロックの檻に飛び込むようなものである。

話を授業中に戻そう。差しあたってのの問題は、隣に座っている美幸にどうやって自分が勃起していることを気づかせないようにするか、である。
彼女の視線は、僕の足元の消しゴムに集中していた。そのフォーカスが上にずれてしまえば勃起に気づかれてしまう。
美幸も頭を垂らして下を向いている状況にある。このまま授業中ずっと頭を下げているわけにはいかないだろう。どこかで頭を上げてしまう。
その時、視線が描く軌道上に、僕の股間が重ならなければいいのだ。そこに気づいた僕は、少々手荒な方法に打って出た。


「よし取るぞ……あっ……」
消しゴムに手を伸ばそうとしたその瞬間、美幸の消しゴムはわずかに動いた僕の足にけられる形で、美幸の足元へと転がっていった。

「ちょっと、竜ちゃん!!」
小さな声で、美幸は軽い憤りを見せる。

「ごめん、ごめん……でも、そっち転がっちゃ俺取れないし」
「分かった、自分で取るからいいもん」
そう言って美幸は自分の足元へと蹴り飛ばされた消しゴムに手を飛ばす。その間に彼女のフォーカスは、安全地帯へと移行する。

わざとではないが(わざとだが)、彼女の消しゴムを蹴り飛ばしたことで美幸の機嫌を損ねてしまった。しかし、勃起に気づかれたときのリスクを考慮すれば、耐えるに値するダメージである。

こうして、僕は一つの危機を乗り越えた。しかしこの日最大の災厄は、誰の目も届かない、無意識の世界で起きた。

       

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