Neetel Inside ニートノベル
表紙

Angels
三話「Angel Dream」

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「おい夢精、面かせよ。」
小町あの子が昼休みに僕のクラスにやってきた。不良少女の登場にクラスは騒然とする。今日も澤井君は学校を休んでいた。死亡説がクラスでは流れている。

「小町あの子!!襲撃か!!」
澤井という片割れがいない間、いつも席に座ってニタニタしている岡本が、小町あの子に突っかかった。どうやら二人は小学校以来の旧知の仲らしい。
岡本は空気の読めない男である。いや、こう言った方が正しいだろう。岡本は自分がどういう目に遭うか予測して行動できない男である。
ひょろひょろとした身体で小町あの子に突進して行ったが、あの子の長い脚から繰り出されるハイキックを顔面に受け床へと崩れ去った。開放する者は誰もいない。

「メガネは割ってねえからな」
ぼそっと小町あの子は呟いた。
「それより、夢精!ちょっと来いや!」
夢精……僕のことである。酷いあだ名で呼ぶものだ。変な名前を両親に付けられた小町あの子と言えども、そんな下品なあだ名を人に付ける権利はないはずだ。
隣で美幸が、おっかな怯えながら僕の方を見る。「竜ちゃん、知り合いなの?」表情は無言でそう物語ってる。僕は頷いた。
小町あの子は僕のカッターシャツの襟を掴み引っ張ると、「ついて来い」とやや小声ながら低く迫力のある声で僕を恫喝した。

「分かったから、掴むなって!」
馬鹿力で襟を引っ張られ、僕は窒息しそうになっていた。引っ張られた襟に引き寄せられる形で、カッターシャツの第二ボタンが喉仏を圧迫する。苦しむ僕の表情を見ると、あの子は僕を開放し、再び「ついて来い」というと教室を去っていった。そう仰られたからにはついていかざるを得ない。
教室内はまだ騒然としている。美幸は涙目で僕の方を見ている。「大丈夫だから」と言い残し、僕はあの子を追いかけた。しかし、「夢精」はないだろう。あだ名として定着する前に、クラスの連中への上手い弁解を考えなくてはならない。

小町あの子は僕を屋上へと連れ出した。空と雲と太陽と僕と彼女以外には誰もいない。一瞬シメられるのではないかと不安になったが、幸いにも彼女にその気はなかった。

「夢、どうなった?」
あの子は僕に尋ねた。

「大丈夫だった。……夢精もしなかった。」
「夢精とかレディの前ではしたない言葉を言うんじゃねえ!」
乙女の恥じらいの叫びとともに、テンプルに拳がめり込む。今度は寸止めすることなく、ジャブをお見舞いさせてくれたようだ。

「……いてて……とにかく、変なことされなかったし、そもそも夢の内容がちょっと違ったんだ」
「ほう」
「部屋の中で俺は寝ていなかった。他の誰かが寝ていた。」
「誰なんだよ。」
「俺じゃなかった。」
「誰かって聞いてるんだよ!」
またジャブが飛び込んできたが、今度はちゃんと腕でガードをした。しかし、ガードした腕が痛い。

「分からない……でも俺じゃない誰かだ。」
本当は美咲たんが寝ていたのだが、アニメキャラが寝ていただなんて言えば小町あの子は馬鹿にするだろう。ここは口を濁すしかなかった。

「そうか……夢ではそういうことはよくあるからな。誰かがいるのは分かるんだが、それが誰なのかは認識できない。別にそれでも夢ってやつは成立するからな。」
「その様子を俺はずっと見せられているだけだった。ナレーション付きで。」
「ナレーション付きで、ねえ。」
「人形劇のように、ナレーションが夢の中で何が起きているかを俺に説明するんだ。」
「当事者ではなかったわけだな。そんで、誰も来なかったのか?」
「ああ。澤井は来なかった。」
「澤井!?」
あ、やばい。時すでに遅し。美咲たんは暈したが、澤井の名前をうっかり口にしてしまった。

「お前、澤井に犯られる夢見てたっていうのか!?」
もはやイエス、としか答えようがない。

「……この変態夢精ホモ野郎が!!」
言葉のジャブが心を打った。

「でもさ、だからと言って俺がホモだとは限らないだろ!?」
「ホモだ」
小町あの子は即答した。

「そうか、俺は同性愛者だったのか……」
「まぁ気にするな。それに私は男同志の恋愛もアリだと思うぞ。気持ちは分からんが。……って冗談だ。」
小町あの子の顔つきが、真剣になった。

「お前がホモじゃないとは言い切れないが……お前の夢は少し他の人の夢と事情が違った。誰かがお前の夢の中に入り込んで、お前の無意識下に働きかけている。」

風が、急に吹き始めた。

     

「他人の夢に入り込む方法をお前は知っているか?」
強い風が屋上に吹く。風になびく小町あの子のミニスカートは、その下の三角地帯が見える見えないのギリギリのラインを行き来していた。小町あの子の表情は真剣そのものだったが、彼女の問いかけはふざけていた。―――んなもん、知るわけがない。
「知りません。」
「まずチャイムを押すのさ。ピンポーンって。玄関空けてくれれば、そのまま入るだけで、返事がないんなら無理矢理ドアをぶち破る。」
「えっ、ちょっと」訳が分からない。
「一緒なんだ。場所を教えてもらって、あとはお部屋を尋ねるだけ。まぁ、普通は部屋の場所まで移動するだけで面倒なんだけど……」
「あのさあ……」手綱をほどいて勝手に先に進んでしまった飼い犬を追いかけるような顔で僕は口を挟んだ。「もっと、分かりやすい説明をしてくれないか?」
「ん?分かりやすく説明してるつもりなんだが。」あの子はきょとんとこちらを見る。
「まず、前提として確認したいんだけど、お前は人の夢の中を行き来できるの?」
「そうだ。私は夢の中を自由に行き来できる。『自由』ってのは違うか。」
俄かには信じられない話だ。つい最近知り合った不良少女が、私夢の中を自由に行き来していると言う。不良のくせに電波じみたことを言っている。易々とついて行けない展開だ。しかし―――
「『信じられない』という顔だな。」
「そりゃ、そんなメルヘンな話をされても。」
「でも、事実として私はお前を夢で救った。お前の夢に入りこもうとしてきた野郎の侵入を防いだ。その証拠にお前は夢精しなかった。違うか?」
確かに、昨夜見た夢の中で、誰かが『部屋』の中に入ってくることはなかった。誰ひとり。澤井は勿論のこと、小町あの子の存在もなかったのだ。
「確かにそうだ。でも、俺の夢の中にお前は出てこなかったぞ。」
「そうなのか……!!それは……」小町あの子は驚きの表情を見せ、空を見上げて何か考え始めた。雲がいつもより速いスピードで流れていた。
「なあ、お前は夢の中で『部屋』の中にいた。違うか?」
「……そうだけど。」
「私は、その『部屋』の入り口までは来たんだ。『部屋』っていうのは……人の頭の中で無意識を司っている場所だ。人によって、お花畑だったり、劇場だったりするけどな。お前の場合は『部屋』だった。その『部屋』の中で起きていることが、夢になるんだ。」
「じゃあ他人の『部屋』に入れば、他人の夢を見れるってこと?」
「ああ、それどころか他人の夢に介入できる。私たち『夢追い』はそういうことができる特殊な人間なんだ。」
『夢追い』……ますます話が電波じみてきた。他人の夢に入り込み、介入する。文字通りの夢物語に苦笑したくなる気持ちを抑えながら、僕はあの子の話を聞いていた。
「私は小さいころから他人の『部屋』に入り込んで、夢を見ることができたんだ。幽体離脱のイメージで考えてくれると分かりやすいんじゃないかな。あんな感じで、意識だけ身体から分離させて、夢の世界を自由に動くことができる。」
「夢の世界?」
「ああ、『夢の世界』だ。私はそう呼んでる。ディズ○ーランドじゃないぞ。」
小町あの子が不機嫌そうな顔で、1時間待ちのスプラッシュマウンテンに並んでいる姿が柄頭に浮かび、僕は吹き出しそうになった。しかし、あくまでもあの子の顔は真剣で、笑ったらまた拳が飛んできそうだ。くしゃみをごまかすような必死さで僕は必死に笑いをこらえた。
「『夢の世界』って言っても、見かけは今いる世界と大きく変わらない。だいたい同じ位置に私たちの学校があるし、駅だってある。お前に昨日聞いた住所に、お前の家もあった。『夢の世界』でも、現実と同じように建物が立ってるんだ。でも、夢と現実には大きな違いがある。夢の世界には眠っている人しか存在しない。」
「それは、どういうこと?」
「私たちは今、『夢の世界』にはいない。なぜなら私たちは起きているからだ。しかし、急にこの場で眠りに落ちるとする。すると、『夢の世界』の学校の屋上には、眠っている私たち二人が急に現れるんだ。」
「つまりは『夢の世界』は現実に眠っている人たちだけが存在する世界で、その世界でも眠っているから人は『夢の世界』にいることに気づかない。でも小町はその世界で自由に活動できるということ?」
「そういうことだ。『夢の世界』に行く条件はただ一つ。寝ることだ。ここまではほかの人間と変わらない。だけど、なぜか『夢の世界』でも眠らずに、起きたまま自由に行動できる。それが『夢追い人』だ。」
「でも、それって『夢の世界』で動けるだけであって、他人の夢をのぞき見するのとは違わないか?」
「『のぞき見』とは人聞きが悪いな。まあ、実質そうなんだけど……でもさっきから風で捲れそうなわたしのスカートの下を見ようとしているお前には言われたくないな。」
そういうと、彼女は吹きすさぶ風で今にも捲れそうなミニスカートを両の手で押さえながら僕を睨み付ける。
「不可抗力だ。」
弁明をしても、鬼の形相は静まらない。しかし実力行使のための両拳は、乙女の純情を守るために忙しく、僕は危うく肉体的制裁を免れた。
「ほんと、不可抗力なんだ。見たいと思ってるわけじゃない。ただ、反射的に……」
「まあいい。その程度は許してやる。でもぶっかけは一生許さないからな。……と話を戻すか。確かに、『夢の世界』を移動するだけじゃ、他人の夢を見ることはできない。まずは、眠っている人のそばに行く必要がある。そうして、その人の中に入り込むんだ。お前のところにも、お前に教えてもらった住所を頼りに行ったんだ。」
あの子がそう言ったところで、昼休みの終わりを告げるチャイムがなった。
「ああ……まだ半分しか話してないんだけどな。お前、授業には出るか?」
それが学生の義務だ―――僕は黙って頷いた。しかし不良の彼女にとってはそれは義務ではないらしい。
「続きはまた今度だ。授業なんてめんどいから私はもう帰ることにするよ。一服した後でな。」
そういうとあの子は胸ポケットからラークを取り出し、加えるとライターで火をつけた。『夢の世界』を自由に行き来する不良少女。嘘なのか、それとも真性なのか。しかし、昨夜、僕は悪夢を見ないで済んだのは事実で、それは彼女の言うとおり彼女のおかげなのかもしれない。
「じゃあな。」
そう言って僕はクラスへと戻っていった。去り際に煙草を吹かせた不良少女の方を振り向くと、一陣の風が吹き通り、気を緩めたあの子のスカートを捲り上げた。顔に似合わない純白の下着が、久しぶりに健全な勃起を僕にもたらした。

     

「龍ちゃん、小町さんとはどういう関係なの?」
午後の授業が終わると、美幸は僕にこう聞いてきた。美幸だけではない。チャイムが鳴るなり、僕の机はクラスメイト達によって囲まれてしまった。小町あの子が昼放課に僕を拉致したことを受け、級友たちは僕が何を彼女にしでかしたか興味津々だった。「小町を怒らせたのか」「カツアゲされたのか」「怪我はないか」など、僕の身を気遣う声が半数を占める中、校内きっての不良小町あの子と普通の中学生である僕という謎の組み合わせに対して、クラスメイト達の中ではいろいろ憶測が飛び交っているようだ。特に彼女が言い放った「ムセイ」という一言に彼らは食いついてきた。

「……ムセイって、夢精なのか?」
色白で少し目つきの悪い青年が、恐る恐る口を開いた。彼の名は武田健二。クラスの中において、僕と最も親しい男だ。彼の父親が整形外科を営んでいるという理由だけで、「セイケイ」とうあだ名をつけられてしまった男である。
セイケイこと武田健二は自分のあだ名に不満を持っていた。「セイケイ」という言葉の響きは、むしろカッコいいと僕は思うのだが、彼はその由来でる父親の職業が嫌いだった。病人怪我人を救う他の医者ならまだしも、恵まれない容姿の人たちからお金を貰い、彼女らの顔の造形を直す整形外科医。セイケイは父親を「顔面詐欺師を生み出す詐欺師」と蔑んでいた。「顔を直して患者さんは幸せになるが、弄った顔に騙される彼女らの未来の恋人たちは不幸だ。」と昔彼は必死の形相で語っていた。彼女たちが払うお金で裕福な暮らしをしている分際でそこまで言わなくても、と思うのだが、そこには彼なりの複雑な事情があった。それは、彼が彼の両親に全く似ていないことだ。厳密に言えば、彼の両親はある時まではセイケイが彼らのDNAを継ぐ存在であるということが誰にでも納得できる容姿をしていたのだが、残念なことに美の匠である彼の父親は、数々のビフォーアフターを手掛けるうちに自身のリフォームをしてみたいという欲望に駆られてしまった。また、彼の夫人である武田母も同様で、気が付けば武田家の家族構成は堤真一似のナイスミドルな父親と、黒木瞳のようなセレブ母、そして目つきの悪い一人息子の三人となった。変わってしまった両親の姿に、セイケイ少年は子供心に複雑感情を覚えた。それは、彼らがセイケイに血と肉を産み与えた両親でありながら、突如そうでなくなったような悲しい気持ちだった。
と、セイケイの家庭事情はこの辺にして、とにかく僕が言いたかったのは彼が自分のあだ名に対して大きな不満を抱いているということである。哀れなことに、いくらセイケイと呼ばれることを嫌がっても、周囲は彼をその名で呼ぶことをやめなかった。こうしてフラストレーションを溜めていったセイケイは、「じゃあ周りにも変なあだ名がつけばいいじゃないか」と思うようになり、いつしか某タレントばりの辛辣なあだ名付け魔と化してしまった。隣のクラスの杉崎という女子の「IKKO」というあだ名は彼の最高傑作である。彼女にそうしたあだ名が付けられた経緯はあえて説明しないでおこう。
小町との一件を聞いてくるセイケイに対し、僕は危険を感じていた。セイケイは小町と僕の関係については興味がなかった。彼はただ、僕に変なあだ名を付けたいだけなのだ。つまる話、彼は小町あの子が僕に対して言い放った「夢精」という単語を、僕のあだ名として定着させようとしているのだ。これは僕の社会的な立場を脅かす危機である。
僕はなんとかこの場を切りにけなければいけない。うまい具合にはぐらかし、彼らがこの一件を忘れてくれるまでやり過ごさなければならない。一番手っ取り早いのはこのまま帰ってしまうことだったが、それでは僕をこうして取り囲むクラスメイト達は納得してくれないだろう。ここは、何か適当なことを言って、形だけでも説明責任を果たす必要がある。

「ああ、あれね……ムセイじゃないんだ、ムセン、無銭だよ。無銭飲食の無銭。駅前の吉野家で飯を食ってたら、外が騒がしくて何かと思ったら引田天光のゲリライリュージョンがやっててさ。俺、セロの番組を毎回録画するくらいマジックに目がないからさ、思わず店を飛び出て見に行こうとしたんだけど、そこを偶然吉野家で牛鮭定食食ってた小町あの子に目撃されちゃって。『お前、並盛の会計済ませてないだろ!なのに店を出るなんてどういうことだ!』ってさ、食い逃げしたって誤解されちゃってさ。もちろんそんな気なかったし、後でちゃんとお会計は済ませたぜ。でも、小町あの子は弁解しても全然こっちの言い分理解してくれなくてさ。俺の顔を見る度、『無銭飲食は犯罪だ!』ってそれから突っかかってくるんだ。なんかああ見えて、反社会的行為には厳しいみたいでさ。自分不良なのにな。」
―――自分不良なのにな(笑)
言ってみて気づいたのだが、やはり無理があった。セロのイリュージョンなんてそもそも見たことがないし、引田天功も駅前には来ていない。かくなるうえは、最終手段。
「セイケイ、つぼみのDVD明日焼いてくるから、楽しみにな!じゃあな!」
強行突破である。
「お、おうじゃあな。」
セイケイはつぼみというAV女優が好きだった。彼曰く「彼女は絶対整形していない」らしい。とりあえず、セイケイに恩を売っておけば、夢精という不名誉なあだ名が付けられるという事態は避けられるだろう。僕は駆け足で自転車置き場へと向かい、明日にはみんな忘れているという希望的観測を抱きながら帰路へとついた。

     

真っ直ぐに自宅に帰ると、僕は一通のメールが届いていることに気付いた。差出人は美幸。そういえば、彼女も僕に何かを聞こうとしていた。ソファーに腰を下ろし、一家の主のように股を拾いでくつろぎながら、僕は携帯の受信フォルダの未読メールをチェックする。件名:無題。本文:まさか、竜ちゃん。小町さんと付き合ってるの?

「いやいやいや。」
思わず僕は声を上げてしまった。幸いにも母はパート、父の帰りは夕暮れ過ぎ。盗聴でもされてない限り誰にも独り言は聞かれていないだろう。
それにしても、僕と小町の交際疑惑まで上がっているとは。たしかに、第三者から見れば、昼放課に僕を連れ出しに来た小町あの子を「愛するダーリンを迎えに来たちょっと強引なハニー」に解釈できないことはない。とは言え実際には僕と小町はついこの間知り合ったばかりで、しかも僕に対する彼女の心象はたぶん最悪だ。仮に恋愛に発展する余地があったとしても、その余地は保健室の一件が見事に塗りつぶしてしまった。精液で。僕は自分は人並みの性欲しかない健全な青少年であると主張したいが、事故とは言え精液をかけられた被害者である彼女にとっては、きっと僕は変出者も同然の存在なのだろう。
では、僕は彼女のことをどう思っているだろうか?
容姿だけで言えば、小町あの子は問題ない。キツイ系統の美人だ。気を抜けば不良だということを忘れて見惚れるほどだ。誰しも彼女の美貌は人類という括りでも上位に入るという事実を認めざるを得ないだろう。しかし、僕はどちらかといえば美人よりもかわいい系の子の方がタイプだ。芸能人で言えば誰で例えればいいだろうか……。いや、僕の好みの女性のタイプを芸能人よりも適した存在がいる。それは言うまでもなく、「ゆるゆるエンジェル」の美咲たん……彼女だ。サラサラとした桃色ロングヘアー。どことなく幼い、愛くるしい笑顔。ロリ顔に巨乳というギャップも忘れてはいけない。そして、そんな彼女を唯一無二の萌えキャラたらしめているのが、多村由加里ヴォイスから放たれる、無邪気な仙台弁だ。
―――町内の皆様を、幸せにするっちゃ!
最高だ。みんなの幸せに奉仕する天使、美咲たん。僕は思わずブラボーと叫んでしまう。そんな美咲たんの前では、小町あの子といえども分が悪い。二次元の天使と三次元のホモサピエンスではそもそも勝負にならないのだ。全盛期のロジャー・クレメンスとリトルリーグの4番が対戦するようなものだ。次元が違えば、トップ同士の戦いといえども結果は明らかだ。
しかしたとえ彼女たち二人が同じ次元に立って相見えたとしても、美咲たんと小町では決定的な差がある。かたや美咲たんは慈愛の天使。一方、小町あの子は暴力不良女。あなたがどちらを選ぶだろうか。もし小町を選ぶという愚行を犯すのなら、あなたは「病気がちなあなたに勧めるアリ○の終身医療保険」に加入するべきだ。怪我ばかりしていれば死んでしまう。死んでしまえばもう怪我をすることさえできない。マゾヒストのあなたこそ、保険に入るべきなのだ。

僕は「んなこたーない」と美幸に返事をすると、ソファーに突っ伏した。小町あの子には引きずられ、クラスメイトには覆い囲まれ、僕は疲れていた。眠ってしまいそうだった。瞼は重くなり、意識は薄れていく。時計の長針と単身は、午後4時33分を告げていた。昼寝には遅すぎる。でも、母が帰ってくれば起こしてくれるし、まあいいだろう。しかしまさに眠りに落ちようというその瞬間に僕は気付いた。―――果たして、このまま眠って大丈夫なのか。
昨夜の夢は、特に問題のない夢だった。美咲たんが、『部屋』の中で寝ているだけの夢。澤井がそこに入ってくることもなければ、犯されることもなく、僕はそのまま久々に朝を迎えた。もちろん、夢精もなかった。小町あの子は全てを語らなかったが、彼女の夢想のような話が真実ならば、彼女が僕を何らかの形で助けたくれたということになる。もちろん彼女の言う『夢追い人』や『夢の世界』が全て正しければの話だが、不可抗力とは言え彼女に精液をぶっかけた男であるにも関わらず、僕を助けてくれた彼女は案外いい奴なのかもしれない。
小町の説明はまだ途中だった。彼女の話では、『夢の世界』はあくまでも現実で眠っている人たちだけが存在するいわばミラーワールドのようなものだ。しかし、『夢の世界』では他人の夢が見放題という訳でもないらしく、彼女たち『夢追い人』は何かしらの手順を追って他人の夢の中に入り込んでいるようだ。小町はそれを「『部屋』に入る」と例えたが、僕には少し想像がつかなかった。人の無意識を司る『部屋』。無意識を司るというからには、きっと人の頭の中にあるのだろう。小町は玄関から入っていくようなことを言っていたが、肝心の玄関の前に行かない限りはその中には入れない。一体どうやって入っていくのだろうか。
小町が昼に語ったことを考えているうちにと、意識はますます混濁していく。もはや僕の意志とは関係なく、眠りが僕を包み込もうとしていた。ソファーのひんやりとした感触がだんだん薄れていき―――

ソファーのひんやしとした感触を肌に受け、僕は目を覚ました。

     

そこは確かに僕の住み慣れた家だった。住み慣れた家のリビングルームの、ベージュの合皮のソファーの上に僕は寝そべっていた。しかし、何かがおかしい。僕はリビングの四方八方を見渡す。何も変わったところはない。壁紙の色も、天井からぶら下がる蛍光灯も、部屋の中にあるもの全てがいつもと変わらなかった。各自持ち場を離れず、普段通りに存在するという役割を果たしていた。時計の秒針も等間隔に細かく動き、時間の流れであることを証明している。二本の針は4時34分を告げている。―――あれ?
僕は目覚めたばかりの脳細胞を総動員し、感じた違和感の正体が何なのかを考えた。目覚めたばかり、いやそれもおかしい。つい先ほど目を覚ましたのは事実だ。なのに、なんだか「目を覚ました」という気分じゃない。寝て起きた時にありがちな、重力のような倦怠感がない。頭も体も、おかしいくらいにすっきりしている。十分に寝たのならまだしも、1時間、2時間の昼寝の後にこれはおかしい。しかし、確かに僕は眠りにつき、こうして再び瞼を開いているのだ。―――あれ?
違和感は、核心に近づいていた。僕は再び時計を見る。秒針の歩みにつられる様に、長針も牛歩していた。4時35分。脳内映像が、ついさっき、つまりは眠りに落ちる前に最後に見た時計の姿を僕に見せる。4時33分。これではっきりした。僕は一時間どころか、一分程度しか寝ていない。
眠りに落ちた人間が、外因もなしにわずか一分で果たして目覚めるようなことがあるのだろうか。この空間内には強制的に人々を叩き起こすアラームもなければ、それにとって代わる騒音もない。リビングルームには僕以外はいなく、時計の秒針がカチカチなる音が聴こえてくる以外は音という音はなかった。常識で考えれば、このシチュエーションで目が覚めるなんてありえないはずだ。しかしながら、その常識を破ってしまったのは他ならぬ僕自身だ。僕には、眠りにつき、そして目覚めたという確かな感覚が残ってる。まやかしでも思い込みでもなんでもなく、お湯に触れれば熱いと手を引っ込めるような明瞭な睡眠と覚醒の感覚がそこにはあった。

意識は肯定をし、状況はそれを否定する。とにかく異常だった。僕が眠り、そして目覚めたという過程は現実であるにもかかわらず、このうえなく非現実的ことだった。夢のようなことだった。夢。

僕はある仮説にたどり着いた。夢のような、本当に夢のような仮説だ。
僕は、『夢の世界』にいるのではないのだろうか。小町あの子が言っていた『夢の世界』に。
『夢の世界』は眠っている人の世界。現実で眠っている人だけが存在し、彼らは『夢の世界』でも同じように眠っている。しかし、『夢の世界』でも眠らずに、現実でそうしているかのように覚醒し、自由に動き回ることのできる存在がいる。『夢追い人』。
そう考えれば、合点がいく。僕は『夢の世界』に入り込み、この世界で目覚め、今ここに存在しているだ。小町あの子がそうであるように、『夢追い人』として。―――馬鹿馬鹿しい。
そんなはずはない。『夢の世界』なんてあるわけがない。『夢追い人』なんているわけがない。小町あの子の言っていたことはただ戯言で、彼女は不良であるばかりかちょっと頭がお花畑なんだ。眠っていたというのはただの僕の思い違いで、本当は僕はずっと起きていたのだ。ちょっとうとうとしていただけなんだ。そうに決まっている。
僕は芽生えた夢想を打ち払い、強引に自分を納得させようとした。まるで「これは夢なんだ」と言い聞かせるように、現に起きた不可思議な現象に対しての辻褄合わせをした。しかしながら、それでも何か腑に落ちないものがあった。夢想を夢想だと決めつけられる確信が得られかった。

僕はソファーから腰を上げ、ゆっくりと家の玄関に向かうと、期待と恐れを抱きながらその扉を開けた。
ここがもし、夢の世界でないのなら―――誰かがいるはずだ。下校途中の学生、帰宅途中のサラリーマン、買い物帰りのおばちゃん。誰でもいい。目を覚まし、呼吸をし、己の意識がままにその五体を使役している誰かが扉の外にいるはずだった誰かが僕の家の前の歩道を歩き、もしくはそれに沿した車道で車のアクセルを踏んでいるはずだった。

「嘘だろ……」

百聞は一見にしかず。そんな格言が、僕の頭の中をよぎった。

     

僕の家が面する市道は、決して大きな道路ではない。上下二車線ではあるものの、目を凝らせば、その端と端が見えるくらい区間が短い道で、一日を通じての交通量も多くはない。時間帯によっては、「人ひとりいない」状況があってもおかしくはないはずだ。
しかしながら、僕がその道の歩道部分に足を踏み入れた時、時計は夕方5時を迎えようとしていた。仕事終わりの会社員たちはまだ車のエンジンをならしていないかもしれないが、部活帰りの学生なら広い住宅街に位置取るこの道を歩いていてもおかしくはない時間だ。いや、分からない。そもそも帰宅部の僕には部活というものが正確に何時に終わるものなのか知らない。ひょっとしたらもっと遅いかもしれないし、すでにどこも終わっていて生徒全員がもう家に帰っているのかもしれない。そういうことだってありえる。と、僕の推察は往生際の悪さをまだ見せている。
しかし、あそこなら―――そう思って僕は西に進路を取る。眩しい逆光を背に、家から100メートルほど先にあるコンビニエンスストアへと向かう。店のドアが開く前に、ガラス越しから僕は思い知らされることとなる。誰もいない店内。商品だけが陳列され、それらを買う客も売る店員もいない店内。24時間営業の看板が、ただの張りぼてと化して僕を見下ろしていた。とりあえず中に入る。いらっしゃいませの声はなく、無人の店内には客の訪れを告げる電子音だけが虚しく響いた。

『夢の世界』―――その存在を認めることだけが、僕に唯一できることだった。もはや悪あがきをやめ、素直に受け入れるしかないのだ。
さあ、どうすればいいのだろう。受け入れたことで僕は次の問題に直面してしまった。それは、「『夢の世界』から帰る手段が分からない」という、漂流者的な問題だった。そう、僕は異世界に取り残されてしまったのだ。
しかし、よく考えたらこれはそこまで焦るような話ではなかった。『夢の世界』が寝ている人間の世界なら、現実で眠っている僕が起きれば、きっと帰れるに違いない。現に小町あの子という二つの世界を行き来している存在がいるのだ。入り口だけの閉ざされた世界ではないというのは明白だ。

僕は待つことにした。目覚めることを待つ、というのは不思議なものだった。寝ている間は脳も寝ているわけであり、「待つ」ことはおろかそれに必要な時間感覚さえもないのだ。しかし、僕は寝ると待つという並列不可能な二つの行為を同時に行っている。いや、でも「果報は寝て待つ」という言葉もある。良く分からなくなってきた。
とにもかくにも何もせずに過ごすのは、夢の中であろうがなかろうが退屈なことだった。幸運にも僕が今いるのはコンビニだった。そのコンビニが立ち読み防止のために、雑誌にカバーがされていないコンビニであったのも幸運だった。また、僕がまだ今週発売のジャンプを読んでなかったのも幸運だった。ジャンプだけでなく、ほかの主要な少年誌、青年誌も揃っていた。しかし僕はあえて、成人向けの漫画誌に手を伸ばす。むしろその行為は必然だった。僕は未成年者であり、法の下に成人向け雑誌を読むことが禁じられた存在だった。かりに法で禁じられていなくても、他の客、店員がいる前で成人雑誌を読むというのは尋常ならざるメンタリティーが必要であり、実質的には禁じられた行為同然だった。しかし、今僕を咎めるものはいない。誰もいない。
念のために言っておきたい。僕は性欲を満たすために成人雑誌を読むわけじゃない。テクノロジーが発達した今日、紙媒体をあえて頼る必要はないのだ。自室のPCからインターネットを通じてオカズを探す方が選択肢も多く、またいろいろと効率もいい。しかしながら、今僕は今まで自分でも気づかたかったアブノーマルな欲求に突き動かされている。ここに陳列されている成人雑誌をオカズにマスターベーションをしてみたい。「18歳未満の閲覧、購入は禁止されています」と制すPOPの目の前で、オナニーをしてみたい。僕は「見るなと言われたら見たくなる」という気質を持っていた。しかし、それは現実社会で人間関係を築く際にマイナスな性質で、僕はこの天邪鬼な性質を隠しながら生きていた。しかし、もう何も怖くない。ここで成人雑誌を読んでも、それをオカズにオナニーしても、誰も僕を咎めない。絶対的な安心感が、僕を大胆な変態へと変えてしまった。

きっと僕は透明人間になったら迷わず痴漢をするタイプなのだろう。最低だ。最悪だ。しかしそんな自分に嫌悪をする暇もないくらい、僕は興奮していた。
しかし残念ですが、そんな僕のコンビニオナニーシーンはここでは割愛させてもらいます。決して「これは需要ないだろうな」とか、「不快なだけだからやめておこう」といった配慮をしたわけではありません。毛まで透けて見えるほど薄い下着を身につけながら、股を開く女性が描かれた表紙に手を伸ばそうとしたその瞬間に、僕は目覚めてしまったのです。

「龍、いつまで寝てるの。晩御飯できたから、さっさと来なさい。」
寝ぼけ眼をこすると、そこにはいつの間にか帰ってきた母の姿があった。いつの時代も、母親は青少年のオナニーを妨げる天敵だということを、僕は改めて実感した。

       

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