Neetel Inside ニートノベル
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芹高第二野球部の莫逆
辻堂夜次の秘密

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 芹名高校には数々の伝説がある。A校舎の屋上にあるポールが曲がっているのは、現在某球団で4番バッターとして活躍している選手のホームランボールが直撃したからであるとか、試合に負けたくやしさでロッカーを変形させて壁と壁の間に埋め込んでしまったボクシング部の部長が元世界チャンピオンであるとか、卒業式の日、記念にB校舎1年生の廊下前100mの距離の通し矢に挑戦し、見事成功して去っていった生徒がいるとか。スポーツ先進校ならではの、先輩達が残していった輝かしい伝説は枚挙に暇がない。
 もちろん、それらは真贋入り乱れており、嘘である事が確定したもの、時が経つにつれて噂に尾ひれがついていったもの、逆に伝説を打ち立てた本人の証言つきの物もある。そんな環境の中、真実である事を皆が知っている「現役の伝説」が2つだけある。
 1つは野球部のエース、杵原良治が入部した次の日、その凄まじい球威で3年生の正規レギュラーキャッチャーの手首を捻挫させた挙句、「ピッチングネットに向かって全力で投げてみろ」と監督に指示されて、ネットを突き破った事。破れたネットは廃棄されず、校長が価値の出る事を見越して家に丁寧に保管しているという噂もまことしやかに流れいるが、私でもそうしたと思う。
 杵原良治の伝説はほとんど毎日、グラウンドで目撃する事が出来る。まだ入部して2ヶ月しか経っていない1年生の、それもただの練習に対して、外部から毎日数人の見学者が訪れるのは前代未聞の事だろう。校内でも既に非公認ファンクラブが2つ出来ており、一時期はネットに張り付いて黄色い声援を送っていたが、選手達の集中力を削ぐという理由から学校から見学禁止のお触れが出ると、見学は数人ずつの交代制となり、杵原ファンクラブの覇権争いは水面下で激化した。
 このように、杵原良治の学校生活は、それ自体が最早伝説と呼んでもいいほどに常識離れしていたが、先ほど言ったように現役の伝説は「2つ」ある。
 そのもう1つが、陸上部所属の現3年生、辻堂夜次(つじどうよるじ)による「目隠しハードル100m走」だ。


 事件の発端は、辻堂夜次がまだ1年生だった頃、先輩にあたる陸上部の2年生が、彼をいわゆる「パシリ」として働かせようとした事にある。辻堂夜次は顔のどこを探しても口がついていないかのように普段から滅多に喋らない男で、初めてのクラスで自己紹介の時も、立ち上がり、黙ったまま一礼し、そのまま座り教師を困らせた。顔立ちは整っているが石膏で固めたような仏頂面なので、女子も易々とは近づけず、友人も少ない。世間と剥離した態度は反抗的と見なされ、時に迫害の対象となる事がある。辻堂夜次も、例外ではなかった。
 部活中、校外にひとっ走りして、飲み物を買ってくるように命じられた辻堂夜次は、入部してから「辻堂です」「お願いします」に続いて、ついに三言目を口にした。
「先輩、勝負してください」
 下級生が上級生に対して勝負を挑むという事は、どの部活においても、それまで皆が守っていた伝統をぶち壊そうとする行為に他ならない。1年という人生の長さは、歳をとればとるほど大した差ではなくなっていくが、高校生活においての1年の経験は、体力面でも精神面でも大きな差を作る。万が一にでも下克上が成功すれば、負けた先輩は部活内での立場を失い、もう2度と偉そうな口はきけない。逆に下克上に失敗すれば、1年生は全員問答無用の全面的服従を強制される。どちらにとっても負けられない勝負になる。
 辻堂夜次に勝負を挑まれた先輩は、無論それを受けない訳にはいかなかったが、断る理由もそもそもなかった。辻堂夜次は短距離走者で、当時のベストタイムは100m11秒39。クラスでは1番速く、中学の時には県の大会で2位という好成績を収めたというが、10秒台を頻繁に出す先輩の相手にはなれない。
 叩きつけられた挑戦状を軽い気持ちで受け取った先輩の前で、辻堂夜次はおもむろに鞄の中から取り出した「目隠し」を額につけた。当然、その場にいた全員が驚く。しかし、次の一言は更に衝撃的だった。
「種目は先輩の得意な110mハードルでいいですか?」
 わざと不利な条件を出して、勝負にケチをつけようといったこずるい性根はこれっぽっちも見えなかった。仏頂面に一瞬だけ浮かんだ反逆は、目隠しを下ろした事によって隠された。目が見えないままのハードル走。これほど危険な陸上競技があるだろうか。
 しかし勝負を挑んだ方は辻堂夜次であり、目隠しをつけたのも辻堂夜次本人。止める者は誰もいない。目隠し状態でスターティングブロックに足を預ける辻堂夜次の姿は、実に堂々としていた。隣で走るのは危険だと判断した先輩は、辻堂夜次が走り終わった後に走り、その記録で勝負すると宣言し、辻堂夜次もそれを受け入れた。
 ハードルの高さは、106.7cmの一般的な物であり、それまで辻堂夜次が中学で飛んできたジュニアハードルより約8cm高い。スタートから13.72mで1つ目のハードル。最初のハードルからは9.14mごとに1つのハードルが置かれ、合計数は10個となる。ハードル走のルールとしては、故意と認められなければハードルは倒してしまっても失格にはならない。しかし辻堂夜次は目隠しをしている。目隠しをしていなければ跳べるのであれば、どんな倒れ方をしてもそれは故意という事になるだろう。
 スターターピストルが鳴って、辻堂夜次が走り出した。
 想像してみてほしい。例えハードルが無くても、目の見えない状態で全力疾走を出来るだろうか? 人間には誰しも大なり小なり暗闇への恐怖心がある。訓練を繰り返せば、ある程度は克服出来るだろうが、目の見えている状態での100%を出す事が出来る人間が、果たしてどれくらいいるのか。辻堂夜次は、それをやった。
 結果、辻堂夜次はきちんと全てのハードルを倒す事なく飛び越し、しかも記録においても先輩に勝利する事が出来た。辻堂夜次のタイムは、通常時の先輩の記録よりも0.5秒近く遅かったが、それでも勝利を収める事が出来たのは、辻堂夜次が目の前で行った「伝説」が、彼の心理面を大きく揺さぶったからに他ならない。陸上競技は自分自身との戦い。それに負けた者は、自ずと敵にも負ける事になる。
 それ以降、陸上部員の誰も辻堂夜次に触れる事はなくなった。伝説の真相を尋ねる者も多数いたが、普段通りの無口を貫き通し、本人からは何1つ語られる事はなかった。しかし辻堂夜次の伝説は語り継がれ、2年の時が経ち、タチの悪い狂犬の耳に入る事になった。


「6人目の部員は、3年生の辻堂夜次だ」
 放課後の教室は一時的に第二野球部の作戦本部となる。賀来啓の勧誘、もとい詐欺に失敗したその翌日、落ち込んだかに見えた八戸心理は、いつも通りの悪魔的笑みを浮かべてそう宣言した。言われた芦屋歩はというと、不思議がるような表情で八戸心理を観察する。その隣から、内海立松が尋ねる。
「6人目ってどういう事? 八戸さん、歩、僕、久我先輩、で、次は5人目じゃないかな?」
「何を言ってる。賀来啓は必ず入部させる。これは決定事項だ」
 設楽寿々芳に完膚なきまでの敗北を喫しておいて、よくそんな口がきけた物だと芦屋歩は思った。そして気になっていたのも、その事についてだった。
「なあ、設楽先輩への復讐はいいのか?」
 八戸心理の性格上、やられたらやり返すというのは当然。上手くいきかけていた策略を邪魔されたとなれば、その報復もよっぽど酷い事になる。芦屋歩はそう踏んで、設楽寿々芳の身を案じ2年生の教室を覗きに行ったくらいだった。八戸心理は臆面も無く答える。
「設楽は、久我が試合中にライナーをぶち当てて、事故を装って殺害するという運びになった」
 呆れる芦屋歩。半笑いの内海立松。
「あのなあ、杵原の球は、バットに当てるだけでも不可能に近いんだぞ。狙った所に打つなんて出来る訳がないだろ?」
 言い終わると同時、芦屋歩にとっては最悪のタイミングで久我修也が現れた。その全身から少しずつ漏れ出すような殺気を見て、思わず芦屋歩は立ち上がり、気をつけの姿勢をとる。久我修也は芦屋歩に焦点を合わせて、ただ一言こう言った。
「やるぜ」
 この人物であれば、本当に試合中に殺人も犯すだろう。そう思わせる威圧感があった。内心殴られるんじゃないかと不安な芦屋歩を尻目に、久我修也は八戸心理に向き直った。
「村木に伝えろ。例の実験薬、使ってやるとな」
「了承した」
 八戸心理の兄、村木荘介によるドーピングは、既に実行に移されていた。芦屋歩と内海立松は「そんな物を使わなくても結果を残せばいいんだろ」と、今のところ使用を拒否しており、八戸心理にとって選手強化は解決すべき問題の1つでもあった。
「じゃ、練習してくるぜ」
「ああ。期待している。設楽は必ず殺せ」
「言われなくてもな」
 久我修也が去り、芦屋歩に呼吸が戻る。
「……なんて奴等だ」


「それで、どうして辻堂先輩なの?」
 内海立松の疑問はもっともだった。確かに、伝説の件は人間離れした芸当であるといえる。しかしその実力自体は、手元の資料を見るに短距離走でも学年で3番目。しかもハードル走が野球に役に立つとは思えない。
「お前は目隠しをして全力で走れるか?」
 訊き返す八戸心理に、内海立松は当然首を横に振る。そこに芦屋歩が茶々をいれる。
「出来たからなんだってんだ? 目隠しして野球をするのか?」
 一瞬だけ妙な間があいて、八戸心理は言う。
「伝説の件は、辻堂夜次が『超能力者』だから出来たのだ」
「はっ」失笑とも驚愕ともとれる声を芦屋歩があげた。「何言ってんだお前。ついに気だけじゃなく頭まで狂ったか?」
 八戸心理は普段から不機嫌そうな顔を更にしかめて、声色強く言い返す。
「そこまで言うのなら、辻堂夜次に出来てお前に出来ない理由を教えてもらおうか」
 それを要求されると芦屋歩も弱い。
「そ、それはだな、例えばその、目隠しに細工がしてあっただとか……」
「当時の上級生がそんな基本的な事も確認しないと? 威信の懸かった勝負なのに」
「じゃ、じゃああれだ。辻堂夜次は何回も目隠しハードルの練習していて、歩幅とハードルの間隔を完璧に覚えていたんだよ。そうだ、そうに違いない」
「ならばお前も練習さえすれば出来るというんだな?」
 実際にやった事は1度もなかったが、練習すれば出来るという自信もなかった。普段自分がどれほど視覚に頼って生活しているかくらいは、芦屋歩にも十分分かっていた。
「しかしだな、いくらなんでも『超能力』というのは……。そんなもん、ある訳が……」
「お前はあのかたわ野郎の投球を見た事が無いのか? あれを超能力と言わずして、何を超能力と言うんだ?」
 八戸心理の指摘は、意外と的を得ている。人の能力を「超」える「能力」を「超能力」と呼ぶのなら、確かに杵原良治のピッチングは「超能力」だった。真似できる人物がいないという点において、辻堂夜次の伝説は杵原良治の伝説に匹敵する。
「それに、辻堂夜次を入部させる手段を、私は幸運にも手に入れたのだ」
 八戸心理は例の地獄行きの笑顔で、鞄から1枚の写真を取り出した。
 それを見た芦屋歩は、思わず鼻を覆って、頬を紅く染めた。内海立松は平然としている。
「これをネタに、辻堂夜次を脅迫する」
 夜の教室にて、辻堂夜次がその双子の妹である辻堂朝乃(つじどうあさの)と、裸で肉体を重ね合わせている禁断のツーショットが、八戸心理の手には握られていた。

       

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