Neetel Inside 文芸新都
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生協の白石さん
旅行してました(ピーターに連れられてネバーランドに)

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Q,ラーメン屋はとびぬけてガンコ店主が多い気がするんですがなぜでしょう? (投稿者)匿名

A,あなたはきっと、小学生の頃はテレビっ子だったことでしょうね。ガチンコラーメン道の見すぎですよきっと。
 かの佐野実さんですが、じつはあれでよく笑う人のようです。数年前べつの夕方グルメ番組に出演されているのを見たときは、ニッコニコして、冗談なんかも飛ばしちゃうナイスなオジサマでした。
 今ハッと思い至ったんですが、なんとなく平沢進と似てますねあの大将。余談ですがヒラサワ御大も薄毛が進行してきてますから。氏の若い頃のジャケット写真はすごいギラギラしてますよ。頬もこけて只ならぬ雰囲気が云々そんなことはどうでもいいですね。
 この質問の返答には二つほど小題を設けました。

○1、ガンコ店主はラーメン屋に限ったことなのか。
 ガンコ店主であってほしい職業、なんでしょうね。八百屋や魚屋なんかも、しわがれた声のおじさんが店先に立って客引きしてそうです。「目利きに関しちゃ、譲れないね」そんな気負いがあってほしい。昔ながらの商売はガンコ店主であって然りです。工業の分野まで話を広げると収拾がつかなくなりますが、生鮮食品や料理を扱う個人経営の規模に限ってみれば、どこの店でもガンコ店主がいたとしておかしくないように思います。
 自分の仕事ぶりに対してお客の賛否があるわけですからね。気負いもあれば、自負もありましょう。小売業はへりくだってナンボですが、洗練された感覚と積み重ねた経験を武器にする職人さんは、腕に覚えがあるからこそ、ガンコにもなろうものです。

 ラーメン屋に関しては、威勢が良いのは結構なことなんですが、個人的にはガンコすぎるのはいただけません。そもそもガンコなのは味だけにしておいて欲しいですね。「麺すする前にスープ飲みなよ。じゃなきゃ追い出すからね。いやいや、そのときゃ金はとらねえさ。俺の作った自慢の味を、存分に味わって欲しいだけなんだよ」そんなの好きにさせてくれ、そんな風に思いませんか。そんなこと前置かれちゃ、わざとにでもズルズル食ってやりますよ。「てめえッ、紅ショウガをはじめッから入れてんじゃねぇ! アッ、高菜も入れやがったな!」入れちゃいけないならどうして卓上に置いてるんですか。頭から湯気を出して怒り狂う親父に向かって、文句の一つでも言ってやりたいところ。「二度とこねーよバーカ!」なんてね。ほんとにあるんですよ、そんなお店。ばかみたいだけど。「出てけ、出てけ。うちは替え玉はやらないからね!」うるせえ。

○2、ラーメン屋店主はガンコなのか。
 ラーメン処九州は福岡、屋台の博多長浜、とんこつ発祥の久留米に限らず、この地方は三歩歩けばラーメン店に行き当たります。
 本当のことを言うと三歩なんてことはありませんが、それでも多いと思います。繁華街に出向くと三歩はあながち嘘でもありません。さあ、一緒にラーメン食べに行きましょうか。

 カラカラ音を立てて引き戸を滑らせますと、カウンター奥ではごうごうと蒸気を立てて湯釜が煮立っており、食欲をそそるあぶらっぽい匂いが店に充満しています。換気扇の回る音。

「らっしゃい!」
 席に着くと注文。アルバイトの学生が注文を繰り返します。
「ラーメンカタイチでーす」※対訳(ラーメンカタ麺一杯です)
「あいよッ」

『一杯目はスープの手間があるから、どんな店でも麺が柔めになるんだよ。真のカタ麺は替え玉以降ヴェールを脱ぐのさ』とは姉の談です。

「さーせん、替え玉。カタ麺で」
「カタ麺、あいよッ」
 カタ麺、のところで目をいっぱいに開き小刻みに頷く店主。
「失礼しまーす」
 バイト学生が伝票を書き足しに来ます。
「替え玉カタ麺です」
 バイト学生が丼に麺を入れてやって来ます。

 ちなみに長浜の屋台では、カウンター越しに湯切りした麺を丼へとそのまま入れてくれます。まあ、どこでもではないでしょうが。

「ごっそさんした」
 席を立ちざまに、誰にともなく言います。
「あーざぁーっす!」
 厨房からは店主の威勢のいい声が背中にかかります。バイトの学生はレジに走り寄ります。
「五百八十円です」
 出入り口の引き戸を滑らせると、レジにお金をしまいながら、バイトの学生がお座なりな挨拶を送ってくれます。
「ありがとうございましたー」

 お腹いっぱいですね。ごちそうさま。濃厚なスープで口の中はざらついて、なんだか胃はもたれ気味ですが、おいしかったので満足です。でしょう?

 さて、ここで店主のガンコ度合の検証です。結論から先に申し上げますとわかりません。
 だって接点がないんですもの。検証も何もその余地がない。ラーメン屋において客と店主の接点なんて、注文のときの一言二言しかないんですから。
 雑誌やテレビの特集で店主を無理矢理喋らせる、とかいうわけじゃありませんから、それこそ店主の人格や、仕事に対する姿勢なんかはわかろうはずもありません。
 仮にそういった機会があって、店主がなにやら胸に秘めた熱い矜持を語ることがあっても、それが信じるに値することかどうかは疑問であります。人間は打算的であり、信用第一の商売人なら尚のこと、自分の発言や態度が、売り上げにいかな影響を与えるかということは良く知っているはずだからです。彼らはラーメンを作るために仕事をしているわけでなく、お金を稼ぐためにラーメンを作っているということを忘れてはいけません。
 そうなると世の中に信じるべきことなんか何もなくなってしまうではないか。そこまで極端な考えを押し付ける気はありませんが、では一体どういうときに店主の人格がわかるのでしょうか。
 それはおそらく、彼のつくったラーメンを食べたときにわかるはずなのです。注文してから商品が出てくるまでの時間、店内の清潔さ、バイト店員との連携、元気のよさ、その他諸々、店主の人格を構成する要素はいたるところから読み取れるはずです。
 結局のところ想像するしかないのであります。両手で丼を持ち上げ、ゴクリと喉を鳴らしてスープを嚥下し、そのとき丼越しに、視線を店主に送ってみるのです。私的には、そこで厨房の店主がニヤリと歯を見せずに笑っていようものなら大正解ですね。そんな店に行ってみたい。

 おおよその人々を、頑固か否かの二者択一で線引きすると、大抵は頑固者と振り分けられるはずです(個性があるか否かという線引きで、否と振り分けられる人は少ないでしょうから)。ラーメン店主も例に漏れず、そのほとんどは頑固者であるはずなんですが、ここで重要なのは、だからといって先入観を持たないことです。ステロタイプの安直な短絡思考を避け、伝聞した前評判はなるべく頭から排除し、自分の目で見たものを信じ、またそれを信頼しすぎないことが大事です。

 とはいえ、そんな小難しいことを考えながらラーメン屋に赴くのもばかばかしい。ラーメン屋というと、ぱっと思いついたとき、はだか銭を握り締め、半ば衝動的に立ち寄るくらいでちょうどいいと思います。そこでは店主の人格など、大した問題ではありません。ただ一人の食客と、湯気立ち上るラーメンが一杯、向かい合っているだけなんですから。

     

Q,姉と仲が良いんですか?

A,ノーコメントです。

 (実を申せばあまり私のことを書くなと言われとります…)

     

Q,0パゲであんなにコメが増えるっていったい何が都民をそこまでヒートアップさせたのでしょうか。→少年「新都で連載したいけどどうすればいいですか」(投稿者)匿名

A,件の作品ですが、一時はHotItem入りまで果たした破竹の勢いがありましたね。竹は割れましたが、しかしかぐや姫が生まれることはありませんでした。とはいうもの、ぐらぐらと煮え立つエネルギーというか、後先顧みない荒馬の鼻息のような威圧感は何かに似ています。それは後述しますがこの作品、今や検索してもヒットすることはないんですね。削除ガイドラインに引っかかるので当然なんですが。だからといって惜しくもなければもう一度体感したいわけでもありませんけどね。一発芸を何度も見せられると興ざめなのです。

 VIP発web漫画とweb小説の新都社、その煽り文句を体現するかのようなかの道場破りは、むしろ郷愁すら感じさせるほどの、埋もれていたある種の感覚を、私たちの奥のほうで蒸し返させるのです。
 ネット掲示板2ちゃんねるそのままの勢いで殴り込みをかけた、かの蛮勇なる挑戦はタイトルからして矛盾を孕んでおり、予想の如何に関わらずコメントを送らずにはいられない内容もさることながら、その中の親切なコメント送信者に対する、切れ味鋭いボケっぷりが露呈するととうとう火が着き、以降爆発的なコメントの嵐がかのタイトルに吹き荒れたわけです。

 そう、これはまさしく、近年のVIP板に見られるマンネリズムの集大成、その一連の流れそのものなのです。ベタで在り来たりな二番煎じの愛すべき輪廻なのです。 
 ずば抜けて注意を惹くスレタイ、明後日を向いている>>1、このままでは書き込みも伸びず、はるか下層に埋もれ行く定めのスレッドを浮上させたのは>>2の親切心ではなく、それに対する天衣無縫の斬返しでありました。あとはもはや、後続のやることといえば、祭りの始まりだと言わんばかりに騒ぎ立てるほかありません。それはまさしく春の夜の夢であります。一夜限りの走馬灯なのであります。必然の流れであり、流れては消え(実際いつの間にか消えてしまいました)、二度と帰ってくることはない一過性の憂さ晴らしなのであります。

 これが実際2ちゃんねる上で行われたとしても、あれほどの盛り上がりを見せることはなかったでしょう。想像に難くありません。なぜならば、歴史はすでに繰り返されており、ヘビーユーザーの選美眼には、なにものかの劣化コピーとして見なされるに違いないからです。それと同様に、もしかすると新都社でも、過去に似たような事例があったと考えたほうが良いかもしれません。しかし、どちらにしても、例の件は興奮を抑えきれなかった新都社民が多くいたのは事実。狙ってやったものかそうでないかはとりあえず置いておくとして、かの企みは大成功といっても過言ではないでしょう。
 2ちゃんねるでの既出ネタが新都社システムの上では類を見ないほど斬新な試みであったということです。それが意図されたものであるかないかに関わらず、企画者の鋭い感性には、只只敬服の念を抱かずにはいられないのであります。

     

Q,なんで僕は1人の人しか好きになれないんですか?好きだって言ってくれる女性はいっぱいいるのにあの人しか、あの人しかダメなんです。好きな人には好きになってもらえずに何年も1人。辛いです。

A,少しばかり恋に盲目気味の相談者様のようですね。まずは深呼吸して落ち着きましょう。……などと、当方偉そうなことを言ってますが。日にちも十日は経ったところですがどうでしょうか。ネット文通でやきもきさせたことは申し訳なく思うばかりですが、胸裏に秘めたその甘い毒を一部でも吐き出すことが出来たならば、気分も少しは良くなったのではないでしょうか。

 さて、恋心に関して。人を想う気持ち、それは確かに美しいものです。ですが、想いそれ自体を美化してはいけません。悲観するのは筋違いです。そのひとに恋はしても、そのひとを想う気持ち自体に恋をしてはいけないのです。恋のエナジーを体内で循環させるのは危険です。何も手につかなくなりますよ。
 とはいえ、恋心をコントロールせよ、などと言えば身も蓋もなくなります。そもそも盲目こそが恋の本質だとも言えますので、恋を節制せよなどという、蒙昧極まる否定的な考えを押し付ける気などは、毛頭ないのであります。しかしながら、それを楽しむことができず、この場合苦しむまでに陥ったということについては、残念至極。良い助言はないものかと、デスクの前で唸っている次第であります。

 やはり今このときを楽しむのが第一でありましょう。恋に苦しまされるなどとは言語道断。本来それは喜びに溢れているべきものです。そして、苦しみは乗り越え、征服すべきものであるのですから。立ち向かえよ少年、少女よ。当たって砕けろ。押して押して、なんなら押し倒してしまいなさいよ。

 本来ひとがひとを想う気持ちは純粋で美しいものであり、想い人のことをもっとよく知りたい、もっと一緒にいたい、などといったいじらしい考えは、誰にだって理解できる、普遍的な帰結であります。
 ただしその考えが肯定されるのは、お互いの同意がある場合のみです。言うまでもなく。
 気の利いた恋愛術も知らないような、喪男代表の私から言えることといえば、まあとにかく「一緒に遊びに行きましょう」と一言、誘ってみるくらいの提案しか思い浮かばないのが情けないのですけれども。
 一度でだめならば二度、三度、日を改めてまたお願いしてみましょう。とにかくそれを、続けてみてください。あなたがその相手をずっと好きのままでいるあいだ、何度となく挑み続けるのです。あなたの理性が正常に機能しているならば、数度の試行の後、今後の己が身の振り方をはっきりと見出せるはずです。他の女性がどうこう言い寄ってきたなどと、考えるひまはありませんよ。

       

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