Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 駅前にあるコインロッカーで僕の機材を回収し、そのままタクシーで会場へと向かった。街の中心部からすっかり離れた自然公園がライブの会場である。距離は結構遠い。
 タクシーから雪でも降らないかと空を見上げると、空には燦然と星が輝いていた。
「ホワイトクリスマスには遠いねぇ」紅子がぼやく。
「なってたまるか」
 ようやく公園前に到着し、急いでステージへと向かう。途中、お世辞にもあまり上手とは言えない演奏が聞こえてきた。これはろくなイベントじゃないぞと内心思いながらライブスタッフに平謝りして到着の旨を伝える。
 ステージの様子をそろりと見ると、ライブをしているのはどこぞの高校生みたいだった。はやりのバンドをコピーしている。どうやらこのバンドの次が僕達らしい。ぎりぎりだ。
「リッチな高校生だなぁ。ライブ代どうしたんだろ」
「あれ? 秋君知らないの? ここライブノルマなしだよ。入場料も無料」
「ライブノルマなし?」
 耳を疑った。いいのかそれで。
「当初は僕のボーナスでライブするとか言う話だったと思うんですが、これは貯金しても良い感じですか」
「あなたのボーナスは残念ながら我々の打ち上げ代に消えます」
 打ち上げに何万使わす気だよ。そもそも僕のおごり前提で話が進められているのがおかしい。こんなバンド解散してしまえ。溜め息を吐きながらふと貼り出されているタイムスケジュールを見てみると、僕らの後の出演バンドがいない事に気がついた。
「あれ、僕らトリだっけ?」
「いや、違ったけど、私らの後のバンドがライブ直前に解散したみたい」
「マジかよ」
 ボロボロのイベントである。それでも内心、このバンドにお似合いの初ライブではないかと思えた。とにかく僕達はトリになった。鳥ではない。トリである。
 客席には多くの高校生がおり、全く盛り上がらなさそうな高校生バンドのライブでも割とにぎわいを見せている。みんなライブが好きで、音楽が好きなのだろう。
 紅子と竹松が楽器を弾き出した。ウォーミングアップをしているらしい。この糞寒い日だから弦楽器隊はさぞかし苦労しそうだ。まぁ僕も他人事ではないが。細かい音は指が使えないとスティックがうまく跳ねないので叩き損じが生じたり、不自然に音の粒がばらけたりする。
 近くのベンチに座り、スティックを持って簡単なハンドワークを行う。少しでも体を温めておいた方が良い気がしたのだ。久々のライブに緊張しているのか、ただ寒いだけなのか、それとも武者震いなのか、指が、体が震える。
 パタパタとひざでスティックを叩きながら、なんとなく今日ライブがあってよかったと思った。
 尚先輩の最後の表情を思い出す。心底愛想が尽きたら人間あんな顔をするのだろう。それぐらい冷たい視線だった。向こう三年は忘れられそうにない。
 僕らが一緒に過ごしたのは、二年と八ヶ月くらい。
「あっけないなぁ」
 呟くとなんだか泣きそうになった。
 今日ライブがなかったら、きっと僕は今もあの場所でたたずんでいただろう。気の許したバンド仲間や、不思議な同居人がいてくれたから今、こうしてここにいられる。どうにもなっていないけど、気は紛れている。
 今度の失恋は一度飲んで忘れるとかそんなレベルではないな。一度思考を開始すると後悔やむなしさと言った感情が心をじりじりと侵食して行くのが分かる。
「兄ちゃん」
 いつの間にか、貧乏神が目の前に立っていた。
「どうしたよ」
「兄ちゃん、ホンマにドラム上手いんか?」
 ぷっくりとしたほっぺの子供はいたいけなまなざしをしている。
「当たり前だろ。スタジオで何回も見てただろ?」
「スタジオで見よっても、うちにはよう分からんかったわ」
「そっか、ライブで見た事ないもんな。練習で見るのと、ライブで見るのってまるで違うから、覚悟しとけよ?」
 僕は貧乏神の頭をポンポンと撫でてやる。
「お前、本気出した僕のドラム見たら度肝抜かれるぜ? しっかり見ときな」
「うん」
 虚勢のつもりはなかったが、自分の言葉が気持ちをその気にさせるのが分かった。そうか、そうだよな。こんな感情、吹き飛ばしちまわないとな。
「秋君、そろそろ出番」
 紅子がやってくる。竹松はもうベースを持ってステージに向かっていた。いつの間にか前のライブが終わったらしい。
「貧ちゃんはちゃんと客席にいるんだよ?」
「うん、わかった」
「さぁて、行きますか。……っとその前に」
 僕は立ち上がると鞄から紙袋を取り出した。会社近くにある服屋の袋。おもむろに開けると、中身を取り出してやる。
「貧乏神、僕からのプレゼントだ。若干紅子とかぶったのが嫌だけど」
 シュルシュルとチェックのマフラーを首に巻いてやると、貧乏神の顔が少しうもれる。
「兄ちゃん、でかいわこれ」
「我慢しなさい」
「秋君はマフラーの巻き方が下手すぎるのよ。私がやったげる」
 紅子が少しあまり気味のマフラーを後ろへ逃がしてやると貧乏神のぷっくらほっぺが顔を出す。
「ふかふかや。あったかい」貧乏神は目を細めた。
「寒さは感じないのに、温かさはわかるのな」
「これはマフラーの温かさやない。兄ちゃんの温かさや」
「かわゆいやつめ」
 僕が頭を撫でてやると、貧乏神は嬉しそうに笑みを浮かべた。
 その後ギターケースに貧乏神を入れて持って帰ろうとする紅子の姿があったそうな。

 備え付けのドラムセットにペダルとスネアをセットする。ハイハットやシンバルの傾き具合をちょちょいと調整し、簡単にセッティングを済ませた。大まかに合わせたところでスティックを持ち、軽く全体を叩いていく。違和感があるところを少しずつ調整し、自分に馴染んだセッティングへと仕上げて行く。何百回とやってきた作業だ。
 僕のセッティングが終わったところでようやくギターとベースが音を出し始める。この分だと二人ともまだ当分時間が掛かるだろう。
 ふと客席を見ると、先程まであれだけいた観客がほとんどいなくなっていた。
「紅子さん」
「何」チューニングをしながら不機嫌そうなピリピリした声が返ってくる。
「あれだけいたお客様方はどこに行かれたのでせうか」
「さっきの高校生コピバン見て帰りましたけど。多分あの子らの友達でしょ」
 僕は客席を見回す。貧乏神を含めても七人くらいしかいない。すくね。他の出演者まで帰っている。普通のライブでは中々ありえない話だ。
「マジか……」
 なんだか予想外の事ばかり起こる日である。
 でもまぁ、しかし。
「僕等の初ライブって言ったらこんなのだよな」
「演奏は桁が違うってとこ見せるわよ」
 紅子が竹松を睨むと奴はグッと親指を立てた。準備はよさそうだ。竹松の前にあるあのマイクはもしかしなくてもMC用のマイクか。僕等はインストしかしないから歌は入らない。と言う事は竹松さん、こういう時だけしゃべる気なんですね。
 なんとなくグダグダしていると紅子がコードを鳴らしてアンプに向き直った。ハウリングにも似た甲高い共鳴音がアンプから流れる。フィードバックと言うやつらしい。彼女はそのまま片手を上げる。スタッフと僕等への合図でもある。始めるか、そろそろ。
 ハイハットを数回踏み、リズムを取りながら緩やかに入った。最初の曲はゆったりとしている。ずれはない。良い感じだ。
 終わっていく音は、やがて思い出へと変わっていく。余計な事は考えさせない。
 初ライブなのにこれほど安心感があるのも珍しい。長年連れ添ってきたメンバーじゃないとここまで安心して演奏は出来ないだろう。
 紅子のギターはいつもお洒落な音がしている。ファンクとかのギターっぽい。それに対して僕は結構手数が多いジャズやボサノバみたいなドラムを叩く。竹松はゴリゴリの音作りの癖に妙に跳ね上がり、ポップなベースだ。共通してそうで微妙に共通しない僕等は二年以上バンドを続けている。今日が初ライブだなんて全くもって信じられん。
 緩やかに聖夜は過ぎ去って行く。街ではクリスマスだのなんだのと騒々しいのに。
 色んな事があった今日一日を、僕等は音で紡いでいく。
 一曲、二曲、三曲。
 曲を終えるたびに興味のなさそうにしていた観客がこちらに引き付けられてきているのがわかった。拍手の数も徐々に増えていく。
 四曲目が終わり、ようやく次で最後の曲と言う段階で竹松が口を開く。本当にしゃべる気らしい。とんでもない男である。紅子も壮絶な顔でこちらに意見を求めてくる。やめて、笑っちゃう。
「どうも皆さん初めまして」
 どうも? 皆さん? 初めまして? 
 竹松のMCの出だしを聞いた瞬間わかった。
 糞だ。聞く必要性のない、まるで面白みのないMCである。普段しゃべらない奴が張りきるとこういう事になるのである。
 もはやMCをメンバーとして見守る事も放棄した僕は会場にいる貧乏神に視線をやった。
「兄ちゃん、次で最後か」
 何故か貧乏神の声が聞こえる。はっきりと。頭に直接話かけられているみたいに。
 不思議な感覚だった。
「押入れの扉がな、ひらいてん」
 扉?
「うちが初めて兄ちゃんに会ったときの通路や。道がまた出来たんや。妙なざわつきがすんねん。うちがあの道に足を踏み入れた時と同じ感覚や。だから分かんねん。これを逃すと、次はいつになるかわからん」
 えっ?
「兄ちゃんと暮らした二年間、おもろかったで。うち、兄ちゃんも紅子も竹松も大好きや」
 何お別れみたいなこと言ってんだろうと思って、そこでやっとこさこれは別れの挨拶だと気づく。
 待ってくれよ。
 お前まで僕の前から消えてしまうのか?
「大丈夫や。これから兄ちゃんの人生はうなぎのぼりや。うちは貧乏神やけど、人を不幸にする神とちゃう、ずっとそう言われてきた。でも実際、うちと居て楽しそうな人は人であれ妖怪であれ、全然おらんかった。ほんまはうち、人を不幸にするんとちゃうかってずっと思ってた。でも例外がおったんや」
 例外?
「兄ちゃんや。兄ちゃんだけは、貧乏でもお金がなくても女の子にフラれてもなんか楽しそうやった。うちも楽しかったんや。そんな兄ちゃんと一緒にいれてよかった。でも、もうお別れや。これ以上兄ちゃんに甘えるわけにはいかん」
 なんだよ。
 なんだよそれ。
 急すぎるだろ。あまりに。
「すまん。でも兄ちゃんの人生はこれから良くなるはずなんや。兄ちゃんが運勢の底を乗り越えたからな。昇っていく兄ちゃんとうちは一緒にはおれんのや。貧乏神は運気に弱いねん」
 僕は何も言えなかった。ただ、呆然と、先ほど尚先輩を追いかけられなかった時のように、ドラムの前に座っているだけだった。
 また何も出来ないのだろうか。
「兄ちゃん」
 なんだよ。
「最後の曲、ちゃんと聞いとくさかい、カッコええとこ見せてや」
 何言ってんだこいつは。
「当たり前田のクラッカー」呟く。
 そうか。なんとなくわかった。
 去り行くものを無理に追う事は出来ない。
 僕があの時尚先輩を追いかけたって、彼女を抱きしめたって、告白したって、そんなのは寂しさを増幅させるだけの悪あがきでしかないのだ。
 あの時の僕に最良の選択肢なんてなかった。
 でも、今の僕には音楽があるじゃないか。
 やったるしかない。
「貧乏神!」
 僕は叫んだ。紅子が怪訝な顔で振り返る。調子に乗ってしゃべっていた竹松も驚いて黙った。少ない観客が、それまで微塵も目立たなかったドラムに視線を寄せるのがわかる。
 僕はかまわず言う。
「別れは言わんぞ! これは手向けじゃ!」
「何? どうしたの?」紅子が近寄ってくる。
「糞みたいなMCはもういいから!」
 出来る事なんて限られている。
 だから僕は。
「この場にいる奴らに、パンチってやつを見せつけてやろう」
 このメロディを貧乏神に捧げる。

       

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Neetsha