Neetel Inside 文芸新都
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 次の日、久々に街の中を歩いた。見慣れた商店街、スーパー、神社、公園。どこもあまり変わらず、懐かしさがそこら中に漂っていた。思い出が多い街だ。強い日差しとうだるような暑さの中で蝉の声がこだまする。
 密集した住宅街を抜けるとやがて駅前の広場へ辿り着いた。駅のすぐ横には山際へと続く狭いトンネルがあり、そこを抜けると坂の上に公園が見える。シノブが死んだ公園だった。
 景色の良い公園で、昔からシノブはこの公園からの眺めが好きだった。悩みがあるとよくここから景色を眺めるような奴だった。
 シノブが落ちた場所はすぐに分かった。手すりに『落下注意』と書かれた張り紙がされており、傍には花が置かれていたからだ。下には前までなかった落下防止の網があり、まだ作られて間もないのが見て取れた。眺めが良い分、高さもある。風も強く、ボーッとしていると落ちそうになる。怪我ではすまないだろう。手すりは僕の腰くらいまでしかなく、落下してもおかしくない。むしろ今まで誰も落下した人がいない事の方が驚きだ。
「何で最初がシノブだったんだろうな」
 言っても仕方ないことなのに、つい口に出してしまう。
 一望できる街の情景は美しく、真夏の太陽の光を一身に受けていた。抜ける風は吹き出た汗を緩く乾かせ、体内の熱を吸い取ってくれる。うっそうと生いしげった葉が日光を反射し、妙に輝いて見える。
 事件のあった当日、天気は雨だった。シノブのアルバイト先はこの公園より少し先にある喫茶店だ。帰る時に通るとは言え、わざわざ雨が降っている公園で足を止めようと思うだろうか。
 公園を出てシノブのアルバイト先まで足を運んだ。店に入ると店長が僕を迎えてくれた。何度かシノブと来た事があったので覚えていてくれたらしい。店長はまだ若い人で、肌は日に焼けており、精悍な顔つきをしている。いかにもスポーツマンと言う感じだ。
 カウンターに座ると、アイスコーヒーを出してくれた。
「シノブちゃんの事、残念だったね。仕事も頑張ってくれていたし、みんなからも慕われていた。本当に惜しい子を亡くしたと思うよ」
「僕はいまだにシノブが死んだと言う実感が沸いてないんです」
「葬儀も出れなかったんだろ? そりゃそうだよ。僕が君の立場でも、多分同じだ」
「葬儀には誰か参加したんですか?」
「臨時休業にしてね、店のみんなで行ったよ。シノブちゃんは本当にこの店の華だったから」
 店長はしばらく店でのシノブの話を聞かせてくれた。彼女がどれだけ一生懸命毎日を生きていたのか、そしてどれだけの人に好かれてきたのか。常連のお客さんの中にはシノブと会話する事を楽しみにしていた人もいたらしい。若い男性のお客さんから手紙を渡されたこともあったと言う。
「それって、ラブレターってやつですか?」
「断ってたけどね。他に好きな人がいるからって」
 そこで店長は顔をしかめた。
「……あぁ、しまった。この話は君にはいわないで欲しいってシノブちゃんに口止めされてたんだった。でもまぁ、もう時効かな」
 昼前になり、店が混み始める気配を見せたので店を出ることにした。
「あ、待ってくれ」
 お会計を済ませたところで店長に呼び止められた。なんですかと振り向くと、彼は店の奥からハンカチを持ってきた。タオル地で出来た、灰色のハンカチだ。
 これ、渡しといてくれないか。シノブちゃんのお母さんに。これは? シノブちゃんの忘れ物だよ。

 午後には家に戻ってきた。母の姿はまだなく、ベッドに腰掛けると声がした。
「ねぇ秀介、今日はどこ行ってたのよ。呼びかけても返事しないし」
「ちょっとね。久々に街を巡ってたんだよ」
「散歩するなら私も連れて行きなさいよ」
「ごめんごめん」こう言うささやかな嘘をつくたびに心が痛んだ。
「それで、どこ巡ってたの?」
「丘の公園あるだろ。そこだよ」
「へぇ、どうしてまたあそこに?」
「ちょっとね。何せあそこには思い出がいっぱいあるから」

 小学六年生の頃、あそこでシノブと喧嘩した事がある。
 当時僕は毎日シノブとあの公園で遊んでおり、それを同じクラスのやつらにからかわれたのだ。
「お前らラブラブだな。いっつも一緒にいて。ばっかじゃねーの」
「うるさい! 別になんとも思ってねーよ、こんなブス!」
 本音ではなかった。ただ、からかわかれてついそう言ってしまっただけなんだ。
 僕のその言葉でシノブは泣き出し、クラスのやつらはビックリして逃げて行った。そのまま僕は何となくシノブに話しかけられるのが躊躇われ、その日は一言も会話せずに家に帰った。どうせ数日経てばいつもみたく話すようになると思ったんだ。
 だけど中学の間、僕はほとんどシノブと会話しなかった。こうして同じアパートに住み、いつでも話できる状態にあるにも関わらず、まるで会話した記憶がない。

「僕ら一時期仲悪かったじゃん。なのにどうしてまた話すようになったんだろうな」
「中学卒業前に、あんたがわたしに謝ってきたんじゃない。あの日のあんたの言葉、一言一句覚えてるから」
「僕、なんて言ったっけ」
「内緒」
「なんだよ、教えてくれよ。ケチだな」
「あんたが記憶力ないのが悪い」
 シノブは壁越しに愉快そうに笑った。彼女が生きているなら、さぞかし悪戯っぽい表情をしているに違いない。
 ポケットに手を突っ込むと、先ほど店長から渡されたハンカチが手に触れた。何気なく取り出す。これが私物なんて、シノブのやつ随分センスがないなと思った。ハンカチをよく見ると中に何か包まれているみたいだった。開いて見てみる。
「何、どうしたの?」
「いや、ちょっと思い出してたんだ。昔二人でネックレス買ったの覚えてる?」
「あぁ、行ったねぇ。結構古い型だったからどこにもなかった。何件も巡って、ようやく見つけたんだっけ」
「お前のおばさんにプレゼントしたよな」
「随分懐かしいね」
「あのネックレス、おばさんよく首にはめてた」
「気に入ってくれてたからね。宝物にするって言ってくれてた。どこか出かけるときはいつもはめてたよ」
「今考えたら何で僕まで一緒に買いに行ったんだろうな」
「素敵な幼なじみの為なんだから当然じゃない。何も不思議じゃないわ」
「よく言うよ。妄言も大概にしてくれ」
 僕はハンカチに包まれたネックレスを見て、少し笑った。

       

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