Neetel Inside 文芸新都
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 シノブの家を再び訪ねたのは花火大会が始まる少し前だった。チャイムを鳴らすとおばさんがやつれた顔で僕を迎えてくれた。
「そう言えば秀介君、毎年シノブと花火大会見てたのよねぇ」
「ええ」
 僕は仏壇の前に座ると、静かに鈴(りん)を鳴らした。線香に火をつけ、灰の中に刺す。
「それで、今日はどうしたの? わざわざ拝みにだけ来たとは思えないけれど」
「はい。少しお話がありまして」
「話?」
 不思議そうなおばさんを尻目に、僕はリビングの机にポケットの中のものを置いた。
「これは……ハンカチ?」
「開けてみてください」
 おばさんが恐る恐る折りたたまれたハンカチを開いていく。中にはネックレスが入っていた。
「これは、私のネックレス? どうしてこれをあなたが?」
「シノブのアルバイト先の店長から預かったんです。おばさんに渡してくれって」
「あの子のアルバイト先に……。どうしてかしら。引き出しにしまってあったはずなのに」
「正確には、これはおばさんのネックレスではありません。全く同じ型の、別のネックレスです」
「別の?」
「僕が昔、彼女に上げたネックレスなんです。これは」

 中学三年になり、後輩としてシノブが進学してきた。その時の僕たちは互いを敬遠していて、廊下ですれ違っても視線すら交わさなかった。
 シノブは僕に酷い事を言われたと言う記憶があったし、僕もシノブに酷い事を行ったと言う負い目があった。帰り道も一緒で、朝の登校ではタイミングが被る事もしばしば。気まずくて仕方がなかった。
 このままではいけないと思った。でも僕にはきっかけがなかった。
 十二月になり、いよいよ高校受験間近となったときだった。帰り道の商店街で、シノブを見かけた。彼女はアクセサリーショップのショーケースを眺めており、その視線の先にはあのネックレスがあったのだ。琥珀色のネックレス。
 チャンスだと思った、ひそやかに。僕は意を決して店の中に入り、彼女に話しかけた。
「欲しいの? それ」
 シノブは一度僕をいちべつして視線を戻し、次にびっくりした顔で二度見してきた。何でこいつがとでも言わんばかりの表情で、笑いそうになった。
「欲しいなら買ってやるよ」
「いらない」
 彼女はじいとショーケースを見つめて言う。
「じゃあ僕が勝手に買ってやる」
「やめてよ。せっかくのネックレスが穢れる。大体、何であんたが私のネックレスを買うのよ。嫌がらせ?」
 少なくともまだ彼女のネックレスではないが、そこはあえて突っ込まないことにした。
「お詫びだよ。三年越しのお詫び」
「物で釣られるもんか」
「釣られなくたっていいよ。何なら捨ててくれたって良い。でも、僕は謝りたいんだよ。この三年間で感じたのは、シノブに一緒にいて欲しいって事なんだ。だから例えもう話さないままだとしても、何の詫びもないまま終えるのは嫌だ」
 僕が言うと、しばらくシノブは不機嫌そうに黙り込み、そっと口を開いた。
「……頂戴」
「えっ?」
「このネックレス、買ってくれたら許してあげる」
 当時中学生だった僕にはかなり高価な代物だったが、貯めていた小遣いをはたいてどうにか購入した。

 シノブとネックレスについて話していて全て思い出した。なんだかむず痒い記憶だったからなるたけ考えないよう努めていたらいつの間にかすっかり記憶が曖昧になっていたのだ。
「僕は、シノブがあのネックレスを着けているのを見たことありませんでした。多分おばさんに遠慮したんでしょうね」
「遠慮?」
「おばさんもこれと同じネックレスを持ってますよね? あいつ、自分と同じネックレスをおばさんにプレゼントしたんです。買うのに僕も付き合いましたから良く覚えています。多分、同じネックレスを持っているって事をおばさんに悟らせたくなかったんでしょう。おばさんが気を使わなくてもすむように」
「そう、あの子が……」おばさんはそっと溜息を吐くと、ふと首をかしげた。「でも、それとあの子のアルバイト先にネックレスがあった事と、どう関係するの?」
「このハンカチ見てください。何か違和感を感じませんか?」
「違和感?」
「これ、男物なんです。僕がシノブにあげたネックレスは、このハンカチに包まってました。それで考えたんです。このハンカチは一体誰のだろうって」
 そこでおばさんはハッとした。思い出したようだ。
「亡くなったおじさんのハンカチですよね、これ」
「ええ。たしかこんな柄のハンカチ、お父さん持ってたわ。もう何年も前だからうろ覚えだけど」
「シノブにとって、このハンカチは宝物だったんです。そして、このハンカチに包まれたネックレスもまた、宝物だったんだと思います」
 シノブはネックレスを着けることはなかった。その代わり、彼女は肌身離さずこのネックレスを持っていた。亡くなった父親のハンカチと共に。
「ここからはあくまで僕の推測ですが、シノブが亡くなったのはこのネックレスが原因ではないのかと僕は思うんです」
「どういう事?」
「このネックレス、シノブがバイト先においているユニフォームから出てきたそうです。右のポケットから」
 事故のあったあの日、彼女はバイトを終えハンカチがない事に気付いた。いつも肌身離さず持っていたものだからなくなった事に割と早期の段階で気付いたのだろう。ただ、無意識のうちにユニフォームのポケットに入れた事を忘れていた。その間の抜けた感じも、あいつらしい。
 来た道に落としてないかと探し歩いていたシノブは念のため公園にも足を踏み入れた。道に落としたハンカチが風で流されたのかもしれないとでも考えたのだろう。公園を探す中で、彼女は例の場所へと足を運んだ。
 今日、公園に足を運んだ時、葉が太陽の光を強く反射していた。だとすれば、雨露に濡れた葉が街灯を反射し、輝いて見える可能性はなかっただろうか。
 シノブは手すりの遥か下で輝くそれをネックレスかもしれないと思い、覗き込んだのだ。
「ずっと気になっていたんです。どうしてシノブが雨の日にわざわざ公園に足を運んだのか。でも、これでようやく謎が解けた気がしたんです」
「大切にしていた物のために命を落とすなんて、やるせないけど、なんだかあの子らしいわね」
「あくまで、僕の推測ですけどね」
 おばさんはゆっくりと首を振る。
「ううん、そう言うことにしておきましょう。あの子が死んだ事実は変わらないけど、原因が明らかになって何だか少しだけ報われた気がするの」
「恨んでますか、僕のこと」
 間接的にとは言え、シノブが死ぬ要因となったネックレスは僕から贈られたものだ。
「恨まないわよ」おばさんは泣き笑いみたいな顔をすると、机上のネックレスをそっと僕に差し出してきた。
「あの子がそれほどまでにして大事にしていたネックレス、それと同じ物を私にプレゼントしてくれた。それが分かっただけで、私は充分幸せだったんだって思ったわ」
 おばさんは窓の外を見る。
「あの子が家を出たがっているって分かった時、この生活に嫌気がさしたんだって思ったの。家族二人、支えあって暮らしてきたつもりだったけど、あの子には我慢ばかりさせていたから。夫を亡くして、娘にも捨てられるんだって」
「積み立てていたシノブの結婚資金で家具を買い揃えたのも、それが原因ですか」
「あら、ばれちゃったのね」彼女はバツの悪そうな顔をする。「色々重なってるところでシノブの事故があって、これまで頑張ってきた事が急に馬鹿馬鹿しく思えちゃったのよ」
 でも、全部私の勘違いだったのね。おばさんは胸を撫で下ろすように呟いた。心から安堵したとき、人間はこんな表情を浮かべるのではないだろうか。
「秀介君、このネックレスは、あなたが持っていなきゃ駄目よ」
「いいんですか」
「ええ」
 おばさんは立ち上がると、引き出しからよく似たネックレスを取り出した。すっかり色のくすんでしまった、安っぽいネックレス。
「だって私には、シノブがくれたネックレスがあるもの」

       

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