Neetel Inside 文芸新都
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 部屋のベッドに寝転がると、床がミシリと軋んだ。母はまだ帰っておらず、僕は電気もつけずに手に持ったネックレスを眺めた。
「ネックレスなんて、お前にあげなきゃよかった」
 僕が言うと、壁の向こうから「はっ?」とシノブが声を上げる。
「何? 何の話?」
「中学の頃僕がお前に上げたネックレスだよ」
「なんでそんな酷いこと言うのよ」
「このネックレスのせいで、お前が死んでしまったんだから」
 僕の言葉に、シノブは黙った。
 どちらが良いだろうかと考えていた。僕がこのネックレスを上げなければ、恐らく彼女は死ななかった。もう二度と会話することはなかったかもしれない。でも、彼女が死ぬこともなかった。
「なぁ、シノブ。お前はもう死んでるんだよ、半年も前に事故で。多分、このネックレスを探して」
「……うん、知ってた」
 僕は壁を見た。
「なんとなく分かってたんだ。自分の身体がおかしいって事。五感も、心も、まるで平坦でさ、眠くもならないし、お腹も減らないんだよ。まるで押入れの中にずっと閉じ込められてるみたいに真っ暗で、何も聞こえないんだ。……でも、あんたの声だけは聞こえた。真っ暗な中にスッと光が射すみたいに、それだけで心が安らぐのが分かったんだ」
「うん」
「最初は、病院にいるのかなって思った。いつもの公園で、ネックレスを探してたんだよ。それで、高台から落ちて、身体全体が動かなくなってしまったんだって」
「うん」
「あんたと話してるうちに、私はどうやら家にいるらしいって分かった。いつもみたいに壁越しにあんたと話してるんだって」
「だから花火を一緒に見ようなんて言ったんだな」
「わたしの状況に気付いてないんだと思ってさ。あんた馬鹿だから」
「うるさいよ」視界がにじんだ。
「そっか、わたし、死んでたんだね」
「うん」
「もう一緒にビール、飲めないんだね」
「……うん」
「ねぇ秀介、わたしはあんたにネックレスをもらった時心底嬉しかったんだよ。あんたと会話しないまま過ごす人生なんて、多分酷く空虚で寂しい物になってた。高校に行く時も、大学に行く時も、私の目指す先には常にあんたがいたからね。だからネックレスを上げなきゃ良かったなんて、そんな寂しいこと言わないで欲しい。これはわたし達の絆なんだよ」
「そうだな、ごめん」
 その時窓の外が強く光り、ネックレスが虹色に輝いた。窓の外で花火が上がっていた。花火大会が始まったのだ。小さなボロアパートの一室から見える花火は絶景で、開いた窓から音の振動まで伝わってきそうだった。
「秀介、もう花火大会始まってる?」
「いま始まったよ」
「今年も、綺麗?」
「例年と変わりないさ」
「そっか。じゃあ、わたしも花火見えてるよ。あんたと一緒に見てるんだ、この壁越しに」
「うん」
 何発も花火が上がる。夜空を彩っていく。壁越しの中で、何となく終わりのときが近いのが分かった。
「シノブ」
「うん?」
「僕はずっと、君が好きだったんだ」
「遅いよ、馬鹿」
「ごめん」
「まぁそう言うところ、嫌いじゃないけどね」
「あんがと」
「あ、秀介」
「なんだよ」
「私の机の二段目に、CD入ってるから」
「CD?」
「見れば分かるよ。向こうに帰る前に見てみて」
「分かった。そうする」
「それとさ、秀介」
「なにさ」
「わたしもずっと──」
 そこでシノブの声は聞こえなくなった。空に何発も花火が連続して上がり、まばゆい光と大きな音で世界が埋め尽くされた。
 それ以後、もうシノブの声が聞こえることはなかった。

 冬になった。年末の仕事も一段落し、正月は何とか実家に帰れる見通しが着いたときに母から電話があった。
「母さんもこっち来たら良いのに」
「何言ってんの。町内会で忙しいんだから行ける訳ないでしょう? 明日も商店街の皆さんと年末のイベント準備をしなきゃなんないんだよ。いいかい、あんた正月はちゃんと帰ってきなさいよ」
「はいはい、分かったよ。……そう言えば、お隣のおばさんは元気にしてる?」
 母は少し間をおいたあと、柔らかい声で「元気でやってるよ」とだけ答えた。それだけで何となく分かった。深い説明などなくても大丈夫なんだと僕を安心させてくれた。
「帰省したら挨拶がてら拝みに行っときなさい」
「そうする。じゃあ、また」
 電話を切るとふと窓に目が行った。曇ったガラス越しに、かすかに雪が降っているのが分かる。
「寒いと思ったよ」
 僕はコタツに入るとおもむろにコンポの電源をつけた。そういえば今どのCDが入ってたっけ。考えていると曲が流れ出した。どこか懐かしいバンドソング。リンドバーグだ。コタツに身体を入れ込み、耳を傾けていると不意に聞き覚えのある曲が流れてきた。
 曲名は確か『君のいちばんに』。

 もうすこしだけ もうすこしだけ このままで ここにいて 感じていたい

 シノブの机の引き出しに入っていたアルバム。本当に律儀なやつだ。死んでからも人に貸すCDを覚えているなんて、心底馬鹿だ。
 でも、この曲を聴く度に僕は彼女の事を思い出す。
「泣く暇くらい与えて欲しかったよな」少しぼやいてから鼻水を啜った。
 二十年近く、僕は一人の女の子が好きだった。よく笑い、よく泣き、よく怒る子だった。僕らは薄っぺらい壁一枚を挟んだ、そんな関係だった。
 もう壁越しに彼女の声が聞こえる事はない。今、僕が住んでいる家は音など隣に漏らさないような中身の詰まった壁に包まれている。
 時間が経つにつれ、思い出は風化していく。いつしか自分が予想していた女性とは全く違う人と恋に落ち、結婚する事だってあるかもしれない。
 だけど、きっと彼女のことは忘れない。
 この曲と、ネックレスを見るたびに、彼女の事を思い出す。
 そしてその度に、僕は懐かしさに目を細め、そっと微笑むのだ。

──了

       

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