Neetel Inside 文芸新都
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 小学六年生の頃、その話を担任から聞かされた。帰りの会の時だ。
「えー、今度この街に公園が出来ます」
 突然の朗報に、教室がざわめいた。期待に目を光らせ、クラスメイト達が顔を見合わせる。それもそのはずだ。
 この街には公園がなかった。僕たちの遊び場所と言えば浜辺と、街一番のご神木のある山だったのだ。太い幹でそそり立つ神木は街の頂上を彩る。夏になると濃い影が地に落ち、よくそこで鬼ごっこや木登りをして遊んだ。
 そんな僕らの街に公園が出来る? 信じられないくらいだった。
「先生、公園はどこに出来るんですか?」
 クラスの誰かが尋ね、先生は満足げに微笑んだ。
「うん、みんなも知っている街の頂上のご神木がある広場。あそこに公園が出来るんだよ」
 おぉー、と歓声が上がった。正直、都会の子だと公園が出来るからと言ってこれだけ騒ぐことはないだろう。小学六年生にもなって、たかが公園一つで盛り上がる僕たちは他の街の子よりずっと精神的に幼いのかもしれない。それでもそれは僕たちにとって大ニュースだった。普段遊んでいる場所が更に楽しくなる、最高じゃないか。
「それで二日後に工事が始まるから、みんなしばらくはあそこで遊ばないようにしてほしいんだ。話によると小学校の夏休みに合わせて公園が完成するらしい。それまではあそこに立ち入らないように」
 僕たちは威勢の良い返事をして、教室を後にした。
 その日は隣に住んでいる百瀬翔子と帰った。彼女とは家族ぐるみの付き合いがあるので仲がよく、僕がよく遊ぶメンバーの中には必ず彼女がいた。ボーイッシュな翔子は僕の中では他の男友達と変わらない存在になっている。
「ケンヤ、夏休みになったら何する?」赤いランドセルを抱えた彼女は僕に尋ねる。
「そりゃあ公園で遊ぶよ。翔子もそうだろ?」
 僕の答えは彼女の期待した物だったらしく、彼女は何度も嬉しそうに首を縦に振った。
「あったり前じゃん。毎日鬼ごっこで一人狙いしてあげんね」
「もう勘弁してよ」
 クラス一足が早い彼女に僕は敵わない。一度狙いをつけられたら終わりだ。
「公園、どんなのになると思う?」
「どんなのだろ? あんまり想像つかないなぁ。ケンヤはどんなのになると思うの?」
「そうだなぁ……」
 浮かぶのは、新緑が生み出す木陰の光景。海と街が見渡せ、どこまでも広がる。風が緩やかに巻き上がり、木々を歌わせる。そんな場所でブランコをこぎながら、海を眺めるのだ。毎日、毎日。この街の頂上から眺める光景は絶品で、飽きが来ない。そんな場所で仲間たちとゆっくりアイスを食べる。悪くない。
「ご神木があるから、夏場は涼むのに最適な場所になると思う」
「でも、ご神木切られるんでしょ?」
「えっ?」
 音が止まったような錯覚が襲う。
「何それ」
「お父さんが言ってたよ。以前あそこの木から落ちて骨折した子がいたでしょ? アレがきっかけで、町内会で話し合いがあったんだって。最初は立ち入り禁止にしようかとも思ったらしいんだけど、街で一番景色が良い場所だし、私達の遊び場もあまりないからいっそ木を切って公園にしようって」
「でも、先生はそんな事一言も……」
「やっぱり、言い出しにくかったんじゃないかな。街の象徴みたいな物だったし」
 翔子は溜息を吐いた。少し残念そうではあるが、それほど気にしている様子もない。
「そっか、切っちゃうんだ」僕は肩を落とした。
「でも良いじゃない。公園が出来るんだから。あの木がなくなったら見通しが良くなってサッカーも出来るようになるよ」
「そうだね」
 そう返したが、声に感情が伴っていないのを自覚していた。
 あの木は、僕にとって特別な物だった。父さんとの、思い出の木だ。
 父さんは僕が小学校に入る前に、病気で死んでしまった。
 病気が見つかったときにはもう病状はかなり進行していて、治療する事ができなかったらしい。若くして夫を亡くしてしまった母さんに、父さんの両親であるじっちゃんとばっちゃんが同居を申し出た。この街なら再スタートに最適だし、家も広いから、と。再婚をすれば話は変わるかもしれないが、母さんはその意思はないとはっきり告げた。
 今は父さんの実家で、じっちゃんとばっちゃんと母さんと僕の四人で生活している。
 家の前で翔子と別れた。向かい側の赤い屋根の家に彼女が入っていくのを見届けた後、僕は自宅の扉を開いた。
 古びた木製の引き戸は開くと甲高い音で鳴いた。その音で、母が台所から姿を現した。街の惣菜屋で働く母はこの時間にはもう帰宅している。
「お帰り。おやつあるけど食べる?」
「まだいいや、あとで食べる」
「あら、そう。珍しいこともあるものねぇ」
 目を丸くする母の脇をすり抜け、僕は二階の自室へと向かった。
 ランドセルを机の上に置き、窓を開いた。スッと、涼やかな風が入り込み風鈴の音が響く。窓は向かいの家と対面する位置にあり、僕の真正面に翔子の部屋があった。よくここから彼女と手を振り合っている。
 窓から見えるのは翔子の部屋だけではなかった。見上げれば、大きな木が見えるのだ。
 街のご神木。僕が生まれる前から、いや、じっちゃんが生まれる前から既にこの街にあった。その木を切ってしまうなんて、とてもじゃないが信じられない。
「本当なのかな……」僕は彼方の神木を望んだ。
 先生は二日後に工事が開始されると言っていた。とすれば、その時神木が切られる事になるだろう。

「ねぇじっちゃん、ご神木が切られるって本当?」
 夕食時、僕はじっちゃんに尋ねた。からあげを頬張ったじいちゃんはキョトンとした顔をする。母とばっちゃんが互いに顔を見合わすのが分かった。
「どうしたんじゃい急に」
「今日翔子が言ってたんだよ。山頂に新しく公園を作るかわりにご神木を切るって」
「そう言えばそんな話も出とったなぁ、ばあさん」
 じっちゃんが顔を向けるとばっちゃんはゆっくりと頷いた。
「長年街を支えてくれた木だから、なくなるのはさみしいけどねぇ」
「じゃあどうして誰も反対しないのさ。じっちゃんやばっちゃんが子供の頃から街にあったんでしょ? 大事じゃないの?」
「ケンヤ、その話ならね、もう街の大人が何度も話したのよ。神木を切りたい人なんて誰もいなかったの。でも以前からあの木に登ろうとして怪我をする子供がいるって話はケンヤも知ってるでしょう? 木から落ちて今も入院している子供だっているんだから。封鎖してもこの街には遊ぶところなんてないから子供達はどうしてもあそこに集まりがちだし、公園を作るにも場所がない。だからこうするしかなかったのよ」
 母は僕を諌めようと落ち着いた声を出す。それでも納得がいかなかった。
 みんな、あまりにも薄情じゃないのか。
 部屋に帰っても僕は神木の事を考え続けた。どうにかして守る方法はないのだろうか。向かい側の部屋で翔子が机に向かって勉強しているのがわかった。その姿をボーッと眺めながら、僕は物思いに耽る。
 そして一つの答えを出した。
 誰も守らないなら、僕が守るしかない。

 翌日、早朝に目を覚ました僕は、朝ごはんを食べるとすぐに家を飛び出した。その日は六月の第四土曜日で、学校は休みだった。外は仕事へ向かう少数の大人しかいない。
 自転車に乗って街の中央を通る長い坂道を登った。目指すは神木のある丘だ。
 息を切らせながら何とか頂上まで辿り着くと、入り口には既にチェーンが張られ工事の看板が立てられていた。中に人の姿はない。工事を始める前に、簡易的な敷居を設けたみたいだ。とは言えチェーン一本張られたくらいではすぐに中に入れてしまうので全く意味はないのだが。
 僕は道の外れに自転車を止めると、チェーンをくぐって中に侵入した。
 山の頂上は広場となっている。その広場は木々に囲まれ、中央に一本だけ、太くしっかりした幹を持つ神木がたたずんでいた。確かにここを公園にするならこの大木を切ってしまったほうが広くなる。
 神木自体はそれほど高い木じゃないので切ることは難しくなさそうだ。でも枝がすごく長い。何十人と子供が遊ぶこの広場を全て木陰で覆いつくせてしまう。それくらい横に長く枝が伸びている。
 僕はこの木が作る木陰が大好きだった。日差しを適度に通し、新緑を深くしてくれる。風が吹いて木々の歌声を聴きながら眼下に広がる海を眺めるといつも心が洗われた。
「大丈夫だぞ、お前は僕が守ってやるから」
 僕は木の幹を撫でながら語りかけた。
「子供一人に守れるんかいな」
「えっ?」
 返事が返ってきて、僕は周囲を見渡した。誰もいない。でも確かに声が聞こえる。
「こっちや、こっち」
 上の方から声が聞こえて僕は神木を見上げた。
 太い枝の上に、和服を着た女性が座っていた。長髪で、前髪を切りそろえている。長く伸びたまつ毛が木漏れ日に照らされ、光の残響が彼女の肌を白く染めていた。
 彼女は僕と目が合うと、ケラケラと笑って枝から飛び降りた。
「あっ」危ない、と言おうとしたが、目の前の女性は事も無げに地面に着地する。
「どうや? ビックリしたやろ?」
「足をくじいたかと思った」
「ところがどっこい、うちはそんな事では怪我はせん」
 そよ風が吹いて、女性の風がなびいた。鼻先を木々の香りが抜けていく。その異様な美しさや気配に、僕は彼女が人間でない事を悟った。
「あんたはケンヤやろ?」
「何で知ってるの?」僕は目を丸くした。
「街の子供の名前はみんな知っとるんよ。物知りやろ」
「ひょっとして、神様?」
 僕が尋ねると彼女は「おしいっ」と声を上げた。
「ちょっとちゃうな。うちはな、ご神木や。このえらい大きい木あるやろ? その精霊さんや。名前はコノハ」
「コノハ?」
 僕が繰り返すと、彼女は満足げにニッと笑った。
 その日は六月の第四土曜日で、潮風が優しい日だった。

       

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