Neetel Inside 文芸新都
表紙

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 友達が多くて、人生を楽しんでいるやつほど人間関係において上の立場になるのだと思っていた。僕みたいに底辺の人間は「あいつおもんない」とか言われてもぐっと堪えなければならないと思っていた。
 だが、今なら思う。
 何様だよ、と。
「おい、相棒。起きろ、相棒」
 目を覚ますと不愉快な格好をした変態が空を浮遊していた。
「もうすぐゼミの時間になるぞ」
 ガーターに、女性物の下着を身につけ、ブラの中にティッシュを詰め込み、謎の仮面を被るおっさんに起こされると言う最悪の目覚めをした。僕は勢いをつけて上体を起こす。
「お前が飲み会でやらかしてから最初のゼミだな」
「……言わないで下さいよ」
 きっかけがどうのと諭され、調子に乗ってゼミの飲み会に参加してから一週間が経った。
 飲み会では僕の登場に異質な空気が漂い、佐伯さんは終始僕に気を遣うと言う最悪の状況の中しこたまビールを飲み、記憶を飛ばしたあの日のことは思い出したくないしほとんど思い出せない。
「はぁ、ゼミ、行きたくないなぁ」
「一度与えた悪印象はなかなか拭いされないもんな? 俺みたいに」
 どうやら花子さんに辛辣な発言をさせたのをまだ恨みに思っているらしい。チクリチクリと刺し込んでくる。
「花子さん、今日は来てないんですね」
「長野の小学校にあるトイレで呼び出しくらったから出張だ」
 あの日以来花子さんは時折我が家にやってくるようになった。おじさんが契約の拡張などした為である。我が家はゴーストハウスと化した。この間は便器の蓋を上げるとそこに彼女の顔があって悲鳴を上げた。たまったものではない。
「どうした? あの子から花子さんに鞍替えか? 言うとくけどやらんぞ」
「いらん。と言うかなんで一々あんたに許可もらわんと駄目なんですか。ふられたくせに」
「ぐふっ」おじさんは倒れた。

 自転車に乗って重い足取りで学校へと向かう。遅れて登場するとかえって目立ちそうな気がして、早めに教室に入る事にした。
 ドアを開くと一番奥、いつもの定位置に、佐伯さんがいた。
「おはよう、久保君」
「お、おはよう。今日も早いね」
「久保君こそ」
「ぼ、僕はほら。前の飲み会でやらかしちゃったから。あんまり遅く来たくないなって」
「やらかすって?」
「記憶飛ばしたり、とか」
 すると佐伯さんはフフッと笑った。
「大丈夫よ、久保君。そんなのやらかしたうちに入らないから」
「そうなの?」
「そうだよ。あ、でもそうか。記憶飛んだのなら覚えてないんだよね」
「何を?」
「私に言ったこと」
「えっ? 僕何か言ったの?」
 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「なーいしょ」
 今の『なーいしょ』が可愛すぎて今夜は眠れそうにない。
「ねぇ、久保君、そんな離れた場所じゃなくてこっちに来ようよ」
「えっ、いいの?」
「そのほうが話しやすいでしょ?」
「でも僕見たいなのが横に座って、嫌じゃない?」
「嫌な訳ないじゃない」
 僕は以前ほど違和感なく佐伯さんと会話出来るようになっていた。おじさんが花子さんを連れてきてくれたおかげだろうか。あの不気味な美人と会話するようになってから多少なりとも女性に対する耐性はついた気がする。
 始業のチャイムが鳴った。奇妙なことに他のゼミ生がこない。一体どうしたのだろうか。僕は佐伯さんと顔を見合わせた。そうしているうちに教室のドアを開けて教授が姿を現した。そして僕ら二人の姿を見てにっこり笑う。
「今日は他の皆さんから体調不良でお休みと言う連絡をいただきましたので、ゼミの参加者は佐伯さんと久保君だけになります」
 何だそれは。全員休みとは、奇妙なこともあるものである。サボりだろうか。不思議に思っていると佐伯さんが「じゃあ今日は何をするんですか?」と発言した。
「三人でディベートをしましょうか。ナショナリズムについて、とか」
 教授はそう言って笑みを浮かべる。
 僕は佐伯さんを見た。
 目が合う。
 意見は一緒だった。
 僕達は、二人揃ってゆっくり頷いた。

 高校の頃も、中学の頃も、昔からずっと相手の機嫌を考えて生きていた。不快にならないだろうか、目を合わせると怒らないだろうか。そしていつしか人といても落ち着くことはなくなり、まともに会話することすら出来なくなっていた。
 でもこうやって、再び話す事が楽しいと思えるようになっている。
 それはたぶん。
 この僕の真横で鼻くそをほじっている便所神のおかげではないだろうか。
 考えてみればこの人くらいだ、僕と何の違和感もなく話せたのは。認めたくはないけどな。
「みんなを下痢にしたの、おじさんでしょ?」
 ゼミの終了後、教室を出た僕はおじさんに言った。
「何のことかな」
「ゼミのメンバーが佐伯さん以外全員体調不良なんてありえません。でも、おじさんは確か便意を操作出来るんですよね? 教室に入ろうとしたゼミ生達を過度の下痢にすることなんて容易いんじゃないですか」
「なんで俺がそんなことするんだよ。お前のためにしたってか?」
「だから朝わざわざ僕を起こしてゼミに行くよう言ったんでしょう?」
「考えすぎだろ」
 おじさんはわざとらしく肩をすくめるとそっぽを向いた。どうでもよいがブラの肩紐が外れているのが気になる。
「……まぁ、相棒の門出を祝してやるのは神として当然の事だ」
「えっ?」
「何でもない」
 何だこのおっさんは。不可解である。
「そういえばおじさん」
「何だ?」
「以前言っていた願いを叶えてくれるって話なんですけども」
「あれはもう叶えただろ?」
「はっ?」
「俺たちが初めて会った日だよ。『とりあえず今日のところは便所に戻ってください』ってお前言ったじゃないか。んで俺は戻った。願い成就だ」
 やっぱりこいつ殺そう。
 僕がどうやってこの変態を亡き者にするか思案していると「久保君」と背後から声を掛けられた。
 振り向いて思わず体が硬くなる。
「さ、佐伯さん」
「よかったぁ、追いついて。あのさ、久保君このあと用事ある?」
「え? 暇だけど……」
「一緒に昼ごはん食べない? 今日これで講義終わりでしょ? 私、家にご飯用意してなくって」
 驚きのあまり声が出なかった。パクパクと金魚みたいに口を開閉していると「あはは、何それ」と彼女が笑う。
 便所飯が僕の日課だ。
 まだまだ教室で食事をする日々には遠い。
 でも、とりあえず今日のところは、美味しいご飯が食べられそうだ。

 校内にお昼の放送が流れる。

 皆さんこんにちは。今日も始まりましたお昼の放送。
 今月は懐メロ月間。それではさっそくこの曲から。
 渡辺美里で『マイレボリューション』。

「行ってこいよ。このベスト便所飯ニスト!」
 バンッ! と強く背中を叩かれる。
 いつか本当に自分が変わったと思える日が来るかもしれない。
 それまで、この奇妙な相棒と共に生きるのも悪くないと思えた。


 ──了

       

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