Neetel Inside 文芸新都
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 もうすぐ創業百年を迎えるらしい超長寿オカマバーは近所の探索好きな学生ですら知らないような街の奥深く、真新しいマンションが集う中にポツンとあるくたびれた貸しビルに存在している。薄暗い店内にはカウンター席とテーブル席がいくつか。それなりに繁盛しているのか常連も多い。
 私もその一人だ。
「悔しいわけじゃないのよ。ただ、やっぱり街中でいちゃつかれると不愉快じゃない。こっちは仕事で疲れてるんだし、たまの休日くらいそういうストレスの要因? 作りたくないじゃない」
 私がカウンターに頬杖をついてマティーニを飲み干すと、目の前にいる女子力溢れる男性がすかさずお代わりを作ってくれた。動きにそつがない。
 オカマバーの名に背かず、カウンターの向こう側で酒を作っているこの赤毛ツインテールのロリっ子もれっきとしたオカマだ。
 名前を雷吾郎。通称雷神さん。
 ここ、オカマバー『雷神』の店長であり私の親友でもある。
 パッと見ても女の子だし、よく見ても女の子だ。髪は染めたのではなく地毛だろう。手入れが行き届いており私の髪よりもずっと美しく艶やかだ。
 しかしフグリはついている。
 見た目と違い、その頼りがいがある可憐さに男女問わず彼に食われてきた。
 しかしフグリはついている。
 おぞましい。
「それでハンカチを渡してくれた男の子を罵倒したと」グラスを差し出し、私をじっとりと視線で探るロリっ子。
「罵倒なんてとんでもない。ただイカ臭い童貞が私の高貴なハンカチに手を触れるとはどういう神経をしているのだと詰問しただけよ」
「唾を吐いてハンカチを投げつけた」
「女子力よ、女子力」
「そんなのは女子力とは言わん!」
 雷神さんはカウンター越しに私を指差す。
「あんたのは女子、力だ!」
「じょ、じょし、ちから?」
 何だそれは、分離されとるがな。戸惑っていると私の存在を否定するようにロリっ子は首を振った。
「いい? 女子力って言うのはもっとこう、守ってあげたいって思わせるオーラのような物を指すのよ」
「オーラ、オーラ力」
「そりゃダンバイン」
 こう言う八十年代アニメネタがするりと通じる時、彼との付き合いの長さを感じる。
「確かに私、頼りがいありすぎるかも……今年で社歴百二十五年目だし」
 創業時代に入社したので必然的にそうなる。現会長は私の後輩にあたる。
「楓、今までずっと頑張ってきたんだからそろそろ家庭に入ったら? 歳も歳だし、結婚も視野に入れたって悪くないと思うけど?」
「いや、でも結婚しても相手先に死んじゃうし……」
「結婚とまではいかなくても恋愛は女を磨くのに必要よ? 仕事して、たまの休みに飲んで、暇な時はアニメや漫画見て、それはそれでいいかもしれないけれども、女の喜びってそういうのじゃないでしょ? もっと自分を大事になさい」
 オカマに女を説かれるとは。もう私は駄目かもしれない。
 一人へこんでいると雷神さんは携帯を開き、愛しそうに画面を眺め出した。私はカウンターに身を乗り出して中を覗いてみる。
「何このイケメン」
 携帯の待ち受け画面には雷神さんと頬を寄せ合って写る某アイドル事務所もおののきそうな好青年の姿が写っていた。どうやら自画撮りらしく、どこかの遊園地で撮影したものらしい。普通に見れば中睦まじいカップルのいちゃいちゃ写真にしか見えない。
「喰ってきちゃった、この間」
「喰った? どういう事?」
 比喩表現なのはさすがに分かっているが、いやしかしどういう比喩なのか想像したくはありませんなぁっはっはっは。
「やだ、五百歳にもなって分からないの? セックスしたって事に決まってるじゃない」照れくさそうに両手で頬を包むおぞましい生物が目の前で蠢く。手が震えた。
「じゃあこの人ゲイなの?」
「ノンケを開発する、それが私のテクニック」
「開発……」
 ベッドインした相手の陰部にフグリがついていた。
 諦めもつくか。
 果たしてつくのか。
「だからさ、ほら、楓も私くらい火遊びしないと、ね? どんどん枯れてっちゃうわよ」
「ううむ……」
 そりゃあ私だって恋愛に憧れを抱かなかったわけではない。それに五百歳で未だ処女ってどうなのよ。いやもうそれって冷静に考えるとヤバイってレベル超えてるんじゃないですか。いやいや人間単位で考えるとやばいけど、年齢五百って時点で私たち人ではないから別に大丈夫なのでは。
「一応まがいなりにも私たちって神様じゃない。穢れを知ってしまった神様ってやっぱりよくないって言うか」
 するとジトッとした目で雷神さんは私を睨んできた。これが最近流行のジト目と言う奴か。女子力が上がるとどうやらこんなことも出来るらしい。
「何、何か私の顔についてる?」
「あんた、このままじゃ、ずっとお局様(おつぼねさま)よ」
「お局? 私が?」
「気付いてなかったの?」
「いやいや、気付いてなかったもなにも、私がお局様なわけないじゃない」

 そう、この私がお局様なわけ──

「風巻さん、その書類」
「えっ?」
 ハッと意識を取り戻した時はもう遅かった。私の手から何枚か重なった書類が業務用シュレッダーへと吸い込まれていく。声を出す前に目の前で書類が細切れにされていた。
 入社して二年になる雅ちゃんが慌ててかけてくる。フワフワとシャンプーの香りが漂う。何使ってるのかしら。いや、いま重要なのはそこではない。
「あぁ、その書類午後の会議で使うやつですよぅ」
「本当?」
 シュレッダーを開く。クロスカット状に裁断された書類がボックスの中を満たしていた。ここまで細切れにされていると修復は不可能だろう。くそう、日本GBC社製シュレッダーめ、くそう。
 職務中に昨夜の事なんて思い出すんじゃなかった。そもそも雷神さんが余計な事を言うからいけないのだ。あんな発言なければこんな凡ミスするわけない。
「どうするんですかぁ。あの書類原本だから予備なんてありませんよぅ」
 雅ちゃんが半泣きで手をバタバタさせる。なぜあんたが半泣きになる。
「元データがあるでしょ? 再出力したら万事解決じゃない」
「それも無理ですよぅ」
「どうして」
「ほら、先日社内のサーバーが熱にやられてダウンしたでしょう? 大半のデータはバックアップ取っていたけど、こういう臨時の書類系は全部アウトでぇ……」
「だれかUSBメモリで持ち運んだりとか」
「ないですよぅ。どうするんですかぁ、もう」
「なんであなたが泣くの!」
「ひぃぃいい、ふぇえええ」
 こうなってはもうラチがあかない。私は雅ちゃんにハンカチを持たせると、そのまま私のデスクまで連れて行った。
「か、風巻さぁん、どうするんですかぁ」
「部長に報告してくるから、あなたは落ち着くまでそこにいなさい。私のミスなんだから、尻拭いくらい自分でするわよ」
 私は部長の個室へと向かった。我が社は仕切りによって完全に個人デスクへと分離されており、部長のデスクなど普段滅多に行かないので普通の社員なら足を運ぶだけで結構緊張する。そう、普通の社員なら。
 部長である三隅君がデスクに座ってなにやら苦い顔で資料を見つめているのを確認し、私は入り口付近の壁をコンコン、とノックした。
「三隅君、少し良いかしら」
 何気なく顔を上げた三隅君の顔が凍りつく。
「か、風巻さん」
「ちょっと報告があるのだけれど」
「ど、どうぞどうぞ」
 三隅君は慌ててデスク前に設置されている応接用のソファを指し示す。私は黙ってそこに座ると、足を組んで机の上に乗せた。
 四十を越えた恰幅の良いおじさんが私のような見た目若者の前で萎縮する姿は傍から見ればSMクラブみたいだったそうな。
「そ、それで風巻さん、御用は一体……」
「三隅君」
「は、はい」
「二時間後に会議あるじゃない。新商品展開とそのコンセプトに向けての」
「え、ええ、まぁ」
「その書類をね、シュレッダーにかけたわ」
 沈黙がミチル君。
「はい?」やっとの事と言う様子で三隅君はそう搾り出した。
「書類をミスってクロスカットしてしまいました。以上。細切れ。すんごいの」
「いやいやいや、意味がわからない。ミスの報告なのになんでそんな態度でかいんですか!」
「私の態度がでかいのはあなたが何十年と後輩だからよ」
「そういう話ではなくてですね」三隅君は頭を抱える。「何かの手違いですか? シュレッダー予定の書類に混ざっていたとか」
「そうだったら良かったんだけどね……」
「まさか風巻さんがそんなミスを? にわかには信じがたいですが……」
 その言葉には答えず、私はゆっくりと窓の外を見た。部長室は一面ガラス張りになっており、そこから向かいのビルと狭苦しい空が見わたせる。
「三隅君、私はお局様なのかしら」
「えっ」
「友達に言われちゃったのよ。そのままじゃあんたずっとお局様だって。『ずっと』って事は、今までもお局様だったって事じゃない?」
 言いながら涙が浮かぶ。向かいのビルに反射した太陽の光が眩しい。
「お局様ってほら、あれじゃない? 年齢が微妙すぎて結婚の話も歳の話も出来ないし、変に仕事できるから誰も逆らえないし、結構厄介な存在でしょう?」
 まさかね、私がそんな厄介な存在なわけないわよね。
 三隅君はうな垂れた状態で私の向かい側に座った。両膝の上に肘を乗せ、手を組んでひたすら視線を下に向けている。何か重大な問題ごとを抱えるように。
「お局ってます、風巻さん。現在進行形で……」
 部屋の気温と湿度が増した気がした。ずんと重い空気が漂う。
「今時の若者みたいな言い方しちゃって……」
「風巻さんの影響ですよ」
「そっか……」
 私は軽く首を振ると、ふと天井を眺めた。
「ところで、ここ空調のパイプ調子悪いんじゃない? さっきから漏れ出た水滴が私の眼球にぶち当たって本当、痛くてかなわないのよね」
「本当に、空調、調子悪いですね」
「参っちゃうわよね、本当」
「ええ、本当に」
「これ、涙とかじゃないから」
「分かってますよ」
「塩味もしないから」
「でしょうね」
「目が赤いの、昨日徹夜した為だから」
「なるほど」
「鼻水出てるのはアレルギー性鼻炎よ」
「そりゃ災難だ」
「三隅君」
「はい」
「死にたい」
 書類は後に私が一時間で再編成した。

       

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