Neetel Inside 文芸新都
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 帰り道。
 私は道路の真ん中で、赤毛のツインテールロリと一緒に歩を進めていた。既に終電はない。
 何故私はこのカマと一緒にいるのだ? こんなはずではなかった。
「どこへ向かっているの、私たちは」
 恐ろしく人気のない大通りを私たちは歩く。空はまだ暗く、夜明けは遠そうだ。
「うちの店よ。近場で泊まれるとこって言ったらそこしかないでしょが」
「まだ結構距離あるんじゃないの」
「あと三十分はかかる」
 私はタクシーの姿を探した。しかし先ほどから一台も車が通る気配はない。
「どうしてこうなったの」
「私に聞いても知らないわよ」
「経験者なんでしょ、それくらい知ってなさいよ」
「経験者でもわかる事とわからない事があるのよ」
 私たちは二人、はぁと大きく溜息をついた。

 事件は合コン開始一時間半後に起きた。
 雷神さんが秋元・竹松コンビと戯れ、私がビールを煽りながらその光景を眺めている時の事だ。
「あれ、そういえば三城君と篠崎さんは?」
 ふと秋元がそう発言して空気が一転した。見ると確かにどこにも姿がない。不安に思って携帯を開くと、私の携帯電話に一通メールが届いていた。

『風巻さんごめんなさい! 先においとましますねぇ☆』

「あ、あぁ……おごごご」
 私が口を開いて涎を垂れ流しながら全身を白目でブルブルと痙攣させると、不審に思ったのか雷神さんが顔を近づけてきた。
「ど、どうしたの楓? 吐きそうなの?」
「ももも、ももも」
「も?」
「……かれた」
「へっ?」
「もって行かれた……!」
 刹那、事の次第を悟った雷神さんの目が死ぬ。
「同等の対価……」
 失ったものは大きかった。今回最大の獲物。
 三城君……。
 雅ちゃんは最大の当たりをそつなくゲットして煙のように消えたのだ。これが女子力、本物の、ぴっちぴちの女子の力。
「三城君は真面目な男だと信じていた僕が馬鹿でした」
 事情を話すと秋元は嘆いた。落ち込む彼の隣に極さりげなく座る私。
「仕方ないわ。相手は底知れぬ女子力溢れるギャル。その色香に誘われてしまったら」
「きっとワンピースの胸元を見せたんでしょうな」
「Dはあるからね、あの子」
「D……ロケットおっぱいか、くそう、あの時触っておけば、くそう」やたらと顔をしかめる秋元。Dカップに何か嫌な思い出でもあるのかこの男は。しかしこれはチャンスだ。アタックチャアンス。
「秋元君、ここに、Fがあるわ」
「F?」
 秋元のつぶらな瞳に、Tシャツをピンと張った私のおっぱいが映し出される。
「右も、左も、Fよ。FF」
「ファイナル、ファンタジー……」
 そんな馬鹿な掛け合いをしていると不意に奥の方からガタガタと足音が聞こえてきた。何事かと秋元と顔を合わせる。そう言えばいつの間にか竹松と雷神さんの姿が消えていた。
「二人は?」
「さっき竹松がトイレに行きまして、雷影さんがその介抱にいくとか言ってましたが」
 するとトイレから物凄い勢いで竹松が姿を現した。ベルトが半分外れており、ズボンもチャックが開いたままである。それまで一言も喋らなかっただけにその大きな表情変化は目立った。
「竹松、どうしたのさ」
 竹松は秋元の問いに答えるよりも早く彼の腕を掴むと、物凄い勢いで引っ張って店から出て行った。相当焦っていたのか、何もかもが置いてけぼり状態。その場に私だけがポツンと取り残される。飲みかけのビールに、喰いさしの食べ物、溶けたアイス、乾いたお絞り、欲情。
 一体何が起こったのか当惑していると「参ったわぁ」と呑気な声を出して個室から雷神さんが姿を表した。
「何があったの?」私は思わず尋ねる。
「キスまでは行ったんだけどね、そこで興奮した息子様がホットパンツからはみ出ちゃって、ばれたのよ」
「ああ、そう……」
 店の会計は私が支払った。

「吾郎ちゃん、何であんなところで欲情したのよ」
「一組成立したらそのビックウェーブに乗るしかないっしょ」
 考えは一緒と言う事か。私は肩を落とした。
「せっかく秋元君といい感じだったのに……」
「ドンマイドンマイ、次につなげましょ」
「殺すわよこの糞カマ」
 飄々とした様子が一層腹立たしい。
 私が雷神さんを睨みつけていると、背後から車がやってくる気配がして慌てて道の端へと退避した。やってきた車はよく見るとタクシーだった。これはありがたい。私は思い切り手を上げた。
 しかしタクシーが止まる事はなかった。無常にも私たちの横を通り過ぎていく。
「誰か乗ってたみたいね」
「えっ、本当に?」
 雷神さんの呟きに、私は目を凝らす。確かに後部座席には人の姿があった。どこかで見たようなシルエットだ。
 そこで気付く。
「雅ちゃん……」
「えっ? 雅? 本当に?」
 よく見ると隣には男性も乗っている。そう、三城君だ。
 ラブホテルにて、一夜の関係をこれから築こうとでも言うのか。そうだよね、一次会を途中でブチって、二人で飲みなおしてたら丁度いい時間だもんね。
「そんな上手い話をただ掴ませるものですか……」
 私は道路のど真ん中に立ち、遠くに行くタクシーを睨んだ。
 途端、周囲の風が完全に止み、街が静止したように沈黙が満ちる。雲が止まり、大気の流れは霧消する。落ちる葉はそのままストンと地面に向かう。
 そこに存在するだけで鳥肌の立つような静寂が街を襲った。
「か、楓?」異変に気付いたのか、雷神さんがうろたえた声をだす。
「下がってて五郎ちゃん。私は、私はあの後輩を内臓からばらばらにしないと気がすまない」
 私が手を構えると地響きがなるようなすさまじい空間の揺らぎが発生し、竜巻に似た内側へ向かう大気の流れが起こった。私の右腕に風が集まっているのだ。それはやがて目に見える形で手の平大の球体状へと化し、その勢いを潰すことなく物凄い風の渦が巻き起こる。
「やだぁ! ちょっとそれ螺旋丸じゃない! パクリは良くないわよ!」
「うるさいわね」
 私が睨みつけると雷神さんは言葉と共に生唾を飲み込む。その様子に私は頷いた。
「ご先祖様が元(げん)と日本との戦いで使った事があってね。船壊すわ海荒れるわで神風とか言われたらしいわ」
「それ、あの車に放ったらどうなるの?」
「木っ端微塵。車内にいる人間は筆舌で語るには忍びない肉塊へと変貌する。半径数百メートルに及んで血の雨が降り、内臓や脳みそ、目玉は粉砕しそこら中の壁や窓に張り付く。粉末状になった骨は当然大気中を漂い肺から人々の体へ入り込むでしょうよ」
「ちょっとぉ! 筆舌で結構詳細に語っちゃってるわよう! 大体私たち神なのよ? 神が人殺してどうすんのよ!」
「神と言う理由だけで私がやつを消さない理由にはなりえん」
 大体昔からいけ好かん娘だった。語尾にいちいち小さく母音を残す様や、さりげなく自慢する様子や、ちょっと人を馬鹿にしくさったその態度とかな。それでも可愛い後輩と大目に見てやったが、この私を出し抜こうとしたのが末路への架け橋となった事をここで思い知らさなければ。
 私が手の平の風を飛ばそうと構えると、進行方向上に雷神さんが立ちはだかった。
「吾郎ちゃん、何を」
「雷神として、あんたの親友として、どくわけにはいかない」
「キャラ崩れてるわよ」
「たまには男に戻るさ」
 顔つきがいつものか弱いものとは違う。体中から雄のオーラを放っている。
「吾郎ちゃん、お願い。私はあなたを殺したくない」
「お前に俺が殺せると思ったか? 仮にも俺は『雷神』だぜ?」
 雷神さんは右手に物凄い量の電気を集める。彼の手の平がバチバチと音を立て手の平を電流が覆う。
 まさかその技は。
「千鳥……」
「似たもの同士だからな。今更驚く事でもねぇだろ?」
 どうやら同じ漫画から着想を得て開発したらしい。私は「まぁね」と肩をすくめた。
 風球を構える。雷神さんが対峙する。二人の技が放つ空気圧に、アスファルトが割れた。
「もう一度聞く。楓──風神、やめる気はねぇんだな?」
「くどいわよ、吾郎ちゃん。いや、雷神」
 すると覚悟を決めたのか、雷神さんも右手を構えふっと笑みを漏らした。
「受けてやる。来いよ、何処までもクレバーに抱きしめてやる」
「メンズナックル……!」
 私は正面を睨み据える。その視点の先は雷神さんを突き抜け、雅ちゃんの乗る車、ただ一つ。
「きええええええええええ!」
「おおおおおおおおおおお!」
 私たちはほぼ同時に一歩踏み出した。
 私の手から風球が離れ、物凄い轟音を出して雷神さんへと迫る。技を放った威力が強すぎて私は十メートルほど後ろへ吹き飛んだ。転がりそうになるのを何とか足で踏ん張り、体制を立てる。スニーカーでよかった。
 放たれた風球は物凄い速度で雷神さんの右手にぶつかる。瞬間、包み込まれた大量の風が暴発し、あたり一面を揺らした。木々は倒れそうなほどに風に揺られ、看板は吹き飛び、道路表札は物凄い勢いで回転している。眠っていた鳥たちは羽を広げる隙もなく吹き飛び、車はくるくると空を舞いビルへと突き刺さる。
 雷神さんが立つ地面がボコリとへこんだ。我ながらなんと言う高圧力。雷神さんは涎を垂れ流して白目を剥きながら耐えていた。顔のそこら中から血管が浮かび上がり、鼻血も出ている。その顔はもはや修羅そのもの。どんな厚化粧でも誤魔化せない。
 風球は雷神さんの手の中で威力を落とし、やがて回転する速度を緩めたかと思うと灰が空気に溶け込むように雲散霧消した。轟音から一転、街に再び静寂が舞い戻る。
 既に雅ちゃん達を乗せたタクシーは姿を消していた。どうやら大分距離があったために被害を食らわなかったらしい。
 その代わり、全ての傷を受けたものが一人。
「吾郎ちゃん!」
 膝をついた雷神さんに駆け寄ると、彼は地面に手をついたまま「ハハハ」と乾いた笑い声をもらした。私はそんな彼の肩を抱く。
「情けないわね。こんな醜態」
「どうして、どうしてなのよ! 五郎ちゃん!」
「親友(とも)の過ちを正すのが、真の友情でしょう?」
「馬鹿……!」
 私は雷神さんを強く抱きしめた。視界が滲む。
 満身創痍の雷神さんを引きずって私はその場から離れ、たまたま見つけた小さな公園へと足を踏み入れた。あのままあそこに居たら騒動になっていただろう。
「ここまで来たら、もう安心よね……」私は雷神さんを近くのベンチに座らせ、その隣に座り込んだ。必然的に寄り添う形になる。
「ちょっと休みましょう」
「そうね……」
 一体何時間そこで佇んでいただろう。その間、私と雷神さんは静かにこれまでの思い出話をした。出会いから、これまで。
 一揆に巻き込まれた事、幕府のお触れに逆らった事、天下統一、大政奉還、二・二六事件、太平洋戦争、第二次世界大戦、戦後復興、バブル経済、リーマンショック。
「本当に、私たちずっと一緒に行動してきたね」
「楓にはいつもヒヤヒヤさせられたわ」
「吾郎ちゃんだって、急に同性愛に目覚めたりなんかして……」
「だから……その名前で呼ぶな……て……」
「吾郎ちゃん?」
 私は雷神さんを見る。彼は今にも生気を失いそうな顔をしていた。もう長くない。そんな予感と不安が私を襲う。
「ちょっと、大丈夫?」
「ヤバイかも」
「死んだり、しないよね?」私は雷神さんの手を取った。
「あんたを置いていくわけないでしょ」手がどんどん冷たくなる。死の温度に近づいていく。「ねぇ、楓」
「何?」
「私たち、いい友達だったわよね」
「相棒よ。最高の親友」
「ふふ、うれし……い……」
 ガクリと、雷神さんの全身から力が抜けた。
「吾郎ちゃん? 嘘でしょ? ねぇ、吾郎ちゃん」
 悪い冗談かと思って私は幾度か彼の名前を呼んだ。だが、返事はない。あるのは冷たい手の感触と、美しく気高い神の亡骸が一つ。
 静かな公園で、私は人知れず涙を流した。鼻水も。ぐしゃぐしゃだ。
 五百年も時を共にした仲間が逝った。その悲しみを感情だけで表しきるのは不可能だった。
「やだよ、やだよぉ、吾郎ちゃん……」
 気がつけば空は明るくなり始めており、新聞配達をするバイクの音が耳に入る。
 その時どこかで聞き覚えのあるメロディが流れてきた。
 確かこれはジュディ&マリーの『Over Drive』だ。
「一体どこから……」
 するとさっきまで微塵も動かなかった雷神さんの腕が突如として動き、ポケットからなにやら取り出す。驚愕している私をよそに、彼はそこから携帯電話を取り出した。
「もしもし、雷吾郎です」
 そして雷神さんは目をカッと見開く。
「あ、弁天? やだぁ! 久しぶり!」
 彼は嬉しそうに声を挙げると寄り添っている私を思い切り突き飛ばした。地面に頭を打って身もだえする私を放って雷神さんは通話を続ける。相手は弁天か。私たちの共通の飲み友達である。
「どうしたの、急に。しかもこんな朝早く。え? うん、うん。マジで? やだぁ、絶対いく! えっ? 楓? 楓もつれてくわよぉ。あったりまえじゃない」
 うん、うん、それじゃあ当日ね。そんな短い会話で電話を切ると雷神さんは立ち上がったぐっと伸びをした。
「うぁーあ、良い朝だわね」
 彼は私に視線を向け、酷く驚いた顔をした。
「どうしたの楓? そんなところでうずくまって」
「おぃい! おいお前!」
「な、何よ」
「ベタすぎるわ! ベタすぎるわこの糞が! ホンマに殺すぞこんボケが!」
「やだぁ、合コン失敗したからってキレすぎでしょ……。これだからお局様は」
「人としてキレとんじゃ! わいが死ぬ時でもおどれの命(タマ)だけは獲ったるわおらぁ!」
 すると顔面鼻血まみれの雷神さんはフフフと笑って私の頬をつんと突いた。
「そんな失恋モードでへこんでるあなたに大ニュース。なんと旧友弁天さんに現役大学生の知り合いが出来たらしくって、今度その子達のサークルに行って一緒に飲むんだって」
「だからなんだってんのよ」
「鈍いわねぇ」雷神さんはチッチと舌を鳴らす。「弁天がね、一人じゃ不安だから一緒に行かないかって。来るでしょ? もちろん」
「あぁ?」
 私は雷神さんの胸倉をつかむと思い切りガンを飛ばした。奴のおでこに私のおでこをぶつける。
 私はドスの効いた声で言った。
「当たり前じゃないのよ。こちとら十年間休んでもお釣り来るくらい有給貯めてんのよ」
「決まりぃ! そうと決まったらさっそく飲みなおすわよ!」
「どこで」
「私の店に決まってるじゃない! さぁ行きましょ! はしーるー、くもーのー、かげーをー、とびーこーえーるわー」
 雷神さんはOver Driveを歌い走り出す。
「待たんかいおらぁ!」
 私は近くに偶然落ちていた鉄パイプを拾うとその背中を追いかけた。
 空には朝陽が昇り、空気は悠然と輝いていた。走り出す道は明るく照らし出され、どこまでも続くように思える。
 私に彼氏は出来なかった。
 でも、まだまだこの世には楽しい事が山ほど眠っているのだ。
 その楽しさを知り尽くすまで、のんびり伴侶を見つけるのも悪くないかもしれない。
 朝一のビールを求めて、目の前のオカマを亡き者にする為、私たちはそれぞれ年甲斐もなく走った。

 ──了

       

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Neetsha