Neetel Inside 文芸新都
表紙

人と妖怪シリーズ
【このメロディを貧乏神に捧げる】

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 四十八人目の失恋。
 相手は、たいそうおっぱいがおっきかったそうな。
「Fはあったんですよ」
「Fはおっきいねぇ」
 周りで酒を飲むサラリーマンの笑い声が耳障りである。
「本音を言えばHくらいが理想でした。でも、そこで妥協点を決めるしかないって思ったんです」
「妥協するのは女の子の方だろうねぇ」
「はは、何をおっしゃるうさぎさん」
 尚(なお)先輩はいつだって辛辣だ。ゆっくりとマイペースで、どこか知的。そんな彼女とこうして飲むのは、何だか習慣みたいな物だった。
 オフィス街を抜けた駅前にある小さなチェーンの焼き鳥屋さん。平たく言えば鳥貴族。ビールが美味い。
「君がフラれる原因を教えて上げようか」
「おっしゃってみなさいな」
「君の『何でも出来る』って信じてるところに女の子は惹かれて、そしてあまりにガチだから女の子に引かれるんだよ」
「はは、上手い事をおっしゃいますな」
「それを上手いって言ってる時点で駄目なんだよ」
「モテる女は手厳しいですな」
 僕が言うと尚先輩はびっくりしたように自分を指差す。
「モテる? 私がかい?」
「たぶん」実は自信がなかった。しかし彼女には関係ない様で。
「ほほう、いい事を聞いたねこれは」
 尚先輩は僕より五年ほどキャリアが上の先輩だ。僕が入社して、初めて付かせてもらったのが彼女だ。
 すごい上品で、気立ても良くて、愛想も良くて、優しくて、美人で、オマケに実家がお金持ちと言う事で周囲からの評判は高い。実際、会社でも彼女を狙っている人は多いと聞く。僕にはただの辛辣な人にしか見えないが、確かに面倒見は良い。こうして僕がフラれる度にわざわざ一緒に飲んでくれる先輩なぞ彼女くらいのものだ。
 一通り酒を楽しんだ後、僕らは店を後にした。いつもの駅に来たところで、尚先輩とは別れることになる。
「そんじゃま、早く次の相手見つけるんだよ。んで飲みに行こう」
 駅の改札口で彼女は言う。毎度言われる次の事がなんだか情けない。
「それって僕がフラれるの前提じゃないですか!」
「あたり前田のクラッカー」死語だ。酷すぎる。
 ウンコを顔に塗りたくられた様な顔で彼女を見つめると、尚先輩はバツが悪そうにササッと改札を抜けて人ごみに消えた。僕はそれを見送り、そっと道を引き返す。
 僕の家は会社から近い場所にある。通勤に駅を挟まない。
 駅から少し歩いたところにある小さな安アパートの一室が僕の家である。開けるとギィィと造りの古いドアが甲高く鳴く。うるさいことこの上ない。しかも何故か内側に開くタイプのドアであり、玄関に靴を脱ぐと激しく引っかかる。構造上の欠陥もはなはだしい。
 くたびれきった体で部屋に入る。電灯をつけ、上着だけ地面に投げ捨て僕はベッドに飛び込んだ。
「四十八人目の失恋か……」
 溜息と同時にそんな呟きが漏れる。
 ダメージがない訳ではない。一応こう見えて一人一人真剣に付き合いを申し出てはいるのだ。でも通じない。
 ちょっと泣こうかな。涙、流せば強くなれるかな。
 何気なくZARDのCDをコンポに入れたところ、何故か銀杏ボーイズの『援助交際』が爆音で流れ出した。最悪だ。止めるのも面倒くさくてそのまま垂れ流していると何故か涙が出てきた。泣く曲じゃないのに無性に心に沁みやがる。畜生め。
 そのとき不意に押入れが開いた。
「なんや、またフラれたんか」
 もそもそと、世にも可愛い生き物が顔を出す。
 ふんわり柔らかそうなマシュマロほっぺ、髪型は坊ちゃん刈りで、着物を着ているその子供。
「兄ちゃんホンマあかんなー。モテよらん」
 とてとてと這い出してベッドにいる僕のところまでそいつは歩いてくる。
 僕はムッとして思わず奴のほっぺをつついた。
「お前が貧乏神だからフラれたんじゃないのか? おっ? どうなんだ?」
「何でもかんでもうちの所為にすんなやぁ! やめんかい!」
 子供はプリプリとのた打ち回る。やだどうしよう、眠ってた母性本能くすぐられちゃう、あたい男子なのに。

 ○

 社会人として初めて一人暮らしをすることになった時、この狭い安アパートに越してきた。
 荷物を運び込み、まず必要だったのが部屋の収納スペースを把握する事。ダンボールが広がる部屋を眺め、これからここで生活する上で荷物の収納と言うのは非常に重要に思えたのだ。
 衣装ケースと、何故か持ってきてしまった来客用の布団も入れておきたい。
 そう思って開いた押入れで、子供が寝ていた。
 どうしてここに子供が? とは思った物の、その疑問はすぐに引っ込んだ。
 子供の向こう、押入れの奥に、来客用の布団などいくらでも入る奇妙な空間が広がっていたからだ。ちなみに何故来客用の布団で換算したのかはいまだにわからない。
 とにかく通常では考えられない異質な空間がそこにあった。奥まで続いているのが分かる。何となく道に見えた。見た瞬間鳥肌が立ちそうな、薄暗い道。
 足を踏み入れるのも怖くてじぃと眺めていると、その空間はやがてサラサラと灰が流されるように霧消し、消えてしまった。残ったのは押入れの簡素な壁と、子供だけ。
 その子供が貧乏神だった。
 よりにもよって貧乏神かよ、とは思ったが悪質なものには見えない。むしろ神と言う響きに納得すらしてしまった。なんだかよく分からないが『徳』の様な物を感じさせられるのである。
 あの道が一体どういう性質を持って我が家に出てきたのかはよく分からないが、貧乏神によると神様や妖怪、それに人間が暮らしている世界がこうして繋がる事がまれにあるらしい。
 貧乏神は知的好奇心からその道に踏み込んだが途中で道が分からなくなってしまい、さまよい歩いているうちに疲れて寝てしまった。
 そしてその寝た場所がたまたま僕の押入れだったと言うわけである。かわゆいやつめ。

 ○

 追い出すのもかわいそうで一緒に生活していくうちに気がつけば二年が経っていた。仲は割と良い。貧乏神と生活するのだからそれなりに酷い目にあうのだろうと思っていたが、女の子にフラれる事以外は今のところ生活に支障はきたしていない。
「兄ちゃん、もう冬やで。いつになったら彼女出来るんや」
「ちみがちゃんとおうちに帰れたら出来るやもしれんなぁ」
「無茶言わんといてくれー」
 ベッドでホッペをぐりぐりするときゃっきゃと喜ぶ貧乏神。
 いい加減子供ではなく女の子とイチャつきたいものである。

 そんな僕は週一回、休みの日にスタジオに行くのが習慣になっている。電車に乗って二、三駅ほど行くと結構大きなスタジオがあり、またそこが良い機材を置いているのだ。
 そこで大学時代の同期である紅子と竹松の三人で曲作りをするのが唯一の楽しみであった。二人とも、同じ軽音楽部の仲間である。
「秋君、おっそ」
 スタジオの重たい扉を開いて早々、そんな嫌味が飛んできた。紅子だ。黒髪のロングヘアーで、ジャズコーラスの前でテレキャスターを肩から提げふんぞり返っている。ちなみに秋とは僕の事である。秋元秋(あきもとしゅう)。上から読んでも下から読んでも秋元秋。親のセンスを疑う。
「ドラムいないとなんも出来ないんだから早くしてよ」
「すめんすめん」
「反省しろっての。ねぇ、竹松もなんか言ってよ」
 しかしベースの竹松はニヤニヤしながら適当にフレーズを弾いている。それを見て紅子が呆れたように溜息をついた。僕らはいつも、大体こんな感じだ。
 バンドをしきるのは紅子。寡黙な竹松が妙な安心感を与え、僕がムードメーカー。
 危ういバランスで成り立ってそうなこのバンドも、貧乏神との生活と同じく結成して約二年が経とうとしている。皆、それぞれが個人練習でスタジオに入っているところにばったり遭遇したのだ。大学から近いわけでも地元が一緒なわけでもない。偶然で済ます事は出来なかった。
 適当にセッションしながら曲を作ったり、フレーズから発展させたり、そんなこんなで曲数はどんどん増えていき持ち曲はとうに二十を越えた。全員歌うのが嫌いなので何故かインストしか作らない。ライブもしないのにやたらと曲のクオリティだけは上がっていく。勿体無いから今度レコーディングをしようかといってるくらいだ。まさに暇つぶしバンドである。でもバンド名はない。

 練習を終え、休憩室で竹松が紅子のギターを弾いているのをボーッと眺めていると会計を済ませた紅子がやってきた。
「んでさ、何で遅れたのよ。貧ちゃん関係?」
 貧乏神の事は紅子と竹松だけが知っている。何度かスタジオに連れてきた事があるのだ。
「いやね、好きな子がいるわけですよ」
「今回はどこの子」
「会社。事務のまりのちゃん。運命だよアレは。たまたま電車で会ってね。ちょっとお話してたら本当に可愛くて、予想外に盛り上がってね。まぁ乗り過ごしたってわけ」
「殺す」
 ギターを振りかぶる紅子をなんとかなだめた。そんなのロックじゃない。

 貧乏神と暮らしながら、女の子にふられた傷を尚先輩に癒してもらう。
 社会人として仕事でボコボコになったプライドをバンドで回復させる。
 そんな日々が続く、社会人三年目の事であった。

       

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