Neetel Inside 文芸新都
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 十二月の始め。ライブの話は意外とすぐ固まった。
 十二月二十四日。クリスマスイブである。
 話を持ってきてくれたのはなんと竹松だった。公募制の野外コンサートに空きがあり、それに応募したらしい。物販も売れる。寒いけど。
 その話を聞いた僕と紅子は「なんて日をチョイスするんだ!」と叫んだ。クリスマスは二人とも自宅で明石屋サンタを見る予定だったからだ。
 とにかく決まってしまった物は仕方ない。とは言えほとんど曲は完成しているわけであり、今まで通り週一回の練習をダラダラと繰り返すだけで着実にライブの形式は完成していった。
 そんな折、休日出勤が決まった。
 ライブ一週間前だった。
「え、出勤ですか」
 部長の所まで呼び出され、わざわざ宣告された。
 先ほどから同じ部署の人が呼び出しを喰らっていたからもしかしたらとは思っていたのだ。何人かがチラチラとデスクからこちらの様子を伺っている。自分が休日出勤になるかも知れないから気が気じゃないのだろう。
 ショックを隠しきれない僕の顔を見て部長が笑った。
「笑い事じゃないですよ、部長」
「いや、すまんすまん。変な顔だったからつい」
「そのヒゲもぎますよ。それで、いつですか」
 この時期にわざわざ呼び出されて宣言されるのだから日にちは決まった様なものだが、それでも一応確認はしておく。
「二十三、二十四だよ」
 ああ、終わったな。
 とりあえず僕はライブまでにいかにバンドを解散の方向に持って行こうか考えた。出来れば自分のせいで解散と言う形にはしたくない。
『竹松がしゃべらないから』
 そう、竹松が悪い。大体スタジオの雰囲気が悪すぎる。三人が喋れば盛り上がるのに、いつも僕と紅子が喧嘩するだけで終わる。あとこいつは楽器を手放さない。だから手放せるように解散してやるのだ。
『紅子のおっぱいが小さい』
 ヤル気が出ない。そう、色んなヤル気が出ない。だから解散である。僕に彼女が出来ないのもこのバンドのせいである。いいぞ、友情なんてゴミ箱に捨てればよい。
「まぁそう苦い顔をするな。六時には帰れるから。特令で私服出勤も認められてる」
 なるほど。ライブには間に合いそうだ。まぁ解散は考えすぎだよね。やっぱり僕にはバンドがないと。
「年末のこの時期に休日出勤が入るのは初めてじゃないだろう?」
「まぁ、予感はしてましたけどね。……失礼します」
 僕は肩を落としながら自分の席へと戻った。
 この時期はどこも忙しく、発注される商品の量も増える。その分トラブルだって相継ぐ状態だ。酷い時は土壇場で百点以上もの商品キャンセルが生じる時だってある。
 休日出勤を予期していようがしてまいが、どの道面倒臭い事に変わりはない。紅子にもどやされるだろう。急に増えた悩みの種に頭が痛い。
 こういうときは事務のまりのちゃんに会いに行って癒されよう。
 思い立ったらすぐ行動である。僕は立ち上がり、タバコを吸うと言ってオフィスを出た。そそくさと廊下を歩く。
 すると同期の中島が会議室に入ろうとするのが見えた。
 声をかけようかと思っていると続いて事務のまりのちゃんも会議室に入る。中島の影になって見えなかったのだ。
 おかしい。何故二人が会議室に?
 そもそも今日は会議なんてしない。うちの会社では会議室を使用する際、ちゃんと枠を決める事になっているからだ。
 そっとドアに近付いてウンコ座りをしながら耳を寄せる。
 誰にも見られなかった? 大丈夫だよ~、んもうはやくぅ、チュッチュチュッチュ。
 僕は固まった。
「何やってるんだい君はこんな所で」
 不意に声をかけられビクリと肩を跳ねさせる。
 顔を上げると尚先輩が怪訝な顔で立っていた。
 ああ、なんてタイミングですか、あなたは。
 気がつけば僕は言っていた。
「尚先輩、飲みに行きましょう、今夜」

 年末が近付き、どこも忘年回シーズンへと突入していた。
 行きつけの鳥貴族でもそれは例外ではなく、周囲の席の五月蝿さがいつもの倍くらい。倍デシベルは出てる。
 倍デシベルってなんだろうとビールを飲みながら考えていると、僕の向かい側で頬杖をついた先輩がフフッと笑った。
「通産四十九人目の失恋かぁ。五十人までもうすぐだね」
「縁起でもない。やめてくださいよ。もうクリスマスなんですから」
 僕はビールをあおった。
「そう言えばさ、君はどうするんだい。休日出勤後に迎えるクリスマス」
「ライブですよ」
「ライブ?」先輩は怪訝な顔をする。「見に行くのかい?」
「出るほうですよ」
「君、音楽なんてしていたのか」
 目を丸くした彼女は心底驚いているみたいだった。激しい表情変化をしない人だから、こんな顔は初めて見た。
「言ってませんでしたっけ?」
「初耳だよ。君は掘れば掘るほどなんか出てくる男だねぇ」
 褒められている気がしないのは気のせいだろうか。
 あまりバンドの話を人にするのは嫌だったので、僕の口は重い。何かこう、『俺、音楽やってますよアピール』に思えて鬱陶しいのである。
「どこでやるんだい? ちょっと興味あるかも」
 先輩はずいと身を乗り出す。音楽好きなんだろうか、この人。そんな話今までした事ない。しかし少なくとも、僕のライブを見たがっているのは分かった。でも申し訳ないがここはお断りしておく。
「いいですよ。そんな大した物でもなし。野外ライブだから寒いですし」
「野外なのか」
 しまった。いらない情報を与えてしまった。大体この辺りで野外ライブ出来る場所なんて限られている。クリスマスイベントとして公募のライブなんてやってるのは一つだけだ。
「先輩、申し訳ないですが見に来なくて大丈夫ですよ。そもそもあんまりライブを知り合いに見られるの嫌なんです」
「そっか。じゃあやめとくかな」
 心なしか彼女は少し寂しげだったが、気のせいだろう。ただちょっと強く言いすぎたかもしれない。
 この人がここまでライブ好きだなんて思いもしなかった。
 そう言えば今まで愚痴を多く言った事はあっても互いの事はそこまで話した記憶がない。趣味、嗜好、生い立ち。もっぱら話すのは僕に何故彼女が出来ないのかと言う考察と、会社の話くらいだ。その証拠に、彼女にはまだ貧乏神の事すら話していない。
「そう言えば、貧乏神で思い出したんですけど」
「誰がいつ貧乏神の話をしたよ」
 そうだった。
「思考と会話がごっちゃになってしまったんですよ。稀に良くあります」
「稀なのかよくあるのかどっちさ。フフッ」
 なんだか知らんが相手が笑う。ちょろいな、などとは決して思っていない。ふふひ。
「最近友人に変な事を言われまして」
「変な事?」
「今の僕の運気は下降中で、運気が上昇するには何か酷く悪い事が起こると言われまして」
「その友達は占い師?」
「みたいなものです」
「今度私も見てもらおうかなぁ。それで、悪い事って?」
「具体的には教えてもらってないんですが、僕の同期の中島いるでしょ? アレがまりのちゃんとチュッチュしていた事がそれに当てはまるのではないかと思いまして」
「中島くんそんなのしてたのか。もしかして君が会議室でかがんでたのって……」
「まぁそう言うわけです。衝撃的現場に居合わせる僕。その僕に居合わせる尚先輩」
「君は掘り下げるとなんか出て来るねぇ」
「まぁそんなわけで、今後僕の運気って言うのは上昇気流にのるわけですよね。うなぎのぼりと言う奴です」
「君はすぐ調子に乗るなぁ」そこで彼女は首を傾げた。「それで、なんで貧乏神からその話が出てきたんだい?」
「その友達の名前が貧乏神なんですよ」
「変なあだ名だねぇ」
 あだ名ではないのだが、否定するのも面倒臭かったのでハハハと笑っておいた。
 その時、脳裏にまりのちゃんのおっぱいがリフレインする。大きかった。顔は忘れた。
「はぁ、おっぱいが恋しい……」
「無意識に呟くのやめてくれないかな」
「すいません」近付くクリスマスと、遠退くおっぱいが悪いのである。
 肩を落としていると、尚先輩は「よしっ」と机を叩いた。
「触るかい? おっぱい」
「はっ?」
 驚いて顔を上げると尚先輩はホレホレと胸を張っていた。中くらいのおっぱいがそこにある。形は良い。ロケットおっぱいだ。Dカップ。見りゃ分かる。
「マジですか」
「マジだよ」
 手がふるふると震える。何を考えているのかは理解出来んが、おっぱいが自分から近付いて来たと見て間違いない。
 徐々に手がおっぱいに吸い込まれそうになるが、何とか耐えた。
「いや、やめましょう」
「良いのかい。一揉みくらい良いんだよ。減るもんでもなし」
「僕の神経が磨り減りますよ」
 後に死ぬほど後悔する羽目になるとはこのときはまだ知りもしなかったそうな。

 いつものように二人で駅へ向かう。後は尚先輩を見送って帰るだけだ。
「外は冷えるねぇ」
 尚先輩はポケットに手を突っ込んで体をぶるると震わす。息がすっかり白い。小動物みたいな自然な仕草であり、世の男性がこういう動作にキュン死にするのだろうと思えた。
「染みますね」
「でも今年のクリスマスはちょっと残念になりそうだねぇ。君と過ごせると思ったのに」
「ははは、過ごす男など吐いて捨てるほどおりましょう」
「その鬱陶しい口調やめなし」
 尚先輩はため息を吐いた。一つの仕草が、表情が、何でもかんでも絵になる人だ。
 道を歩く中で、空は透き通って高くそこにあった。透明な空気の中、星空が燦然と輝く。手をぷらぷらさせながら歩いていると、何度も尚先輩の手とぶつかった。この少しロマンティックな状況下で、手を取って上着のポケットに入れてやろうかと思ったが、後が怖いのでやめておくことにする。
 いつもの改札前まで来て、僕はそこで尚先輩と対峙した。
「それじゃあここで」
「ありがとう。あ、そうだ、秋君」
「はい?」先輩に名前を呼ばれるのは珍しいので思わず身構えた。
「私さ、前から言おうと思ってたんだけど……」
「何ですか」
 先輩は一言、二言、何か言おうと口を開きかけて、やがて首を振った。
「いいや、やっぱり」
「気になるじゃないですか」
「いずれ分かるよ」
 そしてそのまま改札を抜ける。人気のない改札口で、阻まれたまま僕らは向かい合う。
「今日はありがとう」
「そりゃこっちのセリフですよ」
「それもそうか。じゃあ、また」
「はい」
 駅のホームへ歩いて行く尚先輩を見送るなか、何か引っかかる物があった。

       

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