Neetel Inside ニートノベル
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 家に帰って、歩きながら上着を脱ぎ洗濯籠に叩き込み、部屋に戻ると姉貴がまた俺のベッドに転がって漫画を読んでいた。姉貴は俺の部屋をコミック貯蔵庫と勘違いしている節がある。
 だが、今日に限っては俺も怒る気にはなれない。椅子に逆向きに腰かけて、浜辺に寝そべる美女か打ち上げられたクジラのようなポーズで博打漫画を読む姉貴を見るともなしに眺めた。
「不快」
 何事かと思えばどうやら俺のことらしかった。俺はため息をついて言った。
「なあ姉貴、幽霊見たことある?」
「ない」
「だよな。――俺、今日幽霊見たよ」
「ふうん」ぱらりとページをめくる。「それで?」
「それで、って――。信じてないな? まあ、いいけどさ」
「そうでもない。で、見たからなんだって聞いてる。襲われたの?」
「いや。半々、かな」
「なにそれ」
「さわられた。あと喋った。どう思う? 俺が疲れてたのかな。でも上着に血の手形がついてたんだぜ」
「じゃあ、その上着が気に入ってたやつだったかどうかが重要だね」
 俺は一瞬絶句した。
「まあ、そりゃ、うん、そう、なのか? そういう問題?」
「大切なことは」ぺらり。
「それがあんたにとって敵なのかどうかってこと。本物のおばけにしろ、あんたの幻覚だったにしろ――」
 姉貴は続けて、
「まず考えなくちゃいけないのは、その幽霊ってのが幻覚ならあんたはすぐ病院にいくか、面倒ならそういうのは今後全部無視するって決めちゃうこと。中途半端はよくない」
「うん。――うん?」
「んで、もしほんとにいるなら、そいつが敵かどうかが肝要」
「かんよう」
「うん。敵じゃないなら、ほっとけば? なんの問題もありはしない、むしろもしかするとそれはなにかの警告かも? でもまあ、それはちょっと希望的観測」
「――なんで?」
「動機薄弱。ヒトを助けるなんてめんどうなこと、普通のヒトはしないって」
 ようやっと俺は安堵のため息をついた。姉貴らしからぬ長口舌をまくし立ててくるから何事かと思ったが、やっぱりこのヒトは俺のろくでなしの姉貴だ。壊れないくらいにゆがんでる。
「だからやっぱり、それはあんたの敵である可能性が高い――だったら、身を守らなくっちゃね。だから助言その1――脇を締めろ」
 姉貴は起き上がって、俺にしゅっしゅと空ジャブを放った。俺は姉貴が今年で21になることを思い出してとても悲しくなった。
「なにその目。――あのね、とにかく殴れる相手だったらやられる前にやれの方向で。テレビから出てきたらまずは蹴り返してテレビをひっくり返して出て来れないようにする。エレベーターの中で鉢合わせたらまず猫騙し。ひるんだ隙にタックルしてマウントからの殴打に次ぐ殴打。夜、うしろからつけられたらわざと赤信号の横断歩道に突っ込みな。うまくいけば札幌いきの長距離バスがあんたの背後霊をゴキブリが出ない緯度まで引きずっていってくれる」
「もういい」
「そう? いつでも相談に乗るよ、研吾。お姉ちゃんはエブリタイムあんたの味方。たぶん」
 たぶんかよ。無駄に好戦的だしろくなこと言わないなこの姉貴。まあ張り詰めていた気分はいくらか和らいだけど。
 俺は「またダイブするぞ」と脅して姉貴を追い出し(かなり屈辱的な顔をされた)とっとと寝ることにした。いま寝れば夜明け頃に目が覚めるだろう。俺は4時間以上眠ることがほとんどない。そして一日8時間は眠らないと具合が悪くなる。これがどういうことになるかというと午前か午後どちらかの授業を眠って過ごすことになり、俺は基本的に教師からは嫌われクラスメイトからは呆れられている。不摂生はよくない、と言われるが、こういう体質なのだからそろそろ諦めて欲しい。
 暗い天井を見上げ、また、安い眠りに落ちていく。



 ○



 ポリ男が扉を開けると目の前に白衣の男が立っていた。
「ギャ――――――――――――――――――――――――――――ッ!」と花子。
「わぁ――――――――――――――――――――――――――――ッ!」とさざんか。
「ヒョ――――――――――――――――――――――――――――ッ!」と俺。
 ちょっと余所見してチョコビを喰っている間にいきなり現れたので心臓へのダメージはいくらかでかかった。俺たちは童心に戻ってわあきゃあ言い、逃げろ逃げろそっちじゃないあっちだと別に誰が死ぬわけでもないのに必死こいて喚き散らす。これが楽しい。ゲームの醍醐味というやつである。花子は身を固めてコントローラを握り必死にポリ男を逃がす。
「むりむりむりむりむり」
 ポリ男が次々に扉を開けて逃げていく。だが白衣の男の足はポリ男よりも速い。通常、こういうホラーゲームでは敵の足はそれほど速くないか、速くても登場した場所と操作キャラの位置にある程度の隔たりがあったりするものだが、夕闇日和の製作者はそのへんをあまり考慮しなかったらしく、ポリ男はあっさり白衣の男に突き飛ばされて、
 ゲームオーバー。
 花子がコントローラをソファに投げた。
「意味わかんねーっ! なんなのあんなん反応できるわけないじゃん! うぼぁーっ!」
「花ちゃん気を確かに! 出しちゃいけない声でてるっ!」
「まあロードすれば出現位置変わるし」
「それはそうだけど……」花子はちらっと俺を見る。
「あーもー。オートセーブ機能あったんじゃないわけ? さっきどこでセーブしたっけ……」
「焼却炉のあたりだったと思うよ」とさざんか。
「でもよかったよね。白衣の人にやられたらオートセーブされないって早めに気づけて。ていうか、この間のオートセーブがなにかの間違いだったのかな?」
 そうなのである。
 きっかけはさざんかだった。オートセーブがあるみたいだが、手動セーブがある以上、そこになにか意味があるのかもしれないと言い出して、花子がめんどくさがりつつもセーブした数分後に白衣の男が横から飛び出てきてポリ男を殺したのだ。そしてロードすると、白衣の男に殺された場所ではなく花子がセーブした場所からになっていた。まあそれも当然のことで、白衣の男に出会う寸前などでオートセーブされたらエンドレスに殺されることになってゲームの進行が不可能になる。結局、あれからセーブせずに消してみたりはしていないから、このゲームに本当にオートセーブが実装されているかも謎だ。
 そしてもうひとつわかったことがある。ロードすると白衣の男の出現位置は必ず変化する。だから、回避不能な位置から襲われたとしてもロードしてそこから出現しなければ楽々通れる。実にゆとり仕様だ。
「じゃあ、今回はこのへんで終わろっか」
 花子が言い出し、しばらく締めの駄弁りをかましたあと、録画を停止した。といっても、これで解散というわけじゃない。一回の集合で2~3本の30分動画を作るから、休憩した後にさもまた別の日に集まったような感じで収録を始める。小賢しい茶番のように思えるかもしれないが、視聴者の肥えた目(耳?)は厳しいのだ。
「お茶淹れるねー」
 さざんかがキッチンにすっとんでいった。自然と、ソファには俺と花子だけが残される。
「…………」
「…………」
 肩を寄せ合う距離で気まずいというのもなかなかイイ。
「あのさ」
 花子は難しい数学の問題を前にしたような顔になった。
「こないだのことなんだけど、お互い、忘れるってことでどう?」
「やだ」
「うん、そうした方がお互いのためだよね……って、はあ? いまなんて?」
「いや、忘れられるわけないでしょ、無理無理。可能性の低いことは検討しても無駄だろ。なあ?」
「うん……いや、うんじゃないが! なにそれ!? せっかくあたしが、あんたを追い出す代わりに譲歩してあげたっていうのに!」
「まァ、さざんかには黙っておこう。その方が盛り上がるからな」
「なにが!? くっはーあんたもしかしてマジモンの変態!? うわあヤダヤダヤダヤダヤダお願い死んで?」
「嫌です。ていうか忘れんなよ、ディスク俺のだかんな。俺を追い出すってことはこのランキング一位実況動画を打ち切りにするってことなんだぞ」
 そう、俺と花んかコンビの動画は『やってみた』ジャンルのランキング一位を獲得していた。もちろん毎日ランキングは更新されていくから、アップロードした動画の順位は徐々に低迷していくが、それでも新しい動画を二日か三日にいっぺんはアップし、そのたびに一位をゲットしている。総合計視聴者はミリオンを突破しているかもしれない。
 そんな動画を打ち切り処分にしたら、いくら花子が猫系ツンデレだろうとさざんかが絶滅危惧種のおっとり眼鏡だろうとほくほく動画のユーザーさんたちは黙っちゃいないだろう。ブログが炎上していくサマをなすすべもなく黙って見続けるしかない苦しみを味わうだけの根性は花子にはあるまい。すげえへこむ。
「ぐぬぬ……」花子が歯軋りして睨んでくる。とてもいいアングルです。
「わかった、いくら? いくらなら売るの!?」
 金かよ! こんなマンションに一人暮らししていることといい、こいつホント成金だな。
「あんたが万が一さざんかに手を出さないとも限らないからね。契約金を支払うわ」
「いらねえわ。そして諭吉を出すなや」
 実際のところ、差し出された野球ができそうな人数の諭吉さんには心揺さぶられるものがあった。だがここで負けると一生俺は負け犬のままだ。退くわけにはいかねー俺はいま何人ものヘタレが望みながらも辿り着けなかったリア充への道程を登り始めたばかりなんだぜ?
 さざんかの淹れてくれたお茶をみんなで飲む。この時間だけは三人の中に展開しているあらゆる紛争が一時凍結される。ふう。
「でもまー前向きに考えると」と花子がお茶の波紋を見つめながら言った。
「この時代のゲームで、こてこてプログラミングのパターン動作されるよりは、びっくり突然死もまァがんばってると言えなくもないよね」
「そりゃあ『アニマ1』で犬がすべての窓から出て来る可能性があったらクリアできるガキの数もその後の売り上げも半減しちまってただろうからな」
 あの犬のせいで俺は毛布に包まっていないと不安で仕方なくなってしまったのだ。おかげで本物の犬まで嫌いになった。
「あの白衣のおじさん、誰なんだろうね」カップで口元を隠しながらさざんかが言う。
「いつも突き飛ばしてくるけど、殴ってきたりしないし、案外やさしいよね」
 いや、プレイヤー死んでますが。噛んできたりウイルス注入してこないだけ優しいって、さざんかさんはひょっとして豪の者なんだろうか。
「まあ、唯一の死亡原因だし、あいついなくなったら動画がお通夜状態になるから別にいいんだけどさ……あーでもあいつうざいなー。白衣に黒髪短髪って変態に見える」
「おまえ全国の若手ドクターに謝ってこいよ。そんで子ども産むとき洞窟でひとりでやれ」
「なんでそんなサバイバルしなきゃなんないのよっ! 経験不足と不安過剰で母子ともに死にたくないっつの」
「だいじょうぶだよはなちゃん、最近はね、アイ活ってこともあることだし、アイ産もあってもいいと思う」
「思うだけでしょ? 実際そんな余裕絶対にないからね? 知らないけど」
 おまえならできるよ、と俺が言うと花子は顔をしかめた。
「うれしくねー……。あっ。無駄話してたら閃いた」
「都合のいい脳みそだな」
「うるさい。ねえ、あのさあ、『丘の上の屋敷』にさ、扉開けたらそのまま断崖絶壁になってるところあったよね」
 あった。確かpart6くらいで発見したポイントだ。
「そこにさ、白衣の男を誘い込んだら海に落っこちないかな」
「そんなわけねえだろ疲れてんのか、ああいうのは敵は落ちねえようにできてんだよ」
「そうかなあ? あるかもしれないよ?」とさざんかが言うので、
「うん、あるかもしれないな。いい案だ花子。よくやった」
「うわー……クズー……」
「うるせえよ。いいからやろうぜ。最近イベントねえから視聴者もヒマしてるっぽいしよ、このままじゃネトラジになっちゃうぜ」
 俺はパワステの電源を復帰させた。

       

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