Neetel Inside ニートノベル
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「とゆーわけで、白衣のおっさんをね、そろそろいてこましてやろうと思います。やっぱりおじさんに付きまとわれるならね、タダっていうのはちょっとね」
 一応弁解しておくと喋っているのは花子である。こいつこういうことをその場の勢いで面白いと思って言っちゃうからほく動でビッチだの豚子だの言われちゃうのである。俺に。
「まったくもーやらしいなー。はなちゃんはほんとにビッチだねー」とさざんか。この子にビッチとかいう言葉教えんなよホントにもうこの国は間違ってる。花子とか俺みたいなひねくれ者に出会いそうになったら国の機関がさざんかを保護すべきだろ。
「それじゃあいきます。いざ出陣」
 花子がぐりぐりとポリ男を丘の上まで無益に走らせる。坂道をあがっていったポリ男は、庭のない丘の上の屋敷に無断侵入し、金目のモノをもろともせずに廊下を直進。新造デパートの賑やかしで売り払ったらひとかどの資金が作れそうな絵画を無視し、洗ってぷちぷちに入れておけば引き出物にできそうな壷を素通りし、一階をぐるぐると回り始める。白衣の男が現れるのを待つのだ。白衣の男は、どうやらゲームを始めた段階でゲーム内のどこかに召喚され、そこから走ってポリ男に突っ込んでくるようだった。一定の出現場所がなく、現れるまでの時間もまちまちだし、どこまで逃げても追って来ることから逆算した。毎回毎回ご苦労なことである。所詮プログラムだが。
 例によって廊下の曲がり角から現れた白衣の男をポリ男がやる気があるんだかないんだかわからない態度で追われていく。階段を登って廊下の突き当たり、扉のそばへ。白衣の男をギリギリまで引き寄せる。ギリギリまで。扉を開けてクイックターン。
「あっ」
 という声が聞こえそうなくらいに慌てたモーションで落ちていく白衣の男。ざまあ。
「イエーイ!」
 ハイタッチする花子とさざんか。花子がさざんかと合わせた手を恋人繋ぎにして、
「やっぱり思った通りだったね。これが正しい撃退方法なのかな?」
「どうかなあ。これで白衣のひとが出てこなくなったりしたら、そうかも?」
「とりあえずこのあたりであいつが出たらこれで撒けるね。超よゆー」
「あははは、クソゲーに拍車がかかっちゃうけどね」
 とうとう白状してしまうさざんかさん。俺は喜び合う二人の横で毛布に包まりながら、画面の中に映るくすんだ世界を見ていた。なんだかもうクリアしたような心地がしていた。だってもうやることなくね? 唯一の敵だったのに、あのおっさん。結局何者だったんだろう。ただ製作者が医者にトラウマでも持っていただけとか、そういうしょうもないオチなんだろうか。
 あくびをして、時計を見ると、ちょうどいい時間になっていたので、俺とさざんかはたっぷりごろついたあと、花子の家からお暇した。
 花子から電話がかかってきたのは、俺が電車に乗った直後だった。




 たすっ
 ブツッ
 俺はいきなり繋がって切れた携帯を見つめた。しばらく座席に座って呆けていた。ひょっとしていまのは気のせいかな、と思って着信履歴を見ると、

 6/13 18:26 花子

 と表示されていた。どうやら俺の妄想ではないらしい。俺は車内だったが、周りに誰もいなかったので、花子にかけなおしてみた。案の定というか、繋がらなかった。
 べつにそのまま帰ってもよかった。だが、なんとなく気になって、次の駅で降りて、反対ホームから引き返した。どうせ家に帰ったって姉貴の暇つぶしに付き合うくらいしかやることはない。
 たぶん、かけ間違いなんだろうな、とうすうす予感はしていた。そうだったら仕方ない。でも、確かめるまではいろいろ妄想して楽しめる。俺はひとりでにやにや笑って、踏み切りを待っていた親子に変な目で見られた。
 花子のマンションに戻ったときには七時を回りそうになっていた。すっかり夜だ。俺は花子の部屋に戻った。キッチンの窓からは光が漏れていた。チャイムを押すのにちょっと躊躇う。まあいいや。押した。
 扉の向こうにスタンバっていたのかと思うほど素早く、花子が外に飛び出してきた。
「――ケン」
「おう……」電話をもらったのが気になって、というのも変かと思い、「忘れモンしたから取りに来た」とちょっと詰問されたらすぐに露呈する嘘を吐いた。花子が「それなに?」と聞いてくるかどうか俺は気が気ではなかったのだが、花子はそんなことどうでもいいとばかりに、ドアを広く開けて、
「入って」と言った。俺は言われた通りにした。
 どうしてだろう。
 昼間散々いたはずなのに、電気だって点いているのに、花子の部屋はなぜか薄暗く、見たこともない他人の部屋のようだった。俺はちょっと面食らって、意味もなく戻ってきたことをこっそり後悔しながら、まだ俺が剥ぎ取ったままの形で毛布が乗っかったソファに腰を下ろした。居間とキッチンの電気は点いていたが、テレビとテーブルとソファのある区画の照明は落とされていたので、俺はなかばうす暗がりの中にうずもれる形で、居間の食卓に尻を乗せた花子と顔を見合わせた。
「さっきの電話さ」
「――――」
「なんだったんだ? 出たらすぐ切りやがって。電車ン中だったし都合はよかったけど。で、なんか用?」
「――――電車」と花子は呟いた。どうやら俺の話はあまり耳に入っていないらしい。心ここにあらず、といった風体で、俺は茶髪の女の子が死にそうな顔をしているのを初めて見た。普段からあまり女子の顔をじろじろ見ないから、というのもあったが、その時の花子の青白いツラ構えはちょっとメイクも照明も跳ね返すくらいには死にそうだった。ガラでもなかったが、聞かずにはいられなかった。
「――どうした?」
 花子は俺の問いには答えずに、よく掃除されたフローリングの床を見つめながら、
「あんた、帰り道、なんもなかった?」
「なんも、って――なにもなかったけど。特に」
「そう――」
 しばらく間を置いてから、
「ねえ、あたし、正気なんだけどさ」
 茶化せる空気ではなかったので、「うん」と相槌を返した。
「ケン、ちょっとお願いしてもいい?」
「お願い? 別にいいけど、死んでくれってのはなしな?」
 ウケなかった。
 花子はこっちを見ないまま、ぼそっと、
「じゃ――――とこうかな」
 と呟いた。
 よく聞き取れなかったが、とにもかくにも、どうやらタダ事ではないようなのだった。俺は業を煮やして貧乏ゆすりをしながら、
「なあ、はっきり言えよ。なんかあったのか? ちょっと話が見えないんだけど」
「はっきり――? はっきりなんて言えない。あたしにもわからない」
「はあ――? わからない、って」
「ねえさっきなにもなかったって言ったけど。あんたはあたしが電話を切ったって言ったけど」
 花子は俺を見た。
「あたしは電話を切ってない」
 なんとも言いがたい空気が流れた。
「切ってない――まあ、電車に乗ってたからな、俺。電波よくなかったのかも」
「そうかもね。――ケン、お願い、お風呂場を見てきて。そしたら、帰っていいよ」
 俺は風呂場の方を伺った。キッチン横の玄関に通じる廊下、その左側に花子家の風呂はあった。俺は花子と風呂場の方を何度か見比べて、
「わかった」と言って立ち上がった。
 正直言えば怖くないわけじゃなかった。ただ、ふと思ったのだ。
 ひょっとして、ドッキリ?
 と。
 どうして花子が急にそんなDQN企画を、しかも単独で、それも七面倒な手順を踏んで、やったのか、ということは俺の頭の中から綺麗に抹消された。夏休みの宿題をお盆明けにやろうと思ってそのまま新学期まで忘れてしまうのと同じ機能が俺の脳味噌の中で働いた。俺はすっかり気分をよくしていた。ドッキリ札は用意してくれるかな、なんて自分でも根っこから信じてもいないことを考えながら、余計なことは考えないように、灯りの点いていない風呂場にいった。
「うおっ」
 タオルケットが敷かれている。靴下を履いてその上に足を乗せたのでちょっと滑りかけた。慌てて洗面台に手をついて体勢を整える。そして手探りでスイッチを探して、電気を点けた。パッと洗面台と洗濯機と風呂場の曇り戸が明るみに出た。なんてことはない。初めて見たが、どこにでもある風呂だ。
「ねえ――」
「ひっ!」
 首を絞められたような声をあげてしまった。大慌てで振り返ると、花子が相変わらず萎んだ顔色で、戸口に立っていた。俺は盛大にため息をついた。
「おどかすなよ……」
「あ、ごめん。一人はちょっと可哀想かなと思ってさ」
「おお、人の気持ちがわかるようになったか。父さん嬉しいよ」
「誰も育てられとらんわ」花子はぷっと笑ったが、
 それでも視線は風呂場の曇り戸に釘付けになったままだった。俺は肩越しに振り返って、覚悟を決めた。灯りのスイッチを入れて、くぼみに手をやって、開いた。
 なにもなかった。
 湯船は空っぽ。鏡は曇りひとりない。シャンプーやリンスのたぐいが床に置かれている。なぜかたわしがひとつ転がっている。俺は花子を振り返った。
「――なにもないけど」
「浴槽」
「え?」
「覗いてみて、中」
 おいおい待てよ――と俺は思った。確かに浴槽の底は、完全に風呂場の中に身体を入れて覗き込まないと見えないから、そこに何かがあっても不思議ではない。でも一回安心してから、わざわざ不安の渦中に首を突っ込むのは気が進まなかった。これで許してもらえないだろうか――と花子を振り返ったが、花子は俺など眼中にないようで、じっと浴槽を見つめていた。俺はふたたび覚悟を決めて、身を乗り出し浴槽を覗き込んだ。
 つるつるっとした、綺麗な浴槽。よく掃除されているのだろう。カビひとつない。俺は花子を振り返った。
「なんも、ないけど」
「――ほんとう?」
「うん。見るか?」
 花子はちょっと迷ってから、首を振った。俺は風呂場の戸を閉めて、花子に向き直った。
「なんだよ。ゴキブリでもいたのか? 悪いけど俺、虫は苦手だから戦力にはならないぜ」
 風呂場から出たことで、いくらか気がラクになっていた。珍しくリア充みたいな饒舌をかました俺に、しかし花子はなにも言わなかった。花子は青白かった。俺は一瞬遅れて、花子が黙っているのではなくて、声が出ないのだと気づいた。花子が震える指先で、俺の股間のあたりを指差していたからだ。俺は目をおろした。股間は無事だった。
 ただ、戸口のくぼみに突っ込んだ手に、びっしりと長い濡れた髪の毛がへばりついていただけだった。
 たぶん、悲鳴をあげたと思う。


       

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