Neetel Inside ニートノベル
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狂った彼女の見た世界は
私の世界:3

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雨が降っていた。

目が覚めると、まず、雨が屋根を叩く音が聞こえた。
カーテンを開けようとしたが、それをするためには、彼女に近寄らないといけないのでそれをすることは出来なかった。
半分諦めた気持ちで、
「雨が降っているのかい、カーテンを開けて確認してもいいかな」
と、まだ寝ているかもしれない彼女に問いかけてみたが、
彼女はきつく私を睨みつけ、
ダメ、
と言葉にしない視線で私に意思を伝えてきた。
ため息を一つ漏らすと、
「仕方がない、今日は散歩が出来そうにもない、何か時間をつぶせる本はないかな」
別に彼女に言ったつもりではないのだが、私はついつい言葉にしてしまった。
返事はもちろん返ってこない、私はそこでふと、この間彼女が投げつけてきた本があったことを思い出した。
どんな内容の本かはわからないが、仕方がない。しかし、彼女の読んでいた本ならばきっと私も読める本なのだろう。
そう思うと、私は床に落ちている本を拾い上げ、
「この本、借りるよ」
一応許可は取らないといけないと思ったので、彼女に一言ことわりを入れると、
布団から這いずり出て、部屋にある丸い椅子に座り、読書を始めた。

紅茶とお菓子、そんなものがあれば優雅に読書、というものが出来たのだが、別に貴族でもお金持ちでもないので手持ち無沙汰のまま、私は静かに本のページをめくっていた。
本の内容は、一言で言えば恋愛小説だった。
どこにでもあるような恋愛を書いた本で、正直なところ開始一時間くらいで飽きてしまったのだが、これ以外時間をつぶすことが思いつかなかったので、少し億劫な気分で読んでいた。
緩やかに時間が流れ、私は半分を読み終えたところで、手近にあったテーブルに本を開いたまま反対にして置いた。
「ごめんね、正直この本はつまらないよ、何か別のはないかな」
私の言葉に、彼女は突き刺さるような視線を一つよこした。
なるほど、無いのか。
仕方が無い、
「話しをしよう、といっても君は答えてはくれないのだろうね」
飽きと疲れがあったとはいえ、迂闊な言動だったのかもしれない。
彼女の視線には怒気が混じり、私を激しく糾弾しているかのようであった。
「ごめん、迂闊だったよ、私が一方的に話すから、是非聞いて欲しい。君も何もしないというのは逆に疲れるだろう」
謝罪と提案、
彼女の突き刺す視線は相変わらずであったが、さきほどの怒りの感情はどこかに身を潜めていた。
少し肩をすくめると、私は話し始めた。
子供の頃のこと、中学のときのこと、高校生活のこと、大学の入試前に徹夜をして寝不足になりながら試験会場に向かったこと、合格したときのこと、サークルに入ったときのこと、
そして、あの時のこと。
終始、彼女は無言で、あの時のことを話している時ですら、彼女の瞳の奥はどこか虚ろで、私は少し焦りを感じた。
焦りとは、
何故だろう、このままではいけないはずなのに、私はまるで教科書を読み上げるだけの歴史の教師みたいな口調で、淡々と、終業のチャイムを待つだけのようにただひたすらと続けることしか出来なかった。
だめだ、それではいけない。
内なる私は、そう私を攻め立てるが、私と彼女の距離はこれでなくてはいけない、これ以上彼女に踏み込むことは出来ない。
ひたすら、内なる私に解答した。
停滞を望むのは誰なの。
誰かの声を聞いた気がした。
誰の声かは、わからなかったし、それに対する解答を私は出来なかった。
ただ、時間が過ぎてくれればいいと、歯の奥をかみ締めながら、思った。

彼女の方から、寝息が聞こえてきた。
いつの間にか日は沈んでいて、先ほどまでかろうじて光のあった部屋に、闇が静かにだが確かに侵食してきていた。
部屋の照明を、一つ明かりの落とした状態でつけると、私は静かに寝ている彼女を見つめた。
どんな夢を見ているのだろう、その夢は良い夢なのだろうか、
良い夢であって欲しい反面、私は不安に駆られる。
夢から覚めたとき、彼女はこの現実をどう捉えるのだろうか、
落ちる夢は、起きたとき地面の存在を確認して安堵するものだが、
その逆は。
しばらく、彼女を見つめていると、
突然、彼女は身体をわずかに震わせ、目を開き、周囲を素早く確認し、まるで深海から這い上がってきたかのように深く息をし、
顔を伏せ、静かに、しかし、小さな嗚咽を交えながら泣いた。
「怖い夢でも見たのかい、深呼吸をしてみるといい、少しだけ落ち着くよ」
私自身、深呼吸をしないと落ち着けないほど動揺していたのだが、彼女にそう促した。
そのときばかりは、さすがの彼女も私の言うことを聞き入れてくれたのか、深く息を吸い、涙を一生懸命手のひらで拭っていた。
良い夢を見ていたのだと思う、きっと、昔の夢だろう。
確証は無かったのだが、私はなんとなくそう感じた。
何故彼女が苦しまなければならないのか、何故彼女が停滞せねばならないのか、
私の奥底に怒りの感情が湧き出てきた。
悪いのは彼女じゃないはずなのに、
何故だ、何故なんだ。
怒りは、私にある提案をした。
「君にとって、そのまましていることが解決になるのかな」
一歩、
「ひざを抱えて、部屋の隅で丸くなって、一日中何もしないことが、君にとっての慰みなのかい」
また一歩、
「それが、何の解決になるんだ」
つい、大きな声になってしまった。
しかも立ち上がって、大粒の涙を流しながら。
「確かに、私は今のままでも良いと思った。停滞も仕方が無い、そう思っていた」
胸の奥に秘めていた感情は、防波堤をあっさりと破り、溢れ出していた。
「でも、それじゃあ、何にもならないだろう、あの日に失ったものが返ってくるわけじゃないだろう」
私は、彼女の傷に触れることを恐れていた、傷をなめてあげることはできても、それに薬を塗って、治してあげることは出来なかった。
「私は君に強くなって欲しかった、自分で傷を癒して、また、前のように明るく、しっかりと立ち上がって欲しかった」
なのに、それなのに、
「怖いのよ」
消え入りそうな声が聞こえた。
集中しないと聞き逃してしまいそうな、とても、とても小さな声だったけれども、
それは明確な彼女の返答だった。
「アイツみたいな人間が他にいると思うと、またあんな目に遭うんじゃないかと思うと」
彼女は言葉を少し詰まらせながら、胸の底から湧き出てくるものを必死にこらえるように、
「他の人たちに相談しても、自分たちがあんな目に遭ったわけじゃないから、適当な慰めしかしてくれないし、私にくれたのは安定剤の薬だけだし」
彼女の胸の内が言葉になって紡ぎだされていく。
「これ以上何を強くなれっていうの、何で強くならなきゃいけないの、何も悪いことしてないでしょ、そうでしょ」
激しく私に怒りを、感情をぶつけてくる。
「そうだけど、君は、」
私は、言葉に詰まる、
私は無責任なのだろう、確かに私は彼女の気持ちを汲み取ることが出来るが、未来を選択するのは私じゃない、あくまで彼女だ。
彼女は怒りの視線で私の返答を待っている。
「止まったままじゃいられないだろう、私は、少しでもいいから進んで欲しいんだ」
私の願いを伝えた。
無責任なのかもしれないが、それでも、彼女には進んで欲しかった。
「消えて」
彼女はよろよろと立ち上がり、私を正面に見据え、そう言った。
「それで本当にいいのかい」
驚きも、そして、既に怒りの感情も感じなかった。
あるのは沢山の不安と一握りの悲しみと、小さじ一杯の嬉しさだった。
「うるさいうるさいうるさい」
壊れたおもちゃのように、まるで私の存在を呪うかのように彼女はその言葉を繰り返した。
「私は、私は・・・」
私は、それより先の言葉を一生懸命紡ぎだそうとしたのだが、ついには言葉にならず、
「うん、そうだね、余計なお世話だったのかもしれないね」
私がいなくなることで、彼女の世界はどうなってしまうのだろうか、
彼女は、やはり停滞を選択してしまうのだろうか、
私は、かつてあったであろう、彼女の笑顔を見たいだけなのに。
しかし、そこで一つの考えに至る。
私の存在そのものが彼女にとっての停滞であったのであれば、やはり私は彼女の言うとおり消えるべきなのであろうか、と。
「大丈夫かい、私がいなくても、君は進むことができるのかい」
静かに横たわる沈黙。
今度は私が、彼女の言葉を聞くまで、この沈黙を破ることが出来ないでいた。
なぜなら、ここだけは、彼女の選択を聞かずにはいられない。いつものように茶化すわけにも、うやむやにするわけにも。
それが、私の役目なのだから。
立ち上がった彼女は驚くほど痩せていて、
目には、今にでもこぼれ落ちそうなくらい沢山の涙をためて、
手はきつく握り締め、
足は震え、
しかし、それでも、瞳の奥には僅かな灯火が、
「うん」
返事が、
「そうか、大丈夫か、うん、よかった、たぶん、それは正しい選択だと思う」
私は彼女に歩み寄った。
意識が霧散していくのがわかる。
視界はぼやけ、きっとそれは私がまた泣いているのか、それとも私の存在の消滅を意味するのかわからないが、
私の正面に居る彼女は微動だにせず、かといって、私の接近を拒むことなく、
私は、彼女の頭に手を置くと、彼女のこぼれ落ちそうな涙を人差し指で撫で、
「短い間だったけど、私は楽しかった。これから先、君の進む道に沢山の幸せがあることを祈っているよ、」
さようなら。
最後の一言は言葉にならず、私の意識は部屋の空気に混じって、消えた。

彼女の世界はきっとこれから先、すこしずつ綺麗に色づき始めることだろう、大きな傷を背負いながら、それでも。
今日は私の世界が消えて、彼女の世界は少しずつ停滞をやめ、
先ほどまで降っていたはずの外の雨はいつの間にかやんでいた。

       

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