Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。受け継ぐは大志
第二十二章 決戦-その三-

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 ノエルを都に向かわせた。苦渋の決断だったと言って良い。先の一戦で、メッサーナ軍の将の首を奪るという、本来の戦果を挙げることが出来ず、大勝したというだけに過ぎなかった状況で、ノエルを手放したくはなかった。
 しかし、それでも向かわせた。というより、向かわせるしかなかった。戦勝後、にわかに後方支援の滞りが激しくなったのだ。これはメッサーナ側の謀略が強化された事もあるのだろうが、将校にまでその情報が伝わってしまっている。いや、流言という形でメッサーナが謀ったのだろう。本当の情報とは、いくらか差異がある。しかし、この流言をキッカケに、将校達はこぞってノエルを都に戻せ、と言い出した。
 兵糧が届かなくなる。これを思えば、将校達の意見は至極当たり前の事である。メッサーナの策略だという事も伝えたが、戦況が有利すぎたせいで、ノエル一人が居なくなる事を重要視する者は、誰一人として居なかった。いや、レキサスだけは例外だった。
 レキサスだけは、ノエルを都に向かわせる事を反対し、現地で対応させるべきだ、と述べた。だが、聞き入れられる訳も無かった。最年長のエルマンが、ノエルを都に帰すべき、という姿勢を貫いたからだ。父の代からの副官であるため、現場での発言力はやはり大きい。
 それに、兵糧が遅滞しているのは紛れも無い事実だった。
 何か大きな罠に嵌ろうとしている。漠然とだが、その予感は強くあった。
 戦況はどう考えても有利だ。誰が見ても、官軍が押している、と捉えるだろう。今までのぶつかり合いは、全てこちらが制しているし、ヤーマスが討たれたとは言え、メッサーナは歴戦の勇将であるアクトを失った。先の戦では、スズメバチ隊の副官も討った。そして、その直後の獅子軍とのぶつかり合いで、獅子軍の副官を討ったという報告も入っている。一方、こちらの犠牲は、ほんの僅かなものだった。
 誰がどう見ても、私たちが勝っているはずだ。それでも、何か言いようの無い不安感が全身を包み込んでくる。目の前を見れば、確かに勝利しか見えない。だが、側面は、背後はどうなのか。部将達の人心を強く掴む事が出来ておらず、兵糧の遅滞があり、今回はノエルを手放した。さらに、都には頼りになる人物はおらず、メッサーナの黒豹に対抗し得る闇の軍は、機能していない。
 今、私は独りで、この戦をやっていないか。確かに周りに部下は多く居る。いや、私は大将軍なのだ。だから、官軍全てが私の部下という事だが、それでも、孤独感を強く感じた。今まで、こんなことを思う事は無かった。戦に勝ち続けることによって、孤独感というものが顔を出してきた。
 これは何なのか。勝っているはずなのに、勝っているという気がしない。仮に私が単なる一部将であれば、こんなことを思う事は無かったのか。大将軍だから、こんな事を思ってしまうのか。本来なら、大将軍の上には王が居るはずだった。王の下には宰相が居て、その隣に大将軍が居る。
 今、この国には大将軍しか居ない。これが孤独感の原因なのかもしれない。
 不安感の根底には、孤独以外にも、いくつか気になる事があった。その一つが運である。
 先の戦で言えば、ノエルの十面埋伏の計は完璧だった。隻眼のレンはもちろん、熊殺しのシオンも討てたはずだ。それが、討てなかった。討つ機会はいくらでもあったのに、それを逃した。
 本来ならば、あの二人を討ってから、ノエルを都に戻す、という手筈だった。しかし、結果はスズメバチと獅子軍の副官を討っただけに過ぎない。
 人には、武運というものがある。隻眼のレンや熊殺しのシオンに、それがあったのかもしれない。だが、本当は私に武運が無いのではないか。やり遂げねばならぬ時を、逃してしまっているのだ。一方、隻眼のレンや熊殺しのシオンは、何度も窮地を脱している。特に十面埋伏の計は、奇跡という他なかった。
 二人の何かが運を引き付けているのだ。それは良い。だが、何故、私には運が無いのか。この孤独感と、何か関係があるのか。
 そこまで考えて、私は首を振った。運など、必要ない。圧倒的な強さだけで、勝利を呼び寄せれば良いだけの話ではないか。戦は連戦連勝である。このまま勝ち続けて、ピドナを落とす。ピドナを落とせば、天下は決したも同然だ。
「私は武神の息子だ」
 呟いていた。父は、敗北を知らないままに世を去った。国では、伝説というには生ぬる過ぎる、とまで言われている。過去にも現在にも、負けた事のない武将など、どこにも居なかった。
 私は、その血を受け継いでいるのだ。それに孤独というのは、今も昔もそう変わらない。
「ハルトレイン殿」
 幕舎の外から、エルマンの声がした。すでに季節は冬になっており、陣中では多くのかがり火が燃やされていた。北の大地に比べると、かなりマシだが、アビスの冬も厳しい。朝には、霜が降りていて、原野は白くなる。
「エルマンか、どうした」
 私が声をかけると、エルマンが幕舎に入ってきた。この男も齢を重ねた。すでに髪の毛も髭も、白いものが多く混じっている。人望という面では、私よりもこの男だろう。なんといっても、父の副官をつとめていたのだ。
「メッサーナ軍が、後退を始めました」
「そうか」
 特に珍しいことではなかった。このところ、戦況を気にしてか、メッサーナは少しずつ後退を繰り返している。そのたびに私たちも進軍しており、コモン関所までの距離も、あと僅かという所まで来ている。
「ハルトレイン殿、決戦を」
「エルマン、焦るな」
「私は焦っていません。急いているのは、将校たちです。この戦況で、どうして討って出ないのか。みんな、そう言っています」
 おそらくだが、エルマンも同じ意見なのだろう。私が感じている不安など、やはり将校たちは微塵も気にしていない。
「レキサスはなんと言っている?」
「それは」
「エルマン」
 かつての判断力と分析力を取り戻せ。そう言いそうになったが、何とか飲み込んだ。あのバロンと幾度と無くぶつかり、負けてはいない。優秀な将軍の一人であり、私が頼りに出来る男の一人なのだ。
 じっと、エルマンの眼を見つめた。戦に倦んでいる。そういう眼だった。
「私を信じてくれ」
 眼を見つめたまま、私はそう言った。エルマンが軽く息を吐いて拝礼し、幕舎を出て行く。
 その背中には、不満がわだかまっていた。

       

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