Neetel Inside 文芸新都
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 全軍を前面に出し、布陣した。満を持しての布陣ではない。頑なにメッサーナは動かなかった。何度も決戦の申し出をしたが、沈黙を守るばかりだったのだ。そして、将兵の我慢が限界に達した。反乱の匂いすらも漂わせ、内から崩壊する、という予兆も見え始めた。
 さらには、本国で賊徒の決起である。鎮圧には時がかかる、とノエルから書簡が来ていた。その書簡が来てから、兵糧の遅滞が再び目立ち始めた。
 外堀を埋められたのだ。この布陣は強制的とも言える。メッサーナに布陣を強制されたのだ。そして、強制的に決戦を挑まされた。
 軍の士気は高い。今まで出来なかった戦が出来るからだ。しかし、この士気の高さには脆さがある。粗野とでも言えば良いのか。精兵が出す士気ではないのだ。その根底には、やはり謀略に対する弱さがあった。
 おそらく、メッサーナはまともに戦をやろうとは考えていない。まともにやれば、勝てるはずがないからだ。それは今までの戦で何度も証明されている。自惚れではないが、バロンよりも私の方が軍才は上なのだ。それはルイスが加わろうと、揺らぐことはない。
 しかし、そこに謀略を混ぜられるとどうなのか。ノエルが居れば、おそらくは凌げる。つまり、戦に勝つ事が出来る。そのノエルは、メッサーナに引き剥がされた。すでにこれは確信に変わっていた。
 スズメバチや熊殺しが居なければ、謀略ごと叩き潰す事は出来たはずだ。しかし、その二隊も健在している。かなり兵力は落としているが、指揮官が生きている限り、軍は死ぬ事がない。例え、それが十数騎であったとしても、スズメバチはスズメバチであり、熊殺しは熊殺しなのだ。あの二人の指揮官だけは、メッサーナ軍の中でも際立ったものがある。
 せめて、どちらかだけでも討てていれば。しかし、これはめぐり合わせなのだろう。特に隻眼のレンとは、深い因縁があるとしか思えなかった。
 静かだった。戦場であるにも関わらず、水を打ったような静けさである。もう引き返せない。攻めて、攻め立てて、メッサーナを叩き潰すしか道は残されていないのだ。
 ふと、メッサーナ軍から五騎が前に出てきた。きらびやかな具足を付けた男が中央に位置し、四つの旗でそれを囲っている。
 私は目を凝らした。具足をつけている男。何度も、見た男だった。そして、首を奪ろうとしても奪れなかった男だ。奪りさえすれば、この戦は終わる。
「バロン」
 メッサーナ軍の総帥にして、国王。
「ハルトレイン大将軍」
 供(とも)には言わせず、バロン自身が大声で叫んでいた。声が老いている。何のことも無しに、私はそう思った。あの鷹の目のバロンも、老いたのか。そして、その老いた男の首を私は狙い続けている。
「どこにおられる。話がしたい」
 バロンの声は必死だった。今更、何を。
「ハルトレイン大将軍っ」
 異常な事態であるはずが、両軍共に不気味な程に静かだった。これから決戦を行うというのに、バロンは話がしたい、などと言い出している。
 各軍に目を配った。兵はみんな、真っ直ぐに前だけを見つめている。
「頼む、話をさせてくれっ」
 まるで、哀願するかのような声色だった。それで、私も何かを悟った。
 馬を前に出した。一騎である。供など、必要ない。飾りの大将軍に過ぎないからだ。兵や将を、掌握しきれなかった。情けない大将軍。今更になって、自嘲にも似た思いが込み上げて来る。
「話とは何だ? バロン王」

 最後のチャンスだと思うしかなかった。この戦は間違いなく勝てる。ルイスの謀略が、見事な程に決まっているからだ。
 官軍の中に内通者を作った。兵糧攻めと流言から始まった謀略は、内から崩すという内応策に姿を変えたのである。
 さすがに主だった将軍の麾下には手を出せなかったが、それ以外の兵とは内応するという手筈が揃っていた。
 ハルトレインは戦の天才だった。あの男の軍才は、天下一だろう。しかし、将兵の心を掴みきれなかった。掴みきれなかったが故に、戦に負ける。
 私は、ハルトレインを殺したくなかった。あの男の才が惜しい。あれほどの才があれば、天下統一後も軍は安泰である。隻眼のレンや熊殺しのシオンなど、歯牙にもかけない程の才を、あの男は持っている。
 一度だけだ。一度だけ、あの男に生きるチャンスを与えたい。これは私の独断であり、誰にも伝えていない事だ。卑怯な戦。この思いだけは、とうとう最後まで捨て去る事が出来なかった。そして、同時にハルトレインの軍才を惜しい、とまで思ってしまった。
「ハルトレイン殿、一度だけ言う」
 そう、一度だけだ。この一度だけで、全てを悟ってくれ。そして、私のために、メッサーナのために、民のために、その軍才を役立ててくれ。お前の軍才は、異民族を撃滅させる力をも秘めている。異民族を撃滅すれば、真の意味で天下は安泰する。いや、外征だって出来るかもしれない。
「降伏を、降伏をしてくれ」
 私の声が戦場にこだました。その瞬間、後方のメッサーナ軍だけが激しくどよめいた。一方の官軍は、静まり返っている。
「ハルトレイン殿」
 私は呟くようにして、言った。
 瞬間、馬蹄。後ろだ。一騎だけが、駆けてきた。
「バロン王、お戯れを。何を言われているのです」
 隻眼のレンだった。顔は見ない。ハルトレインだけを、私はジッと見つめていた。
「降伏、降伏と言われましたか」
 何も答えなかった。レンの声は、ハッとする程に落ち着いている。感情など、何も乗せられていない。
「バロン王、お答えください」
「ハルトレイン殿、頼む」
 レンを無視して、再び、私は叫ぶようにして言った。
「断る」
 ハルトレイン。芯の通った、強烈な意志が込められた声だった。
「何故? 気付いているはずだ。貴殿は、この戦で散るのだぞ」
「それでも、断る」
「理由を、教えてくれ。貴殿は死ぬ事がわかっていて、尚も戦を続けるのか。敗北は必至だぞ」
「断ると言っている」
「命が惜しくないのか」
「バロン、見苦しいぞ。お前は、一度だけ、と言ったはずだ」
「命が惜しくないのか、ハルトレインっ」
「私には、命よりも大事なものがある」
「なんだ、それは」
「誇り」
 それだけを言って、ハルトレインは自陣に戻って行った。堂々たる足並みだった。そして、すぐに軍は戦闘態勢を取った。
「バロン王、貴方は最低だ。最低の男だ。ハルトレインをどうしようも無いほどに傷つけた。俺は、貴方を軽蔑する」
 レン。一騎だけで、前に進み出た。そのレンを追うように、スズメバチと熊殺しが前線に突出していく。
 ハルトレインとレン。この二人の闘気が、戦場を支配する。
 私はそれを、空漠の想いで感じ取っていた。

       

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