Neetel Inside 文芸新都
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 日が眩しかった。視界に広がるのは、見覚えのある天井だけだ。四肢からは、柔らかな布の感触が伝わってくる。そして、鳥の声。
 状況がよく分からなかった。僅かな頭痛を覚えたが、全身は鉛のように重たい。上体を起こそうとしたが、声が漏れただけだった。
 記憶を探った。アビス原野でハルトレインと決着をつけた所までは覚えている。しかし、そこからの記憶が途切れていた。いや、父であるロアーヌと会ったような記憶がある。会えるわけはない。だが、言われた事を覚えていた。お前は大志を成し遂げた。帰れ。シグナスもお前を待ってはいない。そう言われたのだ。
 夢の中に居るような感覚だった。ただ、間違いなく言える事は生きている、という事だ。僅かな頭痛こそが、生きている証だった。
 深く息を吐(つ)いた。そして、再び様子を探った。どうやら、ここはピドナの医療施設のようだ。軍用であり、個室でもある。
 少しずつ、状況が飲み込めてきた。ハルトレインと決着をつけた後、俺は意識を失った。そして、何らかの形で戦は終着し、俺は医療施設に運び込まれたようだ。ここに居るという事は、意識は失っても死んではいなかった、という事だろう。どうにか、命は繋ぎ止めてしまったらしい。
「レン様?」
 女の声だった。右手に温もりが伝わってくる。
「レン様、目が覚めたのですか?」
 首を横に倒すと、美しい女が目に涙を浮かべ、微笑んでいた。
「モニカ」
 俺の惚れた女だった。その顔を見て、何故かひどく安心した自分が居た。モニカを見た瞬間、繋ぎ止めてしまった命が、熱を帯びたような気さえした。
「ここはピドナか?」
「はい。レン様、目覚めてよかった」
 モニカの声は震えている。どことなく、モニカの顔はやつれていた。ずっと、傍に居て看病していてくれたのかもしれない。
「喉が渇いたな」
「三十日もの間、眠り続けていたのです。喉が渇いて当たり前ですわ」
 そう言って、モニカが口移しで水を飲ませてきた。舌は貪るようにモニカの口の中の水を求めた。水が全身に染み込んでいく。
「三十日」
「そうです。一度も目覚めることなく、まるで死んだように動かなかったのですよ」
「記憶がないのだ。アビス原野に居た所までは覚えている」
「ハルトレイン様と決着をつけられました」
「あぁ」
 言って、暗い気持ちになった。バロンに邪魔をされた。バロンが居なければ、俺はハルトレインに討たれていただろう。つまり、こうしてモニカと会話をする事もなかった。そういう意味では、命を救われたという思いはある。しかし、感謝する気持ちにはなれなかった。むしろ、顔も見たくない。
「戦はどうなったのだろう」
「終わりました。ハルトレイン様を失った官軍は、国ごと降伏したのです」
 言われて、俺は目を閉じた。記憶の中で、会えるはずのないロアーヌに言われた事を思い出す。
「メッサーナは天下を統一したのだな」
「はい。平和の訪れです」
 ロアーヌは、大志を成し遂げた、と俺に言った。すなわちそれは、メッサーナが天下を統一した、という事だったのだ。
「そうか。そうなのだな」
 本当に全てが終わったのだ。多くの人間に受け継がれた二人の父の大志は、ようやく成し遂げられた。そして、ハルトレインとの決着も。
 何かが心に訴えかけてくる。それが何かはわからない。しかし、悲しみに似ているものだ。涙が出そうになる自分が居て、それに対して驚きも覚えた。
「モニカ、もう少しだけ傍に居てくれ」
「はい」
 そう言って、俺は目を閉じた。
 次に目を開けた時には、夕日が部屋に差し込んでいた。どうやら、眠ってしまったらしい。
「兄上」
「レン」
 複数の声が聞こえた。右手。温もりはある。モニカの温もり。それを感じて、俺は上体を起こした。今度は、楽に起き上がれた。回復に向かっているのだろう。身体がいくらか軽くなっている感じもある。思慮も明確になっていくのを感じていた。
「シオン、ニール」
「兄上」
「心配させやがって、くそったれ」
 二人とも泣いていた。弟と友。そして、この世で最も愛しい人。生きていて良かった。はじめて、そう思った。十五歳の初陣より以来、生きる事に対して、責任のようなものを感じていた。しかし、今は違う。生きていて良かった。本当にそう思う。
「天下統一したんだぜ、お前、知ってんのかよぉ」
「あぁ、聞いたさ。モニカが教えてくれた」
「ノエルがピドナに向かってきているんですよ。新たな宰相候補として」
 シオンがそう言ったのを聞いて、俺はニールの方に目をやった。
「気にしてねぇよ、俺は。確かにあいつは親父の仇だが、それを言った所でどうにかなるものでもねぇ。それに、大事なのはこれからだ。メッサーナは天下を取った。だったら、これを次に繋げるのが大事だろうよ」
「ニール、俺が眠っている間に、ずいぶんと賢くなったな」
「お前、それ馬鹿にしてんだろ」
 ニールがそう言うと、みんな笑い始めた。
「レン様、シオン様やニール様の他にも、会いたいという方がたくさんいらっしゃいます。ひとまず、お会いするのは、このお二方だけにして頂いたのですけど」
「あぁ。だったら、俺から会いに行くよ」
 しかし、バロンには会いたくなかった。会ってしまうと、何かが変わってしまうだろう。それも嫌な形で、だ。
 ピドナを出るべきかもしれない。もう戦は終わった。天下も定まり、軍人の役割は縮小されていくだろう。平和が訪れたのだ。そうなれば、力を発揮するのは文官である。その筆頭がノエルという事になるのか。
「国の方で取り立てられたのは、ノエルだけなのか?」
「いや、他にも多く居るぜ。レキサスとかな。やはり、国は強大だった。探せば探すほど、有能な奴が出てくるらしい」
「そうか。しかし、勝ったのだな」
「勝ちました。本当に苦しい戦いでしたが、勝ちました」
 シオンの言葉を聞いて、俺は大きく頷いた。
 これでメッサーナは天下を築いていくのだろう。バロンを王とし、優秀な者たちが国を作り上げていく。しかし、その国を作り上げていく者たちの中に、自分を描くことは出来なかった。すでに、ここに俺の居場所は無いのかもしれない。いや、作ろうとも思っていない、という方が正しいのか。
 ピドナを出る。また、この事が頭に浮かんできた。この街には、思い出が多すぎる。共に過ごした仲間達の記憶が、染み付いてしまっているのだ。ジャミル、アクト、ダウド。すでにこの世を去った者も少なくない。
 出るべきだろう。むしろ、出てしまいたかった。ロアーヌの息子、シグナスの息子、スズメバチ隊の隊長。そういった肩書きを全て捨てて、一人の男として旅に出てしまいたい。
「シオン、ニール。すまないが、席を外してもらえないか」
 俺がそう言うと、二人は顔を見合わせた後、口元を緩めて退室した。モニカと二人きりである。
「モニカ、唐突な話だが」
「はい」
「俺は身体が回復したら、ピドナを出る」
 俺がそう言っても、モニカは驚いた様子は見せなかった。ジッと、俺の目を見つめてくる。
「だから、その」
「付いて行きます。レン様がどういう道を歩んでも、私は付いていきます」
 言われて、俺は頷くことしか出来なかった。
「待ち続けたのです。貴方をずっと待ち続けた。貴方が戦に明け暮れている最中(さなか)も、生きて帰ってきて欲しい、と何度も願いました」
「すまなかった」
 その言葉と同時に、俺は涙を流していた。こんなにも自分を愛してくれる女が、他に居るのか。
「そして、ありがとう」
 モニカが右手を握ってきた。温かい。そう思った。

       

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