Neetel Inside 文芸新都
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 旅を再開して、二週間が経過しようとしていた。次の目的地は、ローザリア大河の港町、ミュルスである。
 ミュルスは、交易で栄えた町だった。この国で最大を誇る河川、ローザリア大河を懐に抱え、そこで様々な取引を行っているのだ。
 俺は、船というべき船を見た事がなかった。メッサーナは山岳地帯であるため、大きな川などは流れていない。湖などはあるが、どれも小船で事が足りる規模だった。北の大地も、似たようなものである。メッサーナと違うのは、冬になると河川や湖などは凍りついてしまうという事だった。
 他人にはあまり言える事ではないが、俺は泳げなかった。ニールも同じである。というより、メッサーナで生まれ育った者のほとんどは、そうだろう。泳ぐという習慣がないのだ。シオンやダウドは、泳げるのだろうか。
 遠くの方から、ニールの怒鳴り声が聞こえていた。ダウドに稽古をつけているのである。俺はシオンの方が良い、と言ったが、ニールが甘すぎるから駄目だ、と突っぱねた。
 不思議だったのは、ニールに稽古をつけてもらう事を、ダウドがそれほど嫌がらなかった事だ。二週間の間、ニールはよくダウドの頭を引っ叩いていて、俺がそれをたしなめる、という事が多かったが、ダウドはダウドなりに何かを感じたのかもしれない。無論、ニールも無意味に引っ叩いていた訳でもないだろう。ただし、はたから見れば、ただの八つ当たりだ、と思える事が多かったのも事実である。
「兄上、枯れ枝を持ってきました」
 シオンが、両手いっぱいに枯れ枝を抱えて、戻ってきた。
「ありがとう。それだけあれば、今日の寒さは十分に凌げるだろう」
「この怒鳴り声、ニールですか」
「あぁ。ダウドは、今日も絞られているぞ」
 俺は、焚き火に向かって、枯れ枝を放り投げた。パチパチと、小気味の良い音を立てている。
「ダウドは怒鳴られるのに慣れていません。委縮してしまう所があります」
「稽古が心配か、シオン?」
「それは、俺を兄と慕ってくれていますから」
「俺は、ニールとダウドの組み合わせは悪くはない、と思うがな」
 ダウドは臆病、というより慎重で、ニールは大雑把過ぎる。もう少し違う視点で言えば、ダウドは守りが上手く、ニールは攻めが上手い。つまり、互いに互いの欠点を補える形になるのだ。ニールも、ダウドに稽古を付ける事で、無意識に防御について学ぶ事ができる。ただ、今は力量の差が歴然としていて、ニール側のメリットはあまり無い。
 しかしシオンは、心配そうな表情を変えなかった。
「稽古を見に行こうか、シオン」
 俺がそう言うと、シオンは頷いた。
 森を抜けた広間で、ニールとダウドは向き合っていた。ダウドの息はすでに荒く、剣を構えるだけで精一杯のようである。
「おら、ダウド。何をぼーっと突っ立ってんだ。早く打ってこい」
 ニールが声をあげるも、ダウドは動かなかった。というより、動けないのだろう。体力の限界が来ている。だが、そこからさらに一歩踏み出せれば、それは成長に繋がる。この事は、父であるロアーヌに稽古をつけてもらった中で、何度も経験した事だった。
「ダウド、頑張れ」
 シオンが、呟いた。ダウドが歯を食い縛る。次に、剣を持つ手が僅かに上がったかと思うと、ダウドはそのまま崩れ落ちた。
「情けねぇ、ガキだ」
 ニールが舌打ちをかましながら言った。そのままダウドに歩み寄り、偃月刀の取っ手でダウドの背中を小突く。
 ダウドは、うめき声を発するだけで、動かなかった。もう、今日の稽古は無理だろう。
「ニール、お前やり過ぎだろう」
 シオンが、頃合いを見て出て行った。
「あん? なんだよ、シオン。俺のやり方に文句があんのかよ」
「ある。お前、ダウドをなんだと思ってる」
「クソガキの雑魚だ。俺達の荷物だ。それ以外になんかあんのか?」
「お前っ」
 シオンがニールの胸倉をつかんだ。それでも、ニールは表情を変えなかった。
「シオン、てめぇは強いから分からないだろうが、そういう心遣いはダウドには無用だぞ。むしろ、余計な事だ。ダウドは自分が弱い事を分かってる。そして、それを変えたいとも思ってる。お前のその心遣いは、それを無駄にしてんのと同じだ」
「それにしても、言い方があるだろう。やり方だって」
「甘いんだよ、シオン。今はそれで良いかもしれねぇ。だが、俺達はいずれメッサーナに帰るんだ。そして、国と戦う。その時、その甘さで生き残れんのかよ? シオン、お前は強いから大丈夫だろう。だが、ダウドは死ぬぜ」
「兵として」
「兵として生きるかどうかは分からないってか? お前、ダウドの言葉を忘れたのか。この雑魚は、お前についていくって言ったんだぞ。お前はどうすんだよ。レンについていくんだろうが。レンは兵になるぞ。そしたら、お前もダウドも兵じゃねぇか」
 ニールがそう言うと、シオンはニールの胸倉から手を離した。拳が、震えている。
「今、こうしてる時でも、俺の親父は、バロン将軍は戦ってるかもしれねぇ。レンが兄と慕う、クリス将軍だってそうだ。使える時間は限られてんだよ。弱い奴は、この時間の中で強くなっていくしかねぇんだ。お前みたいな、強い奴には分からないだろうがな」
 ニールの言っている事は、正論だった。非の打ちどころのない、正論である。だからこそ、シオンもニールの胸倉から手を離したのだ。確かにニールのやり方は酷だと言わざるを得ないが、ダウドは嫌がっていない。ならば、第三者が介入するべきでもないだろう。
「シオン兄、俺、強くなるよ」
 顔を地べたに埋めたまま、ダウドが言った。
「ふん、言うだけなら簡単なんだよ」
 ニールが言うと、ダウドは微かに笑っていた。今に見ていろ、そういう笑い方だった。
「それとシオン、この雑魚の事を勘違いして捉えているようだから教えてやるが、こいつは臆病なんかじゃねぇ。慎重なんだよ。いや、さらに言えば用心深い。お前、もっと自分の子分の事をしっかりと見ろよな」
 言って、ニールが焚き火の方に歩いていった。シオンは、俯いている。
「ニールも、ただの馬鹿じゃないって事だ。シオン、あいつから学ぶ事も多くあるぞ」
 そう言って、俺はシオンの肩に手をやった。
 シオンは、俯いたままだった。

       

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