Neetel Inside 文芸新都
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 ミュルスに向けて、行軍していた。陸路ではなく、水路である。ローザリア大河を溯上する形になるため、行軍速度は速いとは言えないが、それでも陸路を行くよりは速い。ミュルスは、ローザリア大河と直結しているのだ。もっとも、全軍で水路を行軍するのは無理があるので、一部分だけの行軍だった。残りは陸路からである。
 自分が軍の総大将に選ばれるというのは、いくらか予想していた事だった。それでも、実際に選ばれると全身が硬くなった。元々、そういう器でないのかもしれない。器の大きさで言えば、私の下に付く事になった、ヤーマスやリブロフの方がずっと大きいという気がする。
 軍の総大将に選ばれたのは、都に招集されていたというのが大きかった。
 元々、私は出世や野心などとは無縁だった。ミュルスで生まれ育ち、なんとなくという感じで軍に入ったので、特に大きな志などは持っていなかったのだ。ただ、軍務は真面目にこなした。主な軍務は治安維持だったので、賊討伐などで成果も上げていた。
 そんなある日、ハルトレインがミュルスにやって来た。これが、都に行く事になる切っ掛けとなった。当時のハルトレインはまだ大隊長で、大将軍の末子であるという肩書は持っていたが、権力そのものは大隊長のそれだった。それでも、ハルトレインは私に声を掛けてきた。都に来ないか。ハルトレインは、そう言ったのである。
 どういう経緯で、私がハルトレインの目に留まったのかは分からないが、私が都行きを断る理由は特になかった。それで私はミュルスを出て、都に行く事にしたのだ。
 ただし、気掛かりな事が一つだけあった。ノエルである。
 ノエルは私の後輩にあたり、実戦で戦う兵というよりは、文官の色が強い男だった。持っている知識がとにかく豊富なので、話していて飽きる事がない。それに、何故か私の事を慕っていた。早く将軍になって、軍師として使ってくれ、といつも言っていたのが印象深い。
 そのノエルは、私が都に行ってから軍を辞めたのだという。その後の消息はわからないが、おそらくまだミュルスに居るのだろう。すぐには無理でも、後々に都に来れば良かったのではないか、と思うが、ノエルにはノエルの考えがあったのかもしれない。
 それにしても、ルードという男は訳のわからない男だった。元は私の上官だったが、その時からおかしな所がある、という気はしていた。面倒な軍務はサボり、自分の利を最優先に考える。こんな男が何故、とよく思ったものだったが、元々は能力のある人間だったのだろう。都からミュルスに異動となってから、どこか変わり始めた、という話はよく耳にしていた。
「前方で、ミュルス水軍が布陣しているとの事です」
 斥候が戻り、そう報告してきた。
「陸で初戦をやりたかったが、やはりそうはいかないか」
 ミュルスは陸軍よりも水軍の方が精強である。これは地形から見て、自然とそうならざるを得ない事だ。
 一方の官軍は、水軍はお世辞にも強いとは言えない。今回は水軍を三千ほど用意しているが、ミュルス軍と比べると、やはり見劣りしてしまうだろう。
「ぶつかりますか?」
「それしかないな。風はどうなっている?」
 水上戦において、風は最も重要な要素の一つだった。風の向き、強さはそのまま機動力に直結する。特に私達は溯上しているため、風を知る事が肝要なのだ。
「東から西に向いています。季節は春なので、次第に南から吹いてくるかと思いますが」
 どちらにせよ、攻め上がる事に関しては風はこちらの味方だ。あとは水の流れだが、溯上という形はどうやっても覆せない。ぶつかり合いに関しては、風と水の流れを考慮して五分五分という所だろう。
「よし、ヤーマス殿、リブロフ殿に伝令だ。このまま溯上し、水上戦を展開する。進軍路は私達が切り開くので、御二方は左右からの切り込みを頼む」
 私がそう言うと、伝令が復唱して駆け去った。
 水軍の質は低いが、ヤーマスとリブロフの武勇でそれを補う。二人の武は、官軍の中でも相当なものである。私など、足元にも及ばないだろう。問題は戦う場が船上ということだが、進軍中に酔った、という話は聞いていないので心配はなさそうだった。
 水上戦において、この船酔いというのは最大の敵である。特に陸での生活しか経験していない者は、この船酔いにかかりやすい。そして、船酔いになってしまったら、立っているのも辛くなるのだ。私も幼少の頃はよく酔っていたが、今ではもう慣れたものである。
 しばらく、ローザリア大河を溯上した。すると、前方に船団が見えてきた。大型船が四艘、中型船が十艘。あとは小型船が数十艘といった所か。大型船には五百人、中型船には百人、小型船には二十人程度の兵が乗っているから、ざっと見た感じで敵兵力は三千五百程度だろう。こちらも編成は似たようなものである。ただ、陸軍の兵が乗っているので、大型船の数はこちらの方がずっと多い。
 もっとも、水上戦では大型船よりも小型船だった。小型船の舳先には、鉄杭が装備されており、これで突っ込んで大型船の船底に穴を開けてしまうのだ。船底に水が入れば、大型船はやがて沈む。そこから先は、兵がどれだけ泳げるかだった。
 その小型船を近付かせないのが、水上戦の肝である。
「弓矢を用意しろ。小型船を集中的に狙え」
 すぐに弓兵が持ち場に付く。次いで、ヤーマスとリブロフの位置を確認した。二人とも、最前線の小型船に乗っているようだ。本来なら、私と同じように大型船に乗って指揮すべきだが、水上戦の経験がないので指揮は全て私に任せる、という事なのだろう。
 両軍の間合いが、狭まった。敵の小型船が疾走してくる。水の流れに乗っているので、いくらかこちらの小型船よりも動きが速い。
「沈めろ。小型船に突っ込まれたら、こちらが沈むぞ」
 言って、私も弓矢を撃ち放つ。ヤーマスとリブロフの船に目をやった。遮二無二、進んでいるようだ。二人は船の舳先に立って、迫りくる矢を弾き飛ばしている。
 下に目をやると、敵の小型船が迫って来ていた。すぐにその漕ぎ手を射落とし、残りの敵を射抜いていく。気付くと、水面は敵味方の兵の水死体でいっぱいになっていた。
「大型船、前進。距離を詰めろ」
 指示を出す。鈍く、のっそりと大型船が動き始めた。

       

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