Neetel Inside 文芸新都
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 自軍の大型船の一艘が傾いていた。沈もうとしているのだ。敵の小型船を留める事ができず、鉄杭を連発で食らってしまった。泳げない兵が、船上で悲鳴を上げている。
「この船から小型戦を走らせろ。兵の救援に向かえ」
 水軍には救援を目的とする隊がいくつかあった。これは戦闘部隊ではないので、無防備である。当然、敵もこの事は知っているので、躍起になって救援隊の船を攻撃してくる。一応、救援隊には矢を防ぐ大盾は持たせているが、火矢が飛んでくると防ぐのは難しい。しかし、この状況で救援隊を支援するのは至難の業だ。何とか、自力で大型船まで行ってもらうしかない。
 尚も、全軍を前に進めた。小型船同士の競り合いでは、官軍に勝ち目はない。それほど、ミュルス水軍の質は高いのだ。そうなれば、あとは大型船をぶっつけて白兵戦に持ち込むしかない。白兵戦なら、官軍に分がある。
 それにしても、ミュルス水軍は驚くほど懸命に戦っていた。ルードの私心による反乱だから、それほどの激戦にはならないだろうと予想していたが、これは大きく覆った。おそらくだが、ルードは何か兵の弱みを握っている。報酬ではなく、恐怖心で兵を動かしているのだ。
 以前から、こういう事だけには頭が回る男だった。太守という立場が、さらにそれを助長させているのか。
 振り返り、掲げている旗を確認した。私の旗である。レキサスが居る。敵兵は、これを認識しているはずだ。それでも尚も、果敢に攻めかかってくる。
 青臭い事だが、出来ればミュルス軍の兵は殺したくなかった。顔見知りの兵も、多くいるのだ。なんとか両軍の犠牲を抑えて戦を終えたいが、もうこれは無理だろう。
 目を閉じた。ルードへの怒りだけが、身体の中を駆け巡る。メッサーナという外敵を抱えたこの状況で、とんでもない事をやってくれた。国内で、争っている場合ではないのだ。捕まえたら、すぐに首を刎ねてやる。
 目を開く。
「止まるな、前に進め」
 言ったが、大型船の足は遅い。さらに大河を溯上しているのだ。それに敵軍に近付けば近付くだけ、敵の小型船の脅威も増してくる。だが、一艘でも白兵戦に持ち込めれば、戦の流れは変わるはずだ。
 敵軍の攻撃が激しくなっていく。それを肌で感じていたが、耐え時だと思うしかなかった。ここで前進を躊躇すれば、一気に退却にまで繋がりかねない。
 そう考えていた時だった、不意に、敵軍の後方から炎が上がった。さらに、中型船が次々に沈んでいく。炎はどんどん広がり、大型船一艘を丸々飲み込んだ。
 私は船縁に身を乗り出し、その先へ目を凝らした。
「一体、何が」
 敵の大型船の背後を、無数の船が走っている。しかし、軍船ではない。
「あれは、ミュルスの」
 漁師の船。つまり、民の船だ。何故。最初にこれを思ったが、すぐにそれは振り払った。単純に、民が私達を支援している。民はルードに付かず、官軍に付いた。つまりは、こういう事だ。
 攻勢の時。
「角笛。同時に白兵戦の用意。ヤーマス殿、リブロフ殿を先鋒とし、一気に突っ掛けるっ」
 側に居た兵が、角笛を吹いた。喊声があがる。
 敵軍が混乱していた。後方で攻撃を受けている。この現状を把握するだけで、手一杯なのだろう。水上での不測の事態は、陸よりも混乱が大きい。即応が出来ないからだ。
 構わず、大型船を突っ込ませる。敵の大型船にぶつかり、両軍の船が大きく揺れ動いた。それを感じていた時には、すでにヤーマスとリブロフは敵の大型船に飛び移っていた。
 ヤーマスの槍が駆け抜ける。電光石火で、大型船を指揮する敵将を討ち取った。さらに目を移すと、リブロフも首級を上げていた。
 二人が喊声を上げて、敵将の首を大きく掲げた。大型船の二艘を掌握した。降参しろ。二人は、そう言っているのだ。二人とも、この戦は犠牲を抑えるべきだと考えているのか。
 この喊声を受けて、敵軍は次々に白旗を上げていった。勝ち目がないと悟ったのだろう。両軍の犠牲は調べてみないと分からないが、戦い尽すという形にはならずに済んだ。
 降参した敵軍は、そのまま自軍に組み込んだ。軍の編成はそのままで、指揮系統だけを整える。
 降った兵達の話を聞いていくと、どうやらルードは兵の家族を人質に取っているらしい。つまり、民を戦に巻き込んでいるのだ。とんでもない卑劣漢だと思ったが、口には出さなかった。とにかく、ルードを捕まえて斬首するしかない。
 降った兵達をまとめてから、戦況を変えてくれた漁師達にも会う事にした。
「礼を言う、助かった」
 漁師達を目の前にして、私は頭を下げた。
「レキサス殿が戻ってこられたんであれば、ルードの野郎の言う事を聞く必要なんかねぇ。俺達は、そう考えただけよ」
「しかし、戦だった。危険だっただろう」
「何を言ってんだ。船出に危険は付き物だ。それに仕掛ける機さえ間違えなければ、それほど危なくねぇ。これは、ノエルの坊主が言った事だがな」
 ノエル。その名を聞いて、私は思わずハッとした。
「お久しぶりです、レキサス将校。いや、今は将軍かな」
 漁師達の後ろから、ノエルが出てきた。相変わらず、華奢な身体つきだった。しかし、変わっていない。それほどの時も経っていない。だから、変わっていなくて当然なのか。
「ノエル、お前は」
「レキサス将軍、僕は貴方を待っていました」
「やはり、まだミュルスに居たのだな」
「えぇ。というより、他に行く所がなかったのですよ」
 ノエルが、ジッと私の目を見つめてきた。
「レキサス将軍、僕を使って貰えませんか?」
 静かに、ノエルは言った。
「使うと言っても、お前は軍を辞めてしまったのだ」
「そうですね。では、従者という形でも構いません」
 言われて、私は目を閉じた。ノエルとは、確かに縁があった。今回の水上戦も、ノエルが居なければ負けていたかもしれない。ならば、私にとってノエルは必要な人間と言えるのではないのか。
 しかし、ノエルの才はもっと広い範囲で使われるべきだった。だから、私ではなく、国に仕えた方がずっと良い。それにノエルならば、軍に復職する事も難しくないはずだ。
「レキサス将軍、貴方の考えている事も分かります。しかし、これは僕の人生なのです」
 言われて、私は目を開いた。ノエルが小さく頷く。
「分かった。よろしく頼む」
 私がそう言うと、ノエルはニコリと笑った。
「まずはこの反乱を収めましょう。もちろん、ミュルスの民達も協力します」
「しかし、兵の家族が人質に取られているのだろう?」
「いえ、もう逃げたと思いますよ」
「どういう事だ、ノエル?」
「内応ですよ。僕も、元々はミュルス軍の兵だったのですから。そして何より、ルードには人望がありません」
「そういう事か」
「もっとも、内応はレキサス将軍の人望が成したものですが。いずれにしろ、ルードに味方は居ません。ミュルスの反乱は、すでに終息を迎えようとしています」
「お前は大した男だよ、ノエル」
「貴方を英傑にするのが、僕の役目ですから」
 そう言って、ノエルは白い歯を見せて笑った。私は、それに対して笑顔で応えるしかなかった。

       

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