Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。受け継ぐは大志
第七章 再会のアビス原野

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 ピドナ郊外で、軽い調練をやっていた。今は戦時中である。つまり、いつ出動となってもおかしくないのだ。だから、兵が疲れ果てるような調練はやらない。
 スズメバチ隊の兵の選別と激しい調練は、尚も行われている。今、兵力は七百にまで回復し、兵の質も相当なものになっていた。だが、欠点が一つだけあった。それは、スズメバチ隊としての実戦を知らない兵が多いという事だ。調練ばかり重ねても、やはり実戦を経験させない限りは完成とは言えない。実戦で得られるものは、調練では得られないものばかりなのだ。そして、実戦を繰り返して生き残っていく事で、兵の質はさらに上がっていく。
 兵の中で、頭抜け始めている者が何人か居た。これらはいずれ小隊長となり、兵をまとめる事になるだろう。その中の一人に、シンロウという者が居る。最初の顔合わせの時に、大口を叩いていた男だ。調練で死ぬ訳がない。シンロウは、そう言ったのである。
 シンロウはシーザー軍出身だからなのか、敬語すらまともに喋ろうとせず、無意味に歯向かってくる所があった。躾けるのに苦労したが、最近になってようやく自分の立場が分かってきたらしい。元々、兵以上の資質は持っていた男である。この先でどうなるかは、育て方次第という所だろう。
「ジャミル隊長、俺は戦に出たい」
 午前の調練を終えて休止を命じた所で、シンロウが言ってきた。顔には不満の色を浮かばせている。
「出たいです、だ。シンロウ。また、棒で打たれたいのか?」
「申し訳ありません。しかし、シーザー将軍が戦に出ておられるというのに」
「お前の気持ちは分かるが、バロン将軍は俺達に待機の命令を出されている」
「スズメバチ隊抜きで、戦に勝てると思ってるんですかね、バロン将軍は」
 シンロウの言う事も分かる。だが、今のスズメバチ隊ではそれほど役に立たないだろう。指揮官が居ないのだ。兵の質は確かに相当なものだが、これだけでは軍の力は半分も引き出せない。優秀な指揮官があってこそ、兵の質も生かされるのだ。そういう意味では、やはりロアーヌの力は絶大なものであったと言わざるを得ないだろう。
 仮に俺がスズメバチ隊を率いた所で、ロアーヌの戦果にはまるで及ばない。これが、正直な所だった。おそらく、バロンはここまで考えて、スズメバチ隊に待機を命じている。
「まだ時は来ていないのだ、シンロウ。それに戦況がどうなっているかも分からん。だから、余計な事に気を割くな」
 俺がそう言っても、シンロウは顔色を変えなかった。元々、戦が好きだという所はあった。単純に戦がしたい、という不満が高まっているのだろう。
 その日は夕刻まで調練を続け、兵舎に戻った。
 飯時まで時間に余裕があったので、どう時間を潰そうかと考えている時だった。急に城門の方が騒がしくなった。
 どうせ、何かくだらない事だろう、と思ったが、微かに胸騒ぎに似たものを感じた。しかし、不快ではない。それを自覚すると同時に、城門の方へと走っていた。
 人の塊ができていた。よく見ると、兵の数が多い。
「本当に、レン殿なのですか」
 そういう声が聞こえた。レン。ロアーヌとシグナスの息子。あのレンなのか。という事は、帰ってきたのか。
 人ごみをかき分けた。必死だった。何故かは自分でも分からない。人ごみから抜け出た。
「ジャミル殿」
 呼ばれた。その先に目を移すと、心を撃ち貫かれたような気分に陥った。隻眼。左眼には、くっきりと刃傷が刻み込まれている。
「レン、レンなのか」
「はい、まさしく。ただいま、戻りました」
 そう言ったレンが、ニコリと笑った。それで、何故か涙が頬を伝った。視界が滲んでいく。
 待っていたのだ。まさしく、俺はこの男を待っていた。どうにもならない気持ちが、涙として溢れ出ていく。
「二年の歳月が経ちましたが、ピドナは変わりないですね」
 よく、帰ってきた。言葉として出せなかったが、俺は心の中でそう言った。涙を拭い、レンの姿を見つめる。
 旅に出た時よりも、大きくなっている。全てが、大きくなっている。表情には覇気が宿り、以前はあったはずの迷いや哀しみ、弱さまでも消えている。
 英傑。かつてのロアーヌに感じたそれを、レンはその身に纏わせていた。
「今、メッサーナは戦時中であるとか。帰りの旅路で情報は集めていましたが、バロン将軍やシーザー将軍が出陣されているのですね」
「あぁ。スズメバチ隊は待機命令が出ているのだ、レン」
 そう言って、レンの背後に目をやると、シーザーの一人息子であるニールが居た。さらには見知らぬ男が二人居る。一人は、まだ童だった。
「この二人はシオンとダウドです。二人とは義兄弟となりました」
 言われて、シオンと紹介された男が頭を下げた。レンの英傑さとは少し違うが、どこか風格がある。立っているだけなのに、何かこちらを圧倒するものを放っていた。
 一方のダウドは童であり、緊張しているのか、表情は強張っている。
「ジャミルさん、戦況はどうなってんだ? 馬で早駆けして戻ってきたんだが、親父が心配だ」
 ニールがそう言った時だった。後方から一騎が現れ、そのままピドナに駆け込んできた。
「注進、注進です」
「どうした、何があった」
「これはジャミル殿。バロン将軍より伝令です。メッサーナ軍はハルトレインの軍に粉砕され、現在は撤退中」
 伝令兵がそう言った瞬間、場が一気に騒然となった。バロンが敗れた。あのハルトレインに。
「潰走ではありませんが、コモンまで退かざるを得ない状況にあります。つきましては、援軍を」
 援軍。ピドナに兵は居るものの、それを指揮する人間が居ない。クリスは北の大地で防備を、クライヴはコモンで待機しているのだ。ならば、クライヴへと兵を送り届けろ、という事なのか。
「ジャミル殿、スズメバチ隊は出陣できる状況にあるのですか?」
 レンが言った。
「あぁ。しかし、どうするつもりだ、レン」
「行きましょう。バロン将軍が助けを求めている」
「兵数は僅かに七百だぞ」
「父上が指揮していたスズメバチ隊も、最初は七百だったと聞いています」
「指揮官が」
「ジャミル殿さえ良ければ、俺にやらせてください」
 そう言ったレンの目の奥に、炎が見えた。同時に、俺よりも年下のはずのこの男が、妙に頼もしく見えた。
 時が来たのかもしれない。スズメバチ隊に、時が来た。レンという男が帰ってきた事によって、スズメバチ隊は完全復活を遂げようとしている。
「分かった」
 俺がそう返事すると、レンは力強く頷いた。戦場へ戻ろう。俺は、そう思っていた。
「兄上、俺も」
「駄目だ、シオン。お前はまだ軍での調練を積んでいない。今、戦場に出ても足手まといになる」
 レンにそう言われても、シオンは顔色を変えなかった。むしろ、申し出た事を恥じているようにも見える。
「はい」
「厳しい事を言ってすまない。ダウドの事を頼んだぞ、シオン」
「ご武運を。兄上」
「俺も行きたいが、まだ無理だな。兵としての調練を積んでねぇ。親父を助けてやってくれ、レン」
「あぁ。行ってくるよ、ニール」
 そう言って、レンは俺の方に向き直った。
「ジャミル殿、すぐに出陣準備を」
 レンはすでに、スズメバチ隊の総隊長だった。俺は、そんなレンにかつてのロアーヌの姿を重ねていた。
「はい。すぐに用意させます」
 敬語で喋っていたが、違和感はどこにも無かった。俺は、レンの元で戦う。かつて、ロアーヌの元で戦っていた時のように。

       

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