Neetel Inside 文芸新都
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 調練中のレンは、まるで鬼だった。基礎の体力作りから騎乗での武器の扱いまで、そのやり方は苛烈を極めており、死んだ方がマシだ、と言っている兵が居る程である。しかも、この調練は未だ序章に過ぎないのだという。時には、水だけで七日間、行軍する調練をやったりもするらしい。実戦時に兵糧がいつも届くとは限らない。ましてや、スズメバチ隊は遊撃隊だ。状況によっては、兵糧が届かない事の方が多かったりするかもしれないのである。だから、先に身体で覚えさせておく。一度でも経験しておけば、次からはある程度の免疫が期待できるのだ。
 俺は軍という場所に初めて身を置く事となったが、時間が経つにつれて、スズメバチ隊はかなり特殊な軍であるという事が実感できた。最初から、そういう心構えで居たのだが、俺の予想を遥かに上回ったのだ。
 メッサーナ軍は各指揮官の色が強く出ている。例えば、シーザー軍は攻撃特化であり、アクト軍は堅実かつ果敢、バロン軍は臨機応変で模範的な存在、といった所である。その中で、スズメバチ隊だけは異様な存在感があった。特徴らしき特徴はない。というより、規格外なのだ。調練も他の軍とはまるで違うし、兵として期待される力量の水準もかなり高い。そして何より、レンの色がそこまで強く出ていないのである。しかし、指揮官の存在感は誰よりも強くあると言って良いだろう。
 レンがスズメバチ隊の指揮官となったので、俺も自然とスズメバチ隊の兵となった。当然の事ながら、階級は兵卒である。調練や実戦の中で、指揮能力などの素質があると判断されれば、将校に取り上げられたりもするのだろう。
 今の俺の所属は、シンロウという小隊長の元だった。シンロウの上には、大隊長であるジャミルが居て、さらにその上に将軍のレンが居る。将軍と言っても、レンは兵達に気さくに話しかけたりするので、兵達からは恐れられながらも尊敬されているようだ。
「シオン、スズメバチ隊の調練はどうだ?」
 上官であるシンロウが話しかけてきた。俺は徒歩での武器調練を終えたばかりで、少しばかり息が上がっている。周りの兵の中には、立っているのも辛いのか、大の字で倒れ込んでいる者も居た。
「思ったより激しいです。軽々とまではいかずとも、それなりにやれるだろう、とは思っていましたので」
「何を言ってる。あんだけ身体を動かして、息が上がっているだけじゃないか。お前と比べて、俺などは死ぬ覚悟を決めた時があったぐらいだぞ。なんてたって、初っ端にジャミル殿にぶちのめされたからな」
 そう言って、シンロウは大きな声で笑った。上官にぶちのめされるとは、どういう事をしたのだろう、と思ったが、俺はあえて何も聞かなかった。元はシーザー軍の出身と聞いているので、ある程度の予想はつく。あのニールの父親の軍なのだ。
「しかし、お前はゆくゆくは俺を超えていきそうだな。スズメバチ隊に所属して間も無いのに、すでに兵卒の器じゃねぇよ」
「そう言われてもピンと来ませんね。ただ、兄上の役に立ちたい。これだけは確かです」
「兄上、ね。レン将軍は何者なんだろうな。底抜けの大きさがあるように思えるが、妙に身近な存在だと感じる時もある。不思議な人だよな」
「シンロウ殿は、兄上をそういう風に感じておられるのですか」
「最初に見た時に、もうこの人がスズメバチ隊の指揮官で良いだろう、と思ったよ。ここだけの話だが、ジャミル殿が指揮官だった頃は、こんな奴が、と思ったもんだ。まぁ、それが原因でぶちのめされたんだがよ」
 シンロウはレンが将軍になってから、小隊長に昇格していた。ジャミルの口添えがあったと聞いているので、ジャミルはシンロウの事をより買っているのだろう。
「とにかく、スズメバチ隊は正式に復活した。それに俺も言ってしまえば、新参者だ。シオン、これからもよろしく頼むぜ」
 そう言って、シンロウは白い歯を見せて笑った。屈託のない笑顔で、気付けば俺も笑顔で頷いていた。
 その日は夕刻まで調練を続けて、俺は疲れ切った身体で兵舎に戻った。まだ、完全に慣れていないというのもあるのだろうが、さすがに夕刻ともなると、疲労は限界に達する。
「シオン、居るか?」
 寝台の上に身体を投げ出した所で、扉の向こうから声が聞こえた。レンの声である。
「はい」
「疲れている所にすまないが、一緒に飯でもどうだ? ニールやダウドも誘っている」
 あれだけの調練の後に、と半ば呆れ気味だったが、断る理由はなかった。それにしても、レンの身体はどうなっているのだろうか。兵達と同じ内容の調練を、同じ数だけこなしたのに、声からはそこまでの疲労の色は感じられないのだ。俺とは潜り抜けた修羅場の数が違う、という事なのか。
 レンには了承の返事をし、具足から軍袍に着替えて、共に繁華街に出た。さすがにピドナには活気がある。すぐにニールやダウドとも合流し、手ごろな店を選んで、四人で入った。
「今日は当然、レン将軍の奢りだよな?」
 席について注文を終えるなり、ニールがレンの肩を叩きながら言った。
「勘弁してくれよ、と言いたいが、まぁ良いだろう。お前から、そう言われる事は覚悟していたからな」
「そうこなくちゃな。で、どうだ。スズメバチ隊は?」
「父上の時と比べると、やはりまだ粗削りだ。兵の数が少ない、というのもあるのだろうが」
「シオンの方は?」
「まだ慣れていないからな。調練は厳しい。ただ、上官のシンロウ殿とは上手くやらせてもらっている」
「シオン兄でも、厳しく感じる調練か」
 不意にダウドが口を開いた。
「このクソガキ、スズメバチ隊に入りたいって言ってんだよ」
 言いながら、ニールが鼻で笑う。ダウドがキッとニールを睨みつけた。
「確かに剣の腕は上達してきているが、身体が小さすぎるんだよ、お前は」
 ニールは今でも暇を見て、ダウドの稽古に付き合っているようだ。時には、ダウド自らがシーザー軍の方まで出向いたりもしているらしい。
「もう少しで童とは言えない年齢になるな、ダウドは」
「それです、レン兄。なのに、俺はまだ身体が大きくならない。食事はきちんと摂っているのですが」
「もう諦めろ、ダウド。お前に兵は無理だ」
「ニールさんは黙っててください」
「なんだと、生意気な」
 ニールが拳骨を放ったが、ダウドはそれを華麗によけた。それが妙に可笑しくて、俺はつい笑ってしまった。
「てめぇ、なんでよけるんだよ」
「これ、攻撃回避の稽古ですよね?」
「なわけねぇだろっ」
 さらに拳骨を放ったが、またもよけられた。それを二度、三度と繰り返していく内に、ニールの顔が真っ赤になり、怒鳴り声をあげた。ダウドがさすがにまずい、と気付いたのか、こちらに目を向けてくる。俺はそれをレンに流した。頭に血が昇ったニールは、レンでないと対処できないのだ。
 レンがニールを宥める。その間に注文していた料理が運び込まれてきた。
「美味そうだな、おい」
 ニールが声をあげ、目を輝かせた。もう機嫌は直ったようだ。相変わらず、単純な男である。
「やれやれ」
 レンがそう言ったので、俺とダウドはくすりと笑った。ニールが訳のわからなそうな表情を浮かべる。それがまた可笑しくて、ついにはニール以外の三人が声をあげて笑い始めた。
「何が面白いんだよ、てめぇらっ」
 ニールが怒鳴り声をあげたが、すぐにニール自身も俺達につられて笑い始める。
 メッサーナに来て良かった。笑いの中で、俺はふとそう思っていた。

       

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