Neetel Inside 文芸新都
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 ランスの居室の前だった。急な呼び出しで、私の他にはクライヴ、シーザー、ルイスといった面々が呼ばれており、さらにはクリスも北の大地からこちらに向かっているという。
 メッサーナの古参将軍達が、ランスに呼ばれているという事だった。例外といえばアクトであるが、これにはピドナの守りを任せており、呼ばれても行けないという事情がある。
 このメッサーナの地に、文武の主だった者達が招集される。これは何を意味しているのか。考えたくない事だが、ランスの死が近いという事を示しているのか。
 至急、メッサーナに来られたし。書簡と共に、伝令兵はそう言った。ピドナで軍務をこなしていた時の事だ。ランス直々の呼び出しだったので、その日の内に私はホークと共にピドナを出た。
 問題は留守中に戦が起きないか、という点だが、これは可能性は低い。国では王が急死し、今は後継者問題で揉めているという。ただ、軍はしっかりと統制されているために、全く動けないという訳ではなかった。だから、アクトに留守を任せたのだ。
「バロンです。ただいま、到着致しました」
 扉を前にして、私は言った。
「うむ、入ってくれ」
 ランスの声だった。思ったより活力がある。それで何故か、気が楽になった。今になって気付いたが、どこかで緊張していたらしい。
 扉を開けて、私は部屋に入った。すでにクリス以外の面々は揃っており、レンやヨハンも居る。そのまま、眼をランスの方にやった。
「これは、ランス殿」
 声のイメージとは裏腹に、ひどく弱々しい姿だった。寝台の上に横たわり、優しい笑みを浮かべている。髪は真っ白になっていて、それがはっきりと老いを感じさせた。しかし、不思議と悲愴感はない。
「久方ぶりだな、バロン。お前がピドナを見てくれるおかげで、私はずいぶんと楽が出来た」
 出来た。何故か、過去形だった。しかし、その何故かは分かっていた。ただ、自分が認めたくないだけだ。
「バロン、ゴルドはまだ元気でやっているのか?」
 私の父親代わりの男である。齢はもう八十をとうに超えているが、病を得る事もなく故郷で元気に暮らしている。
「はい。もう退役して、今は隠居暮らしをしていると聞いています。元々は私の軍師でしたが、歳が歳ですので」
「羨ましいな。私よりもずいぶん、歳を取っていたはずだが。まぁ、人の生とは案外そういうものなのかもしれん」
 そう言って、ランスは少し笑った。他の面々は、どこか険しい表情をしたまま立っている。
「ランス殿」
 ヨハンが言った。それで、どこか空気が張り詰めたものになった。
「うむ。クリスがまだだが、仕方ないかな。私も、もうしんどくなってきた」
 ランスのこの言葉が、何かひどく重要な事のように聞こえた。ヨハンの方に眼をやったが、ランスだけをじっと見つめている。
「バロン、お前に頼みごとがあるのだ。聞いてもらえるか?」
「出来得る限り」
 そう返答したが、言われる内容は何となくだが予想がついた。これだけの面々が、この場に集まっているのだ。
「メッサーナをお前に託したいのだ」
 予想は的中した。メッサーナの軍権を預けられるというのは、以前から考えていた事だった。本来なら、最古参のクライヴが預かるのが適当だが、ランスが私に言ってきたという事は、クライヴ本人が承諾しなかったという事なのだろう。
「メッサーナの軍権、ですか」
「違う。全てだ」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。違うとは、どういう意味なのか。そして、全てとは。
「全て、というと、首領になれ、という事ですか?」
 ランスには男子が二人居る。そうなれば、次期首領は実子が継ぐのが当たり前の事である。だから、私が承諾するわけにはいかない。もし承諾してしまえば、メッサーナの根本が揺れ動く事になる。
「それも違う。メッサーナを国として興して欲しいのだ、バロン。お前に、王になって欲しいのだ」
 目を見開いていた。言葉は何も出て来ない。というより、何を言っているのか。
「この場に居る者達も、私の言う事に賛同してくれた。まぁ、シーザーだけは反対気味であったがな」
「言っている意味がわかりません。すでにこの国には王が居ます。そして、今は後継者を」
「そうだ。だが、今のメッサーナを考えた時、我々はすでに国と並び立っている事に気付いたのだ。ならば、国を興すべきではないのか。民は、優れた王を必要としている」
「ランス殿」
「もう、国は寿命を迎えたのだ。お前と出会った時、私はそういう話をしたと思う。だからこそ、新しい国が必要なのだ。国として天下を取って欲しいのだ」
 ランスの言う事はわかる。だが、私が王となるのか。ならば、何故。私にその器量があると見られたのか。そもそもで、私は今の国の礎を作り上げた高祖父の血を引いている。そんな私に、国を興せというのか。王になれというのか。
「私の息子では、無理なのだ。同様にヨハンも、クライヴも無理だ。お前しか居ないのだ」
「私は、高祖父の血を引いているのです。この私が、メッサーナという国を興せば」
 血の冒涜となるのではないのか。高祖父の血は、私の誇りなのだ。何者にも汚せない、私の誇りなのだ。
「バロン。今の国をそのままに、メッサーナで天下を取れるのか。絶対的な主を欠いた状態で、天下が取れるか」
「そんな事は、わかりません。しかし、現に戦えています。時をかければ」
「時をかけた結果が、今であると私は思う。すなわち、天下が取れていない。バロン、そなたの高祖父は確かに偉大だ。だが、高祖父は今のような国を、望んでいたのだろうか。すでに、この国は壊されているのだ、バロン。私はお前と出会った時、そう言った」
「覚えています。しかし」
「高祖父の血を引くお前が国を倒さずして、誰が倒すのだ」
 私が、国を興す。そしてメッサーナ王となり、高祖父が作り上げた国を。
 血が熱くなっていた。何者にも汚せない誇り。王となれば、この誇りを私自身が汚してしまう事になるのではないのか。
「バロン将軍」
 レンが私の名を呼んでいた。
「国を興してください。高祖父が夢見たはずの国を、バロン将軍が作り上げてください」
 言われて、私は目を閉じた。そして、レンの言った事の意味を、よく考えた。高祖父は何を想い、国を作り上げたのか。民の平穏を願い、天下を統一したのではないのか。ならば、今の国は。そして、メッサーナが取るべき道とは。私が成すべき事とは。
 目を開いた。
「やってくれるか、バロン」
 何も言わず、私はただ頷いた。そうする事しか出来なかった。死にゆく一人の男が、命を振り絞ったのだ。命を賭して、私に成すべき事を授けてくれたのだ。
 ランスがニコリと笑う。
「これで私も安心できる」
 そう言って、ランスは窓の方に目をやった。私もそれにつられて目をやると、木々に葉が生い茂っているのが見えた。
「ちょっと前まで、桜の花が咲いていたと思ったのだがな」
「もう夏ですよ、ランス様」
 ヨハンが言った。声が、震えている。それが何故かは、すぐに分かった。
「ヨハン、バロンを頼むぞ。ルイスと協力して、政務を助けてやってくれ。そして、クライヴ、シーザー、これからも軍の主力となり、メッサーナを支えよ」
 それぞれが、返事をした。みんな、声が震えている。
「レン。そなたの父上、シグナスと同じように、兵から好かれる将となれ。ロアーヌと同じように、自らに厳しい将となれ。そして、二人のように、天下一の男となれ」
「はい」
「クリスと会えないのが残念であるが、これからも兄のように慕うのだぞ。弟たちの事で困った事があれば、クリスに相談するのだ。そして、お前の姿が見れて、本当に良かった」
 レンの返事はなかった。唇が震えている。声を出せば、もう涙が出てしまうのだろう。
「バロン」
 呼ばれた。心は引き締まっていた。
「後は、任せた」
 そう言って、ランスは目を閉じた。もう、呼吸の音は聞こえなかった。私の背後で、嗚咽が響いている。
 決して、優れた男ではなかった。突出した点を持っているわけでもなく、何かに秀でていたわけでもなかった。ただ、人から好かれていた。そして、深い情を持っていた。だからこそ、メッサーナの首領だった。
「必ず、天下を」
 私の頬を、一筋の涙が伝った。

       

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