Neetel Inside 文芸新都
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「ハルトレイン、レオンハルト大将軍がお呼びだ」
 そう言ったのは、エルマンだった。これから調練に入るという時で、適当な理由をつけて断ろうと思ったが、エルマンの表情がそれを良しとはしてくれそうもなかった。
 父とは、もう何年もまともな会話をしていない。それは父が拒絶していた、という事もあるが、私自身が父に対して良い感情を持っていなかった。人々は、父の事を未だに武神だの軍神だのと呼んでいるが、今の父に戦ができるのか。戦どころか、武器すらも振るえないのではないのか。そんな男が武神であるはずがない。だから、父の異名は過去の栄光意外の何物でもないのだ。それなのに、未だに武神だとは笑わせる。
 そういう鼻白んだ気持ちを抱きつつ、私は父の居る屋敷に入った。私はこの無駄に豪勢な屋敷が好きではなかった。どことなく、腐った政治家を連想させるからだ。他にも、醜く肥った商人の姿とも重なる所がある。金ばかりを追い求め、志の欠片もないような人間が住む。豪勢な屋敷とは、そういうものだった。
「ハルトレインです」
 父の私室の前に立って、私は短くそう言った。秋の日差しが、肌を打ってくる。
「入れ」
 父の返事も短かった。ため息をついてから、私は戸を開け、部屋に入った。
「久方ぶりだな」
 父の身体は、すでに私の方を向いていた。そういう父の姿は、確かに久しぶりだった。今までの父は、ずっと私に背を向けていたのだ。だからなのか、私は面食らった気分に陥った。
「立派になった。私の知るハルトは、もっと幼く、未熟な覇気と根拠のない自信をその身にまとわせていた」
「恐れ入ります」
 人は成長するのだ。父は、私が無為に数年を過ごしているとでも思ったのだろうか。そう考えると腹が立つが、目の前に居る男にそんな価値はない。紛れもない、ただの老人なのだ。背丈という意味で身体は大きいが、偉丈夫と言うにはあまりにも痩せすぎている。ただ、眼光は鋭い。
「エルマンから、大体の事は聞いている」
「そうですか」
「スズメバチ隊が出てきたそうだな」
「はい」
「指揮官はシグナスの実子だと聞いている」
「その通りです」
 この会話は、何の為にしているのか。私は漠然とそんな事を考えていた。そして、父が私を呼び出した理由は何なのか。
「ハルト、お前は武神の子か?」
 問われた。そうだ、と言いかけたが、私の中の何かがそれを遮った。
「父上の血は引いています。しかし、私は父上とはまるで違う人間です。軍人としても、武人としても」
 私がそう言うと、父は口元を僅かに緩めた。笑っているのか。しかし、鋭い眼光に、とてつもない冷酷さが加わっていた。
「儂も、そろそろ退役を考えておるのだ、ハルト」
 父はいきなり切り出してきた。眼光は、尚も冷酷で鋭い。
「父上は、まだご健勝であられます」
「世辞は要らん」
 そう言った父が、私を睨みつけてきた。それでたじろぐ真似はしなかったが、握り拳を作っていた。せめてもの礼儀で言っただけだ。そういう怒りを、誤魔化したかったのだ。
「左腕を失ってからの儂は、抜け殻であった。ロアーヌに左腕を斬り飛ばされたのだ」
「私が、そのロアーヌを殺しました」
「討ったのはお前ではない」
「討つ機会を作ったのは私です」
「ハルト」
「御言葉ですが、父上。あの時の私の行動が間違っていたとは思えません。総大将を守るのは、戦では当たり前の事です」
 私がそう言うと、父は顔を下に向けて黙り込んだ。その様がひどく惨めに見えたので、私は思わず父から目をそらしていた。
「お前に軍権を渡してしまうのが、儂は怖い。だが、お前以外に居ないというのも事実だ」
 再び父に目をやった。肩を震わせている。
「何度もエルマンと話し合った。レキサスとお前、どちらに軍権を渡すべきかを。だが、意見はまとまらぬ。レキサスでは器の種類が違い、お前では国を潰しかねん」
「私が国を潰す?」
「お前の傲慢さは、国を潰す。逆に言えば、大将軍の軍権とはそういうものなのだ」
「無礼を承知で申し上げます。今の父上が軍権を握ったままでは、国はメッサーナに飲み込まれます」
「分かっておる。だからこそ、軍権の委譲を考えたのだ。そして、軍人の資質を鑑みた場合、お前以外に適任がおらぬ」
「ならば」
「全てはお前の傲慢さなのだ、ハルト。時をかけ、戦の経験を積ませれば、何らかの変化があると儂も期待していた。だが、結果はどうだ? 単に傲慢さを増長させたに過ぎん。お前の鼻っ柱を叩き潰せたはずのロアーヌも、お前が殺した」
 父の台詞が、何故か私の胸を貫いた。ロアーヌが死んで、父が抜け殻となってしまったのは、単に好敵手を失ったからではない。私の成長を、私自身が。違う、そんなはずがない。父は、戦場で死ねなかった事を悔やんでいたのだ。
「儂も父親なのだ、ハルト。父親であるが故に、どうすればお前の傲慢さを消せるか考え続けた。だが、未だにその方法は見つからぬ。お前の鼻っ柱を叩き潰せる男が、今の天下にはおらぬ」
 それを聞いても、私の心は微動だにしなかった。今の私に敵う者など、居るはずがない。あのバロンの弓矢ですら、問題としなかったのだ。あえて、私に敵い得る者をあげるとするならば、隻眼のレンぐらいだろう。しかし、これはあくまで可能性でしかない。
「儂は、儂はお前に軍権を渡したい。ハルト、この意味をよく考えろ」
 そう言って、父は部屋から出ていけ、という仕草をした。私は黙って頭を下げ、父の部屋から出た。
「私が国を潰すだと? 潰すのは、父上だ」
 独り言をつぶやき、私は無駄に豪勢な屋敷を後にした。
 調練でエルマンの軍でも捻り潰して、否が応にも私の名が父の耳に入るようにしてやる。歩きながら、私はそう考えていた。

       

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