Neetel Inside 文芸新都
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 行軍の調練で、俺達はピドナ郊外で野営をしていた。野営と言っても、幕舎などは張らず、眠る時もそのまま地べたに転がる。これは雨の時も同じであり、当然、慣れるまでは休んだという気にもなれないが、兵達には我慢させた。スズメバチ隊は遊撃隊なのだ。だから、常に迅速に行動しなければない。それだけでなく、いつ出動となるか分からないのだ。
 これは父が指揮官であった頃からの伝統で、古参の兵達などはすでに地面の上に寝転がっている。これで当たり前だ、という感じなのだろう。兵達が休むのは、馬の世話と武器の点検が終わってからだ。だから、寝転がっている古参の兵達は、これらを全て終えているという事である。一方の新兵達は、まだ寝転がっている者の方が圧倒的に少ない。
 シオンも、その内の一人だった。今は入念に馬体をチェックしており、馬を大事にしている事が窺える。さらに方々では、炊事当番の者達が食事の準備を整えていた。いつもは干し肉などの簡素な兵糧で済ます所だが、今回は火を使って本格的な料理を作り上げる。これはたまにしかやらないが、兵にとっては楽しみにしている事の一つだろう。
「どうだ? 上手く焼けそうか?」
 俺は炊事をしている兵の所に行って、声をかけてみた。肉を焼いていた兵が振り返り、俺の顔を見て慌てて直立する。
「これはレン将軍。俺の焼き方に問題があったでしょうか」
「いや、そんな事はない。ただ、様子を見に来ただけだ」
 俺がそう言うと、兵は強張った笑みを浮かべた。調練の時は兵に対して容赦するという事をしないので、どこかで俺は怖がられているのかもしれない。ただ、それを問題だとは思わなかった。怖がられるぐらいで丁度良い、という気もする。
「しっかり焼いてくれよ。楽しみにしてる」
「はい」
 返事をした兵の肩を軽く叩いて、俺はその場を後にした。
 他にも大鍋で野菜と肉を煮込んだりしている兵も居て、香草の良い匂いが陣営の中を漂い始めた。寝転がっていた者も、いつに間にか起き上がっている。
 やがて食事の準備も整い、兵達は各々で料理を平らげ始めた。
「兄上、良かったら一緒にどうです?」
 シオンが椀を二つ持って、傍にやって来た。
「珍しいな。シンロウの所に行かなくて良いのか?」
 普段のシオンは、必要以上に俺と一緒に居る事を避ける所があった。将軍である俺と義兄弟だから、贔屓にしてもらっている、と他の兵に思われたくないのだろう。
「そのシンロウ殿に言われたのです。義兄なのだから、もっと懐いてこい、と」
 ちょっと困ったように笑いながら、シオンは地べたに腰を下ろした。俺はシオンから椀を受け取り、共に飯を食い始める。
「シオン、シンロウ隊はどうだ?」
「特に不満はありません。シンロウ殿も、俺を認めてくれていますし」
 シオンの今後については、少し難しい所があった。というのも、シーザーに言われた一件が引っ掛かっているのだ。シンロウでは器が小さすぎる、とシーザーは言った。言われて気付いた事だが、確かにそういう節はある。シンロウの指揮で、シオンの動きが制限されている感じも見受けられる。
 ならば、指揮官にしてしまえば良いのか。今のシオンなら、小隊長ぐらい易々とこなすだろう。だが、肝心の実戦経験がない。実戦経験のない者を指揮官にしてしまえば、色々と問題も起きる。まず、古参の兵達が黙っていない。しかも、シオンは俺の義弟なのだ。
 この件については、副官であるジャミルとも話し合ったが、指揮官にするには早すぎる、という意見は合致した。ならば、どうすれば良いか、という点だが、ジャミルはシオンを旗本に組み込む事を提案していた。つまり、俺の指揮下に置くのだ。そこで実戦を経験させて、小隊長なり、大隊長なりをやらせる。俺も色々と考えたが、今はこれしかないだろう、という気もしていた。
「シオン、シンロウ隊から外れて俺の下に付かないか?」
 俺がそう言うと、シオンは飯を食う手を止めた。
「シンロウ殿が何か言われていましたか?」
「そうじゃない。シンロウの評価は、ずば抜けて良い。ただ、俺から見て、シンロウはお前を扱い切れていないのだ」
「しかし、実戦経験のない俺が旗本とは」
「まぁ、確かにそこはネックではあるが。しかし、自覚があるなら良いだろう。そんな事よりも、旗本は小隊とは比べ物にならない程、激烈だぞ」
「それは望む所ですよ」
 そう言って、シオンは再び飯を食い始めた。
 シオンの反応は控え目で素っ気ないものだが、言葉の裏には確かな炎が見えた。もしかしたら、シオン自身もいつまでもシンロウの元には居られない、と思っていたのかもしれない。
 何気なく空を見上げると、星が綺麗に瞬いていた。以前も、シオンと二人で居る時に星を見た事がある。
「所で兄上は、女を抱いた事はあるのですか?」
 いきなりの質問だった。しかも、内容は女である。ニールとはよく女の話はするが、シオンとの会話で女が出た事はない。嫌いなのか興味がないのか分からないが、その手の話が苦手そうだったのだ。一方の俺は、どちらかというと好色な方である。
 俺はシオンの方に顔を向けたが、シオンは黙々と飯を食うだけだった。
「どうした、急に?」
「いえ、ちょっと気になっただけですよ」
「あるぞ。初めては十五の時だったな。まだ父も生きていた」
「それは好きな女と?」
「いいや、遊女とだったよ。そりゃ、好きな女とが一番だったが」
 言いつつ、俺は苦笑した。あの時、俺には好きな女が居た。ただ、フラれたのだ。元々、仲の良い女で、俺は好き合っていたと思って交際を申し込んだが、何の事もなくフラれた。あの時ほど、女は訳が分からない、と思った事はない。それで衝動に駆られて、俺は遊女を抱いた。
 今にして思えば、交際を申し込んだのが遅すぎたのだ、という気がする。この辺りは複雑で、戦にして例えるなら、攻め込む機を間違えたという所だろう。そして、手痛い反撃を食らった。
「兄上だから話しますが、俺はまだ女を抱いた事がないのですよ。こんな事、以前はそれほど気にしていなかったのですが」
「シオン、弟だから教えてやる。女は抱いておけ。俺は初めてが遊女とだったが、あの時に抱いて良かったと思ってる」
「は、はぁ」
「好きな女は居るのか?」
「好きかどうか分かりませんが、気になる女は」
「ほう」
「その女には財布をすられたのですが、また会いたい、と思っている自分も居ます」
 何か変な話だった。しかし、深く突っ込もうとは思わなかった。男と女の出会いなど、何が切っ掛けとなるか分からないのだ。
「しかし、シオンが女の話とはな。唐突で驚いたが、悪くない」
「兄上、他言は無用ですよ」
「分かっているさ」
 俺はそう言って、再び夜空に目をやった。相変わらず、星は綺麗に瞬いている。
 方々で、兵達の談笑する声が聞こえていた。

       

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