Neetel Inside 文芸新都
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剣と槍。受け継ぐは大志
第十章 思惑

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 正気を失いかけていた。いや、それが分かっているだけ、まだ幾分かはマシなのだろう。ただ、気が狂いそうなのだという事は、はっきりと感じていた。
 私は一国の王を殺したのだ。それも毒で、苦しめながら殺した。私は国の宰相でありながら、国の王を殺したのだ。
 最初は良かった。殺す前も良かった。そして、殺した直後も良かった。良かったというのは語弊があるが、殺してしまった方が良い、という考えだったのだ。殺した直後などは、やっと清い政治が始められる、と思った程だった。そして何より、多忙だった。
 だが、時が経つにつれて、何かが心を蝕んでいった。一国の王を殺してしまったという、罪悪感。数百年という歴史を積み上げてきたのは、国であり王なのだ。いや、王の血筋だと言っても良い。私はそれを、一時的にではあるにしろ、故意に断ち切ってしまったのだ。
 軍人など、何人も人を殺しているではないか。レオンハルトなど、それこそ数え切れないほど殺しただろう。そう思って、自分を保とうとした。だが、それと同列に語れる事ではなかった。軍人が殺したのは、敵だ。当然、相手も自分を殺そうとしてくる。しかし、私が殺したのは敵ではない。いや、それ所ではなく、王族なのだ。それも、在位中の王である。
 そういう事を考え始めてから、私は自分が自分でなくなるように感じていた。ウィンセからも、様子が変わった、と言われた。雰囲気という意味だと捉えていたが、ふと鏡を見てみたら、そこにはまるで知らない人間が映っていた。頬は痩せこけ、眼だけが異様に飛び出している男が、そこには居たのだ。
 それからしばらく、鏡は見ていない。
 仕事はきちんとこなしている。政治もすぐに成果を挙げ、民などは目に見えて幸福となった。だが、それでも王を殺したという罪が消えてなくなる事はない。
 罪は償うべきだった。自らの命を持って、償うべきだった。
「レオンハルト大将軍、お久しぶりです」
 夜半に、私はレオンハルトの屋敷を訪ねた。死んでしまう前に、何故かこの男と話しておきたい、と思ったのだ。
「変わられたな、フランツ殿。まぁ、それは儂も同じか」
 そう言って、レオンハルトは口元だけに笑みを浮かべた。隙間風が吹いているのか、部屋の隅に置かれているロウソクの火が揺れている。
 レオンハルトは、左腕を失ってから見る見る内にやせ細った。今など、どこにでもいる老人と何ら変わりない。
「貴殿が、どういった用件で儂の所に参られたのかは、あえて聞くまい」
「レオンハルト大将軍、私は」
「良い。いや、語ってくれるな。自らが仕えていた主が、自然死でなかったなどという事は、儂は聞きたくない」
 そう言われて、私は俯くしかなかった。ただ、レオンハルトは知っていた。私が王を殺した事を、いや、私がここに来た理由を、知っていたのだ。
 私が王を殺したという事実は、私だけの秘密だった。感づいているとすれば、ハルトレインぐらいだろう。何故、レオンハルトが知り得たのか。そう思ったが、今はどうでも良い事だった。
「もう次の世代の時代だよ、フランツ殿。ハルトやレキサス、ウィンセなどのな」
「しかし、レオンハルト大将軍は」
「その大将軍というのも、あと僅かの時の事だ」
 レオンハルトは本格的に退役するのだろう。しかし、その後任は誰になるのか。現時点での序列を考えれば、エルマンが有力なのだろうが、適切なのかどうかは分からない。そして何より、息子のハルトレインをどうするのか。
「若い者というのは、難しいな。言葉で伝えた所で、理解できる者はごく僅かだ。それに行動を付け足しても、理解できない者も居る」
 そう言って、レオンハルトは茶の入った椀を口に持っていった。誰の事を言っているのか分からないが、おそらくはハルトレインの事なのだろう。
「フランツ殿、自ら死ぬ事だけはよされよ」
 全てを見抜いたように、レオンハルトは私の目を見据えていた。
「貴殿にはまだやる事が残っておる。ウィンセを宰相の座に付ける下準備がな。あれは、一人の力で宰相まで上れるか?」
 束の間、考えた。無理ではないが、難しいだろう。ウィンセは一般家庭の出自である。家系の血筋というのは、どうしても地位に関わってくる。そして、これだけは能力ではどうしようもできない。
「死ぬまで働かずとも良いではないか。若い世代に、繋げる。フランツ殿の仕事は、もうずいぶん前に終わっていたのではないかな」
 レオンハルトの言葉を聞いて、私は目頭が熱くなっているのを感じていた。しかし、涙は出て来ない。そんなものは、とうに枯れているのだ。
 私の仕事は、王を殺した時に終わっていたのかもしれない。後の事は、ウィンセに任せれば良い。ウィンセは、私が育て上げた男なのだ。
「お互い、老いましたな。身体も心も」
「なに、人はみんなそうだ。しかし、悩みはいつまで経っても無くならぬ。これも、お互い様であろう」
「まさしく」
 言い終えて、僅かではあるが、私は心が軽くなっている事に気付いた。ただ、罪悪感は変わらずに残っている。
 死ぬのは、ウィンセに全てを託してからにした方が良いだろう。私はそう思っていた。

       

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