Neetel Inside 文芸新都
表紙

見開き   最大化      

 全身の震えが止まらなかった。恐怖。目の前で繰り広げられている光景に、僕はただ恐怖していた。
 最初は策が見破られたのかと思った。ヤーマス、リブロフの二将軍に獅子軍を誘引させ、落石の罠で殲滅する。そういう策である。援軍でやってきたクリスが策を看破する可能性はあったが、嵌める自信はあった。シーザーが焦り、短期決戦を臨んでくるだろうという事は、容易に想像できたからだ。しかも、クリスの制止も聞かずに、攻め込んでくる。メッサーナは、クリスの援軍を得てからは、連戦連勝である。つまり、勢いを得ているのだ。
 だが、その勢いが段違いだった。ヤーマス、リブロフは一瞬で粉砕され、全てを巻き込む竜巻の如く、獅子軍は攻め上がって来ている。そして、いま僕が居る落石地点のすぐ背後は、砦である。その砦には、二千の守兵しか居ない。それ以外は、全て前線に回しているのだ。
 味方の軍は、ただ蹴散らされるだけで、大潰走の様相を呈していた。かろうじて、ヤーマスとリブロフの旗本だけが、隊伍を守りながら退いているが、迎撃の余裕は全く無いだろう。旗を降ろして、退却に専念しているのだ。
 今、攻めている獅子軍の兵力は、二千のはずだ。僅か二千の騎馬隊が、四千の歩兵をゴミのように薙いだ。それも、率いているのは凡将ではなく、ヤーマスとリブロフという信頼の置ける武将だ。それを、ゴミのように。
「二倍の兵力なんだぞ。ちょっとぐらい、ちょっとぐらい抵抗できるだろう」
 そう呟いて、平常心を保とうとした。いや、自分を納得させようとした。だが、違う。おそらくだが、違うのだ。これが、現場の戦であり、真の戦なのだ。つまり、単純に獅子軍が強い。シーザーを先頭に据えた獅子軍は、それ程に強い。
 震えが止まらなかった。もう残り数十秒で、獅子軍は落石地点に到達するだろう。だが、その落石で倒せるのか。いや、本当に落石が成功するのか。落石すら、粉砕してしまうのではないのか。
「ノエル軍師」
 傍に居た兵が、声をかけてきた。僕の落石の合図を待っている。
「分かっている。しかし、まだだ。まだ、引き付ける」
 僕が編み出した策じゃないか。その僕がうろたえてどうするのだ。確かに味方は潰走して、獅子軍に蹴散らされた。だが、結果的には獅子軍を誘引できている。だから、落石で、仕留められる。
「仕留められるはずだ」
 獅子軍が、谷間に入ってくる。シーザー。先頭に居る。先頭に。瞬間、目が合った。言いようのない恐怖が全身を走る。その恐怖が、僕に逡巡を与えた。
「や、やれぇっ」
 叫んだ。逡巡の最中(さなか)だった。直後、岩が崖下へと雪崩れ込んでいく。

 地が揺れた。轟音で、耳が裂けそうになった。背後で何かが起きたのだ。しかし、それでも馬は止まらない。何かに憑かれたように、馬は駆け続けた。
 俺も、振り返らなかった。いや、振り返る事が出来なかったのだ。親父が、獅子が、一心不乱に駆けている。だから、俺も前を見続けていないと、置いていかれる。周囲の兵達も、必死に親父の背を追いかけていた。
 その親父が、不意に振り返った。眼。親父の眼が、燃えていた。どうしようもない程に、燃えていた。その次の瞬間、親父は天に向けて吼えた。
「いけぇぇぇっ」
 親父が偃月刀を天に掲げる。それに呼応し、俺も吼えた。周囲の兵達も吼えた。背後で何かが起きた。しかし、それを意に介している暇はない。いや、そんな事など、どうでも良いのだ。今の獅子軍は、無敵だ。天下無敵だ。そうだろう、親父。地が揺れようとも、轟音が鳴り響こうとも、俺達は突き進んでる。だから、今の獅子軍は天下無敵だ。
 砦。見えた。門が開いている。あれが、獅子軍の目指すべき場所。そう認識した瞬間、敵兵が一斉に出てきた。最後の悪あがきか。無駄な事をしやがって。しかし、同時に悪寒が全身を走る。
 敵兵。全員が、弓矢を構えている。そして、悪寒は何か別のモノに変わった。敵の狙い。親父。まさか。
「親父、駄目だっ」「放てぇっ」
 どこかで聞いた声。それが、俺の声にかぶさった。
 風切り音。何故か、鮮明に聞こえた。耳を貫き、脳に直接、それは伝わった。
 無数の矢は、一直線に的へと吸い込まれていく。的。
「親父ぃっ」
 身体が、親父の身体が、仰け反っている。何かに導かれたかのように、敵の矢は全て親父の身体に吸い込まれた。無数の矢が、親父の全身に突き立っている。しかし、それでも、親父は手綱を握り締めて、馬上で踏ん張っていた。
「獅子軍は、き、騎馬隊だ。落ちてたまるかよ。矢ぐれぇで、落ちて、落ちてたまるか」
 さらに矢。その内の数本が、親父の身体を貫通する。
 だが、親父は口元で笑っていた。それが、とてつもなく雄々しく見えた。誇り高き獅子。
「そんな、親父」
「てめぇら、俺に構うんじゃねぇっ。目の前の敵をぶっ潰せぇっ」
 咆哮。獅子軍が、駆ける。だが、親父は動かない。抜き去る。同時に矢の乱舞。しかし、それらは全て背後の親父に向けて放たれていた。敵。眼前だった。
 俺は腹の底から声を出した。真っ二つに敵をぶった斬り、砦へと駆け抜ける。
 敵が背を見せた。逃げる。その瞬間、俺は振り返った。何かに、呼ばれたような気がしたのだ。
「親父ぃ、勝ったぜ。なぁ」
 声が、震えていた。次いで、涙が溢れ出てくる。
 親父は、馬上で首だけを前に倒し、静止していた。全身に矢が突き立ちながらも、偃月刀と手綱だけは、尚もしっかりと握り締められている。ただ、もう親父は動かない。声を発する事もない。
 風が吹く。その風は、獅子の最期を告げる風だった。
 涙を拭って、俺は一度だけ天に向かって雄叫びを上げた。だが、涙は、止まらなかった。だから、俺は吼え続けた。

       

表紙
Tweet

Neetsha