Neetel Inside 文芸新都
表紙

剣と槍。受け継ぐは大志
第十三章 時の契機

見開き   最大化      

 レオンハルトが倒れたという報せが入ったのは、夕刻になってからだった。一旦、意識を失ったものの、今は回復しているという。しかし、予断は許さない状況だった。
「面会はできるのか?」
「というより、大将軍自らがそれを望んでいます」
「分かった。ウィンセ、お前も来い」
 報せに来た兵との会話を切り上げ、私はウィンセと共にレオンハルトの屋敷に向かった。その道中、何故か嫌な予感が付きまとった。レオンハルトの方から、私に面会を求めてきた。その意味を考えると、やはり最悪の事態を考えてしまう。今までは、私の方から会いに行っていたのだ。
 屋敷に到着し、私はレオンハルトの私室に直行した。私室の前で、数人の武官が直立している。身なりを見る限り、それなりの地位の者なのだろう。
「宰相殿ですね。中で大将軍がお待ちしております」
「御一人か?」
「はい。我々も、席を外すようにと命じられました」
 それを聞いて頷き、私はウィンセを連れて部屋の中に入った。お香の匂いが、鼻をくすぐる。すでに時刻は宵を過ぎており、部屋の中の灯りは寝台の傍にあるロウソク一本だけだった。
「フランツ殿、か」
 力の無い、しわがれた声だった。顔を覗き込むと、頬の痩せこけた老人が、そこに居た。
「レオンハルト大将軍、老いましたな。どうしようもない程に、老いてしまわれた」
「はっきりと言ってくれる。しかし、その通りだ。だからこそ、貴殿を呼んだ」
 レオンハルトの視線は、天井に向けられていた。ただ、どこか虚ろな目である。焦点が合っていない、と言えば良いのか、とにかく目に生気は無かった。
「軍権を、そなたに譲る」
 レオンハルトは、しわがれた声で静かに言った。
「エルマンでは扱いきれず、レキサスでは拒否される。そして、今のハルトでは振りかざし過ぎる」
「それで、私ですか。もう数年と生きられぬであろう私に」
「その数年でハルトを変えてくれ」
「無茶な事を。実父である貴方に出来なかった事ですぞ」
「ならば、他の手段を講じてくれ。ハルトと軍権。この二つが釣り合うように、上手くやってくれ」
「傲慢ですな。それならば、私が軍権を握ったままで良いでしょう」
「貴殿は、そうはせぬ。だからこそ、軍権を託すのだ」
 レオンハルトが咳き込む。その様を見て、私は自分の命を見つめた。あと数年。本当に数年なのだろうか。いや、数年も生きなければならないのか。
 私は、もう十分に生き抜いたのではないのか。レオンハルトの頼みを聞き入れる事はたやすい。だが、聞き入れるだけだ。それ以上の事を、自分が成せるのか。いや、成したいと思っているのか。レオンハルトだけではない。私も老いたのだ。老い過ぎる程に、老いたのだ。そう思うのは、ウィンセに全てを託し終わったからだ。だから、もう自分は消えても良い存在だろう。
 ハルトレインは若い。そして私は老いている。私が第一世代ならば、ハルトレインは第二世代だ。そして、軍事の第二世代がハルトレインなら、政治の第二世代はウィンセだ。ならば、ウィンセに託すべきではないのか。
「これが最期の会話になろうな、フランツ殿」
 不意にレオンハルトが言った。私の心中を察したのかもしれない。
「儂は戦場で死にたかったよ。こんな病床ではなく、戦場で雄々しく死にたかった」
「私には分かりません、大将軍」
「軍人は死に憧れているのかもしれん。雄々しく散って、誰かの記憶に残る。そういう死に憧れているのだ」
 そう言い終え、レオンハルトは一度だけ息を吐いた。
「ウィンセ」
 レオンハルトが呼ぶと、ウィンセは直立した。元はサウスの副官だった。だから、軍人としての礼儀も心得ている。
「ハルトには、フォーレを必ず付けるのだ。ハルトの傲慢は、フォーレが上手く調整する。本当は、ハルト自身が変わってくれれば良いのだが」
 全てを見越した上での、発言のようだった。私の命。軍事と政治。軍権の所在。この先の戦略。そういった全ての要素を絡めて、レオンハルトは発言した。
「フランツ殿、話は以上だ」
 そう言われたので、私は黙って頭を下げ、私室を後にした。別れの言葉は、お互いに口にはしなかった。
「フランツ様、先程の大将軍のお言葉ですが」
「頭に刻み込んでおけ、ウィンセ。そして、明日からお前が宰相だ」
「は?」
 それ以上、会話はしなかった。もう私は生き抜いた。前王を毒殺し、新たな政治の土台を築いた。私の仕事は、ここまでだったのだ。いや、最後に次期宰相にはウィンセを据える、という仕事が残っていた。だが、もうそれも終えている。ウィンセには、私の全てを託した。幼き王にも、私が死んだ後にはウィンセを宰相に据えるように、と伝えているし、外堀への根回しも施した。
 あとはタイミングだけだったのだ。そのタイミングを、レオンハルトがもたらしてくれた。
「フランツ様、後は私にお任せください」
 そう言ったウィンセを、私はただじっと見つめた。
「お前が聡明で良かった。私は切にそう思う。レオンハルト大将軍は、私に軍権を譲った。そして、私はお前に軍権を譲る」
 私がそう言うと、ウィンセはただ頷いた。
 この男は、私の息子のようなものだった。だからこそ、愛情を注いだ。託し得る全てを、託した。
「フランツ様は、私の師であり父です。お教えいただいた事は、決して忘れません」
 ウィンセの目は、涙ぐんでいた。私はそんなウィンセの肩を一度だけ叩き、背を向けた。背後で、僅かな嗚咽が聞こえたが、決して振り返らなかった。
 私室。灯りは、付けなかった。窓から漏れる、僅かな月明かりの中で遺書を書いた。死後の事を、綿密に書きあげた。
 国の歴史を守り抜く。ただ、この信念の為に私は生きてきた。メッサーナを叩き潰し、国の歴史を。だが、それは私一代では叶わなかった。これは、レオンハルトも同様だ。そして、老人達の舞台は、間もなくして幕を下ろす。
「次の世代だ。ウィンセ、頼んだぞ。そして前王、すぐそちらに行きます」
 即効性の毒を呷る。胸に痺れが走った。前王が、居る。拝礼しなければ。そして、政治の報告をしなければ。
 そんな私を、前王はいつもは嫌がった。どうせ、今回も。そう思ったが、何故か前王は笑っていた。それが、私はたまらなく嬉しかった。

       

表紙
Tweet

Neetsha