Neetel Inside 文芸新都
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「ミュルス近郊の砦が奪われた」
 軍議の席で、エルマンは毅然とした口調で言った。しかし、驚きの声をあげる者は居なかった。各々、目を閉じたり、うなだれたりしているだけだ。そんな中、私はエルマンの目をじっと見つめていた。
 砦を奪われたという事は、レキサス軍は敗れたのだろう。私達の本隊をアビスに引き出し、獅子軍でミュルス近郊の砦を奪う。このメッサーナの戦略は、遠回りはしたものの、見事に決まった。これについては、文句の付けようもない。何しろ、官軍側が戦略に気付いたのが遅すぎたのだ。レキサスの軍師であるノエルがいち早く気付いたようだったが、その伝令が駆け込んできた時には、すでに私達は交戦に入っていた。つまり、アビスに引き出された後だった。
 それでも、やりようはあった。ノエルが戦略を看破した事により、幾分かは私達に有利になったからだ。しかし、結局の所はメッサーナにしてやられた。何が原因だったのか。軍が弱かったのか。将の才が足りなかったのか。
「エルマン殿、早急にミュルスへ救援を送る必要があるのでは。獅子軍、クリス軍が攻め込んでくる前に、守りを固めた方が良いでしょう」
 フォーレが言った。
「いや、その獅子軍だが、しばらくは動けん」
「何故です?」
「シーザーが死んだ。レキサス軍が、討ち取った」
 その場に居た全員が、唸り声を発した。私も思わず、腕を組んでいた。あの獅子軍のシーザーが、死んだ。何をやっても死にそうにない男だと思っていたが、呆気なく死んだ。しかし、これが戦なのだ。死とは、常に隣り合わせなのだ。
「ノエルの落石策で完勝、と言いたかったが、最終的には砦と引き換えだ。首は取れなかったが、矢で滅多撃ちにしたらしい。それで、今の獅子軍には実質として指揮官が居ない。獅子軍は攻撃の要だ。今、その要は動けない」
「ならば、すぐに砦を取り返すべきです。レキサス軍には、ヤーマスやリブロフが戻ったはず。二人を中心にすれば」
「フォーレ、それは出来ん」
「何故ですか」
「心して聞け」
 エルマンが、私に視線を合わせてきた。心して聞け。これは、私に向けて言った言葉なのか。
「レオンハルト大将軍とフランツ宰相が亡くなられた」
 心臓の音が聞こえた。じわりと、汗が全身からにじみ出てくる。気付くと、周囲の者が立ち上がっていた。
「誤報ですか。誤報でしょう、エルマン殿」
 誰かが言った。エルマンは首を横に振り、うなだれた。
 私は目を見開いたまま、動く事ができなかった。父が、死んだ。武神と謳われ、軍神と謳われ、生ける伝説だった父が死んだ。そして、父が死んだ事によって動揺している自分が、信じられなかった。父の死を渇望していたはずではなかったのか。老いぼれと蔑み、軍神と呼ばれる父を侮蔑していたはずではなかったのか。
 心の底のどこかで、私は父を尊敬していたのか。
「ハルトレイン」
 エルマンが私の名を呼んでいた。それで、自分が涙を流している事に気付いた。唇が震え、拳は握り締められている。
 この溢れ出る感情は、何なのだ。止めようと思っても、止まらない。
「レオンハルト大将軍は、逝く前に、儂を超えてみせよ、と言われたそうだ。誰に向けて言われたのかは分からん。だが、私はお前に向けて言ったのだと思う。どう受け取るかは、お前の自由だ。だが、お前は武神の子だ。これだけは、変えようのない事実だ」
 私は目を閉じた。父は何を想って、逝ったのか。それを考えようと思ったが、頭が回らなかった。混乱しているのかもしれない。
「今、国は戦が出来る状態にない。大将軍と宰相が、同時に亡くなられたのだ。軍権は、新たな宰相であるウィンセに渡っている」
 エルマンが、言葉を切った。
「これは、レオンハルト大将軍の遺志だ」
 私に対する当てつけのように、エルマンは言った。
 父の遺志というのは、少し違うだろう。おそらく、父はフランツに軍権を譲った。そして、フランツがウィンセに譲った。しかし、父は何故、軍権を軍人ではなく、政治家に渡したのか。
「待ってください、エルマン殿。何故、軍権が宰相に渡るのです。新たな大将軍はどうしたのですか」
「空位だ、フォーレ」
 父に代わり得る者が居ない、という事だった。だからこそ、父は大将軍に後任を充てなかった。そして、大将軍が居ないから、軍権は政治家に渡った。
 これでは、繰り返しだ。腐っていた時代の、繰り返しである。そもそもで政治家が軍権を握っていたから、メッサーナ台頭をここまで許してしまったのだ。軍権は、軍人が握るべきだ。政治家では、使いこなす事など出来るはずもない。しかし、それをここで喚いても、無意味な事だった。
「今、我々は下手に動けん。本来なら、すぐにでも軍を退きたいが、軍権はウィンセが握っている。だから、軍令を待つ」
 エルマンは口では軍を退きたい、と言ったが、その心中は違うはずだ。ここで軍を退かせる訳にはいかない。国の危急時であるからこそ、軍は前線で踏みとどまるべきなのだ。
 これを機に軍を退かせれば、メッサーナは勢いに乗じて猛烈に攻めてくる可能性がある。だから、今はハッタリでも前線に居なければならない。すなわち、エルマンは軍令を待つ、という大義名分を盾に、軍の撤退を遅らせたのだ。
「おそらく、メッサーナもこの情報は手に入れているだろう。あとは、相手がどう動いてくるかだ。実質的な戦闘能力をもぎ取られた獅子軍に援軍を送るのか、様子見をするのか。それとも、アビスで決戦を挑んでくるのか。我々の今後の動きは、軍令とメッサーナの動向で決める」
 エルマンがそう言って、軍議は終わった。
 父は死んだ。幕舎を出る時、私はふとそう思った。しかし、もう涙は出ない。出ようはずもない。すでに私は、先を見据えている。

       

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