Neetel Inside 文芸新都
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 シーザーが自らの命と引き換えに、ミュルス攻めの橋頭保を獲得した。この結果が良かったのかどうかは、まだ分からない。しかし、私の選択によって、シーザーは死に、ミュルス近郊の砦はメッサーナのものとなった。
 撤退という選択肢があった。獅子軍の急襲失敗の報を聞いた時点で、撤退を選んでいれば、シーザーは死ななかったかもしれない。しかし、ミュルス近郊の砦を奪う事も出来なかった。
 撤退の選択を否定したのは、軍師であるルイスだった。ルイスは、シーザーは必ずやってのける、と言い張った。論理も何も無い言い分であったが、不思議と真実味はあった。そして、他の将軍達も賛同した。いや、将軍達は端から撤退する気はなかっただろう。撤退を支持するとすれば、それはルイスのはずだった。しかし、そのルイスが撤退を否定したのだ。
 私はアビスで戦い続ける事を選んだ。この根底には、やはり獅子軍の強さに対する信頼があった。そして、クリスとシーザーの連携力に対する信頼もあった。
 何故、撤退を選ばなかったのか。そういう後悔がない訳ではない。私も獅子軍を、シーザーを信頼した。そして、ある意味で、シーザーは信頼に応えた。
「バロン王、私を罰して頂きたい」
 ルイスだった。幕舎の中に入って来て、いきなりそう言った。中に居るのは、私とルイスだけである。
「またか、ルイス」
 もう三度目だった。
「何度も言うが、罰する理由がない」
「シーザーの死は、私に責任があります。王の撤退に異を唱えたのは、私です」
「決めたのは私だ、ルイス」
「私の言い分に、理論的なものは何もなかった。軍師である私が、感情に押し流されたのです」
「くどいぞ。それで尚、私は戦い続ける事を選択した。お前を罰する理由はない」
「私は軍師失格です。ヨハンとの交代を希望したい」
「ならん。ヨハンは宰相だ。軍師ではない。お前にヨハンの政務が出来るか? 無理だろう。冷静になれ」
 ルイスは、自身のプライドを捨てていた。よほど、シーザーの死が堪えたのだろう。シーザーとは不仲であったはずだが、見えない部分で強い繋がりがあったという事なのか。
「それに今は戦時中だ。シーザーの戦死に動揺するのは分かるが、気をしっかり持て」
 もう、ルイスの方は見なかった。話すべき事は、何も無い。とにかく、シーザーは死んだ。その代わりに、ミュルス近郊の砦を奪った。それが、全てだ。
 しかし、このまま戦い続ける事は至難だろう。まず、獅子軍が機能しなくなった事が痛い。シーザーの後任となるような人物が、獅子軍の中に居ないのだ。獅子軍は型破りな構成で、副官なども配しておらず、指揮はシーザーに頼り切っていたという所がある。
 そして何より、メッサーナ軍全体の継戦能力の低下が著しかった。アビス戦線も、ひどく疲弊してしまっている。当初の予定では、ミュルス近郊の砦を奪った後、アクトの槍兵隊とレンのスズメバチ隊をミュルス攻めに回すはずだったが、この二軍の損耗が激しい。特にアクト軍は、軍の特性からか狙われやすく、負傷兵が他の軍の二倍は出てしまっている。
「バロン王、注進が参りました」
 幕舎の外に居る、従者の声だった。ルイスを下がらせ、伝令兵を通した。
 注進の内容は、レオンハルトとフランツの死だった。衝撃に似たようなものが私の胸中を走ったが、表情には出さなかった。
「分かった。下がれ」
 それだけを言い、伝令兵が幕舎を出てから、私は目を閉じた。
 二人の英傑が、この世を去った。軍事と政治の巨星が、同時に堕ちる。これは、大変な事を意味するのではないのか。いや、もしかしたら誤報なのかもしれない。むしろ、計略という可能性もある。だから、情報を鵜呑みにするのは危険だ。
 しかし、その後も注進は入り続けた。死因もはっきりし、レオンハルトは病で、フランツは毒で死んだらしい。すでに二人が死んでから、十四日が経っている事も分かった。
「諸将をこの場に。至急、軍議を開く」
 従者を呼んで、私はそう言った。
 死にそうにない人間が、急に逝く。シーザーがそうだし、ロアーヌもそうだった。レオンハルトなど、病ですら超越するのではないか、と思っていたほどだった。しかし、死んだ。
 死というものは、誰にでも平等に訪れる。当たり前の事だが、改めて痛感した。レオンハルトですら、死んだのだ。
 すぐに、全員が集まった。軍議の間も、臨戦態勢は解かない。敵は、いつ動いてくるか分からないのだ。
「単刀直入に言う。レオンハルトと、フランツが死んだ」
 その場に居た全員が、どよめきに近い声をあげた。
「あの、武神が」
 声を漏らしたのは、シルベンだった。私と同じく、この中では最も長く官軍に居た男だ。どこか、感じ入る所があるのだろう。
 ふと、レンの顔が目に入った。残された右目を、閉じている。
「この所、官軍側に動きがなかったのは、それが要因だったのですね」
 アクトだった。さすがに冷静な分析である。この所、官軍側から攻め入ってくる事は、極端に少なかった。犠牲を抑えようとしているか、もしくは何か策があるのか、と疑っていたが、辻褄はこれで合う事となる。
「問題は、これからだ。無論、戦い続ける事が上策だとは思うが、見た所、官軍側に乱れはない」
 攻め入ってくる事は少ないものの、弱体化しているという訳ではない。単に戦術を変えてきただけの事なのだ。すなわち、攻めを取り払い、守りに専念してきた。これを崩すのは、骨である。
 そして、私達にも戦い続ける余力は無い。兵の疲弊損耗、士気の低下。深い所まで見れば、国力の消耗もある。ヨハンは何も言ってこないが、内政面でも苦しい事になっているのは目に見えていた。
 それでも、それでも獅子軍が無事であれば、次の戦略も立てられたはずだった。
「バロン王、本当に戦い続ける事が上策でしょうか」
 右目を開いた、レンが言った。
「アビス戦線は膠着状態に陥り、ミュルス戦線も攻め入る力がない。今回の報は、確かに俺達にとって有利に働く要素ですが、肝心の前線に居る官軍に乱れが無ければ、戦い続ける事が上策とは思えません」
 レンの言った事は、至極真っ当なものだった。現状は、好機でありながら好機でない。いや、選択肢の幅が狭い、と言うのが正直な所だ。戦い続けるか、否かの二択しか無いのだ。
 ただ、官軍側からしてみれば、現状をどうにか打破したい、というのが第一だろう。つまり、戦をやめる。前線はどう考えているかは分からないが、都に居る人間からしてみれば、今は戦などやっている場合ではないはずだ。
「ここは耐え時です。王は戦い続ける事が上策と言いましたが、これはあながち間違ってはいない」
 ルイスだった。眼に才気の色がある。
「無闇に戦は仕掛けず、ここに留まるべきだ、と私は進言します。そうすれば、相手も動かざるを得なくなる。相手、というのは軍ではなく政治の方です。レオンハルト亡き後の軍権の所在が気になるが、いずれにしろ政治との連携は絶対に外せない」
「ルイス、お前の考えを聞こう」
「講和の使者を送る。すなわち、停戦協定を結ぶ」
 そう言ったルイスの眼は、鋭い光を放っていた。

       

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