Neetel Inside 文芸新都
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 風が吹いていた。冷たい、秋の風だった。
 レンは黙ったまま、丘の下に目をやっている。相変わらず、表情は哀しい。
 槍のシグナスの血を引き、剣のロアーヌに育てられた男。レンは、自らをそう語った。それを聞いても、俺は特に驚きはしなかった。当然というような、そんな気がしただけだ。
 ロアーヌとシグナスの知識については、人づてに話を聞いた程度のものだった。剣のロアーヌと槍のシグナス。共に天下最強と謳われ、武の一時代を築いた。元々、二人は官軍に属していたが、メッサーナに亡命した。そして、志半ばで散った。
 ただ、二人とも、死の直前で信じられない力を発揮したと言われている。数千の敵兵をたった一人で圧倒しただの、槍で何度突いてもビクともしなかっただの、およそ考えられないような噂も流れていた。
 しかしそれでも、死んだのだ。ロアーヌはアビス原野で、シグナスはタフターン山で死んだ。戦いの中で、二人は死んだのだ。
 レンは、その二人に深く関わっている。二人の天下最強に、関わっている。特に槍の腕前については、シグナスの血を引いたという事なのだろう。それをロアーヌが磨き上げた。
 俺が驚いたのは、むしろハルトレインの方だった。左眼を奪われた。レンは、そう言ったのだ。
 ハルトレインと言えば、大将軍の後継者として有名な男である。現在の大将軍、レオンハルトの末子であり、今の官軍の中で最も注目されている男だ。
 ただ、大口を叩く事や言動が尊大なせいで、人となりはあまり評価されていない。どうしても、若僧の分際で、という目で見られてしまうのだ。実際、ハルトレインはまだ二十五にもなっていない。
 ただ、能力はあった。武芸も官軍一で、特に剣と槍に関しては、右に出る者は居ないという。上に立つ者として必要なものは、あとは年齢と経験だけだった。
 そのハルトレインと、レンは刃を交えたのか。だが、どこで。そして、どういう経緯で。
「シオン、先に言っておこう」
 丘の下に目をやったまま、レンが口を開いた。
「俺はメッサーナの人間だ。シグナスの息子なのだから、当然と言えば当然だが」
「その左眼は」
「ハルトレインと刃を交えた。アビス原野で」
 三年前の、国とメッサーナの大戦だった。
「俺は、スズメバチ隊の一人の兵として、出陣していた。父、ロアーヌと共に」
 天下最強の騎馬隊。レンは、そこに所属していたのか。レンは、自らの年齢を十八歳、と言っていた。つまり、十五歳で戦に出たという事だ。
「初陣だった。その初陣が、天下分け目の戦だった。はっきり言って、何がどうなっていたかは今でも分からない。ただ、激しい戦だった。父に付いていくのが精一杯で、周りの事など見えてなかったと言っていいだろう」
 それが当たり前なのだろう。俺は賊退治をやったぐらいで、本当の戦に出た事はないが、レンの言っている事はよく理解できた。
「気付いたら、スズメバチ隊は全滅の危機に陥っていた。ハルトレインの援軍が、後方から現れたのだ。俺は、そのハルトレインを止めるため、父から離れた」
「そこで、左眼を」
 レンが黙って頷いた。
「何をどうされたのかは今でも分からない。見えたのは、光だけだった。そして次には、視界の左半分が消えていた」
 レンが、右眼をこちらに向けてきた。何か圧倒するような、そんな気迫を放っている。
「俺には戦う理由がなかった。だから、左眼を奪われた。いや、ハルトレインに負けたのだ」
「戦う理由、ですか」
「あぁ。それを知る為、俺はメッサーナを出た。実父が、父が居た国の事を知る為に。そして、メッサーナと、国の違いを知る為に。旅をはじめて、もう一年になるが、未だに答えは掴めていない。いや、掴めているが、もっと深く知りたい、と思っている」
 それを聞いても、俺には返す言葉が見つからなかった。レンが旅をしている理由は、遠大で、悲壮だった。そして、大局的でもあった。
「実父と父は、天下取りの大志を抱いていた。まだ十八の俺には、天下の事などは分からないが、その大志を抱く理由は十分に分かった。それほど、この国は腐っている。一年の旅の中で、そう思わせる出来事に、俺は数え切れないほど遭遇した。今回の、この賊退治の事もそうだ」
 レンの右眼に、熱がこもった。
「本来、動くべきはずの官軍は動かず、何らかの手を講じなければならないはずの役人たちは、税を絞り取るのに夢中だ。こんな国の中で暮らす民が、幸福なはずがない。だから、俺は大志を受け継ぐ。かつて、父らが抱いた大志を、俺は受け継ぐ」
 レンの右眼の熱に、俺は惹き込まれていた。それをはっきりと自覚した。そして、レンの言った事は、何の淀みもなく、俺の心の中に染み渡った。
「だが、まだ知るべき事は多くあると思っている。だから、俺は旅を続ける」
「その旅に、俺も加えてください」
 言っていた。いや、言わなければならなかった。俺は、レンと共に生きる。今までの流浪は、この男と出会う為だったのではないのか。そう思えるだけのものを、レンは持っている。
「そう言ってくる者は、全て断ってきたんだ、シオン」
「何故ですか」
「旅の目的が明確でないからだ。そして、どうなるかも分からない。この先、野垂れ死ぬ可能性だってある」
「それでも」
「俺はメッサーナの人間なのだ。そして、槍のシグナスと、剣のロアーヌの息子なのだ。つまり、国から狙われている」
「レン殿、俺は何の意味もなく、これまで流浪してきました。しかし、貴方の話を聞いて、その意味がわかりました。ここで付いていけないなら、俺はこの先どうして良いか分かりません。俺の方天画戟は、向ける矛先を探しているのです」
 そう言って、俺はレンの右眼をジッと見つめた。レンは瞬きすらせずに、俺の眼を見ていた。
「子分達はどうする。これまで、一緒だったのだろう」
「この村に置いていきます。嫌だといっても、無理やりにでも承服させます」
「辛い旅になるぞ。下働きに似たような事もやらなければならない」
「承知の上です」
 レンが右眼を閉じた。その間も、俺はレンから視線を外さなかった。そして、レンは軽く息を吐いて、再び眼を開いた。
「わかった。付いてこい、シオン」
「はい」
 そう言ってから、俺は涙が出るのを必死に堪えていた。レンと共に旅に出られる。それが、たまらなく嬉しかった。
「だが、俺はお前の上官でもなんでもないんだ。丁寧語はやめにしよう」
「レン殿は、年上です」
 俺がそう言うと、レンは少し考える仕草をした。
「ニールも年上だが」
「ならば、兄上と呼ばせてください」
「兄上か」
 言ったレンが、顔を綻ばせた。
「俺も兄と慕っている人が居る。そうか、兄上か」
「はい」
「よし、それでいこう。これからよろしく頼む、シオン」
「はい、兄上」
 俺がそう言うと、レンが笑った。俺も、それにつられるように笑っていた。
 嬉し涙が、頬を伝っていた。

       

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